第三十話 リンドバルマXI 『義』
シュラーク・ドルイド・ガルデイア。
精霊族と契約した"忍"の最終クラスであるミッドナイト。
筋力に優れ、魔導を補助として使役しながら敵対者の"暗殺"を謀ることを得意とする。
「……ってちょぉおっと情報少なすぎねえ!?」
黒い靄のようなものを纏った拳を使っての連撃。当たってはまずいと本能で察知し、シュラークの猛攻を回避していくシュテン。人類最強レベルの実力を誇るシュラークの攻撃をしかし、シュテンは確かに全て回避してみせていた。
「くのっ、くのっ、くのっ!!」
「……なめられたものだなっ!」
「いやその解釈はおかしくないっ!?」
当たればどんなバッドステータスを受けるか分かったものではないのだから、シュテンが必死で回避するのは道理といえた。
しかしながら、果たしてそう簡単によけられるものかといえばそれはまた別の問題だ。
打ち、払い、迎撃するならまだしも。
あくまでシュラークは自由の身で、その才を遺憾なく発揮しているのにも関わらず、シュテンはその巨躯に見合わぬ身軽な動作でもって一度も攻撃を触れさせていないのだ。シュラークは歯噛みする。いくらなんでも、ここまで実力差の離れた相手だったというのは想定外だ。
「ただの妖鬼ではないとは知っていたが、これほどとはな……!!」
「俺何もしてないのに勝手にシリアスしないでくれます!?」
とはいえ、シュテンはシュテンで攻勢に移ることが出来ずに歯がゆい思いをしていた。
普段は片手に握っている頼もしい相棒が今は無し。徒手空拳でどこまでやれるかと、ジャポネを出た当初は少々気楽に構えてはいたが割と素手縛りというのはつらいものがあった。
「そんなのRPGでも同じだってのにな!!」
「なんの話をしている! ……貴様、もしや何か隠し玉を!」
「だからそのなんでもシリアスに持っていこうとするのやめてくれる!?」
カエルのような瞳をぎょろつかせて、シュラークはシュテンを見据えた。宿る感情は悔しげで、現状をまるで打破出来ていないのがよほど予想外だったようだった。舌打ち交じりに飛び下がると、またゆらりと影を溶かすように宵闇の中へと消えていく。
「流石に鬱陶しいっすねー」
「どうにかできないこれ?」
「この発生源がシュラークではないってところまでは何とか掴めましたー。あとは――」
シュテンが攻撃を受けている間、付近に居たヴェローチェは基本的に明かりでサポートしているのみだった。
しかしそれは見せかけだけで、実のところはシュラークが発生させたこの夜闇のような空間を脱出する方法を探ることに魔力を割いていたに過ぎない。ヴェローチェの古代呪法を以てすればおそらくシュラークは一撃で消し炭にすることも可能だろうが、そんな彼女にも狂化魔族たちの妨害が加えられていてその対処にも追われていた。
「鬱陶しいのも減ってきましたしー、何とかやれそうではありますがー」
ふう、と一息ついたヴェローチェはゆっくりとフリルアンブレラを下ろす。
既に狂化魔族たちも彼我の実力差に気が付いたか牽制を計るのみで、まともに躍りかかってこようなどと考える者はいないようであった。ついでにいえば、シュラークもシュテンを殺すビジョンが見えず、お互いに膠着状態。
そうなれば、ヴェローチェに全てを暴かれて終わるだろうと、シュラークも察したようだった。
「――狂化魔族たちも厭戦状態。たかが妖鬼と小娘と侮ったか。……妖鬼」
「あん?」
サラウンドで響く、シュラークの声。
先ほどまでとはどことなく違う、諦観を孕んだその声色にシュテンは顔を上げる。
ぼんやりとさえ何も見えない上空は、その先に何があったかすら忘れてしまいそうになるくらいに真っ暗だ。
「貴様、最初に言ったな。"何の理由があって魔族にこんなことをする"、と。ならば貴様は何故、この第三層まで侵入してきた」
見られている、そんな感覚が、シュテンにはあった。
だからこそ、軽く笑って言葉を返す。相変わらずの調子と共に、両拳を突き合わせながら。
「ああ? 幾つかあらぁな。どれから聞きたい? AとBとOとABがあるぜ?」
「……なるほど、二つがあって改めて大きな理由も存在する、か」
「いやあの、単なるおふざけなのでそうシリアスに取らないでもらえると嬉しいんだけど」
「今更取り繕おうが、無駄だ」
