第六話 アルファン山脈I 『霊域試練』
「一言で表せば……そうじゃな。訳の分からん男じゃった」
呆れるほど長いテーブルが一つ、この食堂には設置されていた。その最奥でステーキを食す男が、老人からの報告を聞いている。老人はと言えば食堂の入り口に立ったまま、両サイドをがっちりと衛兵に固められた状態だ。席につくことすら許されていないようだが、しかし老人はそれを特に不可思議なことだとは思っていない様子だった。
今、話題にあがっているのは老人が接触をはかった魔族"たち"のことだ。
締めくくるように最後の一人である妖鬼の説明を終えたところで、銀食器が皿を打つ音がした。ナプキンで口元を拭いながら、フォークとナイフを置いた男が老人を見据えた。
「違うな、ガラフス・ウェルセイア。ワタシは"戦力になり得るかどうか"、ただそれだけを問うていたんだよ。それ以外の情報なんざ、必要ない。人となりなんざ……意味のないことだ。そうだろうが」
ぎょろり。蛙のような目をしたその男の視線の先で、老人――ガラフス・ウェルセイアはしかし気圧された様子など欠片も見せなかった。男の眼光は鋭く、纏う覇気もそれ相応であったはず。にも関わらず、ガラフスは一切気にとめた様子もない。
「フェッフェッフェ。相変わらずですなぁ、ご主人。まあ一杯、酒でもいかがか」
「フン」
隣に居た衛兵に杯を渡し、それにヒョウタンから酒を注ぐ。美しいくらいに透明で、芳醇な香りをさせるそれを、衛兵はご主人と呼ばれた男の前にまで持ってきた。
男はそれを受け取ると、その透明な液体を揺らせながらもう一度その蛙のような瞳を老人に向ける。
「……いいか、ガラフス・ウェルセイア。様子を見て、戦力に成り得ると思った存在を捕らえてくる。それがテメエの仕事だ。……ドラキュリアの当主が死んだことで、魔界はこれから荒れる。手傷を負った強大な魔族を、王国よりも先に手に入れること。それが、我が共和国が憎き帝国に復讐する大きな鍵になる。忘れんじゃねえぞ」
「もちろん。……そういうことであれば、先の妖鬼などは相当な戦力になることは、間違いありますまいて」
「……帝国書院の第一位と事を構えて尚無事で居たらしい、あの妖鬼か」
「尋常ではない覇気を持ち、あのアスタルテ・ヴェルダナーヴァと戦い、さらにあの厄介な古代呪法を持つグラスパーアイ・ドラキュリアを正面から打ち破った。伝説の妖鬼シュテンに勝るとも劣らない所業。なによりも本人がその名を名乗っていることを考えると、もしや襲名制なのやもしれませんな」
「最後はどうでもいい。だが、強いのであれば、捕らえてこい。それが、お前の仕事だ」
ご主人、と呼ばれた男はそう言うと、面倒臭そうに手を払う。
もう消えろ、ということだろう。意図を察したガラフスは一度ゆっくりと頭を下げると彼に背を向けて、言った。
「共和国の再興……儂はそれ自体に興味はないのじゃが。ご主人の語った忍の誇りを……儂は目指して奮闘させて貰おうぞ」
衛兵によって扉が開き、ガラフスは扉の向こうへ消えていく。
完全に気配がなくなった瞬間。がちゃん、と何かが叩き割られるような音がして。
「片づけておけ」
ご主人、と呼ばれた男が指差したのは、地面に転がった杯の破片と。絨毯にしみこんだ、何らかの液体だった。
「なにが忍の誇りだ。老害が」
――アルファン山脈。
靄のかかった、見通しの悪い山道。ごつごつとした岩が大量に転がり、足場も安定しない上に、道の左右は木々が鬱蒼と茂っていたり崖になっていたりと隘路が続く。
妖怪のたぐいでも住んでいそうな、そんな空気の中。一人の青年が、のんびりとその道を歩いていた。
「えんやこーらさっさー」
どんな足場の悪い箇所も、軽く跳躍して乗り越えていく。
丸腰に三度笠だけを被り、着流しを纏った和装の妖鬼。
もうそろそろ山頂にたどり着くというところだが、疲労など欠片も見せることなく妖鬼――シュテンはひたすらに山道を駆けていた。
「……しっかし、霊域か」
呟かれた言葉には、特に重みのようなものは感じられない。否、どちらかというと、軽くて弾んだような、高揚感のようなものを思わせる。
