第二十三話 リンドバルマVI 『突入開始!』
忍術という独特の魔導を使用する魔導士たち――"忍"で有名な共和国領だが、ここで一つ二年半前の話をしよう。妖鬼の愉快な旅がすでに半年以上になり、以前は"二年前"と記述していたことがさらに半年過去になったが、起こった事実は変わらない。
大陸の五英雄と呼ばれる者たちによる、"魔王討伐"。
魔大陸を除く大地に存在した五つの国より選ばれし英雄たちは、それぞれがそれぞれに特色をもった戦士だった。
帝国より、"双槍無双の魔導司書"アイゼンハルト・K・ファンギーニ
教国より、"十字軍騎士にして光の神子である現人神"ランドルフ・ザナルガンド
公国より、"唯一のSランク冒険者"アレイア・フォン・ガリューシア
王国より、"聖剣の簒奪騎士"カテジナ・アーデルハイド
そして、共和国からは"突然変異のハルバーディア"ヴォルフガング・ドルイド。
それぞれの力があって初めて、二年前の強大な魔王軍は斃れたのだった。
確かにあの中でアイゼンハルト・K・ファンギーニとランドルフ・ザナルガンドの二名が頭抜けていたことについては否めないが、それでも残り三人による最高峰の遠距離攻撃と、聖剣による集団制圧、そしてハルバーディアの城塞ともいうべき防御があってこそ成しえた偉業であることに関してはきっと、アイゼンハルトとランドルフも意見を同じくすることだろう。
さて、ここで話を戻そう。
共和国はあの時、自らの国が保有する最高戦力として"忍"ではなく"突然変異のハルバーディア"を選択した。その選択には帝国と同じく"忍"を温存しておきたいという意志が見られたのも事実だが、対外的なことを考えれば自らの国家を代表する"最強"は忍ではないと認めたのもまた事実。
突然変異によって生まれた巨体を持つ屈強な人間一人の方が、時代を積み重ねて研鑽切磋琢磨を繰り返していた忍たちよりも勝ったと、共和国は明言したのだ。
それが、数年前にシュラークが実感した、忍の無力。そして、一個人の暴力的な才能が国家の支柱になりえると確信した理由。
「……何が、忍の誇りだ」
シュラークは、第三層にある己の邸宅から少し離れた箇所にある、レイドア領主邸地下のとある施設に足を運んでいた。大量のポッドが左右に並んでいる異様な一室。柱のように床から天井まで貫くそのポッドの中は、緑色の液体に満たされていた。
「――」
ぼこぼこと気泡を立てるのは、その液体に沈められた数々の魔族の呼吸。
手元にあるスクロールをたくりながら、一つ一つのポッドに入っている魔族の基礎能力値を確認していく。あるときは頷き、あるときは首を捻りながら。
専門などではないからいまいちデータ上の数値は分からないが、それでもどの程度の筋力や魔力を有しているのかはだいたい把握できていた。
己がこれから使役する戦力なのだから、その実力は確認しておかなくてはならない。
それがシュラークの見解であったし、その実以前からずっと徹底していることであった。
「……妖鬼に、導師の血縁。第一層……いや、平民街の下々は無事だろうか」
ぽつりと呟かれた言葉。それを吐いたのは果たしてシュラーク自身であったのだろうか。
それを一番理解していなかったのはシュラーク本人だった。一度驚いたように目を開き、そして小さく首を振った。
「今のワタシが口にして良い台詞ではなかったな。……弱くなったもんだ」
カエルのような瞳をぎょろぎょろと動かしながら、シュラークは嘆息する。
己がせねばならない行動と、己の欲を同居させることはもう出来はしない。そのうえで、シュラークは己の欲望を取ったのだ。なれば、それに向かって邁進せねばもう誰にも示しはつかない。
――すべては、共和国という国のため。
「……さあ、これで準備は整った」
スクロールを閉じる。
シュラークは、大部屋の中心で指を鳴らした。
その瞬間、一斉にポッドの蓋が開かれる。精製を続けていた緑色の液体が外へと流れ出し、かと思えば蒸発して消えていく。どういう原理で作られたものなのかをシュラークは知らないし、知っているのはあの気に食わない緑髪の男を筆頭とした研究チームだけだろうが、そんなことはもう関係ない。研究チームも、己の領土も、手足として動かすのが己の役目であってすべてを調査する必要は欠片もないのだから。
そして。
「グルァ……」
「ァァアアアアア!!」
「ゴ……ァ……」
この化け物共を自由自在に使役するのも、己の役目だ。
「さて、シュラーク・ドルイド・ガルデイア一世一代の大舞台の幕開けだ。予想していたよりも遥かに早く実行に漕ぎ着けたが、怒りを失わずに居られた分はむしろ本望。……忍も魔族も使い潰して、共和国の民の平穏を手に入れるのだ」
シュラークの言葉に従うように、次々と魔族が部屋から飛び出していく。
部屋の外に待機していた特導兵たちが次々に使役した魔族を引き連れて、すでに伝えた任地へと向かうことだろう。
