第二十三話 ネグリ山廃坑VII 『汚名を流す』
人間と、魔族。
遙か昔から、どうしてか人間だけはほかの知的生命体とは区別されていた。
どちらかといえば、人間の方から排他的になったと言った方が正しいのか。
いずれにせよ、言葉を解す生き物の中で、人間という存在は別のものとして分けられた。
しかし人間は、魔族の総量を上回るほどに人口を増やし、いつか人間がこの世界の支配者となっていった。
むろん、そこに様々な種族の抵抗があったことは言うまでもない。だがその全てが人間の狡猾さの前に滅び去っていった。一番顕著なものでいえば、ドワーフなどが良い例だろう。頑固さが故に、人間によって殲滅させられた有名な例だ。
そんな人間も、優位に立つ時間が長引くと油断する。
怨恨の溜まった魔族の反撃とも言えるのが、魔王軍結成だろう。三百年前ほどから魔大陸で動き始めた魔王軍は、とうとう数年前に人類の大陸を脅かした。
人間の中でも選りすぐりとされた面々によって淘汰された魔王軍ではあったが、この出来事はより魔族と人間の間に大きな亀裂を生んだと言っていい。
そして、また。
魔族側は吸血鬼を筆頭に、吸血鬼派という一派を立ち上げて人間に攻撃を加えようとしている。
人間と魔族が、共に手を取り合って生きていくという理想は、いつ現実となるのだろうか。その願いを持つ者たちが一生懸命繋ぎ止めようとしていた絆は、大きな戦いによってあっという間に、切り裂かれるものなのだ。
「……人間と魔族が友好関係を結ぶことなど、あり得ないんだよ。それは僕が生きてきた歴史の中で、証明されていることだ」
地平線の果てから現れた吸血鬼の軍を目視して、アスタルテ・ヴェルダナーヴァは呟いた。
帝国書院書陵部と、冒険者協会。この二つの連合と吸血鬼派と呼ばれるものたちの戦いが幕を開けようとしている。
そろそろ日が暮れようかという時間帯だ。ここから戦えば、吸血鬼派の多くは力を増すことだろう。だから、一日は防戦に徹するか。
「いや……日が暮れる前に皆殺しにすればいいだけの話か」
す、と右の中指にはまった指輪を取り出して、アスタルテは呟いた。
Iの文字が描かれたコートが風に靡く。
「第一席、ご命令を」
「もうしばらく待機だ。義務としてこちらに来ている我々とは違い――」
部下の言葉に反応し、ちらりと遙か西方を一瞥するアスタルテ。
妙な場所で切られた言葉に疑問符を浮かべながら、部下もそれを問いつめるようなことはしない。アスタルテの行動には、必ず一つ一つに意味があるのだから。
「いっけえええええええええ!!」
「っしゃあああ!! 吸血鬼狩りじゃああああ!!」
冒険者協会本部が設営したテント群から飛び出していく、統率のとれていない冒険者の面々。吸血鬼派よりも数で勝る彼らは、まるで弾幕のように荒野を駆けて突貫する。魔法の質も十二分。
「――公国のハイエナが功を急いて駆け出すからね」
「なるほど、風避けにはちょうどいいですねっ!」
ふむふむと頷く部下の少女。物わかりは良いが少々抜けている部分がある彼女は、どうやら今日一つだけ気になることがあるらしい。わざわざこの戦いに志願してきた理由も、そこにあるのだとか。
「で、帝国に以前攻撃を仕掛けてきた妖鬼が現れるというのは本当ですか」
開戦の火蓋は切られた。
既に吸血鬼派の魔導とブレイヴァーの剣戟がぶつかり合い、そろそろ帝国側も動くべきであろうことは察している。その中での部下の問いかけに、アスタルテは彼女を一瞥して。
「ああ、そういえば便器にぶち込まれたのだったか」
「この恨み晴らさでおくべきかッ……!!」
アスタルテの不在時に帝国書院で暴れたのがあの"鬼神の影を追う者"だったと言う報告は受けている。しかし、第十席のグリンドルと互角に戦っていた相手とは思えないほどにアスタルテと戦った時は強かった。尋常ではない成長速度といい、歴史をねじ曲げる不可解な力といい、やはり脅威には変わりない。
「増強に関してはデジレが面白い論文を提出していたが……まあそれはいいか。僕はアイゼンハルトと"鬼神の影を追う者"の二人がこの戦いに乱入すると予測している。どうにも、アイゼンハルトが守っていた少女が関係しているようではあるが」
「アイゼンハルトって人、とっても強いって聞きましたけど……」
「ああ、強い」
不安げな部下の声に、アスタルテは鷹揚に頷いて、続けた。
「だが、僕も矜持がある。義務として、アイゼンハルトは殺さねばならない」
暗に、アスタルテが殺せる強さだと伝えて。部下は胸をなで下ろしたようだった。
この分だと、言わない方がいいだろう。
十三の命全て使って、勝てるかどうかの確率が五分だということは。
しかし、アイゼンハルトを倒すのは、わざわざ自分である必要はない。今回に限っては、吸血鬼一派を利用するのも手だろう。
「現れた際には、せいぜい疲労させてくれたまえ……魔族共」
戦場を睨み据える。
既に多くの死屍が荒野に転がり、明らかに冒険者が劣勢なのが見てとれた。
