エピローグ とある山中 『出会いと別れ、旅の醍醐味』
山道を歩く二人の影があった。
雲一つない快晴の昼下がり、ざ、ざ、と一歩一歩踏みしめて。
一人は青年。
何やら棒状の鉄と、そしてずた袋を背負っている。あまり大きなものではないというか、その背中が大きすぎて小さく見えるというか。そのような塩梅で、彼はえっちらおっちらと歩いていた。特徴的な三度笠と、群青色の着流しが目立つと言えば目立つのだが、天下の往来でもなく人通りが皆無のこの状況では特に気にするようなものでもないだろう。
もう一人は、隣を歩く青年の背丈の半分ほどあるかないかという身長の童女だった。漆黒の長髪がさらさらとそよ風に靡き、背から生えた一対の黒翼が人外の者であることを示している。可憐で動きやすそうな黒と赤のドレスに身を包み、肌は蒼白。しかしながらその頬は少々赤らんでおり、後ろで組んだ手もあいまって雰囲気は楽しげだった。
「この道を登るのも、久々だなぁ」
「シュテンさまの故郷にご案内いただけるなんて、貴方さまのフレアは幸せです」
「あー、まあ。案内というか墓参りというか……何だろうな」
「ふぇ?」
るんるん気分、と言った感じで青年――シュテンの半歩後ろを歩くのは、フレアリール・ヴァリエ。数日前まで日光のもとになど出ることが出来なかった、吸血皇女の少女であった。
"墓参り"、と口にしたシュテンは幾何か表情が硬い。それもそうだ、二年半……否、三年弱もの間留守にしていた場所に足を踏み入れるのだ。滅んだ、自らの生まれ育った場所に。
「それにしても、シュテンさま」
「あん?」
「お日様のもとは気持ちが良いですね」
「気持ちが良いとまで言っちゃうと吸血皇女としてはどうなのかは知らんが……まあ、そりゃ何よりだ。どんなことだって、我慢するよりも楽しんだ方がいい」
「はいっ!」
くるりとその場で一回転するフレアリールは、とても楽しそうだ。
高々日のもと程度ではしゃぎ過ぎとは、思えない。彼女は今までずっと暗がりに押し込められて、命の危機すら何度も経験せざるを得なかったのだ。
こうして解放感に満たされて外を出歩くなどいつ振りになるか分からない。
まして太陽の下などというのは生まれて初めての経験のはずだ。
そうであればこそ、彼女の楽しみをシュテンは口角を軽くあげて見守っていた。
そして。じゃらり、と鉄と鉄がぶつかる音を背中越しに聞いて、ぼんやりと晴空を見上げて。
「まっさか……珠片、まだ持ってたたぁな……」
そう、小さく呟いた。目の前で笑うフレアリールと同等か、それ以上に楽しげな声で。
――数日前。
グラスパーアイとの戦いが終わった後、その場にいた面々はしばらくの間脱力感やその他諸々で最下層の一室から動かずにいた。
ミネリナは魔力を全て持っていかれたせいで、以前エーデンでシュテンが起こしたような脱力状態にあったし、フレアリールはまだ目を覚まさない。
ハルナも自分が今どうなっているのかあまり良く分かっておらず、男二人に関しては調子の悪い二人を放置して行けるはずもなく。
そんな訳で、ぼんやりしていた彼らの元にクレインたちが現れたのは数刻ほど後のことだった。
彼らはまず敵の居ない状況に安堵して、ハルナがクラスチェンジを済ませたことに驚き(クレインは素で「誰きみ」と真顔で言ったが為にハルナに叩かれていた)、そして事の顛末を聴いて驚いていた。
特に、テツがあのアイゼンハルト・K・ファンギーニであったことに。
力なくも楽しげにミネリナは笑っていた。それはもう、けらけらと。
テツもテツで参ったと言った様子で、情けなく口角を上げていて。そんな彼が英雄だなんて、あまりにも皆の予想外で。
そうしてわいわいしている間に、ゆっくりとフレアリールが目を覚ました。
開口一番が酷かった。「死して尚シュテンさまにお会いできるなんて」と来たら流石のシュテンもめまいがする。とりあえず、彼女に対する処置はシュテンのお説教から始まった。
