シャノアール・ヴィエ・アトモスフィアの華麗なる朝
グリモワール×リバースの女の子に関して一つ謝罪を。
ハーレムラブコメ系小説によくある「好きな人が一緒だから、わたしたちで半分こねっ」などという優しい世界もとい思考回路はこの作品の女の子たちには皆無です。独占欲の塊みたいな女の子ばかりなので、申し訳ありませんがハーレムエンドをご期待の方は諦めていただけると幸いです。
魔界地下帝国と呼ばれる地底世界。
その中でも、魔王城にほど近い場所に存在する魔界七丁目はいわゆる幹部クラスの者が住まう一等地だ。魔界の重役たちがそれぞれ大きな屋敷を持つ中、七丁目の中でも最も高い場所に立つ一風変わった家があった。
ほかの屋敷と比べても倍はあろうかという敷地。庭園には多くの観葉植物が存在し、さらさらと流れる小川の音が耳に心地良い。邸宅は完全な平屋で階層は一階分のみという異色を放つその屋敷の門には、"あともすふぃあ"という表札が下がっている。
アトモスフィア。
魔界にあって一、二を争うほど有名な家であり、この家無くしては魔界が成り立たないほどにその一族は強力無比の者たちであった。
そして何よりも、当主は本来魔界の敵となるはずの"人間"であり、彼の台頭のおかげか今や魔界地下帝国軍の二割は人間が占めるというほどの状況になっていた。
そのほとんどは表の世界――狡猾な人間たちの世界に嫌気が差した正直者たちであり、彼らは軒並みこの家の当主を慕っていると言っても過言ではない。
そんな一大勢力になりつつあるアトモスフィア一家だが、今日も家内は穏やかだ。
「……くぁ」
小さく漏れた欠伸。
まだまだ午前中と呼べる時間帯。魔界の鳥たちが庭で水浴びをしているのを横目に、その人間はゆっくりと布団から上体を起こした。そして、ぐっと大きく伸びをすると、もそもそと起きあがる。
「うん、実に清々しい朝だ。このボクにとってはね」
一人頷き、お気に入りの着流しに着替える。
浅黄色をしたこの着流しには特に魔導的な恩恵は無い。しかしながら、どうしてか気合いが入るのだ。流石に戦闘時に使えるほどではないが、普段着にするならばこれほど着心地の良いものはない。
旧くからの友人が着ていたのを思いだし十数年前にとある街で購入したものだが、持ちがよく動きやすく、なるほど彼が気に入る訳だと一人頷いたものだ。
背中を反らせて、残っていた眠気を吹き飛ばす。庭に出て、鳥たちのそばで軽く顔を洗ってから縁側でシガレットを一本。
「ふぅ……これはやめられないね。いつになっても、良いものだ」
紫煙を吐き出し、手元に残った短いシガレットを軽く魔法で消滅させると。
「……おや、良い香りがしてきた。もうそんな時間か」
縁側に漂ってきた、ダシの香り。そろそろ朝食ができあがる頃だろうと、男は縁側をあとにする。魔界の黒い太陽が燦々と照らす、気持ちの良い朝。
男――シャノアール・ヴィエ・アトモスフィアの朝は優雅なものだ。
導師という、魔界の戦闘職の中では最高幹部も最高幹部という立ち位置に君臨する彼は魔界の中では忙しい方に数えられる。とはいえ、魔族の寿命は人間と比べて随分と長い。よって、人間であれば一日のうちに終わらせなければならない仕事も、五日かけようがあまり問題にはならないのだ。その余裕が、人間であるシャノアールにもあった。
その理由は"語らない聖典"という情報結晶によるものだが、ここではそこまで深く語る必要はないだろう。
「やあ、おはよう!!」
シャノアールは、ダイニングに入ってくるなり眩しい白い歯とともに声を挙げた。
テーブルにはまだ誰もついて居らず、少々そのことに疑問を抱いているとキッチンの方から可愛らしいソプラノの声が返ってくる。
「シャノ兄うっさい」
「むっ、毎朝の挨拶は大事なんだよ、このボクにとってはね!」
「はいはい、おはようおはよう。珈琲でいい?」
「素晴らしいことだね、朝から珈琲とともにまおうぐんつーしんを読む! これぞ、グッドモーニングと――」
「浅煎りにしてやろうかな」
「――待とう、静かにすると約束するからきっちりとハードブレンドをくれたまえ」
全く、と嘆息混じりの呟き。しばらくサイフォンのコポポ……という穏やかに水が沸き立つ音がしていたかと思えば、一人の少女がキッチンから出てきた。かぐわしい香りのするカップを片手に。
