第三十四話 リンドバルマXV 『払暁の団』
シャノアール・ヴィエ・アトモスフィアと、ルノアール・ヴィエ・アトモスフィア。
相対するは、魔導最先端を行くアトモスフィア家の親と子。
目まぐるしく変わる展開に、ジュスタやポールといった傍観組はもはや目を白黒させることしかできなくなってしまっていた。突如その場に"召喚"された、羽ペン片手にベスト姿の壮年の男は、優雅な手つきでシガレットを咥えると指を鳴らして火を点す。くゆらせた紫煙が踊り、大きく息を吐いた男の名はシャノアール。魔王軍の導師であり、現代最強の広域魔導使い。
共和国領はおろか、およそ人類が居る大地にて指名手配にかけられた、トップクラスの賞金首。
そんな男が突然、ヴェローチェの目の前に現れた。
「やあシュテン、元気にしていたよ、このボクはね!」
「いや聞けよ」
軽くツッコミつつ肩を竦めた"鬼神"は、気安くその"導師"と立ち並ぶと同じようにルノアールを見据えた。最強クラスの後衛と、同じく凄まじい力量を誇る前衛。この二人が組んだ状態に誰が勝てるというのだろう。少なくとも、帝国書院書陵部魔導司書第一席と、双槍無双の魔導司書と謳われた元第二席がタッグでも組まない限りは相対しうる人材など容易には思いつかない。
シガレットを空中に投げて、次の瞬間塵芥へと変える。
そんな仕草さえも穏やかで優しく感じるこの男は、およそルノアールとシュテンが彼を"導師"であると明言しなければ王国辺りの貴族を彷彿とさせる出で立ちだった。
「さて、ルノアール。十年振り、くらいかな」
す、とその双眸が宙を見据えた。
その先には、先ほどシュテンによって顎を砕かれたばかりのルノアールの姿。
すぐさま再生したのか、既に傷の類は見当たらない。
だがその代わりとでもいうように、先ほどまでの余裕はどこへやら、濁り切った瞳に憎悪を乗せてシャノアールを見返していた。
「……こんな時に、父上に遭遇することになるとは」
「言っておいたはずだよ、このボクはね。ヴェローチェに触れることは叶わない、と」
「姑息な術式を組んでそのしたり顔。……所詮は"語らない聖典"の奴隷に過ぎない癖によくもまぁ」
奴隷? とシュテンは眉をぴくりと反応させる。
しかしそのようなことはお構いなしにシャノアールはルノアールの言葉を軽く笑って受け流す。
「好きなように言うといいさ。念願のために尽力する。それは信条だ、このボクのね。だからこそ、お前のように己の願望に人を巻き込み、自らが尽くさない行動は許さない」
「チッ……」
舌打ちして、吐き捨てて。
そこに、何かが降ってきた。
ちょうどシャノアールとルノアールの対峙する間。
どさり、と音を立てて地面に叩きつけられたそれは、既に気を失った者のようだった。
「シュラークっ」
「フン、無力化するのには骨を折ったが……何故、ここに魔王軍の導師が居る」
「やあ、新第二席。争うのも結構だけど、今は軽く休戦と行こう。シュテンくんともそうなのなら、彼の味方だ、このボクはね」
「……」
釈然としない。そんな心象をありありと表情に出しながら、それでもデジレは口を閉じた。
今はそれよりもどうにかしなければならない悪がある。
なればそれを無視して戦うというのも、燻った火種を無視しているようで危険極まりないのは彼も理解しているところだった。少なくとも、シュテンよりははるかに。
「……魔導司書に鬼神に、父上。んっんー、どう考えても分が悪い。ならまあ、仕方がない。シュラークのデータも取れたことだし――」
す、とルノアールが手を上げた。
その瞬間、"ゲートが開く"。
「それは、レックルスと同じものだね。なるほど」
目を眇めたシャノアールは、どこか納得したようにそう言った。
その知った風な雰囲気にルノアールは苛立たし気に口を開く。
「なんだ、お仲間の裏切りとは考えないのかい。そいつは不愉快不愉快不愉快だぁ……が、仕方ない」
そのゲートは倒れ伏したシュラークの真下に開いていた。
あっという間に黒き渦に取り込まれたシュラークに、ジュスタは小さく声を漏らす。
聞きたいことがいっぱいあった。意識を操られていても共和国を守りたいという意志は感じ取っていたが故に、"話したい"と決意していたのに。
「……機を待てクソガキ。死んだわけじゃねえ」
「……う、うん」
ジュスタの前に立ったデジレが小さく口にした言葉に、彼女は頷く。もう、いつぞやのただの幼稚な子供ではなくなっていた。
「シュラークのは予想外だったが、まあゲートで逃げるよりも先にぶち殺しちまえばいいだけの話だな」
シュテンはゲートが開いた瞬間に、ルノアールを逃がさず殴ろうと既に動いていた。
しかし、ルノアールはそこでまたしても歪に口元を釣り上げる。
「ワターシが、こんなに邪魔な奴を目の前にしてただ逃げるわけがない」
「んっ?」
それはどういう――
その意図を問う時間は、しかし残されていなかった。
「っ、第十四攻性魔導――冥月乱舞!!」
瞬間、ルノアールとシュテンの間に黒の奔流が踊り狂う。
間違いなくシャノアールの術式であるそれが、ルノアールと自分を遮ったことに一瞬理解が追いつかないシュテン。だが、それがただの攻撃やシュテンを狙ったものではないことにくらい、すぐに気が付いた。
なぜならば。
――神蝕現象【天照らす摂理の調和】――