あとは、この狂魔族どもに攪乱させ陽動させ、その間に帝国へ忍に突貫させる。それだけだ。
「……行くぞ、帝国。貴様らに踏みにじられた恨み、必ず晴らす。多くの家族を人々から奪った痛みは、その後の政治程度で引くような甘いものじゃねえ」
石畳の街道を駆ける足音が複数。
第二層と呼ばれるここは、基本的に共和国領の忍や兵士たちの縁者が住まう場所。
故にそれなりに整備も行き届いており、治安もより安定している。だが、今日に限ってはその前提も覆されてしまっているようだった。
「なんかさー!」
空気のブレが見える速度で放たれた拳に、覆面の男が吹っ飛ぶ。
「はいー?」
洋傘から放たれた黒の奔流に、壁を巻き込みながら覆面の女が錐揉み回転して飛んでいく。
「……敵、多くね」
「わかるー」
下駄での回し蹴りがもろに腹部に突き刺さった忍が吹き上げられ、屋根に叩きつけられて沈む。
ブーツで触れた大地が隆起し、忍たちの動きを阻害する。
「さ、さすがですねお二人とも」
「いやいやそんな」
「照れますねー」
若干口元を引き攣らせた、先導する青年――ポールが振り返る。
上手くポールが門兵を騙して第二層へと繋がる通路を通過したまではよかったが、おそらくガラフスによってもたらされた情報によって襲撃の手が増えていた。しかし、それにしても数が多い。
まるで、自分たちの動きを認知されているかのような、そんな忍たちの動きだ。
「……もしかすると、オルドラ出身の忍には知らされない情報網が別にあったのかもしれませんね」
「いつの時代どこの世界も、外様には冷たいもんだねえ」
「まあこうして裏切りを働いているあたり、間違ってないんでしょうけどねー」
「それを言っちゃあお仕舞よヴェローチェ」
悔しそうに表情をゆがめつつ、ポールはクナイを投擲する。見事に上空を伝うパイプに突き刺さったそれは、噴出した水によって敵の隠形を無効化した。
「うお!?」
「なーいすポール」
「げば!?」
どういう原理でか透明化して隠れていた男に水が降りかかり、出来の悪い映像のように砂嵐を交えて具現化する。その瞬間、シュテンの飛び蹴りが男を強襲した。
先ほどからそのような連携を重ねて通路を駆けているのだが、どうやらこのポールが握っていたルート自体が敵に露見しているらしい。
「まあ最悪無理やりにでも蹴り破ればいいんじゃねえか。入り口さえわかればこっちのもんよ」
「それで迎撃でハチの巣にされたらどうするんですかっ!」
「全部はじけばいいだろ」
「そんなむちゃな!」
そう言葉を交わす間にも、次々に忍が襲い掛かってくる。いたずらに体力を奪われるのも癪だが、だからといって無視するわけにもいかない。苛立ちやすい状況だというのに、いたってポール以外の二人は冷静だった。
この辺りが実力の差なのだろうか。とポールは一人自問する。修行を積んできたとはいえ、それは身の丈にあった無理のないトレーニング程度で、実際に死線と呼べるほどの戦いを繰り返してきたわけではない。任務に向かうことは多々あったが、それだっていうほどの修羅場という修羅場に遭遇したことはない。共和国と帝国の戦争に参加していればまた話は別だったのやもしれないが、今更それを考えたところで仕方がない。
「……わかりました」
「お?」
「突貫、しましょう」
ポールは、背後のシュテンに向けて決断を伝えた。
少々目を丸くする彼だが、逆に言ってしまえばそれだけだ。特に驚いた様子もない。
それはそうか、自分が提案したものを受理されただけなのだから。
そう思ったポールだったが、シュテンの口から飛び出したのは全く異なる言葉だった。
「おう。先輩に喧嘩売るんだ、正面突破くれえしてやらねえとかっこつかねえよ」
「っ……そう、ですね」
ポールはもしかしたら、今からしでかすことについて、自分で思っているよりも軽い認識しかしていなかったのかもしれない。だが、今のシュテンの発言で想起した。これは、おしなべての師に逆らい、己の我を通す闘いなのだと。
それなら確かに、自分の誇りを叩きつけてやらねば意味がない。
「いきましょう!」
「まあ、突破はわたくしがぶっ放せば終わる話ですしねー」
意気込んだその時、横から聞こえたのは間延びした無気力な声だった。
必死に走るシュテンやポールと違い、彼女はふわふわ浮きながら移動している。いったいどういう理屈なのかなど考えるだけ無駄だとわかっていたが、彼女のこともなげな台詞はポールの意志を冷めさせるどころか、むしろ逆に奮い立たせた。
「頼りにしています、ヴェローチェさん!」
「……? あ、はいー、それなりにー」
ポールの力強い発言にヴェローチェはきょとん、とした顔でポールを見ると、そのまましずしずと元居た位置――シュテンの隣に戻っていく。
「どうしたヴェローチェ。顔赤いけど」
「……人間に頼られるような事態になると思ってなかったのでー」
「ま、今のお前さんはそれだけ頼れるヤツだってことだよ」
