第三十三話 リンドバルマXIV 『BOSS BATTLE RENOIR』
「鬼神でも妖鬼でもなんでもいい。俺はテメエをぶち殺す。覚悟しやがれ、マッド野郎」
周囲に灼熱色のオーラをまき散らしながら、犬歯をむき出しにしてシュテンは言い放った。
デジレ、ジュスタ、ポール、ヴェローチェ。そしてシュラークとルノアールが見据える中でシュテンの鬼化はその本来の性能を爆発させる。今までは未完全であったそれ。ヴェローチェと初めて戦った時には理性を保っていられなかった、妖鬼の到る最後の業。
血が受け継ぐ、強化の極致、その一端。
「……シュテン」
ヴェローチェの呟きは誰の耳にも入らずに終わった。すぐ近くに居た、というよりも寝かされていたポールでさえ、意識が朦朧としているせいか聞き取れずに終わったようだった。
しかし、ポールの視界にも入るのは、まっすぐ、どこか潤んだような瞳をシュテンに向ける少女の姿。
いつかは敵対した相手が、完全となって、そして己の父に対抗している。
「んっんー、よくないよくないよくないなあ! シュラーク、徹底的に打ちのめせ!!」
「――」
もはや、共和国レイドア州の主であったはずのシュラーク・ドルイド・ガルデイアの意識は殆ど摩耗してしまっていた。荒げる声さえもないというのに、その肉体だけは健在だった。
黒い靄のようなものを両手に纏わせ、危険人物に突貫せんとその体を紫電に乗せて突撃する。
「――"死神"の力を人間のレベルにまで落としたか。その術自体には感嘆もしよう。だが……正面切って突っ込んでくるなど、所詮は子供騙しだな、クソが」
割り込んだのはデジレ・マクレイン。
シュラークが纏っていた黒靄は、清廉老驥振るう頭椎大刀が漂わせる陽炎に触れたとたんに弾けて消えた。その大薙刀には、特別大きな威力は無い。だが今の一撃が、相対する者の力を容赦なく粉砕し、己のエネルギーのみをぶつけることが出来るという凶悪性を物語る。
「――」
「執政者としての貴様に会ったことは無いが、貴様の失敗は信用出来ない者に背中を任せてしまったその一点なのだろう。だからこそ、容赦はしねえ。テメエのポカで多くの者が苦しんだ。部族を纏める奴が、失敗をしちゃあいけねえんだ。……思い知れ、クソ野郎」
勢いよくシュラークの拳を弾いたデジレの瞳には憤怒の炎が灯っている。
それがいったい何に起因するものなのかは、周囲の人間には分からなかった。だがそれでも、ただ一つ理解できるのは、デジレがシュラークを足止めしているという事実のみ。
「っしゃあコルァアアアア!」
「んっんー!! よくないよくないよくないなぁ!! 第二攻性魔導・収束爆散!!」
シュテンにとって厄介な力を持つシュラークが、魔導司書によって押し留められている現在。目の前に迫る"鬼神"の類に対する壁は存在していなかった。なればこそ、ルノアールは全力を以て迎撃するしかない。
収束爆散。そう唱えられた瞬間にはルノアールの周囲にいくつもの黒点が現れる。
空中の彼を包み込むように縦横無尽。おびただしい数のそれは、周囲の大気を取り込むようにして肥大していく。その際に生じる空気の歪みは、ブラックホールを彷彿とさせるそれ。
「ハッ――」
凄まじいエネルギーの塊がルノアールを守っていることを理解してなお、突撃を敢行する赤き鬼神は嗤ってみせた。獰猛に、凄惨に、禍々しく。少なくともルノアールにはそう見えていたし、大地を陥没させた反動で突貫してくるような相手には当たり前のように恐怖を抱く。
故にこそ、ルノアールは周囲のエネルギー塊を全て暴発させてみせた。
「死ぬがいい!!」
連鎖爆発が起きたような、凄まじい音の炸裂。怒涛の如き耳鳴りに、ポールやジュスタは思わず耳をふさぐ。周囲にまき散らされた暴風が勢いよく瓦礫を宙に舞わせる中、ヴェローチェは本能のままに防御結界を張って事なきを得ていた。
「……あんな奴が、共和国領に来ていたなんて」
