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グリモワール×リバース~転生鬼神浪漫譚~  作者: 藍藤 唯
巻之陸『妖鬼 鬼神 共和国』
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第十話 ゲルベリック港 『一方その頃』




 潮騒が耳に触れる。見渡す限りの青は水平線を境にして美しく深と浅に分かれており、海鳥の鳴く声が時折混ざると"自分がどこに居るのか"強く実感することができた。


 ぎぃ、と軋む音とともに視界が小さく揺れる。

 甲板を突き抜ける風は優しく、しかしそれでも海風だからなのか少々痛い。


 バンダナから少し飛び出した前髪が目を掠めて煩わしい。

 思わず顔をしかめて少女がその髪をよけた時だった。


「出港だあああああ……!!」


 勇ましい声に続き、がくん、と強くこの大きな船全体が揺れたような感覚。

 大海原を眺めていた少女も思わずその揺れの中心に目をやった。


 港に停泊していた船が、少しずつ少しずつ桟橋を離れるのが分かる。

 まるで雲が流れるような、なだらかでゆったりとした速度。


 港のにぎわいは遠く、辛うじて喧噪が分かるぐらいだ。


 だが、それでいい。

 わざわざ騒がしい中に飛び込むのは好きではなかった。むしろ、その喧噪が静まったあとの街が好きなのだ。誰にも邪魔されず、自由で、そして一番動きが軽い。


 それは、単に自分が夜型の人間なのか、それとも忍としての性なのか。


 小さく(かぶり)を振った。

 忍として主に忠実に生きるには、少々よけいなものを知りすぎたように思う。

 それは多くの信念だったり、力だったり、そして……信じていたものへの裏切りだった。


 少女は小さくため息を吐くと、甲板の柵に両腕を預けて空を仰いだ。

 こんなにも青々として雲一つない空なのに、どうしてか素直に目を細めて歓迎することができなかった。別に、太陽の光が強すぎるとか、青空よりも曇り空の方が好きとか、そういうことではないはずなのに。


 何故かといえば、答えは単純……単純、なのだろう。

 彼女自身は納得しかねるが、答えは出ているようなものなのだ。


 悲しかった。

 悔しかった。


 言葉にしてしまえばそれだけだ。

 少しだけ、信じてみよう。そう思った相手に、こうも無惨に裏切られてしまってはもうあの場所には居られなかった。居心地がよかったと思い返すことさえ、許せなかった。


「おーい、嬢ちゃーん!」

「……、え、ボク?」

「ほかに、嬢ちゃんなんて呼べる年齢の子なんかいやしないよ」


 駆け足で寄ってきたのは、禿頭(とくとう)の船乗りだった。水夫を想起させる白と青のボーダーシャツを身に纏った彼は、嬢ちゃんと呼ばれた少女の倍はあろうかという身長と体格だった。


 彼に言われて、ふと周りを見渡す。

 狭いとは言いがたい、その気になれば百人は収容できそうな甲板に今居るのは、自分をのぞけば彼のような屈強な水夫ばかりだった。


 客船のはずだが、この時期は余り乗客がいないのだろうか。


「ケトルブルグから乗ったよね、きみ。今もうゲルベリック港を出たけれども、いいのかい?」

「ん。元々共和国領に向かうつもりだったから大丈夫」

「……珍しいねえ、公国から共和国に向かうだなんて」

「そう、かな?」


 顎に手を当てて少女を上から下までじろじろと見やる船乗りの男。

 別に不快さを感じるような視線ではなかったが、少女は端と気が付いた。


 少し前まで共に旅していた面々と同じように装備をとっかえひっかえしていたせいで、もうパッと見ただけでは自分は忍と分かるような格好をしていないのだと。


 共和国に居た頃は、そして単独行動をしていた頃は、ずっと昔からの服装を身に纏っていた。一度教国で十字軍(クロスレギオン)に捕まりかけた時にだけ装備を脱ぎ捨てはしたが、あれだって丁寧に仕舞い込んで再利用しようとしていたのだ。桜髪――今は銀髪の少女が、勝手に売り払いさえしなければ。


