それゆけ帝国学院高等部っ! 三限目!
帝国学院高等部は、都心から離れた郊外の町にある大きな学院だ。
中等部、初等部ともに同じ駅の付近に存在し、その駅で降りる人間の大半が帝国学院の関係者だというからその規模の度合いがしれるというもの。
帝国学院前、という駅名も、その状況を想像させるには十分すぎるものであった。
駅前のメインストリートには商店が立ち並び、その先に大きく門を構えるのが帝国学院高等部だ。圧巻、とまで言うつもりはないが、それでも遠征やら練習試合にきた他校の生徒が威圧されるには十分すぎるほどの規模を誇っていた。
そんな、他校の人間が半歩引いてしまうような大きな鉄の門の前に立つ男が二人。
「あー……まあ分かっちゃいたことだが遅刻だな」
「まぁ……しょうがないっちゃあしょうがないってぇ感じでしょうや。シュテンくん、ここは覚悟を決めて一緒にヤタノ嬢に怒られるとしましょう」
「やっだよ。とりあえず、さくっと乗り越えましょうか」
時間は昼過ぎ。
黒髪の青年と銀髪の青年が二人で軽く鉄の門を飛び越える。明らかに本人たちの倍はあろうかという高さなのだが、彼らにとっては関係のないことらしい。軽く助走をつけて、本当にあっさりと飛び越えた。
二人の手に、学生が持つべき鞄はない。
なぜならば、この二人既に一度登校はしてきているからだ。
午前中の授業を終わらせるなりお気に入りの喫茶店でランチと洒落込み、ふざけ談笑かましている間に時間を忘れ、気づけば午後の授業が始まっていた。
「放課後説教とかされると、ちょぉ厳しいんですが」
「ミネリナちゃん家に残してきてるからか?」
「ヴォルフがお守りしてくれちゃ居るんですが、まだ四歳ですし……『はやくかえってこないとみねりなおこるからね!』なんて涙目で裾掴まれて出てきてるんで……」
「可愛い子じゃねえの。どういう関係かはしらんが」
「妹みたいなもんでさぁ」
校舎裏をすり抜けて、校庭で行われている体育を横目に眺めながら、生徒玄関へ向かう二人。
紹介が遅れたが、黒髪の青年をシュテン、銀髪のほうをアイゼンハルトといった。
シュテンと言えばこの学院で知らぬ者のいない問題児筆頭、アイゼンハルトといえば学園三大王子様のまともなほう。比べる相手がグリンドル・グリフスケイルだからいたしかたないといえばそうなのだが、それにしても扱いが哀れである。もちろんグリンドルが。
まあもっとも、シュテンの知るアイゼンハルトという男は何故か同居している四歳の女の子の話しかしないので気持ち悪さはグリンドルと同等かそれ以上なのだが、悲しいかなそれをほかの生徒は知る由もない。
そんなアイゼンハルトとシュテンの共通点は、単純に珈琲好きということであった。
昼休みを抜け出して純喫茶アトモスフィアに行くほどであるからその度合いも知れようというもので、今回に関しても珈琲のせいですっかり遅刻してしまったというのだから目も当てられない。
げた箱で靴をはきかえてつつ、ふとアイゼンハルトは呟いた。
「しかしあのマスターが結婚ってなぁ……おめでたいことというかなんというか。同級生のこととなると、ちょぉ不思議な気分になりますなあ」
「笑えねえよ……」
「シュテンくん?」
こつんこつんとつま先で地面をつついて靴の入りを確かめながら声のほうを見れば、やにわにブルーなテンションでげた箱から上履きを落とすシュテンの姿。
なにがなんだかわからないアイゼンハルトであったが、答えはシュテンの口から聞かせられることとなった。
「マスターの再婚相手、うちのオカンなんだよ」
「えっ? それは、あっ……」
「察したみたいな顔すんなよ……」