思わずポールは呟く。何が、"戦闘は苦手"だ。あれは得意不得意を言っていたのではなく、単に好き嫌いを"苦手"と称していただけだとポールは確信した。少なくとも、この国の忍が束になってもそうそう敵う相手ではないことだけはよくわかる。
だが。近くに避難していたジュスタは、ルノアールとはまた別の方を眺めて呟いた。
「そうだね。あんな奴に来られたら、ルノアールも全てを捨てて逃げ出したいだろうね」
「……え?」
それはどういう――と問いかけをするよりも先にジュスタの言葉を理解する。
あれだけのエネルギー爆発が起きた。その中心に、彼は居た。だというのにも関わらず。
「ヒャッハー!! 爆裂ブーストマシマシだァー!! これでも喰らえやメガ盛りパーンチ!!」
「ぬぐっ!?」
あろうことか先の爆発を推進力にして大規模な跳躍、空中から拳を突き出して、まるで爆撃でもするかのように真っ逆さまにルノアールへと突撃する、無傷の妖鬼の姿。
「混沌聖壁ッ……!!」
「お、壁か? 壁だな? 乗り越えるべき壁とかよく聞くな。だが――」
ペンタゴンの術式が展開し、赤を奔らせた透明の障壁が鬼神からルノアールを守護せんとその力を発揮する。
混沌聖壁。
その名に恥じない禍々しい血の色を各所にまき散らしながら、鬼神の拳を必死で防ぐ。
だが、ジュスタとポールの瞳が正常であれば。
次の瞬間。その壁とやらは無残にひしゃげた。
「――やっぱ壁はぶち破るもんだよ、なあああああ!!」
「ば、かなっ!!」
硝子の破片宜しく空しく散った壁の欠片は、すぐに大気の魔素へと変換されて消えていく。
慌てて空中へ旋回して逃げたルノアールは、寸でのところでぎりぎりシュテンの拳を回避。しかしその風圧に吹き飛ばされて、錐揉み回転して空を舞った。
大地が揺らぐほどの勢いで着地したシュテンは軽く舌打ちして顔を上げる。
「おいコラ、殴らせろっつったろ」
「ワターシはまだフレッシュジュースにはなりたくないからねえ!!」
「お前のフレッシュジュースとか何も爽快じゃねえよバカか」
「おかしいおかしいおかしいなあ!! なんで蔑んだ目で見るんだろうねえ!? しかもこのタイミングでさぁ!」
ごきごきと首を傾けて鳴らしながら、シュテンはもう一度地面を蹴らんと身構えた。
正直なところ、ルノアールとしてはもうこんな化け物の相手をする余裕などない。
ただでさえ、研究のために諸々と自らの魔素を割いた直後なのだ。洗脳魔法には気を遣う。
そんな状態で鬼神の相手など、馬鹿の所業でしかない。
なればと、ルノアールは周囲を見渡して。
見知った顔を見つけて、口角を吊り上げた。
睨まれた方の両肩が、びくりと反応したのを視認して。
「んっんー! そこに居るのは嬉し懐かし愛娘じゃあないか!! 久方ぶりに会った父の窮地だ、そこの鬼神を殺したまえ! 強いだろう、きみは!!」
「ひぅっ……」
「ヴェローチェさん……?」
緑髪の男が、その濁った瞳をヴェローチェに向けた。
すぐ近くに倒れていたポールは、彼女らしくない悲鳴にも似た発声に驚いて彼女を見る。
彼女の目は動揺に揺れて、そして更には怯えているようにも見えていた。
だからこそ、目の前の男との因縁にポールは疑問符を浮かべる。
愛娘。
その言葉が意味するところは、この二人が親子だということ。
導師の孫娘であった彼女の父。つまりは、あの男は導師の息子に当たる人物。
「お、お父様……何故、何故このようなところにー……」
「んっんー! その辺りは話すと長くなるけれどー、ワターシは今とある組織に身を置いていてねぇ! その活動の一環でここに来ていたんだよー! しかし目障りな父上の監視下に居ないキミと出会えたことは幸いだった! さあ父と共に来るとしよう! そのためにもこの邪魔な鬼神をううぇい危ないなぁ!」
「おっかしいな、隙ありだと思ったんだけどよ」
「喋ってる途中はインターバルじゃあないのかい!!」
空中からヴェローチェに手を差し伸べるようなジェスチャーをした瞬間、鬼神キックが彼を射抜かんと大地から襲い掛かってきて危うくルノアールは回避した。
シュテンの着地はヴェローチェの目の前。
