アスタルテの三分クッキング♪
帝国領南部。
レーネの廃村から南西に下ること10ウェレトの場所に、水の町マーミラという小さな町がある。南西の国境付近ということもあり防衛の為帝国書院の支部が置かれており、この113支部は別名研究院とも呼ばれる部署だ。帝国の中でも優秀な魔導学者たちが多く所属しており、数十年前に魔素飽和現象を起こして白銀の街道を白銀の街道たらしめた原因の場所でもある。
帝国魔導の中でもこの研究院が行うのは未知への対策が主だ。
万が一にも帝都で事故を起こす訳にはいかないという理由もあり、この場所で魔導研究が行われている。名誉院長でもある書陵部魔導司書第五席デジレ・マクレインが管轄していることもあり、滅多なことでは大きな被害は出ないと言われているが、それでも万が一は万が一。
そんな訳で今日も、実験のたぐいはこの研究院を使用して行われていた。
以前、一般通過鬼マンに壁やら床やらをぶち破られたことはあったが、それもほとんどが修復済みだ。
研究院地下二階。
いつか超高密度不定形魔素結晶を解析していたその場所は、帝国全土への魔素を利用した情報拡散実験の為に本日は使われていた。
「クソが……ッ」
お気に召さない、男が一人。
「どうしました? 第五席」
「オレの城を……こんなふざけたセットにしやがって……!」
第五席と呼ばれた男は、当然のように第五席デジレ・マクレインである。
例の超高密度不定形魔素結晶についてほぼ解析を完了させ、その力を十全に引き延ばしたことで爆発的に自らの実力をも向上させた、モノクルの似合うオールバックの青髪をしたその青年。
壁に大薙刀を立てかけ、その横に腕組みして寄りかかった彼は、忌々しげに研究室の中央を睨んでいた。
相変わらず四方を真っ白な壁に覆われた、そこそこの広さを持つその部屋は。
しかし今、デジレのあずかり知らぬところで研究機材などが粗方端に寄せられていた。ばたばたと職員たちが室内をあわただしく駆けている。
では、中央になにがあるかといえば。
なんか、キッチンであった。
「趣味ならテメエのおうちでやれよ!!」
「そうしたいのは山々だが、今日は実験だ。致しかたないことだろう?」
「拡散放映実験ならこっから単純に喋るでもなんでもすればいいだろうが!! なんで次々に無駄に芳醇な香りのする食材ばっか入ってきてんだよ!!」
「そう、この小麦粉はとても丁寧に風車で挽いてあるものでね。北部のリーザス地方から取り寄せたものなんだが、やはりデジレにも分かるだろうこのすばらしさが――」
「聞いてねえんだよクソが!! なんでテメエのお菓子作りにつき合うことになってんだ!! オレの研究機材どこ行ったんだよ!!」
「外で職員がジェンガにしてるよ」
「ノオオオオオオオオオオオオオオオ!! スリルを味わいたいんなら別のもん使えクソ共が!! 精密機器積み上げる時点で頭おかしいことに気付けよ!!」
「職員たちも、あまり魔導器の類にはなじみがないから分からないのだろうよ」
「じゃあテメエがどうにかしろよ!! テメエならわかんだろうがよ!!」
「もちろん、僕は現人神だからね」
「胸張ってる暇があったら警告してこいやこのクソ神が!!」
吼えるデジレに対し、正面に立つその人物はどこ吹く風といった様子だ。デジレより体格が数周りほど華奢でありながら、存在感は実に雄大だ。男とも女ともつかないその人物こそ、デジレの上司である魔導司書第一席アスタルテ・ヴェルダナーヴァその人である。
「あとなんでテメエそんなやる気満々なんだよクソが」
「ん? 似合っているだろう?」
「聞いてねえんだよだから!!」
す、と頭に手をやり微笑むアスタルテ。指の触れる先には、白い帽子がのっかっている。黒のコートに身を包んだデジレとは相対的に、白いパティシエのような出で立ちをした彼は随分と楽しそうであった。
彼女を睨んで、デジレは嘆息する。
「もう……いい……。とっととやって帰れ。実験結果は後でオレがレポートにする」
「なにを言ってるんだきみは」
「は?」
きょとんとして、アスタルテは目を瞬かせた。むしろその挙動の意味が分からずにデジレはフリーズする。意味が分からないのはこちらの方だとばかりにアスタルテの次の言葉を待った彼は、嫌な予感を拭い切れないでいた。
そして、その予感は見事に的中してしまう。
「デジレはアシスタントだよ。魔導司書が二人居ることで放映実験だと周囲に理解させることが出来るのだからね」
「……は?」
どや、と随分としたり顔でそんなことを言われて、デジレの頬を冷や汗が伝う。
と、そこに書陵部職員であるところの、少女が現れて。
「あ、第五席。こちらがユニフォームです」
「……あ゛ぁ゛!?」
アスタルテよりも数回り大きめのサイズの、白い制服が手渡された。
アスタルテ・ヴェルダナーヴァの!!
三分クッキング~!!