片手を口元にもってきて、目を丸くするアイゼンハルトのそのポーズがやけに腹立つ。とはいえ、別にアイゼンハルトに非があるわけでもなく。
「ってえことは、アトモスフィア嬢は……」
「義妹になるっぽい」
「エロゲじゃああらんせんか!! エロゲじゃああらんせんか!!」
「でかい声でエロゲエロゲ言うんじゃねえよ!!」
心底羨ましそうにシュテンを指さし叫ぶこの男、なんといってもムッツリだ。裏では名の知れたエロゲマイスター(妹専)、多くの聖典を持つ男、性欲の権化、だからグリモワール・ランサー。ごめんさすがに嘘。ひどすぎる。
しかしエロゲマイスターなのは事実である。
「フレアリールちゃんという妹がありながら、今度は同い年の学園のアイドルを義妹とか!! 手が早いとかいうレベルじゃああらんせんぜシュテンくん!!」
「俺全く関係ねえ!? ついでに言えばあれだ、フレアリールも義妹だオラァ!!」
「ちぃっくしょうどっちも合法じゃああらんせんか!! リアル妹パラダイス!!」
「エロゲタイトルくせえ悪口やめてくんねえかなあ!? それ言ったらお前もミネリナちゃんいるじゃねえか!!」
「四歳に手を出したら流石に犯罪でしょうがァ!!」
「お前どーせあれだろ! 設定年齢四歳見た目十六歳とかだったら余裕でいけちゃう口だろ!?」
「あったりまえじゃああらんせんか!! 無垢な魂に美しき容姿!! 手を出さない理由があらんせん!!」
「問題発言に胸を張るなバカタレが! 立派な犯罪野郎じゃねえか安心してミネリナちゃん置いておけねえわ!!」
「最近アレイアに色々吹き込まれたのか色仕掛けが多くて」
「順応してる!? みねりなちゃん四歳色仕掛け!? お前んちはあれかハムスターハウスか!!」
「誰がモルモットじゃ言ってはいけないことを言ったな貴様ァ!!」
「本編関係ねえんだから変なとこで反応してんじゃねえよ!!」
息も絶え絶えになりながら、二人は一時会話の応酬を中断する。
冷静に考えれば今は授業時間だ。勉強中の生徒何人にこの会話が聞こえてしまったかと思うとぞっとするところではあるが、無駄に予算をつぎ込んだ帝国学院の壁の分厚さのおかげか騒ぎにはなっていないようだった。
三年生のフロアにたどり着いた二人。ふと気づいたように、アイゼンハルトはシュテンとは別の方角に歩きだした。
「ん? お前五限移動教室?」
「やー、すっかり忘れてたんでさぁ。確か家庭科実習で。なんも持ってないけど、まあたぶん大丈夫。アレイアがぼくの分も用意してくれてるはず」
「ナチュラルにクズだよな、お前な」
「あっはっは。まあ、調理実習楽しんできまさあ。……今日の晩ご飯はスッポン鍋だ」「待て待て待てェ!! なにを想像してのスッポン鍋だコラァ!!」
「十六歳だと思えば……十六歳だと思えば……」
「誰かあの犯罪者予備軍を止めろォ!!」
ぶつぶつ呟きながら、しかし家庭科室に入られてしまってはシュテンになす術はなく。
小さくため息を吐いて……願わくば、アレイアやらランドルフがアイゼンハルトを止めてくれることを願いつつ、シュテンは己のクラスを目指して廊下を進んでいった。
一つ角を曲がれば、そこは普通教室の並ぶエリアだ。廊下一番奥のクラスがシュテンの目指すべき教室であり、その前に遅刻のいいわけを考えなくてはならない。
地球の自転が早すぎた、自転車に乗り遅れた、壊れかけのラジオを直していた等々の口実を脳裏に浮かべながら、シュテンはその角を曲がる。
不意打ちだった。
「あ」
「……あ」
角を曲がった瞬間、最奥に見える己の教室。
その前にバケツを持って立たされている一人の少女。
決して綺麗な再会ではない。問題児同士なのだからこれくらいの方がちょうどいい。