「はい。邪魔だからテーブルの上片づけておいて。アホ妹が散らかしっぱなしみたいだから」
「いや、今からまおうぐんつーしんを読むという崇高な使命がこのボクには――待ちたまえ、珈琲を下げようとしないでくれ、片づけます、はい、やります、このボクが」
「もう……朝ご飯までにやっておいて。お味噌汁焦げちゃう」
「カトラスを具現させながら言わないでくれないか」
それじゃ頼むね、と踵を返す少女。ふわりと舞う桃色の髪と、背中の黒い三対の翼。
あの野暮ったい灰色の上下だけはどうにか出来ないものかと思いつつも、おそらくはシャノアールの旧き親友が家に招かれない限りはどうしようもないだろうと諦めがついている。
「――だってだって、きみと~」
まもなくキッチンから響いて来る美声。いつも通り好みの味に仕上がった珈琲を口にしながら、テーブルの上にある書類やら実験器具をすべて浮かばせて戸棚なりなんなりへと片づけていく。
ささっとすませてまおうぐんつーしんを開き、足を組んでモーニングブレイク。
魔界の住人の大半がうらやましがるであろう歌声をバックミュージックに、シャノアールは優雅に朝食ができあがるのを待っていた。
「――ずっと一緒に居たいから、腕と腕絡ませて、ぐっと近づいて、瞳を閉じて~なんてねっ、あたし待ってるよ、自分からなんて怖く――あ、シャノ兄」
「なんだい?」
唐突に終わった歌。BGMがいきなり途切れれば、シャノアールとてすぐに気づく。ましてやその後に呼びかけられもすれば、新聞を読みながらでも反応はしようと言うもの。ひょっこりとキッチンから顔を出した魔界のアイドル――ユリーカ・F・アトモスフィアは思い出したように問いかけた。
「アホ妹は?」
「さて……まだ寝ているかもしれないね」
「……起こしてきて」
「寝ぼけ半分のヴェローチェに近づきたいとは、思わないよ。このボクもね」
「あたしもやだ。なんであいつ寝る時周囲に消滅結界とか張るの? ちょっとスタイル良いからって自意識過剰なんじゃないの?」
唇を尖らせて文句を言うユリーカの言葉には若干のとげがあるが、それは仕方がないといえば仕方がないことではあった。アトモスフィア家の末娘であるヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィアは何故か癖で眠る前に結界を張るのだ。しばらく前――具体的には襲来した魔導司書の頂点を撃退した頃からの癖なので、もしかしたら二度目の攻撃に備えているのかもと思いもするが、それにしたって過剰である。
「ま、抜けきらない癖なのはしょうがないけど」
「あんな癖出来たのは最近じゃないのかい?」
「いや……ううん、何でもない」
「ふむ」
若干陰を落としたユリーカの表情。
何かがあるのかと少し首を傾げるも、どうにもつい最近のユリーカとヴェローチェの姉妹はぎくしゃくしていたところがあるように思う。何らかの理由があったには違いないが、本人たちが言わないのであれば、シャノアールの教育方針的には何も言うつもりはない。それに、ユリーカは曲がりなりにもそれなりに長生きしているのだ。
もう立派な大人として、そろそろ扱ってあげようと思っていた。
と、そこへ。
「……誰が自意識過剰ですかー」
「あ、おはようヴェローチェ」
「……ぁい」
寝ぼけ眼をこすりながら、件の末妹が現れた。
黒のネグリジェに、よくわからないもふもふとした抱き枕をダイニングに持ち込んで、ぽてっとシャノアールの対面の椅子に座った。
「すー……」
「うん、眠いのはわかるがここに来てまで寝ようとしない。顔は洗ったのかい?」
「……」
そのまま顔をテーブルに乗っけてしまったヴェローチェは、シャノアールの言葉にもふるふると力無く首を振るばかりだ。丁寧に作っている髪も今はただのロングになっているし、それなりに長いせいで金色のペンキをぶちまけたようになってしまっている。
「よくここまで長い髪をあんな凝った感じにまで作れるね」
「……慣れればそーでもないですー」
「慣れ凄まじいね」
「はい、髪邪魔邪魔。ご飯出来たから置かせてよ」
「ん……」
もっさぁ、という言葉が似合うだろうか。徐に顔をあげたヴェローチェに従って、髪がテーブルから引っ込む。代わりに背もたれやら抱えている枕にかかってしまっているが、食事に髪が入らなければまあ妥協範囲だろう。