(専用BGM『絢爛神域の紅孔雀~BOSS BATTLE ASTERTE~』)
「初っ端からトバし過ぎだろテメエ!?」
「僕は現人神だからね」
「現人神だからって何でも許されると思うなよ!?」
「じゃあ今日は、僕の得意なザッハトルテを作っていこう」
「聞けよ!?」
キッチンの前に胸を張って立つアスタルテと、隣で所在なさげにするデジレ。
テーブルの上には、バターやら卵やらジャムやらチョコレートやらが置いてあり、本当にケーキを作る下準備は整っている様子だ。
「職員の諸君、わざわざ設営ありがとう。じゃあ今日はこのステージを使って、僕がケーキを作る。この映像は帝国全土に放映されることになるから、皆もこのおいしいケーキを自宅で作れるようになってもらいたい」
「その辺は本気なのかよ」
「まずは――」
デジレのつっこみもスルーされ、アスタルテは手早くザッハー生地の作成にかかっていた。ジャムを裏ごして、チョコレートを溶かし、バターと砂糖を混ぜ合わせていく。
その手際はとても丁寧で、特にケーキ作りに興味のないデジレですら一瞬見惚れるほどのもの。と、ぼんやりしているデジレを一瞥したアスタルテが顔を上げて言う。
「デジレ、卵を割っておいてくれ」
「ふん、そのくらいなら余裕だ」
ぐしゃ。
「……デジレ?」
「なんだ?」
「握り潰せとは言っていない」
「一緒だろが」
「一緒なはずがないだろう!!」
――神蝕現象【九つ連なる宝燈の奏】――
「声荒げた拍子に異相からエネルギー持ち出すのやめてくんない!?」
「デジレ、きみには一度ケーキ作りのなんたるかを教えなくてはならないようだな……!!」
「や、いいです」
「遠慮することはない……まずは卵黄と卵白を分けることも知らないきみの為に、パウンドケーキから作っていこうじゃないか」
「ザッハトルテはどーすんだよ!!」
「案ずるな――」
ゆらり、と陽炎のように体を揺らしながら、一歩一歩幽鬼のようにデジレに近づくアスタルテ。なにを案じるのかと疑問に思うよりも先に、親指で後ろをさして彼は言う。
「――できあがったものがオーブンに入っている」
「それアリなの!?」
「ケーキを焼く工程というのはどうしても時間がかかるからね。その程度は妥協範囲さ」
「放映しちゃってんじゃないのこれ!?」
「誇り高き帝国臣民ならそのくらいは理解してくれるさ」
「お前って童貞が女子に持つ幻想バリに帝国臣民過大評価してるよないつも思ってたけど!!」
「帝国臣民を愚弄するな!!」
「お前を愚弄してんだよボケが!!」
もの凄い形相で怒鳴り散らすデジレと、まるで伝説の勇者ばりに武器を手にして叫ぶアスタルテ。いいから神蝕現象やめろとは、その場に居る書陵部全員が思っていることだった。
「全く……むっ?」
「なんだどうした」
目の前の男も優秀なる帝国臣民である。仕方なしに神蝕現象を解いたアスタルテは、妙な気配に気がついた。否、気配がないことに気がついた。
「オーブンの温度は170度にしておけと伝えておいたはずだが……」
身を翻し、アスタルテはキッチン台の裏へ向かう。そこにはアスタルテお手製の放熱機器が設置されており、これがあることで彼女のケーキはとてもおいしく仕上がると言っても過言ではなかった。
放熱量の設定は先にしておいたはずだが、オーブンが稼働している気配がなかったのだ。どうしたことだろうと首を傾げ、オーブンに彼が手をかけた時。
デジレは、今日二発目の嫌な予感がした。
「あー。アスタルテ」
「どうしたんだい? そんな神妙な顔をして」
「いや、別にそれを開いたら爆発するとかじゃあねえんだが……その中ってよ、出来合いのケーキが入ってるんだったよな」
「出来合いとは言い方が悪いな。完成品のおいしいザッハトルテが入っているんだよ」
「……入ってると、いいな」
「……嘘だろう?」
目を細め、アスタルテは言う。
そして、徐にオーブンを開くと。
ぴらりと、一枚のスクロールがオーブンの中から舞い落ちた。
『美味しかったですけど、もうちょっとお砂糖が多い方がわたし好みです。ん~~~~~86点☆』
スクロールを握りしめた現人神の背後からその文字をのぞき込んで、デジレは一言「うわ」と呟いた。そして、本日三回目の嫌な予感に、職員たちを撤収させる。
散れ散れ、と手を払って合図するデジレに、大慌てで外へ逃げていく彼らを見送ったと、同時に。
火山が、噴火した。
「ヤタノ・フソウ・アークライトオオオオオオオオオオオオオオ!! 今日という今日は!! 絶対に!! 許さない!! 神の怒りを!! 人々の上に立つ者の憤りを!! その裁きを身をもって知るがいい!! おのれええええええええ!!」
デジレは、他人事のように一つのことを考えていた。
「研究院建て直しに、費用どのくらいかかるだろうか」
ぽつりと呟かれたその言葉と同時、閃光がぶわりと広がってデジレを研究室ごと飲み込んでいく。仕方がなしに大薙刀でその魔力パルスの暴走を切り裂きつつ、一生懸命買い集めた研究資材が塵と化すのを、死んだ魚のような目で眺めていた。