第二十話 リンドバルマIII 『戦線起動』
"木陰の洞亭"は妙な沈黙に包まれていた。
目の前にはしたり顔の妖鬼。その後方でぼけっとしている少女。
相対するは、先ほどまで殺し殺される関係であったはずの二人の忍。
老忍ガラフス・ウェルセイアと、その部下であった青年ポール。
ポールは"木陰の洞亭"のマスターに扮しているとはいえ、その実オルドラ州の忍衆の中ではトップクラスの実力を誇るリーダー格だ。そんじょそこらの肉体派などに負ける理由はなく、故に臨戦態勢を取っていた。
だが。
『シュラークのやってる狂化実験、そいから特導兵とやらについて、詳しく聞かせてもらおうか』
その、現在のこのリンドバルマ――ひいては青年ポールの悩みの種をこうも見透かしたような発言をされては凍り付くしかなかった。
いったいどこからそんな情報を。
目の前の妖鬼が、捕まればどうなるかすら考えず能天気にこの街にやってきたおお間抜け、である線は一瞬で消滅したと言っていいだろう。
それでは、もしそうであるならば、この妖鬼は……何者。
警戒の色を濃くするポールの前に、一歩踏み出すはカウンター越しに立っていた老人。
「……数週振りか、妖鬼」
「よう、モンキー・ハッピーデイ」
「誰が猿か。……まったく、最近の若者は爺を敬う心すら知らんのか」
「あいにく対等な友人があんたの数倍生きてるもんでな」
「…………なるほど?」
皮肉げに返したシュテンの言葉で何かを察し、彼の後方にいる少女を一瞥して頷く老人――モンキー・ハッピーデイもといガラフス・ウェルセイア。
ガラフスの倍以上生きている者など、魔族かそれに準ずるような化け物しかいないはず。
そう考えるだけで、おのずと答えは出てこようというものだった。彼の背後にでかいヒントがぼけっと突っ立っているのだからなおさらだ。
「シャノアール・ヴィエ・アトモスフィア。……ヤツの差し金か?」
「いんや。あいつは関係ねえよ。今頃庶務でひいこら言ってんじゃねえかな。俺がここに出向いた理由はもっと根源的なもんだよ。……てめえらのやってる、いやレイドアのやってる狂化実験の根本に関わってそうなある物品を回収しにきた」
「……ある、物品」
「聞かされてねえのか」
ぱちくり、と目を丸くするシュテン。一瞬で険しいものの消えたその表情に、逆にポールは毒気を抜かれた。思わず呟いたとはいえ押し殺すような小さな声だったはずだ。それを聞き取るとというのであれば、この妖鬼どうも耳も良いらしい。
シュテンの口から飛び出した情報は、実際のところポールにとっては喉から手が出るほど欲しいものであった。レイドア州が、特導兵が、首長シュラークがいったい何をやっているのか。それを判明させないことには彼らに従うなどもってのほかだと考えていたのだから、至極当然の話ではあった。
「……ポール。雇用主の腹を探ろうなどと考えるでない」
「っ……しかし!」
「おいおい、ヴェローチェが何かを察してひょっこり入ってったから何かと思えば、仲違いとかしてたのね。爺さんその物騒なもの仕舞えよ」
「お前さんを警戒するためでもあるのだがのう」
相も変わらず、シュテンは仲裁には向いていないようだった。
あっさりと論破されてしまいしょんぼりとした表情をヴェローチェに向けると、彼女は。
「……はっ」
「寝てたな!? さてはお前こっくりこっくり寝てやがったな!?」
「い、いえいえー、そのようなことはー」
なんだろうこれ、とポールは思う。
少なくともガラフスが盛大に警戒しているような、"魔王軍"などには到底見えない。
笠を小脇に抱えてのんきに喋る妖鬼と、その背後で今にも眠ってしまいそうな少女。
確かに、組み合わせとしては怪しさ満点ではあるし、こうして並べてみると妙な強者の匂いというか、物語の終盤に出てきそうな何れ倒さねばならなさそうな感じはするのだが。
それはそれとして、今わざわざ殺しあうような間柄にはならないような、不思議な予感がした。それは目の前の老人に命を絶たれる寸前であったことも、もしかしたら影響しているのかもしれないが。
「なあおい、爺さん」
「……おんし、諸々把握しておきながら何故こんなところにまで来なすった。捕縛されない自信でもあったのかの。大量の忍を相手にして」
「まあヴェローチェいるしな」
「……はあ」
