第二十八話 ネグリ山廃坑XII 『身勝手なカミサマ』
「幻影……なんだよな?」
一通り叫び終えて、というよりもヴォルフガング・ドルイドと会話出来た感動で興奮し終えたシュテンは、鬼殺しを背負い直してつぶやいた。
先ほどまでヴォルフガングが居た場所に、今はもう誰もいない。
しかし陥没した地面や斬撃の痕跡が、そこに彼が居たことを証明している。
本当に"幻影"だというのであれば、そもそも物理に干渉することなど出来ないのではないか。それとも彼らは、レーザー系魔導と同じ魔素の塊だったのか。
「せんぱい、大丈夫ですか?」
「ん? お、さんきゅー」
とてて、と後ろにやってきたハルナが背中にとん、と杖を当てた。
その瞬間、体の疲労が抜けていき、回復魔法をかけてもらえたのだと気づく。
「……せんぱい、その服のせいかやたら魔法の通り悪いんですよね」
「あ、自分に得な魔法も弾くのこれ」
「弾くってほどじゃないですけど……半分くらいしか」
「ほーん……不便だな。でも半分でこの効き目ってすげえな」
「えへへ、そりゃもうハルナちゃんですから!」
若干照れくさそうにしながら、ハルナはそっと杖を離した。
恥ずかしいくらいなら言わなければいいのに、などと無粋なことを言うシュテンでもなく。
「で、どうしましょうか。魔導師と吸血鬼相手に、あのこわい人戦ってますけど」
「共倒れしてくれれば嬉しいんだけど」
「ええ!?」
「まあでも、幻影って割に会話出来ちゃったし……よく分からんから少し援護に向かうか。後衛向きっつってたし、カテジナさん抑えりゃ後はあのかみさまが何とかしてくれんだろ」
「……」
「ハルナ?」
カテジナは現在、炎の檻に閉じこめられていることだろう。
しかし、そう時間は無いはずだ。アスタルテの話では、あのモードは"後衛特化"。ならば、カテジナにでてこられてはまずいはずだ。というよりも、その抑えとしてシュテンを使おうということなのだろう。
カテジナを抑える為、加勢に回ろうとしたシュテン。だがハルナが俯いている理由が気になった。今の今まで元気だったということは、すくなからず今の会話にその訳があるのだろうし、シュテンとしてもハルナを置いていく訳にはいかない。
ハルナはゆっくりと顔を上げると、困ったように眉ねを寄せてつぶやいた。
「でもあのこわい人、帝国書院の人なんですよね」
「ん? ああ、しかも一番やべえ奴だ」
「あの人を廃坑に行かせたら、フレアリールちゃんもミネリナさんも」
「あー……しかしテツは炎の壁の向こうだし……待てよ?」
冷静に考えれば思いつきそうなことであった。
アスタルテ・ヴェルダナーヴァの任務は"吸血皇女"の始末。今は逆鱗に触れたグラスパーアイと戦いを演じているが、もしそれが終われば吸血鬼派は壊滅する。そうなると自然、ネグリ山廃坑に帝国書院が突入することに成りかねない。
アレイア、グラスパーアイ。その二人がアスタルテと戦っている間は均衡が保てているのだとしたら。それを出し抜いて先に行ってしまうというのは確かにアリだ。だが、もし吸血皇女たちを助けに向かったところで、グラスパーアイ自体を始末出来なければ彼女たちを救うことにはならない。
この、うまくハマってしまったパーツをどう無理矢理正して吸血皇女を救えばいいのか。
必要条件はグラスパーアイの始末及び、吸血鬼派という脅威をミネリナ・フレアリールから除くこと。しかし、グラスパーアイ始末の過程で余計なかみさまを動かす訳にはいかない。
「いざとなれば、ミネリナは自爆するつもりだろう。そんなことをさせちゃあならんのだ。むむむっ……」
「あっ……!!」
「なんだその不穏な声は」
思わず、と言ったようなハルナの声に、シュテンは振り向く。
