第三十話 ネグリ山廃坑XIV 『袂を分かつ』
大地が爆ぜた。
いや、正確には凄まじい速度で大地に打ちつけられたそれが発火し、魔素を縦横無尽にばらまいたのだろう。落下点には、誰もいない。誰かを狙ってのその攻撃は、どうやら命中せずに終わったようだ。
あの暴力的な、面で圧すエネルギーの塊があっさりと回避された。
しかしそれを驚くようなそぶりを、その人影は見せはしない。
「……」
空中に佇み、ただ無表情に下方を眺めるはアレイア・フォン・ガリューシアの幻影。
攻撃が不発に終わったことは理解している。故に油断も一切していない。
むしろ、ここでただただ立っているのは、神経を最大限に研ぎ澄まして敵の攻撃に反応せんが為。
が、それでも。彼女が超えられない壁を軽々と飛び越えた"武"の者は、あっさりと背後に現れる。
「冷静な分、本物よりも厄介……なんて言ったらきみは、どんな顔をするんでしょうや」
「……!」
振り向いた時には既に二鎗が渦巻く風とともに襲いかかる。回避などする暇はない。
首だけでも傾かせなければと動いた矢先、耳元で聞こえる舌打ち。
「……昔から、おまえさんは後衛のアレイアを守る役目だった。けどここまでお互い黙って連携するような仲じゃあ無かったでしょうに」
鎗でもってアレイアを貫こうとした右手が弾かれる。いつの間にか眼前には、魔剣を両手で握った清き少女の姿。カテジナ・アーデルハイドがカバーに入っていた。
『結局私の手を煩わせるのかおまえは』
『はぁ!? はぁ!? はーぁ!? 後衛を守るくらいしかできることがないからでしょこの駄犬が!!』
脳内に呼び起こされるのは、在りし日の彼女らの記憶。
いつも憎まれ口を叩き合いながら、それでも丁寧に立ち回っていたあの頃の。
思い出してしまうからこそ、辛い。そして、こんなことになってしまったことそのものが許せない。
「……!!」
「ちっ」
魔剣を振りかぶるカテジナ。
テツは二鎗のその速度で敵を翻弄し攻撃するタイプであり、カテジナのような重い一撃一撃を丁寧に合わせてくるタイプとまともに打ち合うのは愚策になる。よって二撃目をまともに受けることはせず、偉天を器用に使ってその力を流し、崩した姿勢から青虹を刺突する。
だが、その程度はカテジナとて回避も容易い。
あっさりと半身を翻して青虹をかわすと、その体の流れで横凪ぎに斬撃を繰り出す。
二鎗でその斬撃をもろに受ければ、双方ともに弾き飛ばされてしまう。
それで距離を作ってしまうのはどちらかと言えばテツにとって不利なのだが、カテジナは吹き飛ぶ方向が悪かった。
背中がアレイアにどん、とぶつかり、接触する。
その瞬間、テツは口角をあげた。
「ベストポジション。下がれ、アイゼ――テツ・クレハ」
「あいよ」
小さくも鋭く響き渡るその声は、帝国書院の頂点に君臨する者の発したもの。
煌めく指輪とともに、アスタルテ・ヴェルダナーヴァの瞳が虹色に染まる。
「四肢五体分かつ暗き刻限は、それなりに使い勝手が良くて好んだものだが。どうやらカテジナ・アーデルハイドにはすこぶる相性が悪いらしい」
「そらそうでしょうな、斬撃の嵐と言っても、所詮は剣撃の群だ。全部カテジナに弾かれる」
「おかしいのだがな。それ」
ふぅ、とアスタルテが息を吐いた時、既に魔導は発動していた。
カテジナとアレイアが居るその場所に、巨大な青白い光が降ってくる。まるで、一本の柱。その中心に居た彼女らは、何かを察して凄まじい速度でその場所から退避する。
が。カテジナの右手……ひいては魔剣の先だけは、間に合わなかった。
じゅっ、と何かが焦げたような音とともに、魔剣の剣先が消滅する。
「おかしいといやぁ」
「うん?」
「おまえさんの【純粋ナル正義】も十分おかしいでしょうや」
「僕のこれは、近接戦に弱くなるという弱点がある」
「いやそれを誇らしげに言われても」
くるくると青虹・偉天を回転させ、テツはアレイアとカテジナの二人を見据えた。
今のアスタルテの攻撃は【精錬老驥振るう頭椎大刀】で間違いないだろう。
