第二十二話 リンドバルマV 『図らずも陽動』
レイドアの首長シュラークは、リンドバルマ第三層にある執務室で報告に耳を傾けている真っ最中であった。
すでに日が落ちてからしばらくの時間帯。寒空に吐息が白く、木窓を閉めてもなおその寒さが室内に入り込んでくるような、そんな時間。
それなりに広々としたその部屋の真ん中に立った二人の男と、正面のデスクに腰掛けるシュラークの図は、確かに首長の元に部下が報告に来る図とよく似ていた。
だが、実際はそんなものではない。
「んっんー! 実験は成功成功成功だぁ……! なるほどこの謎のオーパーツの使い道には悩まされるなあ!」
シュラークの前に立った男のうち一人は、豪奢な出で立ち、というのが一番しっくりくるような容姿をした者であった。絹のような滑らかな光沢のマントに、服装にはキラキラとした魔素結晶がちりばめられ、緑の頭髪は丁寧にエレガントに整えられていた。
そんな彼がスクロール片手に朗々と演説するのを、シュラークは眉間にしわを寄せて聞いている。カエルのような瞳がぎょろぎょろと、貴族風の男を睨み据えていた。
「結局、帝国に対する攻撃にあとどのくらい必要なのだ。それだけ聞ければ、十分だ。貴様の研究の話など聞いていない」
「んっんー! そいつぁよくないよくないよくないなぁ! ワターシとしてはもっとこの成果に関する話を聞いて、そのうえでどう対応するかを決めてほしいところなのだがなあ!」
「あと、必要以上にやかましい。……狂化魔族を使った実験はどうなった」
「ああ、それねぇ……」
両肘を付き、手を組み合わせて唸るシュラーク。レイドアの者が見れば竦みあがるようなその威圧感を孕んだ眼光に、しかし目の前の男は動じない。
「なんでも、焼き払われたらしいねぇ。ワターシとしてもこれは予想外だよ。あそこには魔導司書第十席グリンドル・グリフスケイルが居るという報告しか聞いていなかったんだが、イレギュラーでも出たのかそれとも。何れにせよ、魔導司書を基準にした実験という意味では大失敗だ、はっはっは!」
「笑いごとではない!!」
勢いよく拳をデスクに叩きつけるシュラーク。
しかし、どうにも男は動じた様子もない。
ひらひらともろ手を挙げて、肩を竦めるのみ。小ばかにしたようなその動作に、シュラークの額にさらに青筋が走る。
「いいかルノアール! 貴様の仕事は貴様が楽しい楽しい実験をすることではない! ワタシの手勢の強化と、狂化魔族のバージョンアップだ! それを努々忘れるでないわ!」
「んっんー! 随分としらけるもの言いだぁ。ま、狂化魔族の実験に関してはそれなりにやってはいるけどねえ。というかもう三千の狂化魔族の調整が済んでるんだ、シミュレーションでは帝国に攻勢をかけても何ら問題はないレベルだよ」
「っ!? おい、その報告書は上がってきてないぞ!!」
「今ここにー」
「……貴様というヤツは!」
シュラークは目の前の男――ルノアールが取り出したスクロールを勢いよくひったくった。必死という言葉がよく似合うほどに力を込めて一枚一枚のスクロールをめくっていくシュラークを、ルノアールは冷めた瞳で眺めている。
ルノアール・ヴィエ・アトモスフィア。
"放浪する無情の奏者"とも呼称される客分の研究者である彼は、現在この共和国領レイドア州において狂化魔族の研究にあたっていた。彼がシュラークに求められているのは、その魔族の戦闘での実用性に関しての捜査。しかしながらルノアールは別のところに興味があるらしく、研究の進行具合は順調とは言えなかった。
しかし、それによる度重なる不機嫌もルノアールの渡した一束の紙で翻る。
「は、はは。やるじゃないか。そうだよ、これでいいんだ」