『もっと強い装備にしたら、着ていたものは売ればいいんだよ!』


 やたら元気のいい声が今も耳に残っている。


 いや、それはいい。


 今の自分は丁寧に作られた鎖帷子の軽装と、動きやすいレギンスを履いている。

 年齢さえ考えなければ、立派な冒険者(ブレイヴァー)に見えることだろう。もっとも、この装備をあつらえて貰った際は彼女のサイズが小さすぎて特注にしてもらったのだが。


「見たところ冒険者みたいだけど、共和国領は最近物騒だから気をつけてね」

「物騒……?」

「村が一つ消えた、なんて噂も聞いたことがあるんだ。こう見えてもおじさんそれなりの船乗りだからね、ちょっと色んな話が入ってくるんだけど……なんでも、レイドア州の首長さんがいろいろと動いているみたいなんだ。また戦争にならなけりゃいいけど」

「っ……!」


 思わず、少女は息を飲んだ。

 レイドア州の首長といえば、元々自分が使われていた相手だからだ。

 その人物が、また何かに向けて動いているらしいなんてことを聞いて、平静で居られるはずもない。


「……ちょうど、よかったのかもしれない」

「ん? どうかしたかい?」

「んーん、こっちの話。元々、悩んでいる内に故郷に戻る道を辿っちゃってたんだ。でも、それで正解だったのかもしれないって」

「故郷、かあ。おじさんもしばらく帰ってないなあ」

「帰ってあげなよ。きっと、家族の人は喜ぶから」

「……そうだね、考えておく」


 少々、会話の雲行きが怪しくなったというか。それとも、あまり触れたくない話題だったからか。船乗りはその禿頭にぺちんと手を当てて、そのまま少女に身を翻して甲板を降りていった。


 その後ろ姿を眺めながら、ぼんやりと思う。


「ボクが、いえたことじゃないんだけどね」


 家族の人は喜ぶ。

 故郷に帰ったところで、少女の家族はもうどこにもいない。

 いや、もしかしたら生きているかもしれない。一家揃って忍である上に、父は一つの州の首長なのだ。殺されたというのも実は影武者で、本人はどこかで名前を変えてぴんぴんしているかもしれない。


 けれど、それは少女に分かるようなことではない。


 結局、忍という職種柄そういったことは避けられない運命なのだ。

 まだ、全滅したという状況そのままではなく生存の可能性を考えられるようになっただけ少女は冷静さを取り戻したのだろう。件のレイドア州の首長の元に居た時など、感情をこれでもかと焚き付けられて必死で戦うことしか頭になかったのだから。


「とはいえ、だ」


 ぽつりと一言仕切り直し。

 もう一度両腕を柵にかけ、ぼんやりと遠くの水平線を見つめる。

 美しい海原に邪魔なものはなに一つ存在しない。


 柵に肘をついて、頬杖。悩むことも、ショックなことも多いが、それ以上に優先して考えることができてしまった。これから共和国領に向かうに当たって、最優先で処理するべき問題を抱えてしまった。


「レイドアの首長に接触を図るのが一番か。いや、忍らしく、潜入してみようか。でも、共和国領の忍たちが今もいっぱい残っていたら、ボクだけじゃ……」


 す、と自らの手のひらを眺めた。

 今更、仲間を求めるつもりはない。けれど、思い出してしまったことが彼女のメンタルを強く揺るがす。唇をかみしめて耐えようとしても、それでもまだ彼女は十一歳にしかなっていないか弱い少女に違いない。


