第十九話 リンドバルマII 『州都リンドバルマ』
「ひゃっはー! 到着したぜリンドバルマー!!」
「強かな驟雨に身を穿たれたこともありましたー、風雨を凌ぐ為に青臭い叢に身をやつしたこともありましたー、照りつける燦々とした日差しに身を焦がされたこともありましたー、豪雪の中、ただひたすらに身を凍らせたこともありましたー。そんな苦節数日を経て、今とうとう妖鬼シュテン、ゴールを切りますー」
「数日間濃すぎねえ!?」
リンドバルマの街。
共和国領レイドア州の州都であり、帝国との戦いの中で戦火を逃れた新たな忍たちの都。
珠片の存在を追うことしばらくして、ようやく目的地らしき場所に辿りついたシュテンの感動はひとしおであった。いや、隣のヴェローチェが実況するほどの苦労は毛ほどもしていないが。
「しかし、検問緩いなー」
「笠被ってれば、確かにシュテンは人間に見えなくもないですしー」
「それより隣に居る女の子のビジュアルがめちゃめちゃ浮くと思うんだがな」
「そっすかね」
首を捻りつつ自らの脇や足元を確認するヴェローチェは、そのド派手なツインドリルの金髪やらゴシック調のドレスには目が行かないようだ。いつもといえばいつもの調子に軽く苦笑いして、シュテンは意気揚々と大きな外門をくぐっていく。
「リンドバルマっていやあ、ジュスタ編のクライマックスにも使われた場所だしな。ただの街の癖して第三階層まであるのが死ぬほど面倒だったが……今回はどうやって行こうかねえ」
「……」
「あん? どうしたヴェローチェ」
顎に手を当てて、周囲を眺める。帝都グランシルよりも広いのではないかというこの街道は、馬車の通行や人ごみでごった返していた。人の雑踏や会話の声、そして店の喧騒などが混ざり合った賑わいは、帝都とまではいかずとも州都として恥ずかしくないほどの人気。
そんな中、まずはどこに行くのが正解かと悩むシュテンであったが。ふと、思い立ったようにヴェローチェの方を見た。いつもぽへっとしているから会話が止まるくらいは特に引っ掛かる点もないのだが、彼女は彼女で少し考え込んでいるようだった。
「……妙、っすねー」
「妙?」
「特導兵と名乗っていた連中は元々レイドア州の兵士だった……とすれば、わたくしたちを狙ったのはほかならぬこの州の首長ということになりますー……情報くらい行っていてもおかしくないのに、簡単にわたくしたちを通したことー……どういうつもりなんですかねー」
「……んー、まあ考えられる点があるとすりゃ、この区画はどうでもいいってことだろうよ」
「へ?」
シュテンの結論に、ヴェローチェは顔を上げた。
ふわりと浮いてシュテンの横に並ぶと、”わたくし意味がわかりません”とありありと表情に出したまま彼をじっと見据えていた。これは説明するまでずっと見ているのだろうなと思うと、シュテンも彼女の分かりやすさにどこか心が解かされるような気分だ。
仕方なし、という訳ではないが、観念したようにシュテンは三本の指をたてた。
「リンドバルマってえ街は、三つの区画に分けられてる。それこそ、正面に見える壁が示すようにな」
二人が歩くメインストリートの突き当りは、間違うことなき壁だった。
街に入ってくるときに目にしたものと同じ、敵を拒む城壁。シュテンが三つの指をたてたということは、今視線の先にある壁のさらに奥にも、もう一つ壁があるということか。
「ぐるりと周回するように、三重のドーナツみてえな壁がこの街には存在してんだ。この一番外側の区画は所謂一般人や低級の忍が居る場所でな。やっぱり情報戦に長ける連中がうじゃうじゃしてるこの街じゃあ、ただ一重の壁の中に施設が全部そろってんのは恐ろしいもんなんだろうよ」
「なるほどー、それでは貴方の捜し物もおそらくこの区画にはないとー……」
「そういうこった」
ふむふむ。一通りシュテンの言葉を理解したヴェローチェは小さく頷くと、改めて遠くに存在する壁を見据えた。
「つまり、わたくしたちがここで何をしようと、痛手にはならないし首長にとってはどうでもいい、と。随分と民をないがしろにするものですねー」