けれど、ほんの少し前まで思考を割いていた当人に、こうして突然遭遇してしまった事実は如何ともしがたいのだ。
「あー……ええっと……また立たされてんのか」
「は、はい。なんか……デジレの椅子に車輪と爆竹くっつけて、授業開始の合図とともにベランダの外へレッツアンドゴーさせたのがどうしてかわたくしだとばれたようでー」
「ちなみにデジレは」
「"翼をください"」
「察した」
おそらくはベランダから飛び出す為の板も準備したのだろうなと横目で少女――ヴェローチェを眺めながら、シュテンは思う。が、なにを思ったのかヴェローチェはシュテンの視線に気づくとさっと顔ごと逸らした。
その仕草のせいで、シュテンも今自分たちが抱えている問題を直視せざるをえないというもの。あー、と声にならない声を吐き出して、小さく頬をかいて。
「予想外だったな、この流れは」
「そですねー……いつから親交があったんだか」
主語を出さなくとも、言葉は通じる。
その程度には、お互い事情を重く感じていたようだった。
「シュテンが聞いているかはわかりませんがー」
「あん?」
ぽつり、と呟いたヴェローチェは、なにもない地面をこつんと蹴るような仕草を見せる。背中は壁によりかかっており、バケツさえ持っていなければ、バケツさえもっていなければ、随分と可憐に見える動作。視線は未だ、うつむいたまま。
「お互い凄くいい感じのようで。既にわたくしの荷物もお父様の荷物も、シュテンのうちに届いているそうですー」
「あー……いい感じに空き部屋あるもんなー……うち……」
「わたくしの家はもう完全に喫茶店として改装するようでー……二階にテーブル席が増えるみたいですー」
「それはそれで趣があるけれども」
「で、なんですけどー」
「あん?」
ちらりとシュテンを見たヴェローチェの視線は、特に鋭くもなく、ぼんやりとしていた。いつも通りの、眠たげな雰囲気。しかしながら、やけに普段より耳が赤いような気が、しないでもない。
「シュテンの家、まだわたくし行ったこと二度程度しかありませんしー……その……」
「あ、そーな。了解。適当に待ってるわ」
「……よろです」
「おう」
こくりとうなづくヴェローチェに、どこか調子が狂いっぱなしのシュテン。
そろそろ授業に行くかと扉に手をかけたその時だった。
「えっと、シュテン」
「あん?」
「ちょ、ちょっと放課後寄るとこがあるのでー……遅れるかもですー」
「んじゃ誰かで遊んで待ってるとすっか。……あれ、ヴェローチェ部活とかやってたっけ」
「ないですけどー。いっつも遊んでるじゃないですかー」
「それもそうか」
じゃあ何故だろうか。
そんなことを思いながら、シュテンは勢いよく扉を開く。
遅れましたーの第一声に対して授業をしていた剣道部顧問の教師カテジナ・アーデルハイドから大量のチョークの応酬があったのはまた別の話。
さて、放課後である。
シュテンは特にすることもなく、ぶらぶらと校舎内をほっつき歩いていた。
廊下で交わした言葉を考えれば、ヴェローチェが新しい家まで送ってほしいと思っていることは明白なので、それまでの時間潰しがほしかったのだ。
とはいえ、結構な規模を持つ学校だ。そうそうお眼鏡にかなうようなおもちゃが転がっているはずもなく、ただただ知り合いを求めてきょろきょろと周囲を捜索するしかない。
誰もいねえなあ、とぼやきつつ廊下を進むシュテンの目が輝いたのは、その数瞬後のことだった。
最高のおもちゃを見つけたと言わんばかりの、口元をオメガのようにしたシュテンが飛び込んでいった教室。そこに居たのは、数人の男子生徒だった。