「……!!」
カテジナ・アーデルハイドが炎を魔剣で引き裂き再度現れたのだ。
そのまままとめて死んでしまえと悪態を吐きつつ、さりとてそういう訳にもいかない。アスタルテとグラスパーアイ、どちらも廃坑に向かわせる訳にはいかないのだから。
同時に、アスタルテからシュテンに届く"小さくとも耳を突き抜けるような鋭い言葉"。
「なにを休んでいる。前衛は任せたと言ったはずだ」
「あー、はいはい。人使い荒いな畜生!!」
そうこう言っている間にも、アスタルテの前に迫るグラスパーアイ。
「アスタルテ……ヴェルダナーヴァアアアア!!」
「その汚い口から僕の名を出されるのは癪だが、崇めるのならよしとしよう」
「アアアアアア!!」
「……」
グラスパーアイとアスタルテの戦いは、余りにアスタルテに有利であった。
魔導の技術、速度、質、量、形態、誘導、どのような点においても、グラスパーアイがアスタルテに勝ることは出来ない。ダメ押しの接近戦など、逆に返り討ちに遭う始末だ。
「アイゼンハルトならまだしも、他の者が僕に近づくことが出来るとでも?」
「……」
見下す冷たい視線とともに、大きく回避行動を取るアスタルテ。
今まで彼が居た場所を突き抜けていく透過レーザーは、勿論グラスパーアイの放ったものではなく。
「……S級ブレイヴァー、アレイア・フォン・ガリューシア。死してなおその力は健在か」
「……」
事実、先ほどからアスタルテが優勢で立ち回りも見事ながら、勝利を手にしていない理由はアレイア・フォン・ガリューシアにあった。彼女の恐ろしさはその魔力量、魔法発生速度、強誘導など多くあげることが出来るが、一番はなんと言っても威力に他ならない。
例えばあの拡散性のある黒の奔流は"導師"シャノアール・ヴィエ・アトモスフィアの冥月乱舞と同等レベルの一撃となる。瓦礫を一瞬で熔解させるような魔導を受ければ、流石のアスタルテも無事では済まないだろう。
故に、慎重な立ち回りを要求されていた。
こちらは連撃を加えつつ、一撃も受けることなく相手を亡き者にする。
それが今アスタルテが抱えるミッションであった。
「十三の命があるとはいえ……甦る間に逃げられては叶わないからな」
ちらりと横目でグラスパーアイを視認する。
彼は保有魔力の割に、幾ら何でも魔力を出し惜しみし過ぎていた。
おそらく何かあるというのがアスタルテの見立てであり、そしてそれは十中八九なにかしらの活路なのだろうという予測も出来た。
かといって、グラスパーアイが全力であればそれはそれで厄介だ。
出来ればその魔力を抱えたまま死んで貰いたいというのが、アスタルテの本音だった。
が。
「カテジナ・アーデルハイドッ……!!」
「……!」
油断していたところに現れたカテジナに、たまらずアスタルテは後方へと跳躍する。
空を舞いながら様子を窺えば、地面からぼけ、とカテジナを眺める妖鬼の姿。
「"鬼神の影を追う者"、抑えろと僕は言ったはずだ!」
「いや、お前に呼ばれてからまだ数秒も経ってねえよ」
「っ」
そうこう言っている間にもアスタルテとの距離を縮めるカテジナは、流石聖剣に選定された剣士と言った身のこなし。いくつもの神蝕現象を空中旋回で回避しながらアスタルテへと迫る。
さしもの第一席も、王国最強の剣士を相手に接近戦では分が悪い。
「ちぃ!!」
舌打ちしながらも大薙刀を手に取りカテジナの魔剣をいなそうとして、目の前に突如現れた影。
「あいよー、助太刀しやーっす」
「遅いぞ、鬼神の影を追う者」
「ほんっと何様だよテメエ」
「言ったろう、」
「はいはい、カミサマカミサマ」
「むっ……」