着流しの広い背中を見せるようにして、彼女とルノアールの間に立ち塞がる。
「落ち着く頃かと思ったらテメエの方から話しかけてきやがって。若干情緒不安定だったんだからそっとしといてやれや親父なら」
「んっんー! 分からん分からん分からんなあ……なんでそこ仲良しエアー?」
「デジレとジュスタに言った俺の台詞まるまる使わないでくれる!?」
昏く濁ったルノアールの目がこちらを向いているだけで若干の不安感が襲ってくる。それが彼の覇気によるものなのか、それとも何等かの魔導なのか、それとも素なのかはシュテンには判別がつかないが、それでも一つだけわかるのは背後の少女が怯えているという一点であった。
体感的な実力なら、彼女が勝っているにも関わらず。
「トラウマでも植え付けられたか……?」
ぽつりとつぶやいたセリフは誰の耳にも入ることはなく。
シュテンは空中のルノアールを見据えたまま、背後のヴェローチェに声をかけた。
「無事か?」
「……」
「おい」
無言。
彼女が放心状態になっているのか、それとも様子がおかしいのか。
流石に不安になったシュテンが振り向こうとしたその時だった。
「んっんー! よしよしそうだ父の言うことを聞こうねえ! ワターシの魔導を引き継ぎ、その歳にして凄まじい魔導を完成させたんだぁ、その恩に報いることは大事だねえ。なんてったってワターシが居なかったらキミはただの小娘だったんだからねえ!」
「お、父様……」
「ワターシの魔導を引き継いだ以上、ワターシの魔素の残滓がその体にあることを忘れてはいけないよキミぃ。んっんー、いい子だいい子だ、さあ鬼神を殺すのだ、ワターシの教えた混沌冥月で!」
扇動するルノアールの口調に合わせるようにして、背後のヴェローチェの覇気が強まる。
正面に居るルノアールと同じ闇魔力は、ゆっくりと煮詰まるようにその出力を上げていく。
「しゅ、シュテンさん!」
ポールが叫ぶも、しかしシュテンは振り向かなかった。
ルノアールを見据え、ヴェローチェをかばうように立ち塞がったまま。
彼女の危うげな魔力がうねり、出力を増していようがお構いなしに。
シュテンの声も聞こえないような状態に陥っているというのに。
「シュテンさん! たぶんヴェローチェさんはあのルノアールの声しか聞こえてません! さっき見られた時にでも魔導を発動されたんだと思いま――」
「んっんー! うるさい羽虫だなあ!」
ポールの言葉が癪に障ったのか、ルノアールも魔導を発動せんと手を振りかざす。
それを睨み据えたまま、シュテンはしかし笑っていた。
背後で、ヴェローチェがどんな表情をしているかは知らない。
既にシュテンの声が聞こえなくなっているかもしれない。
ルノアールの声にかどわかされて、魔導を放つことを余儀なくされているかもしれない。
それでも、シュテンは前を向く。そして、楽しげに、いつものように、声をかける。
「なぁヴェローチェ」
「……」
言葉はもちろん、返ってこない。
しかしそれでも、シュテンは。
「信じてるぜ」
「っ……ぁ……」
ルノアールがポールに向かって魔導を放つ。
混沌冥月に似た、鈍色の奔流。
それをシュテンは真正面から、"蹴り"で迎え撃った。
「だらっしゃああああああああ!!」
「なっ……!! 愛娘よ、いまだ! その目障りな鬼神をやるんだ!」
最後の最後までヴェローチェを敵性因子と見なさずに居たシュテンの妨害に、ルノアールは舌打ちしながらそう叫んだ。
シャノアールから追い出されて以来会ってはいなかったが、ヴェローチェの感情の起伏が乏しくなった原因はルノアールにある。彼の精神実験に付き合わされていたからこその、このヴェローチェ。
その彼女の性格があまり変わったようには思えなかった。
なれば、ルノアールはもう一つ"彼女の変わっていないところ"に付け入った。
それが、ルノアールの言葉には従うこと。
先ほどまでは自我があったが、軽く催眠状態に落とした今ならやれる。
誰の妨害も、誰の言葉も、己以外のものは耳に入らないようにしたから。