対立するように、五、六人対一人。複数の方にはリーダーが居て、真剣な表情で一人の青年を見やっている。
一触即発。
そんな言葉が似合うほどにまでピリついた教室なのだ、ほかの女子生徒や無関係の男子生徒たちは遠巻きにそれを見るしかなかった。
だが、扉から様子を窺うバカにそれは全くと言っていいほど関係ない。
なぜなら、相対している二人が二人とも、シュテンの大好物なのだから。
「おい。テメエに舞台装置を崩されたって、仲間から報告があったんだが?」
「知ったことかよクソが。通行の邪魔になるようなとこにんなもん置いとく方が悪い」
複数人のリーダーは、恰幅の良い厳つい顔をした青年。
そして、対立する一人の方は、言わずと知れた学院の一匹狼。
非常に険悪なムードだ。お互いがお互い、学院の問題児として通っている男たちなのだから。
だから、だろうか。
遠巻きに、廊下側の壁に張り付いて怯えていた女子生徒が扉の方を何の気なしにちらりと見て、「ひっ」と悲鳴を挙げてしまったのは。
一番、やべえのが居る。と。
もし目の前で対立する二人を核弾頭としてたとえるならば、今扉のそばから覗いているのは核弾頭と核弾頭をぶつけて遊ぶ悪魔だ。
まずい、と思った少女は勇気を出して扉の方に声をかけた。幸いなのは、目の前の核弾頭共と違ってこの悪魔には言葉が通じるということだけ。
「あ、あの、シュテンくん」
「なんだいっ!?」
目を輝かせてこちらを見たその表情を目にした瞬間、女子生徒は無理を悟った。
「……お手柔らかに」
「任せろ!」
言うが早いか、シュテンは扉の陰から飛び出した。
「モノ、クル、ハゲハゲみんな見てるよ! つる、つる、てかてか君の頭を!」
「うわあああああああああああああ!!」
たまらず女子生徒が悲鳴を挙げた。
あろうことか、一匹狼の青年――デジレの頭をぽかぽか叩きつつ、妙な歌を歌いだしたのだ。
「またテメエかコルァアアアアアアア!!」
「げ、シュテン!?」
「よう。ハンバーガーセット、ポテトLサイズな」
「だからバーガー屋じゃねえんだよ!!」
「ドリンクはコーラ」
「だから聞いてねえんだよ!!」
ぶちキレるデジレに、吼える恰幅の良い青年――レックルス・サリエルゲート。
そんなことはおかまいなしと言った雰囲気で、シュテンはデジレの猛攻を回避していく。
「今日という今日は許さねえ!! 絶対にだ!! ぶっ殺す!!」
「気安く殺すという言葉を使うんじゃねえ!! ぶっ殺すぞ!!」
「お前さてはブーメランって言葉知らねえな!?」
「はぁ!? 王宮議会ブーメラン投げ大会優勝者の俺がブーメラン知らない訳ねえだろうが!」
「どこで何やらかしてんだテメエ!!」
「見物だったぜェ!? 王様の驚いた顔はよぉ!!」
「非公式かよ捕まれ!! そして死ね!!」
「今じゃ王様にはかなわねえけどな……こりゃ第二回は解説者になってメンツを守るしかねえ」
「ドハマりしてんのかよ王様!!」
「最近の王宮内は嬉々としてブーメラン飛ばす兵士で溢れ返ってるぜ!」
「カオス!!」
「ついでによく首も飛ぶ」
「刃つきなんてもんでやってんじゃねえよ!!」
「ブーメランは刃つきのもんしか知らねえよ、王宮関係者」
「お前王宮議会で刃つきブーメラン飛ばしてたの!? 本格的に捕まって死ねよクソが!!」
拳撃のラッシュとともに繰り出される舌鋒の果たし合い。
唖然としていたバーガー屋に、ちらりとシュテンの目が向いて。
「おいブーメラン屋」
「職種変わってんじゃねえか!!」
「ブーメラン屋ならもうちっと痩せろよブーメランみたいによ」
「どっからそんな情報が出たんですかねぇ!?」
「だからバーガー屋なんだよ」