「三千の狂化魔族は、原獣よりも少し劣るけれどねえ。それでも一騎当千というか帝国書院書陵部と戦っても問題ない。シミュレーションでは、狂化魔族が一人で二十人の書陵部職員を殺せる計算だねえ」
「ふっ……ふふふ……」
原獣。それは、共和国領西部海岸線で発見された狂化クラーケン。すさまじい力を持っていた代償に暴走していたそれを、シュラークは利用すべく目をつけた。"たまたま"共和国領を訪れていた目の前の男ルノアールに、クラーケンから発見されたオーパーツを手渡して解析、実験を繰り返させ、とうとう狂化魔族に至る。
王国の魔狼部隊よりもさらに強力な狂化が完成していた。
「あの謎のオーパーツについての解析はまだまだかかるがね……ただ、魂に干渉するたぐいなのはわかっているから、ワターシにとっては劇物だ」
「フン……」
一しきりテンションを上げ切ったシュラークは、報告書をルノアールに突き返すと――今まで無言を貫いてきたもう一人の男に話しかけた。
「おい、オオトリ。首尾はどうなってる」
「はい」
一歩前に出た男は、赤を基調にした鎧を身に纏った特導兵だった。
「帝国への攻勢をかける準備を現在進めている最中です。同時に、レイドア周辺での不穏分子に対して攻撃を仕掛けることで、最後のデータを取得する予定です」
「洗い出しは終わったのだな」
「はい、姑息にも隠匿結界や隠形を使ったレジスタンス予備軍が少なからずあったので、そちらを攻撃する準備は整いました」
「そうか……よし、やりたまえ」
「はっ。それと――」
「ん?」
多少、声を落とした特導兵オオトリ。少なくとも朗報を語ろうとしている様子ではない彼に対して、シュラークは続きを促す。別段、どんな情報が来ようとも彼を責める理由になるかはその時次第だ。
「二点ほど、不可解な報告が」
「ふむ」
「一点目は、少し前にゲンブの定期連絡が途絶えました。現在捜索中です。第三層、第二層は粗方終了しましたので、第一層を」
「……ほう?」
「二点目は、以前より複数の箇所を偵察させている巡回部隊のうち一つが戻ってきません。こちらも捜索を急がせます。ダメージとしては微細ですが、今このタイミングで不穏なものを残しておく理由はないかと」
「報告、了解した」
小さく頷き、確かに妙な部分があることを認識しつつ思考を加速させる。
シュラークは目の前で組んでいた手を解くと、ゆっくり立ち上がって彼らに背を向けた。
「二人とも、下がれ。明日から動き出す」
「んっんー! もう少し研究の処理をしたいんだけどねえ」
「はっ」
別に配下でもなんでもないルノアールは、ぐだぐだと独り言以上文句未満の戯言を垂れ流しながら風を纏ってどこかへ消えた。同じように部下のオオトリも、影のように地面へと溶け消える。
その気配が去ったことを感じ取ったシュラークは、一人ぼそりと呟いた。
「出てこい、ガラフス」
「おお、どうしたご主人」
「どうしたもこうしたもあるか。何の用だ」
木窓の上にある、船の絵画に目をやっていたシュラークの背後。
先ほどまで二人の男たちが居た場所に、老人がひょっこりと顔を出す。
「……相変わらず、気配察知に鋭いですのぉ」
「世辞はいい」
フン、と鼻を鳴らすシュラークは、ガラフスの世間話に取り合う気は一切ないように見えた。いや、実際ないのだろう。その証拠に、ガラフスの方など見向きもしないのだから。
言葉を促すようで、無視しているようで、そんなシュラークの様子に対しガラフスは特に気負うこともなくゆっくりと口を開く。
「例の、妖鬼シュテンがこの街に。魔王軍導師の娘も一緒ですな」
「なにっ……!?」
「共和国領の云々にあまり興味はなさそうじゃが……もしかするとあのオーパーツ狙いやもしれませぬ」