【純粋ナル正義・九つ連なる宝燈の奏】は九つの神蝕現象を武器を媒介とせずに単発の魔導として繰り出す技だ。完全なる後衛にならざるを得ないという弱点を除き、魔力の燃費・発生速度・攻撃範囲・威力・展開数、全てにおいて上方修正が加わるというとんでもない神蝕現象だ。
そこに、前衛で人類最強の男を据えたりなどしたら。
どれほどの者が勝利できるというのだろう。少なくとも人間界で太刀打ちできるものなどほぼ皆無に違いない。
それがたとえ、過去に英雄と謳われた者達だったとしても。
「魔剣が機能しなくなった今、テツ・クレハが負ける理由はないだろう」
「あの魔導を回避できるあいつらがすげえのか、あれだけの数魔導を放って尚余裕そうなおまえさんがすげえのか」
「凄いというのならば、彼女らだろう。僕は、現人神だからね」
「あーはいはい。あーはいはい」
「その反応、鬼神の影を追う者にもされたが。どうにも釈然としないな……」
後方で首を捻るアスタルテを置いて、テツは跳躍する。
魔剣を失ったカテジナはしかし、柄のみが残ったそれを捨てて眼前へと迫ってきた。
その速度たるややはり尋常なものではない。徒手空拳であったとしても、彼女は異常なまでに強いであろう。
だが、それは相手が並の者であればの話。双槍無双の魔導司書に対して無手で挑めるような者は、この世に誰一人として存在しないのだ。
「――ありがとう」
心臓を、一突き。偉天が彼女を貫くと同時に、テツは小さく呟いた。
「…………それは、こちらの台詞ではないか?」
「いや、こうしてまた会えたこと。それが、ぼかぁとても嬉しいんだ」
「そうか。私も、嬉しい」
ふっ、と弱々しくもあの日の面影を残す笑みを浮かべたカテジナは穏やかだ。
彼女は何かに気づいたように、テツの頬をそっと触れて。
「みんなには、もう会ったのか?」
「ランドルフには。情けなくも、ぼかぁぼろぼろ泣いちまって」
「そう、か……またそういう役回りを持っていかれてしまったんだな」
「ええと」
「はは、そう混乱するな。……お別れだ」
カテジナは、テツの頬に触れていた右手を目の前に持ってくると、左手で小さく抱きすくめた。
「とても、楽しかった。幸せだった。今度は……そうだな。来世で、共に戦場を。魔王を倒し損ねたことだけが、悔しくてならないんだ」
「あぁ……あぁ……!」
強く、テツは頷いて。
カテジナは小さく笑うと、粒子となって消えていった。
「テツ・クレハ。会話をするのは……仕方ないとは思うが。魔導戦を行うにあたり、これ以上書陵部員の怪我を増やしたくはない」
「ああいや、そのあたりはぼくに対する迷惑料だと思ってくれりゃ助かりまさぁ」
「…………早くしたまえ」
「あいよ」
振り返れば、アスタルテはどうやら、テツがカテジナと会話している間アレイアの魔導全てを相殺していたようだった。凄まじい数の爆発が、空中地上を問わずいたるところで起きている。
「……!」
「アレイア、すまない」
流石は、五英雄と謳われた後衛。弾幕の濃度はそれこそ水も漏らさぬ鉄壁といえた。
だが、水を漏らさない程度で誇っていては、テツ・クレハは止まらない。
それはもうあっさりと、テツはアレイアの胴を凪いだ。
「…………はぁ。なんかもう、滅茶苦茶」
「アレイア、ありがとう」
「なんて顔してんのよ。しゃんと胸張りなさい」
「……アレイア」
「ん? なぁに?」
「すまなかった」
生気が戻ったアレイアの表情は、いつかのように年頃の少女のような爛漫なものだった。人生を思い切り楽しむ為に、と常日頃から語っていた彼女が、こんな歳で死んでしまったこと。その責任の一端は自分にある。
だから、と続けようとした時だった。
「あたし、未練が一個だけあるのよね」
「え?」
「死んじゃったし、叶えられないと思ってたんだけど……テツが協力してくれれば、なんとかなりそうなんだ」
「卑怯じゃああらんせんか。そんなこと言われたら、断る理由がない」
「ん、よろし。じゃ、もう消えちゃいそうだし、こっち向いて?」
「そりゃまた何をっ――」
最後まで言うことはできなかった。