「悪口みてえに言うんじゃねえよバーガー屋バカにすんな殺すぞ!!」
「わりとバーガー屋に愛着持ってるよこいつ」
「悪口ってえのはなあ、テメエみてえなセンスのねえロン毛に言うんだよもっさりしやがって!!」
「なんだとこのっ……ええっと……デブ!!」
「お前意外と悪口のボキャブラリ貧困!?」
「デブ!! ブタ!! レックルス!! ミートテック!! あついしぼう!!」
「ちょっと待て悪口じゃねえの混ざってる!!」
「あったかそうだもんな」
「ミートテックは悪口だよバカが!!」
「じゃあどれだよ!!」
「レックルスに決まってんだろうがこのボケェ!!」
えっ、と驚いた表情のシュテンは、デジレの殴る蹴るを回避しながらその本人に問いかける。
「おいデジレ、お前レックルスって言われたら嫌だろ?」
「死にたくなるなクソが」
「ほら」
「ほらじゃねえよシュテンテメエアホこの野郎!!」
涙ながらに地団駄を踏むバーガー屋に、げらげら笑うシュテン。だが、流石にあまりにも油断をし過ぎた。
「ぎゃらぱっ!?」
「オオオオラアアアアア!!」
不意打ち気味に放たれたデジレのフックがシュテンの左頬を捉え、その勢いのままに吹き飛ばす。教室を横断して元着た扉の方へともんどり打って転がり、廊下へと飛び出してしまった。その隙にバーガー屋が扉に鍵をかけて、一息。
「……デジレ、悪かった。お前も苦労してんだな」
「お互いさまだ……今回だけは見逃してやるよ、クソが」
閉ざされた扉に、逃げ遅れた女子生徒たちは、何もしていないにも関わらず疲労で崩れ落ちるしかなかった。
「おーいてて」
時間を潰せた代償に頬がつぶれるという、自業自得のシュテン。
そんな彼は、一度げた箱に寄ってヴェローチェがまだ校舎内にいるらしいことを確認してからふと何かを思い立って三年生のフロアに戻ってきた。
午後、アイゼンハルトが向かった家庭科室。結局彼がスッポン鍋を作ろうとしていたかどうかは別にして、家庭科教師がまだ残っていれば彼の不穏な挙動にも気づいただろうと思いついたのだ。
「奴が正気に戻ったことを信じたいが……」
アイゼンハルトが何故か「おれは しょうき に もどった !」と言う台詞を吐いた絵面を幻視しつつ。実際正気に戻っただろうかということを、聞きにきたのだ。
家庭科室の前にまでふらりと訪れたシュテン。その背後から、ふと声がした。
「何の用だ?」
「うあっほぉぁい!?」
「……三年のシュテンか。きみが家庭科に興味があるとは露ほども思えないのだが、教諭に用事でもあるのか?」
「……あす、たるて?」
「まごうことなき僕だ。なんだ、そんな鳩がガトリングガンを食らったような顔をして」
「それもう蜂の巣ですけど」
振り返り様に見たのは、確かにアスタルテ・ヴェルダナーヴァその人だった。この学院の生徒会長にして、色んな意味で頂点に君臨する恐るべき人物。シュテンよりも遙かに低い身長ながら、その風格からか小さく感じさせない。
のだが。
「お前、なんでスカートはいてんの?」
「ん? ああそんなことか。別に、僕はどちらの制服を着ようが頓着しないからね。生徒会の活動の時は男子用のを、部活中は女子用のを着用している。部活の面々が、その方がいいと言ったからなんだが……なんだ、そんなに違和感があるか」
「ないのが逆に違和感なんだが。っつーか、部活ァ?」
もう一度、アスタルテを見れば。
可憐なブレザーの女子制服の上から、シルクのエプロンを身に付けて。頭部には三角巾。まるで調理実習にでも臨むかのような出で立ちだ。ついでに言えば、思ったよりでこが広い。