カテジナの魔剣を防ぎ、上段から大斧を振り降ろす。それだけで、空中戦はシュテンが制した。流石に体重の差が激しすぎて、足の踏み場のない状態のカテジナでは不利だったのだろう。しかし、着地してからがしんどそうだとシュテンは表情を歪め――
その時だった。
「今だッ……!!」
「あああああああ!! 社畜ヘッドが逃げたあああああああ!!」
自由落下するシュテンが目にしたのは、カテジナとアレイアを置いてとんずら扱こうとする吸血鬼の姿だった。当然、そんな逃亡を許す帝国書院書陵部魔導司書第一席ではない。
「逃がすとでも、思っているのか」
一瞬のラグ。しかしそのたった一瞬で体勢を整えたアスタルテの手がかざされる。標的に向かいまっすぐ、凄まじい量の斬撃が空中を突き進む。
「……」
「っ! アレイア・フォン・ガリューシア……邪魔をするな!!」
だが、四肢五体分かつ暗き刻限を放つアスタルテに向かって黒の奔流が襲いかかる。流石にそれを真正面から受ける訳にもいかず回避するアスタルテ。
四肢五体分かつ暗き刻限はグラスパーアイの翼を少し掠めただけに終わり、どて、と一度転んだだけでグラスパーアイはネグリ山廃坑の中に逃げていった。
「……まっず。廃坑の中にあいつを行かせたらッ……!」
だん、と盛大に着地したシュテンは振り向きざまに廃坑の入り口を睨んだ。
リーダーであるグラスパーアイが向かったことで、何人かの吸血鬼と書陵部員まで流れ込んでしまった。
「せんぱい!」
「分かってる!!」
叫ぶなり、駆け出す。
しかし。
背後から追いかけてきたハルナの声に従い、自らもネグリ山廃坑に突入しようとしたシュテンの前に現れたのは、案の定と言うべきかカテジナとアレイアで。
「死者の魂を弄ぶばかりか、自らの盾にするとはなッ……!!」
「お怒りのとこ悪いけど、お前に任せて行っていい?」
「断る。五英雄を倒すのもそうだが、きみをそう簡単にフリーにさせるのも好ましくない」
「さいで」
上空から舞い降りたアスタルテへの要望はあっさり却下された。
その時だ。
仕方がないとばかりに鬼殺しを構えるシュテンの耳に、声が響き渡ったのは。
「いや……ここはぼくとアスタルテで抑えますんで……シュテンくん、あの吸血鬼を……追いかけてくれりゃあ、しませんか」
「テツ!?」
「アイゼンハルトか……、その様子だと、先代光の神子の幻影は片づけたようだな」
二鎗をだらりと両手に下げて、その男は立っていた。
アイゼンハルト・K・ファンギーニ。
ところどころ裂傷や疲労が見られるが、それでも彼の瞳には強く戦う意志がある。
よくよく見れば腫れた目元。それに気づいたアスタルテは、しかし横目で一瞥しただけで特に何も言うことはなく。
「カテジナ・アーデルハイドとアレイア・フォン・ガリューシア。その相手をする元気は、残っているのか」
「誰に聞いているんでしょうや、アスタルテ。……シュテンくん、行け」
「うぇーい。ま、アイゼンハルトが居るなら大丈夫だろう? 俺グラスパーアイ片づけてくるから、安心しろってカミサマ」
「きみの安心しろという台詞ほど信用の無いものは、この世広しといえども多くはないんだがなッ……!!」
行くぞ、ハルナ! と叫んだシュテンに続き、ハルナも駆け出す。
止めようとしたアスタルテだが、アイゼンハルトのプレッシャーが明らかに自分に向いていることに気づくともう身動きは取れない。
「シュテンくん!」
「お?」
どういうつもりだと問いただそうとアスタルテが振り向いた時、既にアイゼンハルトはシュテンの方を向いていた。その、重く強い声色で、しかし口元は綻んでいて。
「ミネリナ嬢を……頼みます。ぼかぁ、まだ死んじゃいない。死ねやしない。やりたいことがいっぱい出来たんでさぁ」