シュテンとガラフスの会話を見ても、まるで今から戦闘をおっぱじめそうな空気にはなっていなかった。
で、あるから。
「……妖鬼」
「あん?」
少しポールは、賭けに出てみることにした。
間違いなく、シュテンと名乗ったこの妖鬼はレイドアの裏側について少なからずの情報を握っている。そしてそのうえでこの店を訪れたということは、"木陰の洞亭"の真の姿について把握していてもおかしくはなかった。
ちらりと横目にガラフスを見れば、何を言い出すのかとばかりに疑念の詰まった瞳を向けてくるのみで止める素振りはみせない。ならば、好都合。
この頑なな老人を説得するのは無理そうだ。そして、彼に殺されるのは無念ではあるが、悪あがきするくらいはかまわないだろう。
「……"三足烏は"」
その一言に、瞠目したガラフスが振り返る。
なぜならこれは、妖鬼の返答次第によってはガラフスとポールの決別の狼煙。
わかっていてなお、ポールはもうガラフスの方を見ようとはしなかった。
視線で穿つはシュテンの双眸のみ。
その意図を察して、シュテンはにぃ、と口元を釣り上げた。
「"冥の洞にて日輪を誘う"」
「……承りました。これより貴方は私の雇用主だ。……ガラフスさま。仕事の依頼ですのでお引き取りを」
「……正気か、ポール」
「私ぁ、忍の誇りをレイドアに賭けるより……ここに何の理由で訪れたかわからない謎の妖鬼にかけてみたくなった。それだけですよ」
「……」
じろり、とポールを睨み据えるガラフス。
だが、その瞳に力はない。
「……ガラフスさま。貴方は自分で、一介の忍だとおっしゃった。ならば、私が別の依頼を受ける分には介入されるな」
「……そう、か。ならばぜひもない。同里の者と対立はしたくなかったのじゃがな」
ほう、と一つため息を吐くと。ガラフスは、目の前に立つシュテンとヴェローチェを一瞥して――おそらくは力量差を推し量ったのち、音を立てて煙をたちのぼらせると、瞬く間に姿を消した。
「……いやあ、すがすがしいまでに忍者だったな、おい」
「そうですねー。ちょっと、誇りがどうとかめんどくさそうですねーなんて思ってましたけどー」
「面倒くさかぁ、ねえよ。誇りってえのは、己の貫く信念の槍だ。たやすく他人に折られるもんでもねえし、どんな時もてめえと共にあるもんだ。もし折れるときがあるとすりゃ、それは――」
「それは?」
ヴェローチェの問いかけ。
「……自分で槍を手折るとき。それだけですよ」
「お、わかってんじゃねえか兄さん」
「やめてください。尻馬に乗っかったようなものですから」
しかしてその問に答えたのはシュテンではなく、カウンターの奥にいた青年であった。
木陰の洞亭、マスターにしてオルドラの忍ポール。
彼がたった今、並々ならぬ間柄であっただろうガラフスと袂を別ったのはシュテンとヴェローチェも察するところであった。
「ひとまず、お掛けください」
ポールはシュテンとヴェローチェに席を勧めると、一度霞のように立ち消えた。
そしてすぐに朧のように揺らめいてその存在を再度この場に戻すと、小さく笑う。
「閉店にしておきました。これで先ほどのように闖入者が現れることもないでしょう」
「いうね、お前さん」
「いえ、ガラフスさまは普段丁寧に人払いをするお人ですから。あの方より力で勝る者でなければ、なかなか入って来られるようなものではないですよ」
肩をすくめるポールに、シュテンは何かに気づいたように隣のヴェローチェを見た。
メニューをけだるげにめくっていた彼女はシュテンの視線に気が付くと、なんですかーとばかりに目を彼に向ける。
「お前がさっそうと入っていったのは」
「なんか不快な魔力を感じたのでー」
「……さすがすぎる」
オルドラの元首長という、尋常の者ではない実力派が張った人払いを、こともあろうに『なんか不快な魔力』と断じてむしろあっさりと向かっていくスタイル。
改めて同行人が魔王軍ナンバー3であったことを認識するシュテンであった。
「……お二方の実力は把握できました。それで、シュテンさん」
「あん?」
「あの合言葉で、貴方がただただ偶然この場所を訪れたのではないことは把握できました。そしておそらく、貴方がやりたいこと、なしたいことについての情報を私は握っております。その上で、大変申し訳ないのですが、一つ依頼前に前料金としてお話したいことがあるのです」
「……ふむ」