「……どうして、ボクがこんな気持ちにならなきゃいけないのさ」


 ふるえる声で、小さく。

 膝がふるえて、崩れ落ちそうになるのをぐっとこらえて。


 少女はゆっくりと体勢を立て直すと、俯いて気持ちがこれ以上沈んでしまわないようにもう一度空を見上げた。


「あれ……?」


 モザイクがかった空。それはきっと、天候の変化などではなく。

 己の瞳からあふれだしてしまった雨なのだと、彼女は自覚した。自覚したのが、決壊の合図のようなものだった。


「……うっ、ぐす……なん、で……」


 あれだけ自分を追いかけてきておいて、裏であんな一物を抱えていたなんて。

 裏切りでなくて、なんだと言うのか。心の奥がじくじくと痛む。


 あれだけの大言を吐いておいて、結局そういうことなのか。

 なにが、「仲間になってほしい」だ。笑わせる。……笑い話になる段階で、切り捨てておけばよかったのに。


 と、そんな時だった。


 甲板を打ち鳴らす、かつかつという軍靴の音。


 ゆっくりと、目をこすってからそちらを見れば。

 そこには、もの凄く嫌そうな表情をした一人の男が立っていた。


「たった一人で泣いてるガキを、何で周りは放ってんだとか。そもそも、十歳程度のガキがなんでこんなところで一人なんだとか。迷子だけは勘弁だと思って近づいてみりゃ、お前かよ、クソが」

「で……ジレ……?」

「まーだ単独でうろちょろしてたのかよ。チッ……今日は厄日だ」


 大薙刀を背負い、青年は口では文句をひたすら垂れながらも少女の方への歩みは止めない。少女の方は少女の方で、想像もしていなかった再会に目を丸くしているようだった。その、とめどなくこぼれる涙をそのままに。


「ぶっ!?」

「これで拭け、みっともねえ」

「ひ、人の顔面にハンカチ……平手みたいに……」


 がば、と彼の大きな手に握られていたハンカチを押しつけられた。一瞬呼吸さえ怪しくなり、たまらず涙も感情もなにもかもが引っ込む。


「……」

「……ほんっと、乱暴だよね、お前」


 貰ったハンカチは、シルクの柔らかいものだった。

 そっと目元を拭うと、彼女はふと顔をあげる。

 相変わらずモノクルをかけた彼は、黒コートに片手を突っ込んで海を眺めているように見えた。……いや、これはきっとたぶん。少女の涙が止まるのを、感情が押し流されて落ち着くのを、待っていてくれているのだろう。


 そんな風に解釈して、少女は深呼吸してハンカチを返した。


「ありがと。収まった」

「知るか」


 つっけんどんにハンカチをひったくる。

 いくらなんでも、"知るか"はないだろう。新たに芽生えた思いとともに、青年を睨み据えると。彼は特にその眼力を意に介した様子さえなく、見下すような瞳で彼女を捉えた。


「で、何で泣いてたんだよ。ホームシックか?」


 なにが、"知るか"だ。少女は唇を尖らせる。この男は本当に何なのか。

 ぶっきらぼうに好きなことだけやって、勝手に根掘り葉掘り聞こうとして。


 ムカつく。そう思って、少女は舌を出した。


「バカにしないで……。てゆか、知るかって言っときながら何なのさ」


 びきっ、と青年の額に青筋が浮かぶ。

 そのまま彼は少女に背を向けて歩きだした。


「……じゃあな」

「あ、待ってよ!」

「何だよ、用はもう済んだろ面倒くせえ」

「……待ってよ」

「これだからガキは……扱い辛ぇ面倒くせえクソが……」


 職場でもガキ、旅先でもガキ……青年はぶつぶつと呪詛のように某かを口にしながら、しかし足を止めて少女の方を振り返った。その少女はといえば、頬を膨らませて青年を睨むばかりだ。


「……共和国領で、レイドア首長が色々またやってるみたい」

「あ゛? ……なんでテメエがそれ知ってんだクソが」

「ボクが知ってるのが意外ってことは、なに、デジレもそこが目的なの?」

「"も"じゃねえよ一緒にすんな。オレは任務で共和国領の動き探ってくるだけだっての」

「……ふーん」


 なんでガキに任務(こんなこと)喋ってんだ、と青年――デジレは頭を掻いた。

 本当に子供の相手は苦手らしい。少女は彼の目的を聞けたことに満足感を抱きつつ、そして。


 気づけば、口にしていた。


「ボクも連れてってよ」

「ああ゛!?」


 思わず口から飛び出した言葉に、デジレはふざけるなとでも言わんばかりの声を発した。だが、驚いているのはなにも彼だけではなかった。"仲間を失ったばかりの自分が"なんでこんなことを言っているのか。