「……ランドルフに、会えたのか。俺もサインほしかったな」
「何で分かるんでしょうや。あとあいつのサインはきったないから止めた方がいいんじゃあらんせんか。……それはともかく――」
「――分かってるって」
続きを言おうとしたアイゼンハルトの言葉を遮って、シュテンは笑った。
「過去の仲間の願いは、今の仲間が叶える。……それも、浪漫ってもんだろ」
「……仲間、か。ここまできたら、確かに仲間だ」
にぃ、とアイゼンハルトも口元をつり上げて。
「任せたぜ、シュテン!!」
「おう!! 必ず無理矢理お姫様助けてくらあ!!」
言葉を、交わす。
それっきり駆けだしたシュテンは、アレイアの弾幕をかわしつつハルナを担ぐ。
「わっきゃ!」
「っしゃあ、行くぞオラアアアアアアア!!」
「……!!」
弾幕の雨の中、全速力でネグリ山廃坑へと駆け抜けるシュテンたち。
跳躍したアイゼンハルトは、アレイアの眼前へと迫ると一気に鎗を突き出した。
凄まじい金属音は、聖剣とかちあった音。いつの間にかフォローに現れたカテジナ。
「相変わらずの、フォローの上手さで」
くるりと後方に一回転。着地したところで、様子を見れば。シュテンたちはネグリ山廃坑に入った後だった。それを見てほっと一息なで下ろしたところに、上から声がかかる。
「どういうつもりだ、アイゼンハルト」
「……アイゼンハルト・K・ファンギーニのKは、クレハの略なんですわ」
「……?」
ネグリ山廃坑に突貫した彼らを、苦い表情で見送るアスタルテに向かってアイゼンハルトはそう言った。何のことだと眉を潜める彼女に、アイゼンハルトは続けていう。
「テツ・クレハ。それが、本当の名前なんでさぁ。そしてもう、ぼかぁアイゼンハルトを名乗るのは止める。ぼかぁ、たった一人の野郎として、大切な人とともに……未来を取ると決めたんだ。邪魔ぁ、させませんぜ、アスタルテ」
「……ふぅ。その大切な人というのは、ネグリ山廃坑の中に居る吸血皇女のことか」
「あぁ」
「……そうか。魔族と人間が、わかり合える。あんなことがあっても、きみはそう信じるのか」
「あぁ」
「……分かった。ならば、是非もない」
アスタルテが、指輪を構えた。【純粋ナル正義・九つ連なる宝燈の奏】は既に発動中。その力を誇示するかのようなその仕草。瞳に捉えるは、アイゼンハルト――いや、テツ・クレハ。
大薙刀の一撃が、テツに向かって飛ぶ。
しかし、それをテツは避けることはしなかった。避ける必要が、なかったから。
右頬を掠めて、背後から斬りかかろうとしたカテジナを阻むその大薙刀。テツは改めて、アスタルテを見ると。
「僕の部屋にあるきみの墓標は、捨てなければいけないな」
「部屋の中に墓標なんてものを置くやつぁ、ぼかぁお前さんしか知りませんぜ」
「もし、これ以降きみが帝国書院の邪魔になることがあれば、僕は全力できみを排そう。そうでなければ、好きにするといい。帝国書院からは、除名する」
「アスタルテ。お前さん」
「僕とて――」
そこで言葉を切ったアスタルテは、テツの方を振り向いて。
「――好き好んで殺しているわけではない。害なしと判断すれば殺しはしない」
「二年前は」
「二年前は、きみを殺すことに多大な益があった。あの時も言ったはずだ、恨んでくれて構わないと」
「身勝手なカミサマだ」
「現人神だからね」
さぁ。
と一息吐いてアスタルテはアレイアとカテジナを見据える。
「帝国書院書陵部魔導司書第二席テツ・クレハ。殺害対象"鬼神の影を追う者"を見逃す代わりに、最後の仕事だ。手抜きをすることは、許しはしない」
「そんなこたぁ……分かってまさぁ」
第一席と第二席。最強が、過去の最強たちとぶつかり合う。