だから。
「……お、お断りしますー」
「……なに!?」
断わる理由なぞ無いと確信していた。だからこその、呆けた台詞。
しかしヴェローチェは、その光の消えた瞳でなおルノアールを見据えて言った。
耳を疑うルノアールに、ヴェローチェは滔々と続ける。
「わたくしは……今が、とても楽しいのでー……その楽しいっていうのは、きっと、誰かが与えてくれたものでー……わたくしは、その誰か、だけは……"楽しい"っていう、そのもののあの人だけは……無理です……ごめんなさい、お父様……」
「……昔と同じかと思ったら。んっんー、当てが外れたなら仕方ないなあ!」
シュテンに蹴り返されていた鈍色の奔流を出し切り、ルノアールは空中で反動を殺すように一回転。
苛立ちのこもった瞳でヴェローチェを睨むと、しかし昔と同じように怯えた表情を見せた。
昔と同じなのに、それでも譲れないもの。
そんな、まるで。
ルノアールが大好きな、ブチ折るのが大好きな、"信念"のようではないか。
「へっ、"楽しい"そのものか。俺だよなきっと。うん、たぶん。いや、どうだ……? 俺以外にも居たらちょっとそれはそれで楽しそうだが……まあいいや後で聞こう。やいルノアール! ざまあねえな!!」
「んっんー。高ぶるのはまだ早いなあ鬼神!!」
にたり。そんな音が聞こえてきそうな歪んだ笑み。
ルノアールは、いまだに催眠状態にあるらしきヴェローチェを見据えて言った。
「さっきも言ったはずだぁ。愛娘はワターシの力を引き継いでここまでに昇華した。つまり、ワターシの魔素の残滓が今も残っている。血の因子が刻まれているんだ。んっんー! "初期化"は面倒だと思っていたが、仕方ないかあ!!」
「……おいルノアールてめえ、何するつもりだ」
嫌な予感。直感じみたものを生じさせて、シュテンはルノアールを睨み据えた。
"初期化"
もしかしたらこの世界では研究職についている者くらいしかピンと来ないかもしれない言葉。現に、ポールなどは何をするつもりなのかいまいち理解できていない表情をしている。
だが、シュテンはその限りではない。理系文系の区別の前に、シュテンにとって初期化とは、
セーブデータを消されることだ。
そのような暴挙を、許すわけには絶対に行かない。
「おうコラ……そんなことやってみやがれ。間違いなくテメエを消し飛ばす」
「んっんー! 残念、もうやってしまうのだから仕方がない!! ワターシをコケにした罰だぁ……!!」
「こんのクソ野郎!!」
一瞬の交差。シュテンは大気を弾くような速度でルノアールに迫る。
しかし、ルノアールの方は、ただヴェローチェの瞳を見据えて軽く念を発するだけで良かった。
「くたばりやがれぇああああああ!!」
「がぺっ!?」
入った。
そう実感したのは、シュテンかルノアールか。
勢いよく頬にめり込んだ拳を振りぬき、シュテンはルノアールを家屋に向けて吹き飛ばす。
煙の立ち込める中で、顎を粉砕されても起き上がったルノアールもまた、笑み。
大丈夫か、と振り向いたシュテンはヴェローチェの方を見て、目を丸くした。
よろけながら"初期化"されたヴェローチェを見るために空へと戻ったルノアールも、目を見開いた。
「――あぁ、そういうことか」
声を発したのは第三者。
「ヴェローチェにお前が会えば、間違いなく"初期化"の術式を仕掛けるだろうと思っていたからね。ヴェローチェにも知られないように彼女にカウンター術式を組んでいたんだ。レックルスにも手伝って貰って、転送の術式を」
「ははっ……おいルノアール。テメエの負けだぜ」
軽く笑ったシュテンは、振り向いた先で憎々し気に表情をゆがめるルノアールを視認した。
「何故……ここに……!」
先ほどまでとはうって変わって憎悪を表に出すルノアール。
何せ、ヴェローチェの目の前に居るのは、おそらく作業中であったか羽ペンを片手に持った――
「しかし、これも要は予想通りと、そう言うわけだね。この、ボクのね!!」
――己の父親だったのだから。