無意味に人を守ろうとしない。自分が死にそうなら猶更だ。
だが、その説教はクレインとリュディウスにはとても白い目で見られた。
そりゃあ、聖府首都での一件を思い出せばさもありなん。
「せんぱいも怪我しちゃダメですよ」というハルナの言葉に何も言えなくなったシュテンだが、そこにフレアリールがかみつくからさらにカオスだった。
なんでも、シュテンをたぶらかそうなどとはだの云々。シュテンがフレアリールに拳骨を加え、こんこんと今度こそ説教したものだ。ハルナの御蔭で今助かっているのだと。
実際、ハルナのクラスチェンジが無ければ今頃どうなっていたか分からないのだ。
そんな訳でがやがやと騒ぐ中、フレアリールの今後に話題が向くのはもしかしたら至極当然の流れだったのかもしれない。
フレアリールは外に出ることが出来ない。
どちらかといえば日の元に出られないと言った方が正しいのだが、何れにせよだいたいは同じことだ。そんな彼女を、しかしここにずっと置いておくのはもう危険過ぎる。
そんな話を、していた時だった。
「シュテンさま」
「あん?」
「こういう状態で、言うのもよくないとは思うのですが」
潤んだ瞳で、胸に手を当てて。
フレアリールはシュテンを見上げて言った。
「貴方さまのフレアは、強くなれましたか?」
「……そりゃ、かなり強くなったよ。俺も、ここまでになってるたあ思わんかった」
「そう、ですかっ……!」
何の話だろうとばかりにシュテンが首を傾げたと同時。フレアリールはそっと懐から小さな石を出したのだった。
「おま、それ」
「強くなったら、使うといい。シュテンさまの仰せになられたことを、忘れた日はありません。そして、強くなったというのは、きっとシュテンさまの御めがねに叶った時と思っておりました。……貴方さまのフレアは、嬉しいです」
「……あー」
きれー、と隣で呟いているハルナや、真剣な瞳でその石を見つめるテツにどう説明したものかと思いながら。それでも流石にそんなことを言いながら自らの胸に石を押し込む彼女を止めることは出来ず。
凄まじいエネルギーと共にフレアリールはさらに強くなった。
そして、翼を一瞬銀の光沢が包み込んだかと思えば。
「これできっと……私も、外へ……」
「え、そんな効果まであったの!?」
「え、あ、はいおそらく。この石に込められている力は、凄まじいものです。おそらく多くのものへの耐性も出来るはず。シュテンさまも着流しがあるとはいえ、そうでなくとも凄まじい魔導の数々を跳ね返すそのお力、素晴らしいです」
「……マジかよ着流しだけの力じゃなかったのか」
ぴらり、と群青色の着流しをめくるシュテンの瞳は動揺に染まっている。
確かに余りにも効果てきめん過ぎたきらいはあった。気づかなかったシュテンもシュテンだ。
「ってか、グラスパーアイはフレアリールの力の増大を確認してここに来たんだよな……たまたまフレアリールが持ってたから良いものの、あいつ無駄骨折った可能性もあんのかよ……」
「へ?」
「いや、なんでもね」
肩を竦めるとシュテンは振り返った。
そんな訳で、と一言前置きしてから。
「まあちょっと諸々話さなきゃならんことはあるが……とりあえずは。フレアリールは、俺が引き取る。今回の戦いは、お疲れ様でしたァアアアアアアアアアアアアアア!!」
拳を突き上げて叫ばれては、節々に疑問を感じていた周囲の面々も何も言えない。合わせてみんなで勝ち鬨を上げ、ネグリ山での戦いは幕を閉じたのだった。
その後、テツとミネリナ、クレインたち一行とは一度別れて。
またあとでクチベシティで合流することにしたシュテンは、元々から向かうつもりであったとある山にフレアリールを連れて向かうことにしたのだった。
「きゅうけつこうじょ の フレアリール が なかまになった ! ってな」
「ふぇ?」