ユリーカが慣れた手つきで味噌汁と米、シャンタークの卵とバッファルのベーコンを炒めたスクランブル、そしてサラダをぽんぽんとテーブルの上に置いていく。
「その無駄に長い髪切れば?」
「理由がないのでー。というかユリーカこそ少しは伸ばした方がいいんじゃないんすかー。少しは女の子らしく」
「ご飯作ってるあたしより、そんなだらけてる自分の方が女の子らしいと思ってることに驚きなんだけどっ!?」
「歳も歳なんですしー、せめて見た目くらいは」
「魔界のアイドルに向かって見た目の悪口言えるあたりのクソ度胸だけは買ってやるわ……!!」
拳を握りしめながら、ユリーカはヴェローチェの隣に腰を下ろした。
口喧嘩しながらフォークの手渡しをしているあたり、この姉妹の仲は心配した方がいいのか見守っていいのかシャノアールはたまにわからなくなる。
しかしながら、どうしてだろうか。
昔よりも随分お互い素でふれあっている気がするのは。種族の違いもあって、どこか"形としての姉妹"でしかなかった二人が、遠慮がなくなって姉妹として一歩踏み込めたような気がする。
そのことに少し親として嬉しくなって、つい口角をあげてしまう自分がいた。
いただきます、と声を合わせての朝食。相変わらずユリーカはとても料理が上手だ。昔から、"パパのお嫁さんになる"と言ってはばからなかったからか、本当に家事に関してはメイド顔負けの力を発揮する。箒だろうが包丁だろうがあっさりと車輪転装で具現化させるあたり、彼女にとってはこれも戦闘なのだろうか。
「シャノ兄、どうかした?」
「いや、相変わらず家事はユリーカに全部任せてしまっていると思ってね」
「あ、うん。そう、だね……」
「ユリーカ?」
照れくさげ、というよりは少し俯いたようにして、まるで自嘲するような笑みを浮かべるユリーカ。そんな彼女に眉をひそめたシャノアールだが、隣に居るヴェローチェがあっさりとその原因をシャノアールに言った。
まるで、呆れたといわんばかりに。
「おおかた、大好きな人の為にがんばってたのにイヤな別れ方しちゃったなーとでも思ってるんすよこの乙女脳」
「おっ……・ぇ、ヴェローチェだって変な呼び方した後まともに顔も見られてない癖に!」
「馬鹿じゃないっすかー? てゆかわたくしはもうその辺克服したんでー」
「部屋にこもって何度も呼び方の練習してたもんねー!? なんだっけ? 『に、にいさ……ちょっと恥ずかしいですねー』だっけぇええ!?」
「ああああああああ!! なんで盗み聞きとかしてやがるんですかこの馬鹿姉!!」
「克服したなんて胸を張っていえるの!? ねえねえ!? 今どんな気持ち!?」
真っ赤になって立ち上がるヴェローチェも、悪意丸だしで人の声真似までしでかすユリーカも、当人たちを知る者が見たら目を丸くして口をあんぐりと開けるしかない光景だろう。
悠長に珈琲をすすっていられるのは、シャノアールだけは流石に慣れたからだ。
しばらく前から、衝突の原因があるとすればシャノアールの親友のことなのである。
よくよく考えれば、彼女たちがお互いに一歩踏み込めるようになったのも彼のおかげなのかもしれないと思うと、シャノアールはつい含み笑いをしてしまうのだ。
恩返しのつもりで挑んだあの戦いで、また彼には借りを作ってしまったのかもしれないと。しかし、それは悲観すべきことではない。また、何らかの事態があった時にシャノアールが友として駆けつける理由が大きくなっただけなのだから。
あの友人は、いつも面倒なことに巻き込まれる。そんな予感は、いつもしている。
「克服ならしましたが、それが何かー? チキンハートで見送りも出来ないどこぞの淫乱堕天使とは訳が違うってことですー」
「誰がいっ……えっと、もう! なんだってのよ!」
「恥ずかしくてそんなはしたない言葉言えないー、みたいな乙女ロールは結構ですんでー」
「嘲笑してるつもりみたいだけど、あんたも顔真っ赤だから!!」
「ま、まだちょっと眠いだけですー」
「嘘つけ!! 普段半分しか開かない目それだけひんむいといて!!」
「いつも元気におめめぱっちりアイドルたんは言うことが違いますねー」
「悪意しかない言い方やめてくれる!? あたしは別に、アイドルになったのは――」
「はいはい、パパに見つけてほしかったからですねー、美談おいしいですー」