アルファン山脈山頂は、RPGグリモワール・ランサーIIにおいて最初の四天王"力"のグルフェイルを相手にするフィールドとしてのみ活用される。
作中にて"霊域"の存在はほんの少しだけほのめかす程度で押さえられ、グリモワール・ランサーIIの中ではそれ以上に言及されることもないし、入ることも出来ない。
一時期改造コードを使って入ることが可能になったという話はあったものの、勿論デマでしかなかった。さらには、グリモワール・ランサーIIの二百年後の世界で描かれるグリモワール・ランサーIIIですら、アルファン山脈の霊域に至ることはなかったのである。
もしIVが出たとしたら、そこで明かされることがあったのだろうか。それを調べる術はシュテンにはもう存在しない。
「――だからこそ、だ」
岩場を駆けるシュテンの口角が吊り上がる。
自分がただ傍観するしかなかったこの世界では、絶対に行くことの出来なかった場所。そうであるからこそ、挑戦のし甲斐があるのだと。シュテンは笑って、跳躍する。
「着いたぞ山頂!! 挑むぜ霊域!!」
着地と同時に周囲を眺めれば、素晴らしい見晴らしだった。霞草と呼ばれる貴重な薬草が敷き詰められた絨毯のように群生しており、ラベンダー色の世界が広がっていた。空は低く、周囲にはここよりも高い山など見えはしない。
眼下に広がる広大な緑と、山頂に溢れる紫。そして、青い空。
気持ちがよく、つい寝ころんでしまいたくなる。
何なら一度ここで昼寝としゃれ込むのも悪くはないと思ったが、なんだかんだで道は急ぎだ。麓の時のように、斧の前でわざわざバカを興じる理由もない。
そして、霊域の入り口は呆れるくらいに分かりやすい。
「……へっ、ご開帳賜るとしようか」
にらむ先は、山頂のさらに天辺。切り立った崖の先に、たった一つの人工物。
それは、荘厳な両開きの扉だった。金箔の装飾が施された、尋常ではない覇気を感じる異空間の渡し手。一つ息を吐いて緩やかな崖を登り、せばまっていく幅員に気をつけながらゆっくりとその扉を押し開く。
手に感じる彫り模様の感覚はしかし一瞬で、まるで溶けたかのように開くと同時に扉は消え去った。
「っ……」
日光でも反射したかのような眩しさにたまらず一度目を閉じて。
「……へぇ」
再度目を開いた時には、すでにシュテンはアルファン山脈の中には居なかった。
ゴーン、ゴーン、と遠くで重苦しい鐘の音が鳴り響く。
真っ白な空間は、女神の聖域とは違ってきちんとした地面がある。
円形のコロセウムを思わせるその場所の中心に、シュテンはただ一人立っていた。
「よく来たな……なんだ、丸腰か」
声が、響いた。
サラウンドのように反響したその声は、どこから聞こえてくるものなのかは分からない。故にシュテンは周囲を探すこともせず、目を閉じてその声に問いかける。
「そりゃ、得物は折れちまったからな。……どこに居るんだよ、オカン」
「探すことも出来ないようじゃあ、先を制することすら出来ねぇぞ?」
「っ!?」
耳元。
吐息混じりに放たれた言葉と、最大級に感じた殺気。
シュテンが慌ててその場を飛び退くと同時、隕石がめり込んだような円形のクレーターがその場にはできあがっていた。
不思議と、音はしない。相変わらず、鐘の音が響きわたる不気味な空間。
シュテンは離れたところに着地すると、今まで自分が立っていた場所を睨んだ。
ぽろぽろと、砕かれた大地から土くれがこぼれる。
その中心には、鎖鎌を握りしめた、妙齢の女性が一人。
この女が、今大地を砕いたのだと。シュテンでなくとも察することが出来るほど、すさまじい闘気が彼女に纏う。
「……ここはな、シュテン」
「あん?」
ぐるりと、穏やかな表情で女性――イブキは周囲を見渡した。
「"神"へと至った者だけが侵入を許される、大地の神の試練場だ」
ぶるり、とシュテンの体が震えた。
イブキの穏やかな表情。それが、ただシュテンを見据えただけで。
おびえた? 違う。シュテンは自ら首を振ってその可能性を否定した。
これは、武者震い。……いや、もしかしたら、それでもない。
純粋な、浪漫を求める者としての……期待。今、なにが起きているのかは分からない。だが、それでもなにかしらの"浪漫"が、眼前でシュテンを食らいつくさんと牙を剥いている。