 それが一瞬分からなくて。


 でも、それこそ一瞬だった。


 いつか、トゥントの街で倒れていた自分を助けてくれたのは、目の前の青年だ。

 認識をただすきっかけになったのも、自分に有利な情報も不利な情報も纏めて、少女の為に伝えてくれた青年。


 今の少女にとっては、何とかまともに信頼できる唯一の相手と言っても過言ではなかったのかもしれない。それにきっと、さっき泣いてしまったのも。


 寂しかったから、で。


 だからこそあっさりと、今思わず出た言葉に対しても納得していた。


「なぁんでテメエと一緒に行かなきゃいけねえんだクソが」

「ボク、ジュスタ。ジュスタ・ウェルセイア。最初に一度だけ名乗っただけだったよね」

「勝手に話進めんじゃねえよ!! ああもう何でオレの周りのガキってのは」

「ねえ、デジレ」

「あんだよ!?」

「背中の数字、変わったんだね」

「……ああ、それか」


 彼が、「じゃあな」と言って背を向けた瞬間に少女――ジュスタは気づいていた。

 デジレ・マクレインというその青年は元から帝国書院書陵部の魔導司書で。さらに言えば、研究院の名誉院長でありながら第五席というポストにあった強者だ。


 だが、今の彼の背にあるのはIIの文字。


 帝国書院書陵部魔導司書第二席。事実上のナンバー2。


「……この背中は、重すぎる。今のオレにはな。ほっとけ」

「放っておくわけないじゃん。だって――」


 着いて来られてはかなわんと、デジレが再度ジュスタに背を向けたその時だった。


「――アイゼンハルトさんは、笑ってたから」

「……なに? 何でお前が、あいつを知ってる」


 背中から聞こえた声に、デジレの動きが止まった。

 刻まれた数字の重さ。その原因は今ジュスタの口から出た人物の名にほかならない。


「この前会ったからに決まってんじゃん。大変だったんだから、ジャポネ。シュテンとアイゼンハルトさんが居なかったら詰んでた」

「…………今、誰の名前が出た」

「ああもう、これだからこの二人めんどくさい」


 さびた蝶番のように、ぎちぎちとデジレはジュスタの方へと振り向いた。その鈍さに違わず、血管が額に浮いて今にもはじけそうだ。どれだけ嫌なんだ、あのイカれた妖鬼のことが。まあ、ジュスタとしても、得意というほどではないが。あれとハルナが組んだら、もうジュスタは逃げるしかない。……とそこまで思い出して、かつての仲間の顔が浮かんで少しへこむ。


「ジャポネで帝国書院と吸血鬼の抗争があったの。色々あったの。お前は知らないかもしんないけどさ」

「アスタルテが含んでたのはそれのことかよあのクソ神……。アイゼンハルトが生きていたこと、そして……いや、何でもねえ。オレにその話振ってきたってこたぁ、テメエ、知ってんのか」

「デジレとアイゼンハルトさんの関係はね。別に言い触らすつもりはないけど、ボクはきちんと謝れって思ってるよ。仲間だと思ってた人に裏切られるのって……辛いんだ……」

「チッ、ガキがそんな歳からんなもん経験してんじゃねえよクソが」


 はー、と盛大にデジレはため息を吐いた。


 そして、今度こそジュスタから踵を返す。


「あ……」

「おい」

「……なにさ」

「雑魚は戦いになったらちゃんと引っ込んでろよ」

「…………ねえ、デジレ」

「なんだ」

「本当になんか、素直じゃないよね」

「殺すぞクソガキ」


 ふん、と鼻を鳴らしてデジレは甲板を降りていく。


 ジュスタは一瞬、どうしようか迷ってから。


「ボクも部屋いく」

「……自分の部屋だろうな?」

「そうだよ。二人部屋になると安いんだー、ここ」

「ぶち殺すぞてめえ……!」


 その大きな背中に並んで、船の中に入っていった。



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