「まあ、今は、な。昔からそんなんだったらいくらなんでもこの街の民がずっとここに住んでるなんてことはあるまいよ。忍の街だ。多かれ少なかれ首長の情報ってえのは嫌でも入ってくる。悪評を聞いてもこの賑わいってのは、流石にねえ」
「……というと?」
「今は、民に気を回してられねえ。つまりは、そういうことだろ」
「……そういうことですかねー。特導兵といい、余計にきな臭くなってきましたねー」
とりあえず、と一言呟いて、シュテンはとんとんと自らのこめかみに触れた。
思い出すのは、久々のことだ。
グリモワール・ランサーII。原作の内容を思い出したところでほぼほぼ意味のないものになり始めている現在、わざわざ引き出しから引っ張り出すようにして記憶をたどることはあまりしていなかった。
とはいえ今居るリンドバルマの構造とその突破情報は有意義なものであるはず。
だからこそ、今もう一度呼び覚ます必要があった。
「……突破する為の情報やら何やらは、あれだ。オルドラの忍のアジトに出向く必要があったか」
「シュテン?」
「いや、行く場所を思い出した。ちょっと付き合ってくれるか?」
不思議そうに首を傾げるヴェローチェに笑いかける。
一緒に来てくれるかとの問いかけに、一瞬きょとんとしたあと。彼女は。
「そういうのはー、もうちょっと遠慮する必要のある相手に聞くものですよー」
「……はは、そうか」
「そうですー」
「なら、あれだ」
そうだなと、一つ指を立てて。
「ちょっち付き合え、ヴェローチェ」
「仕方ないっすねー」
二人で雑踏を避けながら、今までよりも速足でとある場所に向かって歩き出した。
その日も木陰の洞亭はひっそりと営業していた。営業時間は特に決めていなかったが、今日はちょうど"本業"の方も落ち着いたタイミングということもあり朝から夜までがっつりと。
とはいえ、そんないい加減な営業時間であるからか客もまばらどころではなく。相変わらず常連以外は顔を出さないし、一時間に一度来客を知らせるベルが鳴れば多い方。
マスターである一人の青年は、手持無沙汰にグラスを磨いてぼんやりと思考の海に沈んでいた。
「……これから、どうしたものか」
思わず呟いた言葉は、心の底にあった感情の発露。いったいどうすれば正解なのか。何をすれば自分の心が晴れるのか。それが全く分からないままに、とうとうこんなところまで来てしまった。
重い悩みではある。何が原因なのかも分かっている。しかし解決策が見つからず、悩んでも悩んでも仕方がなかった。
「どうもこうもないじゃろう。儂らは、やるべきことをやるだけじゃ」
「ガラフス様……」
と、声。
どこからともなく聞こえてきたそのしわがれた声に顔を上げれば、カウンターには気づかぬうちに招いた記憶のない客が座っていた。
ガラフス・ウェルセイア。
共和国領はオルドラ州でも指折りの忍であり、そして元オルドラ州首長である。彼が前首長でない、というのが青年の悩みの一つであったりするのだが、残念ながら恨みがましい視線を向けたところで目の前の小さな老人が食いついてくれるはずもなかった。
「……私は、自らが手となり足となるこの忍の仕事を気に入っております。ですが、その本体となる主くらいは、自分で選びたいと思うのです」
「……忍の誇りとは、誰のものであってもその依頼を完遂すること。儂はオルドラの者たちにそう教えたはずだがのう」
「それを教えたのが貴方だったから私たちは従っていた。……それ以上でもそれ以下でもないんです」
「……」
困ったように眉根をよせる老人。
彼が元凶、とまではいかずとも、彼は青年の悩みの種の一つではあった。
この方さえ動いてくれれば、自分たちは気兼ねなく動ける。そして、忍の誇りを胸に死ぬことも出来る。
そう、思っていたからだった。
「首長シュラークが行っているのは! あれは忍の誇りをかけて守っていいようなものではありません!」
「……おい、ポール」