試したい。試されたい。そんな気持ちが、逸る体を留められない。
「……じゃあ、俺も神なのか?」
「バカが。まだまだテメエは五十にもなってねえガキだろうが。テメエが入れたのは、アタイが喚んだからに決まってんだろう」
「……オカン、あんたいったい」
「ったく、物わかりの悪い息子だ」
舌打ちを一つ。
どちゃりと音を立てて鎖鎌をその場に捨て、首を鳴らしてイブキはシュテンを睨んだ。
「……二百年前。二百年も前に、テメエはアタイの前に現れた。疑っちゃいなかったさ、テメエが息子だってことくらい。だがなぁ、納得いかねえことが一つあった」
「……なんだよ」
「二十と少し。それがテメエの年齢だ。アタイはあの時、五十前後。なのに、明らかに技量で負けていた。……そん時のアタイの悔しさが、テメエに分かるかはしらねえ。だが、伝わるだろう? この覇気から。純粋に力を高めた、この清浄な覇気からッ……」
「……マジかよ」
突風が、シュテンの頬を掠める。首にかけて伝うなま暖かい液体の正体など、わざわざ確かめるまでもない。大きく息を吸ったイブキが、シュテンを見据えて獰猛に哂う。
「テメエに、息子に、自分のガキに。負けていたのが悔しくて、アタイは鍛えて鍛えて鍛えたさ。そりゃあもう、お前の知ってる"一号"が腰を抜かすくらいな。あいつだって強かったし、実際アタイは勝てなかったけどよ。それでも、アタイはあいつが封印されてからも、力を高め続けてようやく――」
す、と人差し指を天高く上げて、イブキは言った。
「たどり着いたよ……神の領域」
「……ははっ」
乾いた笑いが、シュテンから漏れる。
なんだこの女、尋常じゃねえ。
神へと至った者だけが侵入を許される。イブキがこの場にシュテンを招くことができた理由は、至極簡単なことだった。だが、ただそんな自慢をするためにシュテンをこの場に呼んだ訳ではないだろう。シュテンは、鐘の音が不気味に響きわたるこの"世界"で、高揚を隠し切れずに声を上げて笑い出す。
「いいね、いいねオイ!! 楽しくなってきちまった! 俺が、オカンに、そんな影響を与えてたなんざ思ってもみなかったぜ! そりゃあ……頭領にもなるはずだ。神の領域なんてものに、至ってしまったんだからよ……」
大地の神の試練場。こんな場所につれてきた以上、なるほど試練を受けさせるのだろう。まさに、浪漫の固まりとしか言いようのないこの状況。シュテンの気迫が、ここで失速することが有り得ようか。
「けど、大地の神ってえのは、よく分からねえな。どんな試練が待ち受けてんのか、少しくらい聞いて来たかったぜ」
「――なにを、言ってるんだ?」
「あん?」
全く変化のない周囲に、シュテンは首を傾げた。これから始まるであろう試練の予兆が、なにも感じられない。ただそれだけの純粋な疑問を、しかしイブキは笑い飛ばす。
「"大地の神"。天ではないこの地上の神として、畏れられるに足る者。どれだけの人間も、魔族も。ひれ伏すしかない天災。それが――」
すう、とシュテンを見据えてイブキは哂った。
「――"鬼神"でなくて、なんだと言うんだ?」
「……ハハッ」
なるほど、笑わせる。
扉に彫られた金箔は、今目の前で爛々と輝くイブキの瞳のようだ。
アルファン山脈の頂上で、霊域で。
フレアリールもタリーズもわざわざ置いて来た理由はなるほどこれか。
イブキは軽く地面を蹴って、シュテンを見据えた。
「大地の神……いや、"鬼子母神"イブキ。神に至る器を見定め、今テメエを試し、鍛えてやる。なりふり構わず――かかってこい」
「っしゃあ……やってやろうじゃあねえの!!」
口上を述べたイブキに対し、シュテンが吼えた。
その意気やよしと、イブキがさらにシュテンに吼える。
「鎖鎌は使わないでおいてやる。テメエのその拳で以て、もう一度超えて見せろ!! 親の力を!! そして、試されてみろ!! 神の力に!!」
「へっ……乗らないバカが居るはず――ねぇだろうがよォ!!」
同時に、地面を蹴る。双方の拳が、音を立てて振り抜かれた。
きしもじん イブキ が あらわれた !▼