まるで商会の重役のようにカウンターに肘をつき、両手を組み合わせるシュテン。
話を聞く態勢に入ってくれたのだとポールは察し、ほっと息をついた。
……もっとも、シュテンの知る商会の重役がこんなことをしても威厳の欠片もないのだが。
「……私はオルドラ州の忍一派が一人、ポールと申します。姓はありません。先ほどまでいらっしゃった老忍ガラフス・ウェルセイア殿に忠誠を誓い、今までオルドラの忍として戦ってまいった次第です」
ポールの語る身の上話は、シュテンもあまり聞き知ったものではなかった。
知らないものに貪欲で好奇心旺盛なシュテンが退屈することはなく、一しきり黙って聞いていた。
だいたいの彼の状況が把握できたところで、大きくシュテンは頷くと。
「……なるほどな。レイドアに吸収合併されちまったところでお前らは領地のない根無し草に成り下がり、そこで隠居していたガラフスが出てきてレイドアに拾ってもらった……と」
「……ええ、しかしすでにその時点でガラフスさまの様子は尋常とは言えず……」
「忍の誇りを、どこかはき違えていたと。言い方悪くすりゃ、妄執にでも取りつかれたか」
「……返す言葉もなく」
ふむ、とシュテンは腕を組んだ。
聞くに、ガラフスは以前は相当に優秀な忍であったらしい。
元首長というからには、確かにかなりの腕であろうことは予想していたシュテンだが、ポールの語る内容はそれ以上だった。
そして、ポールは少年時代に、すでに現役を退いていたガラフスに師事していたこともあり、加えていうなれば任務に連れ添ってもらったことも多くあったとか。
ポール自身が見込まれていたこともそうだが、とても可愛がってもらったらしい。
だが、事態は急転する。
帝国との戦いにガラフスは姿を現すことなく、当時の首長であったガラフスの息子夫妻も死亡。さらには孫娘のジュスタがレイドアに利用されていたというのにも関わらず、最近になってガラフスはようやくもう一度姿を現したのだとか。
そして、出てくるや否や縋る忍衆をまとめてレイドアに迎合させ、オルドラ吸収の原因の一端を担い、今の今までシュラークに盲従しているとか、なんとか。
「……私は、ガラフスさまを疑いたくはありません。しかし、あのお方ほどの実力者を操るような力も知りません。故に、結局はガラフスさまの思想についていけずにいるままなのかと悩んでおりました。ですが……シュラークの悪行を見て見ぬふりするガラフスさまが、もうわからないのです」
「……それで、俺たちに賭けた、と」
「土壇場でしたからね。貴方たちが来なければ死んでいましたし」
「……抵抗は考えなかったのか」
「あなた方が現れたのが、女神クルネーアのお導きかと」
「うげ」
「?」
最後のリアクションには触れず、しかしポールはすべて話し終えたとばかりに一息ついた。シュテンも、最後の一言を除けばポールの事情は把握した。
「……シュテンさん。私は、昔のガラフスさまに戻っていただきたいのです。そのためには、まずあの呪縛を取り除かないことには」
「ま、利害は一致しているようだな。俺も、シュラークとやらに用があるんだ」
「……それでは」
「ああ」
一つ頷いたシュテンに、ポールは居住まいを正した。
「改めて、依頼内容をお伺いしましょう」
その言葉に、シュテン――の隣から声。
「じゃあこのハーブパスタとジンジャーティーのセットをー。んでシュテンはどうせ肉でしょうからこの定食と、食後にコーヒーでー」
一瞬の、沈黙。
ヴェローチェに向かう、二つの視線。
何か間違えました? と言わんばかりに小首をかしげるヴェローチェ。
「……ふっ」
「はは、そうだな、まずは腹ごしらえだ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいー、なんだかわたくし腹ペコ扱いされてませんかー」
「いやお前あれだろ、メニューに夢中で話聞いてなかったろ」
「そんなことないですー、これもおいしそうだなーと思ってましたー」
「会話になってねえな!!」
思わず吹き出してしまったポールと、ヴェローチェの行動に遠慮なく笑うシュテン。
手際よく作られた料理にありつきながら、まずはポールから次の話を伺うのだった。
――第二層、そして第三層への、侵入経路を。
リンドバルマ攻略作戦が、開始されようとしていた。