「あ、はい、もういいですそれで」
「しかし、四つも理由があってワタシの前に塞がるか……。存外、確かにワタシは魔族を見くびっていたのかもしれないな」
嘆息、だろうか。
シュラークの言葉尻には、そんな吐息が漏れたような音が混じった。
シリアスブレイカーを自称するシュテンだが、そのブレイクさえもシリアスに持っていってしまう相手との遭遇は初めてのようで多少凹んでいる。しかしシュラークはそんなことを気にした様子さえもなく、小さく声をこぼした。
「共和国領の人々は、いまだに弾圧を受けている」
「あん?」
「貴様も理由があってワタシの前に立ち塞がった。ならば、ワタシも理由を示そう。これ以上いたずらに兵を失いたくないのも本音だが、もう貴様を手中に置くのは諦めた、という方が思いは強い。だから貴様がどくに値するワタシの義を話そうというのだ。聞け」
「……ま、まあ最初に問いを投げたのは俺だしな。なんかこう、テンション狂うが」
ラスボスだと思って挑みかかった相手が、先に和平交渉を申し出たのだ。調子が狂うというのは本当のことだ。勿論、シュラークとの間にある明らかな歯車のズレもあったといえばあったのだが。
「二年半前に共和国を襲った帝国によって、民は疲弊した。忍たちが居れば安心だなどと、首都がぬかしたせいで。そしてさらに、帝国領となった共和国は王国と帝国との戦場にまで使われた。忍でもなければ冒険者でもない一般の女子供が、どれほど犠牲になったかなど言葉にするまでもない」
「……」
「忍たちは結局、正面からぶつかるなどという発想は持ち合わせていない。それはワタシもそうだ。だから……そんなもので国が守れると思ったのが間違いだったのだ。結局五英雄として選出されたのはヴォルフガングという強き一人の男。伝統だか何だか知らねえが、所詮忍というのはその程度の存在だったのだ!」
知らず知らず、だろうか。口調が荒くなり、語気が強くなっていく。
シュラーク自身、こうまで己の思いを言葉にすること自体が多くなかった。
もとより信頼していた私兵以外には、この国の根幹をなすと言っても過言ではない忍の否定など出来なかったからだろう。
だからこそ、今。
無関係ながら邪魔立てをする、初めて遭遇した相手に。誰もいないところで訴える。
「背中を刺すことしか能がない、暗闇で戦うことしか芸のない、正面切って戦うことの出来ないワタシたちがどうやって誇りを持てるというんだ! ふざけている! 共和国を守り、帝国や王国の侵攻を防ぎ、共和国の無力な民が笑顔で町中を歩くためには、今受けている"帝国"という重石を取り払い、忍が国防を行うなどというゴミのような習慣を捨て、新たな力を手にしてこの街を守らなければならないんだ! だから――邪魔をするな!」
「……その答えが、狂化魔族を使った特導兵部隊か」
「共和国の民が、遥か昔に忍という力を手にした背景には、絶望的に"力がない"という民族性があった。他の国に比べて人種として弱い。身長も体重もない。だからこそ身軽な戦い方を突き詰める必要があった。だがそれでは結局物量に押しつぶされるのだ。魔導の力でも武術の力でも勝てない我々共和国の民が生き残るには、力が必要だった。そして魔族は、共和国の民にとっては二年前に領土を踏み荒らした害獣でしかない。貴様のようなまともな知性を、まともな正義を持つ者など存在しなかった」
「合理的っちゃ、合理的だな。確かに人間のことなんざ、塵芥としか思ってねえのが魔族の大半だ。それを利用したところで、人道に反するだとかなんだとか言ってられねえわな。それが、テメエの国の人々を守るためだってんなら、なおさら」
「貴様にとっては同胞だろう。だが、ワタシたちにとってはただの敵だ。言葉を交わし合う前には無残に引き裂かれるのがオチときた。そんな化け物を相手に、道理だ何だと言っていられない。さらに言えば、狂化させることさえできれば自国の民を使わなくて済む有り難い兵器だ。……ワタシが地獄に堕ちようと、守護者としては間違っていない。そう胸を張れる」
「……そう、だな」
魔族と人間の確執。
人間を家畜としてか玩具としてしか見ない魔族と、その魔族を害獣としてか化け物としてしか見ない人間。