「……アレを、知っているというのか?」
「そこまでは。しかし、導師の娘が同行しているということは……」
「……ん? 導師シャノアールには息子のルノアールが居るだけではなかったか」
「そう、でしたかの? ふむ……では導師の身内としておきましょう。何れにしても、洒落にならん戦力ですぞ」
「わかっている」
予期せぬ問題に、シュラークは唸った。
しかし、よくよく考えれば頷けることもある。ゲンブとの連絡が取れなくなったこと、巡回中の隊が消えたこと。
「なるほど、妖鬼とその女のせいか。ならば、戦闘構成を急がせる。彼奴らにくれてやるものなど何一つない」
「手勢のポールが裏切りを働いた。故に、第二層、第三層には儂の部下を配置して食い止める所存ですじゃ」
「あたりまえだ。……なぜ処分しなかった」
「さすがに、化け物レベルの魔族と導師クラス相手にはどうも」
「フン」
報告を優先した。
そう伝えたガラフスに対し、シュラークはもう一度鼻を鳴らした。
何れにせよ情報は一通り把握した。
ならばやることは一つ。
「ガラフス。貴様の不手際に処分を下す。州内部の不穏分子を一掃しろ。特導兵を使え」
「……徹底的に、ですかな」
「あたりまえだ」
「わかり申した」
頭を垂れるガラフスは、次の瞬間には部屋から消え去る。
再度誰もいなくなった部屋は静かで、故にシュラークの独り言は小さくとも波紋のように部屋に響いた。
「忍など……ゴミも同然だ。共和国を守っていたのは忍ではなく、大きな力だった。狂化魔族でも、まだ届かん……」
ふう、と嘆息交じりにもう一度船の絵画をシュラークは見据えて。
「――そうだろう。ヴォルフの兄貴」
小さく、呟いた。
そのころ、州都リンドバルマのとある区画――第二層の外周付近では慌ただしく伝令が動いていた。屋根上、ビルの屋上、細い路地道、或いは地下道。あらゆる箇所を駆けることが出来る忍たちの情報伝達は迅速で的確だ。故に、というべきか。すでにリンドバルマに現れた闖入者についての警戒情報は完全に行き渡っていた。
金髪のツインドリルに、ゴシック調のドレスを纏った人間年齢十代程度の少女。
群青色の着流しに三度笠を被った、和装の青年。
悪目立ちなどというレベルではないほどに彼らの容姿はこの街では浮いているわけで、情報を受けた忍たちは"なめられているのではないか"と疑ったほどだ。だが、さらに追加で告げられた情報により表情を変えざるを得なくなる。
片方はあの魔王軍導師の身内であり、片方は帝国書院第一席と互角の戦いを演じた妖鬼だと。
そう聞いてしまえば忍たちとてある程度の覚悟を決めなければならない。彼らを発見できたところではい任務終了、とはいかなくなってしまったからだ。むしろ捕縛こそが難しいこの二人組。
確かになめた服装で居ようとも構わないのだろう。彼らは狩られる側ではなく狩る側の者なのだから。
共和国領の新たな危機なのではないかと忍たちが戦慄するほどに、この報は第二層の空気を変えた。油断などできようはずもない。忍たちの中でもエリートと呼ばれるレイドアきってのエージェントや、凶暴な魔族を使役する特導兵たちが慌ただしく動く中で、しかし彼らは一つ思い違いをしていた。
アーシア孤児院の付近で一隊が消息を絶ったことも、リンドバルマ内で特導兵の一人ゲンブが消えたことも、どちらも先述の二人がやったことだと勘違いしてしまったせいだ。
「ん、こっちは大丈夫そうだよ」
「……意外に忍としての仕事は出来るんだな。初対面の時からドジ踏んでズタボロになっているイメージしかなかったから正直不安ではあったんだが」