ぽつりと呟かれたシュテンの言葉に反応し、フレアリールは目を開けた。
ここはとある山の山頂。不格好に突き出た岩がいくつか、岬の頂にはあった。
シュテンの居た妖鬼一族が、山頂の土の下に埋められている。
いや、うめられていることにしたかった。虐殺された彼らの骸がこの下に埋まっている可能性は低くても。それでも、墓前というのは、きっとそういうものだ。
オカンを始め、シュテンを〇〇の大将、〇〇の大将と呼んでいた彼らに、皆に。
こうして帰ってきたことを伝えたかった。
「よっと」
今となっては棒一本になってしまった鬼殺しを突き刺し、背中のずた袋に入れていた刃の破片を取り出す。
「もう壊れちまったけどよ、ガイウスの野郎のとこにあった斧だ。……仇は、取ったからな」
ふ、と小さく笑うとシュテンは破片を土に埋め、くるりと背を向けた。
シュテンがその場を離れるまで、フレアリールは静かに待っていた。シュテンの邪魔はするまじと一生懸命なのが微笑ましい。
「えっと、どうしますか」
「そうだな…………いや、やっぱ見てくよ」
「そう、ですか」
見てく。その言葉を聞いたフレアリールが小さく俯く。
事情は聴いていた。どんなことがあったのか、道中に聞いてしまった。
だから、胸につっかえる。
集落のあった場所に、向かうというのは。
「お供、いたします」
「おう、さんきゅ」
自分に出来るのはそれだけだとばかりに、ぱたぱたと翼を羽ばたかせながらフレアリールはついてきた。えっちらおっちら下山する最中にある、分かれ道。ここを下山道からそれれば、集落に辿りつく。
「……行くか」
ふう、と息を吐いたその時だった。
その集落の方向から歩いてくる人影を見つけて、シュテンの足が止まった。
墓荒らしか、新たな根城にした盗賊か、それとも、親切にも死体処理をしてくれた人か。
ゆっくりと目をこらしたシュテンが見たその人物は。
むしゃむしゃと酒饅頭を食べながら、あっさりと。手を上げて言った。
「あ、おかえり」
「なぁんでじゃああああああああああああああああああああああああ!!」
「なんでじゃねーだろ、あたいが集落に居て、お前が帰ってきた。それだけのことだろが」
「いや、は!? 帰、は!? なんで……なんで生きてんだよ――」
腰につけた鎖鎌、背に流した荒々しい髪。ぎらついた、瞳。
「――オカン!!」
「なんでって、あたいまだ寿命じゃねーしなぁ」
「いやいやいやいやいやいやいやいや!!」
まさに、混乱の極みであった。
訳が分からん、とばかりに頭を抱えて空を見上げたシュテン。
が、彼が空を見上げたと同時、視界の端にあった木ががさりと揺れた。
何事かと思うよりも先に、飛びついてくる人影。
「うわああお!?」
「………………シュテン。……心配、した」
サイドポニーの黒髪。
真正面からシュテンに抱き着いた、そのスタイル整った美貌の少女。
一体誰だ、とシュテンが言うよりも先に。
背後に控えていたフレアリールが、童女にあるまじき凄い顔をしていた。
「……は?」
「…………ん?」
その視線……というか殺気に気が付いた少女はゆっくりとシュテンから離れた。
ようやく解放されたシュテンが視界に捉えた少女は、控えめに微笑みながら、そっと瞳の涙を拭って。
「…………生きてて、良かった」
「……おま、まさか」
「……?」
感情豊かで、無口で。そして、オカンのもとに居る、少女。
極め付けは、そのシュテンと同じ二本角と、綺麗な金の瞳。
「タリーズ、か……?」
「……む」
「あり?」
ぽつりと吐いた言葉は正解であったはずなのだが。
タリーズらしきその少女は、眉根をひそめて唇を尖らせると。
タリーズ自身を指差して、不満げにこう言った。
「……おねえちゃん」
「は?」
「……おねえちゃん」
「……なにこれ」
何が起きているのだろう。
そろそろキャパシティ限界になって、シュテンはぼんやりと空を仰ぐしかなかった。