「じろじろと見られるのは、あまり愉快ではないな。部活は部活だ。僕は生徒会長であると同時に、お菓子研究部の部長も務めている」
「なんだそれ初耳」
「特にきみの耳に入れる必要もないだろう。……用があるなら着いてくるといいさ。僕もそろそろ戻らないと、部員も待ちくたびれているだろう」
腰に手を当てて、何の感慨も浮かべずにシュテンの横を通り過ぎる。
扉をがらりとあけて堂々と入っていく姿には相変わらずまるで違和感がなく。
「……本格的にうちの生徒会長は男女どっちなんだ」
ぼやきつつも、仕方がないのでシュテンはアスタルテに続いて家庭科室に入った。
見慣れた部長の背後からやけに体格の良い男が入ってきたせいでぎょっとする部員たちだが、広い調理室の中で、加えてアスタルテがいることでそれ以上の反応はない。
何が起きても、絶対の安心感があるのだろう。
「で、シュテン。きみは何をしにきた」
「や、せんせーを探しに……」
「ふむ……職員室にはいなかったから、いるとすれば準備室だが……」
顎に手を当て、ぐるりと周囲を眺めるアスタルテ。彼に続いてシュテンも家庭科室内を見渡して……目に一人の少女が止まった。
テーブル下のオーブン前にはりついて、しゃがみこんでじっと視線を動かさない少女に。焼き上がりか何かを待っているのだろう、こちらに気づいた様子もない。
「……え、なんでヴェローチェがいんの?」
律儀に三角巾はつけているが、ツインドリルは相変わらず両サイドから飛び出している為にあまり意味がなさそうだ。エプロン姿の彼女というのが、普段のおふざけとのギャップというか絶妙に違和感。
普段男子制服を着ている奴が女子制服を身につけているよりもはっきりとしたそのズレに、シュテンは首を傾げる。と、横でアスタルテが「ああ」と一つうなづいた。
「何でも彼女は今日から新しい家族が出来るらしくてね。同じ屋根の下で一緒に過ごす相手に渡すつもりのようだ。人から人へ、心を込めたものを作る……それが我が部活の一つの信条だからね、大歓迎だよ」
「あ、ああ……」
「まあ、彼女も複雑だろうよ。一緒に遊んでいた友人が、義兄? 義姉? どちらかは聞いていないが、そういう存在になるそうだ。仲が良かったのにぎくしゃくしてしまうのは、やはり本意ではないのだろう。せめて会話のきっかけになればと、僕も思っているよ――うん? どこに行くんだ。教諭なら準備室に……」
一人、感心気味に頷いていたアスタルテ。隣にいたはずのシュテンがいつの間にか部屋の外に出ていこうとしているのを見て、当然ながら呼び止める。が、シュテンは振り返らず、手だけを振って。
「ありがとな、アスタルテ。俺が来ちまったことは、あいつには内緒で」
「…………なるほど。少しよけいなことをしたかな?」
それだけで、アスタルテも諸々を察したようだった。
「いや、助かった。助かったが……俺も色々と腹を括る必要がありそうだわ」
「そうか。いつもの悪ふざけよりは、がんばるといい」
「耳が痛いね」
そのまま、扉の外へと出ていったシュテンを、アスタルテはほほえみながら見送って。誰にもきこえないような声で、呟いた。
「耳が痛いというよりは、耳が赤い、だったけれどね」
「部長! 今日はどうしますかー!?」
「そうだね、今日はダクワーズを作っていこう。レシピをコピーしてきたから、取りにきたまえ」
はーい、とわらわら生徒たちがアスタルテの前に群がる。一枚一枚手渡しながら、アスタルテは家庭科室の隅のテーブルを見やる。そこには、部員ではない為にプリントを取りにこない一人の少女。相変わらず、オーブンを見つめている、少女。
そんな彼女を見て、ついアスタルテは声を漏らした。
「――なんだ、こちらもか」