「そういうこという!? ボク、これでもしばらくレイドアの忍として仕事やってたんだからね! ……いや、結局飼い殺しにされてただけだったけどさ」
結果として、まったく感知していなかったネズミを二人入れてしまうことになっていた。
この水面下での緊急時に、"特導兵を上から殴れるほどの"敵性因子がもう一組動いているなど夢にも思わなかったのかもしれない。
結果として、道中に遭遇した忍たちは何人も気づかぬ間に不意打ちで倒され、それは"妖鬼と少女の二人組による強襲"と勘違いされている節があった。
「しかし、随分と様変わりするな……第一層と第二層は」
「無視なんだ? 無視なんだ? もういいよ置いてくから!」
「お前程度の動きでオレを置いていけると思ってるのかよクソガキ」
「あーあーあー!! うるっさいなあ!!」
「うるさいのはお前だ、必要以上に敵を刺激するな」
「ぐっ……!」
デジレ・マクレインは地下道を潜り抜けてとある路地裏に顔を出していた。
灰色のパイプが建物から建物へそこかしこに走っている景観は第一層の雑多とした雰囲気とはまた違う文明の様相を醸し出しており、そういえばとリンドバルマの成り立ちを思い出す。
隣で周囲を警戒しているジュスタ・ウェルセイアはそんな彼の呑気な様子に嘆息しつつ、しかし強者の余裕であろうと割り切って、自分は自分で必死に状況を探っていた。
「ひとまず、来てないみたいだね。……さっき盗み聞きしたところによると、ボクたちのほかにも侵入者がいるみたい。勝手に陽動してくれてるみたいで、ラッキーだ」
「……共和国領レイドア州の忍ともあろう者たちがオレたちの動きに気づかないほど目立つ陽動か。なんだか嫌な予感がしなくもないが、とりあえずは第三層に向けて行くぞ。ぼさっとしてんじゃねえよ」
「わかってるってば……気を抜いたりなんてしてないのに」
「フン」
実際のところ、ジュスタの索敵は今まで落ち度などなかった。
彼女自身は気づいていないが、もし落ち度があったりすればデジレは容赦なく彼女を置いていくだろうし、彼女に先頭を任せたままでいるのも、"それなりに忍"との評価も研究院での彼の厳しい評価基準からすれば大層なものではある。
デジレはわざわざそんなことを解説する気もなければ自覚もないし、ジュスタはジュスタで今まで"まともに褒められた"ためしがないから足手まといにしかなっていないと思っている。
面倒くさいコンビであった。
「……あ、だれかこっちに」
「っ、一撃落とすか」
「ん、好きにして」
路地の細い曲がり角。
足音を即座に感知したジュスタは、背後で大薙刀を握るデジレに小さく合図する。
ちなみに帝国書院の黒コートはいまだにジュスタが纏っていたりするのだが、デジレはもう半分あきらめたのか奪おうという気持ちもあまりないらしい。彼女の背にあるIIの数字に少々思うところがあることはあるのだが、それも今は関係のない話だった。
足音が大きくなる。
ジュスタが指でカウントする。
三、二、一。
デジレが大薙刀を振りかぶった瞬間、物陰から飛び出してくる黒い影。
驚きに染まる男の表情はしかし、デジレではなくジュスタに向いていた。
「ジュスタ姫ッ!?」
「えっ?」
深紅の髪の青年だった。彼のその一言にはじかれたように顔を上げるジュスタ。
しかし、それよりも先に。
「おら」
「ぎゃん!?」
後頭部に勢いよく振り落とされた大薙刀により、青年はあっさり気絶する。
一瞬の出来事に呆けていたジュスタに対し、デジレは気を失った青年の首根っこをひっつかんで彼女に突き出した。
「なんだ、知り合いか?」
その問いにゆっくりジュスタは頷くと。
「――う、うん。お爺ちゃんの、お弟子さん」
と、そう驚きの抜けぬ声で言った。