「ぬ、ぐっ……!!」
跳躍に使った推進力が切れた。大気の魔素が消え去ると同時に、"偶然にも"シュテンの目の前に冥月乱舞で弾けた瓦礫が殺到する。
「っ、すまないシュテンくん!」
「気にすんな! お前さんが狙ってやったことじゃねえくれえ理解出来らあ!!」
飛びのくようにしてシャノアールの前に着地したシュテン。
少々悔しげに歯を食いしばり、睨み据えるはルノアール。
そのルノアールはといえば、当然のようににたにたと笑みを浮かべながら、ただ佇んでいるだけだった。
特に魔導を使った様子はない。
理解しているからこそ、手のうちに残った魔素の感覚に人知れずシュテンは拳を握る。
そして、今の魔導の波動を、魔素の動きを一番理解しているのは、当然ながらこの男であった。
「今のは異相の魔力。……神蝕現象。そしてこんなことが出来るのはアスタルテの野郎か、或いは――」
デジレの言葉は、途中で途切れた。
「或いは、わたし。……でしょう? デジレ・マクレイン」
ふわり。
ルノアールの目の前に、番傘を開いて舞い降りた少女。当然のように宙に浮きながら、そのあどけない碧眼で地上を観察するように見渡した。
首元で切られた、人形のような金の髪。似つかわしくないはずなのにどうしてかしっくり来る藍染の着物。暴風のような覇気に見合わない、幼い容姿。
「……ヤタノ、ちゃん」
「久しぶり、でもないですね。まあ、別にどちらでもいいんですけど」
耳にかかった髪を軽く抑えながら、彼女は嫋やかに微笑んだ。
しかしどうしてだろう、今までの彼女とは違って、その微笑は絶望的に冷え切っている。
光を無くした碧眼は、隣に居る男も相まって酷く濁り切っているように見えた。
「なんつーブラックヤタノ。……何がどうしてこうなった」
「……おいクソ童女、そいつは」
明らかに敵意を向けられていることを感じてか、シュテンも口元をひくつかせるのみ。
そんな状態のさなか、一応は"同僚"であるところのデジレは、彼女の変貌振りをモノクル越しに睨み据えた。口から発したのは、隣に居るのは明らかな敵対者であることの示唆。だが、彼女は相も変わらず無感情な笑みをたたえたままで。
「わたしはもう、いいんですよ。何もかも。だったらせめて、抗いたいじゃないですか」
「なにを、言ってる」
「別に、難しいことは。そうですね、もしかしたら――」
ヤタノの視線は、そのまま自然とシュテンを通り過ぎて、もう一人の男へと移った。
「そこの"語らない聖典"の適合者にでも、聞いてみたらどうですか?」
「シャノ、アール。お前、なんか知ってんのか」
「……」
横目でシュテンは問いかけた。
しかし普段なら呑気に返ってくる言葉はなく、その代わりに無言を貫く。
"語らない聖典"という単語をどこかで聞いた気がしたシュテンは、しかしそれ以上の知識がないせいで今のヤタノに対して何もかける言葉が見つからなかった。
「シュテンは魔族ですから。そこの導師やその孫娘と進む道を選んだのであれば、別にわたしに何かを言う理由はないはずです。――ルノアール」
「んっんー、出来れば皆殺しにしたいところだけど、ちょっと無理か。まあ前衛のアテならあるし、一度戻ってから潰すとしよう。せっかくだから、ワターシたちの名乗りでもしておこうか」
ヴェローチェを回収できなかったのは残念だけど、データは揃った。
そう続けてから、ルノアールは言い放つ。
「ワターシたちは払暁の団。来るべき聖域侵攻の為に戦う組織さ。キミたちもすぐに知るだろうよ、この世界が新たにもたらした真実、言うなれば"新実"って奴を。んっんー、まあ今のきみたちに言っても仕方ないかもしれないがね」
「駄洒落じゃねえか」
「駄洒落じゃねえから!!」
言葉遣いも忘れて食い下がったルノアールだが、一瞬で我に返って咳払い。
相変わらずの茶々を入れるシュテンをデジレは睨み据えてしかし、彼の視線が笑っていないことに気が付いた。
「ヤタノちゃん」
「……わたしにまだ話しかけることが出来るあたり、相変わらずですね。殺しかけたんですけれど」
「いや話しかけるだろうよ。どんな目立つ登場してると思ってんだ馬鹿が」
「そういう話をしているつもりはないのですけれど」
不快げにヤタノは眉根を寄せる。
しかし当然ながら、そのような相手の反応を気にするシュテンではない。
「何がどうしてお前さんがルノアールなんぞに付き従ってるのかなんざ、そりゃ知らん。けどほら、一度鬼のお兄さんのカウンセリング受けてみろよ。どうしてそんなにやさぐれたのか色々聞いてやるから」
「っ――から……」
「あん?」
ぶわり、と。
およそこの世のものとは思えないほどの、全身を刻まれるような激痛と重力。
それが覇気だと理解するまでに一瞬の間を要するほどのそれが、縦横無尽に放たれた。
流石のシュテンも一歩退かざるを得ないほどのそれ。
おそらくシュテンが何かしらの地雷を踏んだのであろうと、シャノアールはシガレット咥えて片手に軽い防壁を張る。それ以外の全員が苦しげに表情を歪める中で。
ヤタノの叫びが、悲鳴が、周囲にけたたましく響き渡った。
「貴方が全部ぶち壊したからに決まってるでしょうがぁああああああ!!」
その瞬間、大気中のあらゆる魔素が暴れ狂い。
リンドバルマ第三層を、"偶然"起きたハリケーンが跡形もなく消し飛ばした。