「ば、か、に、し、てえええええ!! 一緒に旅もしたし、プレゼントもあげたし、き、キスだってしたんだから、馬鹿妹とは違うの!! 諦めてくれないかなぁ!?」
「それで袖にされてすねちゃって、なんすか悲劇のヒロイン気取りですかー?」
「そ、袖になんかされてないし! あたしにはあたしですることがあるからってだけだから!!」
「ああそうそう」
盛大な口げんかのまっただ中。ふと思い出したようにヴェローチェがシャノアールの方をみた。静観を決め込みまおうぐんつーしんを読んでいたシャノアールは、ゆっくりと顔をあげる。
「今日はもう終わりかい? はやいね」
「いや、なんか恒例行事みたいに言われるのは凄く釈然としないんですがー……ちょっと今日からわたくし出かけますんでー」
「うん? どこに?」
「昨日、夜中まで実験してたんですけどー、シュテンの居場所わかったんでー」
「ふむ、地上にいくのか」
「え、ちょ、ヴェローチェっ!?」
「残念でしたねユリーカ。まあさっき自分で言ってましたもんねー、一緒に旅もしたってー。じゃあわたくしがしても、文句はないっすよねー?」
「うううー……!! な、なによそれぇ……!!」
怒りのままに頬を膨らませるユリーカを横目に、ヴェローチェは言う。
「なんでも、グラスパーアイの騒動に絡んでたみたいっすねー」
「アイツは、本当にやっかいごとに巻き込まれる男だなあ」
「むしろ、やっかいごとそのものな気もしないでもないっすけどねー。それが、逆に楽しいんですけどー」
若干遠くを見る目。頬が緩んでいるのを目にして、ユリーカの機嫌がさらに下降した。
「ふんだ。また魔界に来たらもう離さないもん」
「どーせぎくしゃくして終わりでしょうけどねー」
「っ……」
さらに舌鋒をぶつけあう彼女らを横目に、シャノアールはまおうぐんつーしんをめくる。グラスパーアイの騒動なら、今日のまおうぐんつーしんに記載されていたはずだと。
と、その記事を見てシャノアールは目を細めた。
面白いことになりそうだという思いと、そして面倒にもなりそうだという思いと。二つが絡みあった複雑な感情を抱きつつ、シャノアールは二人に向けて言った。
「ヴェローチェが行くのはかまわないが……どうやら二人とも、身内で争っている場合ではなさそうだね」
「えっ?」
「なにがですかー?」
記事の、ほんの一文にすぎない箇所。
グラスパーアイを打倒したのは、帝国書院書陵部魔導司書元第二席と、一般通過鬼マンだという、その記事の。
『事件の中心人物である吸血皇女は、妖鬼シュテンと共に姿を消した』
その一文をつきつけられたと思ったその瞬間。
「うわっと!?」
「あ、すみませんついー」
まおうぐんつーしんが灰に帰した。
「……ヴェローチェ」
「そう殺気立つことないですよー。わたくしが見てくるんでー」
「二人とも殺気は凄いんだけどね。気づいてないの?」
「……」
朝食を終えたヴェローチェは、ゆっくりと立ち上がる。そして、言った。
「これ以上邪魔はさせられないですねー。いい加減シュテンには、誰と一緒に行動すべきなのか教えてあげないと……」
「あー……うん、会ったらたまには魔界に顔出すようにだけ言っておいてくれたまえ。このボクが、また酒でもひっかけようと言っていた、と」
「あいあいー」
じゃあ、準備してきますー。と言うがはやいかヴェローチェの姿が透き通って消えていく。普段古代呪法など日常で使うことのない彼女のことだ。
どうか面倒にならないようにと願いつつ、シャノアールは珈琲を飲み干すばかりであった。
「……ユリーカはどうするんだい?」
「吸血皇女と言えば……昨日、知り合いの吸血皇女に聞いたんだけど」
「うん?」
天井を睨みながら、ユリーカは呟く。
「日光を克服出来る物質が、あるとか」
「へえ……」
「あたしもやること決まったから、あとでね」
「はいはい」
ユリーカもユリーカで、瞬間移動でもしたかのような速度でダイニングから消え去った。
残されたシャノアールは、やれやれとばかりに首を振って。
「……まあ、可愛い家族にここまでさせたんだ。シュテンくん、責任くらいは、とってくれると助かるな。主に――」
新聞記事に記載された、"妖鬼"という単語を睨みながら、しかしその口元は楽しそうに。
「――このボクの生きる楽しみの為にもね」
少しだけ寂しそうに、シャノアールはそう言った。