突然息ができなくなったかと思えば、いつの間にか顔を真っ赤にしていた彼女の不意打ちで。
瞳を閉じている彼女の端正な表情が、目の前に。
「……ふふ。これで、未練もないっ!」
「アレイア、おまえさ――」
「ありがと、アイゼンハルト。ううん、テツ。すっごく楽しかった。一緒に居られて、良かった。出会えて、本当に嬉しかった」
「ちょ、ぼかぁ――」
何かを言いかけたテツに、ゆっくりとアレイアは首を振る。
「それは言っちゃだめ。あたしも、叶わない恋だってことはわかってたから。幸せに、してあげてね」
「アレイア……」
「バイバイ、テツ。大好きだった――」
「あれ、いあ……!」
さらさらと。魔素の欠片となって、彼女も散っていく。
楽しげな声が、最後に耳に触れた気がして。
「……はは、ぼかぁほんっとに。どうしようもねぇ奴で」
「感傷に浸っているところ、悪いが」
「アスタルテ?」
呆ける時間すらなく、アスタルテによってテツは現実に引き戻された。
周りを見れば、未だに戦場は続いているのだ。アスタルテは依然険しい表情を解かないまま、テツに向かって口を開く。
「まだ戦いは終わってはいない。僕は帝国書院の皆を引き連れて、この場を撤退しようと思うが……きみは、どうするんだ」
「退く……のかい?」
「思った以上に魔力を消費し過ぎた。限界を見せるのは、よくないだろう。……それに、敵の程度が知れただけで今回の遠征は十分だ。吸血鬼共も、これで少しは黙るだろう」
「アスタルテ、おまえさん」
「勘違いはするな。フレアリール・ヴァリエもとい"鬼神の影を追う者"については、殺害対象を逃れることはできない。運命の糸をねじ曲げた根幹に、奴は居る。危険だ」
「運命の、糸……?」
「きみに言っても、わからないさ」
肩をすくめて、アスタルテは身を翻した。
と、何かを思い出したように彼女は顔だけで振り向いて。
「そういえば、テツ・クレハ。いや、アイゼンハルトとして聞こうか。第二席には、誰が相応しいと思う?」
「へ? あ、ああ……いつまでも空席にするわけにゃ、行きませんで。あれ、順当にヤタノ嬢が繰り上がるんじゃ――」
「僕のケーキを無断で食べるような奴を副リーダーの位置におけるとでも?」
「食い気味に言うな、おまえさん……。というかまた食べたんかい」
「とっておきのザッハトルテを」
「聞いてない聞いてない。あー……そうしたらぼくの知る限りじゃ、ルノーかデジレか……二分一でしょうなぁ」
「ルノーは少々性格に問題がある。やはり、デジレ・マクレインか……」
「性格に問題なんざ、無い奴の方が少ないでしょうや……」
「僕くらいか」
「ぼかぁ、ぼく以外全員頭おかしいと思ってますが」
「ふむ、現人神たる僕の思考を理解するのは、難しいとは思うが」
「このやりとりも、何度目になりましょうや」
「それも、そうだな。だが、最後だ」
「ああ」
す、と双方の瞳が細められた。
一度別れた道だ。もう二度と、相入れることなど無いに違いない。
「僕の邪魔をするというのなら、また相手になろう」
「ぼかぁ、自分の好きなことをやる。ぶつかる時は、その時だ」
「ふむ……それならば、それでいい」
アスタルテは、今度こそテツに背を向ける。
はためくIの文字が、帝国書院そのものを背負っている証。
「それでは、さようならだ」
「ああ、もう二度と会わないことを、今度こそ祈らせてもらいまさあ」
「そうか。嫌われたな」
「殺されてんですわ、こちとら」
「そりゃ、そうだ」
たん、と軽く地面を蹴るだけでアスタルテは宙に浮く。
ぐんぐんと遠くなっていく背中が向かうのはきっと、帝国書院の本陣であろう。
トップ不在は吸血鬼側も同じ。あわただしくなっているところを見ると、ほぼほぼ統率も取れていないにちがいない。一通り、戦いが収束に向かっているのを見据えて、テツは。
ぐ、と一度屈伸して。
「シュテンの、加勢に。ミネリナを助けに、行きますかぃ。願わくば、もう救われて笑い話になっていることを」
だんっ、と地響き。
その瞬間には既にその場にテツはいない。
激しい戦いがあった戦場からは、だんだんと人が少なくなっていた。