これに関しては、一朝一夕で改善されるものではないとシュテンも理解していた。本来、隣にいる少女やシュテンの方が異端なのだ。だからこそ帝国は魔族を締め出したし、人間と魔族はお互いに対して人道などというものを振りかざしてこなかった。
だから、シュラークは間違っていない。
ゆっくりと拳を下ろしたシュテンを、ヴェローチェはしかし瞠目してみていた。
これで引き下がるのかと、これでシュラークを通すのかと。
だが。
「……シュラーク、テメエの言い分はよく分かった」
「分かってくれたなら、そこを退け。ワタシは帝国の弾圧から、共和国を救わねばならん。今度こそ、民の笑顔を取り戻すんだ」
「俺の進む理由を教えてやるよ、シュラーク。テメエの正義をぶち破ってでも進む理由をな」
「……魔族と人間の間にある壁。それを受け入れたうえで貴様が動く理由が、他にあるのか?」
未だ響くシュラークの声。
だが、シュテンはそれに鷹揚に頷くと、握ったままの拳をもう一度ゆっくりとまっすぐ伸ばした。
そして、指を一つずつ立てながら高らかに言う。
「一つ目は、まあなんだ。狂化魔族になっちまった連中のことを問いただすため。こいつぁテメエの今の言葉で解消された。どうにもならねえもんを、俺が否定するのは違う。そして二つ目はテメエの持ってる珠片を回収したいからだ。だがまあこれも後回しで構わねえ。別に、暴走してるってわけじゃなさそうだしな。三つ目はポールの義理だ。ガラフスって爺さんがテメエに操られてるだの何だのでな。まあ忍をそこまで嫌ってんなら、その理由も解消だ。ぶっちゃけ、お前さん極悪人でもなさそうだしよ。……だが、それでも四つ目は譲れねえ」
「……四つ目、か」
既に四本の指を立てたシュテンは、犬歯をむき出しにして笑う。威嚇にも見えるその表情を、どこからも見えない場所でシュラークは見据えていた。
四つ目。
そう語るシュテンの後ろで、ヴェローチェは考える。一つ、二つとシュテンの数えた理由はどれも理解できるものだった。そのまま行けば、確かにシュテンはシュラークを通してしまいそうな勢いで、だからこそ当惑していたと言ってもいい。
だが、そこまで指を立てたあとで、最後に持ってくるほどの理由をシュテンは持っていただろうか。
考えるヴェローチェだが、解は出ないまま。
答え合わせを待ってくれるほどの時間はなく、シュテンはそれをゆっくりと口にした。言い放った。
「なあシュラーク……忍のガキも、テメエの民だってことを忘れたらお仕舞いよ」
「……なんだと?」
思わず、あ、と声を漏らした。
ヴェローチェの記憶に今でも残っている、たった一日の孤児院での出来事。
不思議と、人間の子供とふれあうことが出来た、魔導を軽く指南することが出来た、今の自分は人間と一緒に居られるんだと気が付いたあの日。
忍を目指す子供たちとの邂逅の翌日、特導兵に狙われたことさえも思い出して、ヴェローチェは気づいた。
シュラークは共和国を守るために反抗勢力を抑えようとして、そのカテゴリにはあの子供たちも入っていたのだと。
「……なるほど、貴様はその義を以てワタシと戦うのか」
「大を守るために小を切り捨てる。首長としちゃ間違った行為じゃねえと俺は思う。けどな、テメエはそれを"何の呵責もなく"やろうとした。あれだけ民を守りたいって言ってた奴の口から、終ぞテメエの国の民を手にかけようとしたことに対して何の弁明もなかった。俺ぁ、そいつだけは許しちゃいけねえと思うのよ。共和国を守るために共和国の民を殺すのは、違う。まして、テメエが無力な民を守れなかったことを悔いていたなら猶更だ。悪いな、シュラーク――」
ちらりと、シュテンが背後のヴェローチェを見やった。
暗がりに差す彼女の明かり。ぼんやりとした光の中で、彼女は小さく頷いた。
同時に、闇が彼女を中心に晴れていく。
――古代呪法・雲散魔消――
魔力を散らすその力は、動力源に対して直接的な攻撃力を持つ。
それを、ある一点……シュラークがもともと居た場所に向けて放った瞬間、闇はあっさりと消え去った。
眩しさに一瞬目を眇めて、しかしそれでも敵対者の存在を把握せんと周囲を見やる。
シュラークは簡単に見つかった。
驚愕に、そのカエルのような眼を見開いた彼に向かって、シュテンは笑う。獰猛に笑う。
「――その件に関しちゃ、ぶん殴らなきゃ気が済まねえ」