「これ以上持ち上げないでもらえますかー」
「睨まれるようなことだっけ!?」
じと、とした目を向けられただけで決して睨むというほどの眼力はなかったが。
確かにほんのりと熱を持った頬は、感情の起伏を感じさせた。
「こっちです!」
「あいよ!」
そこに案内人からの声。
今まで駆けていた路地よりもさらに狭い道に入っていくポールについて、ヴェローチェ、シュテンも続いていく。
『基本的にこの辺りで立ち止まったら死を待つのみです。第三層に行くまでは、一気に駆け抜けましょう』
作戦会議の場でポールが言ったことを思い出す。
予想通りというかそれ以上に襲い掛かってくる忍たち。
正直なところシュテンやヴェローチェにとっては後れを取るような相手ではないが、それでも数が多いうえに、勿論攻撃を受ければケガをする。何よりも、忍というのは武器に平然と毒を塗るような輩共だ。確かに立ち止まるわけにはいかなかった。
いくらなんでも、「この刃には毒が塗ってあるんだぜえ」とか言いながら獰猛にその刃をなめて絶命するような阿呆は居ないだろう。
「……っ、これはっ」
「なんだ!?」
駆け抜けようとしたその時、目の前に現れたのは白亜の巨壁だった。シュテンをして見上げるほどの高さを持つそれには、嫌な予感をさせる紫電がほとばしっている。
「そうか、そういうことかっ……」
「だからなんだよポール!」
行き止まりだった。
白亜の巨壁が通路を固く閉ざした状態で、目の前に立ちふさがっている。
無表情に混沌冥月を放とうとしている少女が一人いるとはいえ、それを正面に放つより前に妨害の手がやってくる始末。
「第三層に向かうためのルートは二つ。そのうち一つをたどってきた形ですが……どうやら、"二つ同時"に通る必要があったようです」
「ああ!?」
「白亜の巨壁に向かって二つのルートから同時に解除ボタンを押すこと。それがこの巨壁を解除する鍵……」
「ゼ○ダかよ。……んじゃ俺が別ルートに跳んでいくわ」
「そ、それがその……」
「何よ」
「もう一つのルートは、地下なんです」
「うっわめんどくせ!」
会話の途中にも数々の忍が襲い掛かってきていることはもはやいうまでもない。
悪態を吐きながら、しかしシュテンは攻撃の手を止めることは出来なかった。
と、その時。
『す、すみませーん! 上がめちゃめちゃ煩いんですけど、もしかして誰かいますー!?』
「……っ!? その声は、もしや」
「何突然電波なことやりだしちゃってんのポールくぅん!?」
突然、何かを閃いたか何かを受信してしまったのか、妙なことを言い出すポール。
シュテンも同じようなことをよくやる方だが、ポールまで同じとは思わなかった。
などとくだらないことを言っているあたりで、ポールはシュテンにこの声が聞こえていないことを悟る。
「すみません、まさか、今この下に!?」
『はい。この扉開けたいんですけど、ええと、貴方も目的は同じ?』
「え、ええ!」
『あ、良かった。こっちに一人物凄い強い人いるので、その人に攻撃してもらいます。その瞬間たぶん雷解除されるので、ぶち壊しちゃってください! そうすればこっちも連動して壁壊れるはずなので!』
「それはよかった! こっちも単体火力はやたら強い人いるので、大丈夫です!」
『あ、じゃあそれでよろです!』
「こちらこそ! で、貴女、その声はまさか……もしもし!?」
聞き覚えのある声であった。
想像が間違っていなければ、いつか己が触れ合った、行方不明の少女であり――
「おおおおい! 楽し気な電波ごっこは終わったかああ!?」
「シュテンさん! 今から一瞬この壁の電撃が解除されるはずなので、やっちゃってください!」
「お、おお? わかった!!」
そう、シュテンが頷くと、ほぼ同時。
凄まじい覇気が、地下から噴出する。
――神蝕現象【清廉老驥振るう頭椎大刀】――
何か魔導が発動したことにポールは感づいた。
そしてシュテンは何故か不快そうに眉をひそめる。
「なんか、嫌いな奴が放つ覇気を感じた」
「ええ!?」
「っと、解除されたな! オオオラアアアア!!」
盛大に放たれたシュテンの拳が、一撃で白亜の巨壁を打ち砕く。
「よっしゃ!! 行くぞ第三層!!」
「はいー」
「ありがとうございます!!」
がらがらと音を立てて瓦解する白亜の巨壁。同時に現れる、レイドア首長邸へと続く道。
シュテンが突入し、ヴェローチェも続いた。
先導者が居なくてもいいのかというツッコミを口にしようとした瞬間、ポールの耳元にまた声が聞こえてくる。
『こっちも開きました! 協力感謝! 開けてくれた人にお礼を伝えてくださいと、こっちの人も言ってます!』
「そ、それはよかった! それで――あ、もしもし!?」
ポールの声もむなしく、追手の猛攻によって繋がりを切らざるを得ない。
いや、向こうもきっと第三層に向かうはずだ。そのときにはきっと。
ポールは一人頷いて、おいていかれないように走り出した。