「魔族を捕獲して狂化させる!? それを使って帝国を攻める!? 冗談じゃない! なんだそれは! テメエの国の問題を、無関係の者を利用して、あまつさえその生を食いつぶして肩代わりさせるなんざ、人としてやっちゃいけねえ境界線をぶち抜いてやがる! そんなの、そんなのは!」
「ポール!!」
「……ガラフス様。頼みますよ……私ぁ、こんなことに加担してることすら恥だと思ってるんです。なんで貴方が忠を誓っているのか、わかりませんよ……」
「一宿一飯の恩と、誇りの為じゃ。義を全うする為に、力を貸してくれと儂は言ったはずじゃ」
「領地を失って根無しの私たちは、従うしかなかった。……けどあいつは私らを利用するだけ利用しようとしているだけじゃないですか……!」
握りしめたグラスが弾けて割れた。
その音だけが虚しく響く中、ガラフスはちらりと青年の右手に目をやる。
「……お主、血が」
「この程度の血など、私の心が流す、誇りにつけられた傷から滲む血に比べればどうということはありません」
「……」
それだけ言うと、青年は口を噤んだ。
ガラフスは、小さく俯いて。そうか、と一言だけ呟くと。
ゆっくりとその顔を上げた。瞳には、鋭い力が宿っていて、思わず青年は息を呑む。
「……仲間の内の反乱分子には、刃を以て制せ。儂はそうも教えたはずじゃ」
「私は、貴方に忠を立て、それに報いようと邁進して参りました。それがお気に召さないとあれば、無念ではありますが、抵抗は致しません」
「……そうか」
一つ、大きく息を吐く。ガラフスはそのまま、ゆっくりと立ち上がると。
そこで、からんころんと鈍いベルの音。
「きーちゃったー、聞いちゃったー」
そして、物凄い棒読みの少女の声。
「……お主、もしや」
「お客ですよー。お品書きをいっぱいくださいー」
開いた入口の先に居たのは、一人の少女であった。
この忍の街にあって場違いな派手なゴシックドレス。これでもかというほどにまるまった長いツインドリル。その派手派手から一転してやる気のなさそうな死んだ瞳。ものっそいアンバランスな見た目から放たれる、意味不明な催促。
ガラフスは思った。なんという個性の暴力。
「すみません、今取り込み中で」
「わー、お客を選ぶのかー。表のオープンの文字は詐欺か何かですかー。わたくしお腹がすきましたー」
「え、や、あの」
呆けたガラフスとは違い、青年が冷静に対処する。だが、彼女の方は取りつく島もなく当たり前のようにカウンターへ。どうしてくれようかと青年が動き出すよりも前に、ガラフスが一歩前に出た。
「お主、魔王軍の導師シャノアール・ヴィエ・アトモスフィアの娘じゃな」
「ま、魔王軍!?」
小娘程度一撃で気絶なりなんなりさせようと思っていたのだろう青年の体が竦む。
突然現れた少女が、この街に脅威をもたらす魔王軍の、しかも幹部クラスであるとなれば見た目によらぬ実力をもっていることは間違いない。プレッシャーすら発していないというのに、青年は本日何度目になるか分からない心身の緊張に身を竦ませた。
「……へぇ。わたくしをご存じなんですかー。まあ、それは別にいいですー、今日は単なる旅エンジョイ勢なんでー」
「……は?」
「旅、エンジョイ?」
なにをいってるんだこいつは、と二人が固まったその瞬間であった。
「せぇつめいしよう!!」
「誰だお前は!!」
「っ!?」
天井から男が降ってきた。
和装に三度笠を被った、精悍な風貌。
導師の娘と呼ばれた少女の前に立ちふさがると、にやりと口元を緩めてその笠を脱ぎ捨てた。
その頭からひょっこり現れる、黒く捩れた二本角。
「旅エンジョイ勢代表、妖鬼シュテン登場!」
「……おぬし」
「む、出たな猿爺」
「だ、誰が猿爺か。全く、最近の若いのは礼儀の欠片も知らん奴が多くて困る」
相も変わらず、驚くのは青年のみ。
そんな状況にあって、シュテンは大きく口元を吊り上げた。
「いつぞやの猿爺も一緒ならちょうどいい。シュラークのやってる狂化実験、そいから特導兵とやらについて、色々と聞かせてもらおうか」