「所詮は寄せ集めか。帝国書院の精鋭と比べれば、悲しくなるほどの差が見られるな」
「えっと、どうしますか?」
「きみはひとまず残りの魔導司書に伝令をしてきてくれ。もうすぐ、出陣る」
「はい!」
「ああそれと」
元気の良い返事とともに駆け出そうとする少女を呼び止めて、アスタルテは言った。
「なんだったか。きみも"便所女"という汚名を濯ごう、などと考えず自分の仕事を全うしてくれ」
「便所女とまでヒドく言われてませんけど!? せいぜいトイレちゃんですよもの凄いショックなんですけど!?」
かつて帝国書院を妖鬼が襲った事件で、便器に"メテオストライク"などという技で顔面から叩き込まれたせいで……というかそれで顔が便器から抜けなくなったせいでトイレちゃんという不名誉なあだ名をつけられている少女が、今のアスタルテの部下であった。
「しかし、便所女というのは本当にまさしく"汚名"だね。……ふっ……くく……」
「第一席が笑ったところ初めて見ましたけど初めての笑いがそれってあんまりじゃないですか!?」
「僕は感情豊かな方だが」
「そっちの話題がしたいんじゃないんです!!」
「汚名を流そうとするのでは……じゃなかった汚名を濯ごうするのではなく、頑張ってくれ」
「まだ言うかこの現人神!?」
目を剥きキレる少女が、うがー、と叫びながら走り去った。
その背を見ながら、一人アスタルテは頷いた。
「緊張は解けたようだね。しかし、あまりなあだ名であるし、グリンドルには強く言っておかねばなるまいな。少々以上にかわいそうだ。それにしても」
ふむ、と一人納得したように。
「この僕相手に気負いせず言葉を浴びせられるとは、やはり良い人材かもしれないな」
変なところで評価があがった、部下の少女であった。
「一応、戦況はこちらが有利です。しかし、帝国書院がこれから動き出すようなので、その辺りだけは注意が必要かと」
「試作型吸血皇女からの通信がなくなったのが不可解だが、アイゼンハルト・K・ファンギーニがこの戦場に現れるのは間違いないだろう。そして、あの二百年前の妖鬼も」
アスタルテ・ヴェルダナーヴァ率いる帝国書院とは真逆の方角。吸血鬼派側では、その首領とも言えるグラスパーアイ・ドラキュリアとその部下が連絡を行っていた。
やはり吸血鬼の一団ということもあって相当な実力を持つ彼らは、冒険者たちを相手に大立ち回りを演じているらしい。人間と吸血鬼の"格"の差はやはり広く、生半可な力で対抗できるものでは本来無いのだ。
逆に言ってしまえば、人間の恐ろしさはその戦略と、突出した個体にある。
「……相手側にはアスタルテ・ヴェルダナーヴァが居るらしいな。それだけは少々やっかいだが、まぁだからといって焦るほどでもない。ひとまず、急務は帝国書院と冒険者協会を出し抜いてネグリ山廃坑に向かうことだ。……私は古代呪法を発動次第、突入するつもりでいる。少数精鋭を今のうちに選出しておけ」
「はっ」
グラスパーアイの命令に、部下は駆け出す。
次々に戦場に飛び出していく吸血鬼たちの表情は生き生きとしていて、士気の高揚が感じられた。日頃の鬱憤以上に、二年前の屈辱がそうさせているのだろうことは手に取るように分かる。だからこそ、今回の遠征は成功させる必要があった。
「……アイゼンハルト、妖鬼シュテン。貴様らに地獄を見せてやる。特にアイゼンハルト……お前に苦痛を与える為の準備は整ったんだ……!」
握りしめた拳から、光が漏れる。
と、その時だった。
「で、出ました!! アイゼンハルト・K・ファンギーニです!!」
「……来たか」
口角を歪めて、グラスパーアイは立ち上がる。
いざ、己の実力をさらさんと。
「ちょ、はええよお前ッ!!」
「そりゃあ……向こうからやたら血の臭いがしたら……焦るんは仕方ないですわ……!」
テツを先頭に、ネグリ山廃坑付近まで駆けてきたシュテンたち。
あまりにテツの速度が段違いなせいで、先に走っていたはずの一行はあっさりとテツに抜き去られてしまった始末。こんなところで"最強"の一端を見たくはなかったなあとぼんやりするシュテンとは違い、光の神子一行の反応は面白かった。
「え、テツさんって何者なの」
「ミネリナさんのパシリかとばかり」
「あんまり過ぎやしませんかみなみなさまっ!?」
振り返りざまに怒鳴るテツを見れば、特に緊張をしている様子はない。
その辺りは百戦錬磨のこの男のことだ。心配はしていなかったつもりのシュテンだが、それでも彼の今の状況を見ると少々安堵した。
「ま、いいじゃねえのミネリナのパシリでも」
「よかああらんせんが!?」
「迎えに来いって、パシラレてんだ」
「……っ。そいつぁ、シュテンくんも同じでさぁ! いくつの子にパシラれてんでしょうや、お前さん」
「おい馬鹿辞めろ」
マジトーンのシュテン。
それはともかく、駆けるスピードはやはり速い。
明らかに空気が違うネグリ山廃坑に何かを察し、次第にメンバーの口数も少なくなってくる。剣戟を交わす音、爆発音、叫び声に、喚声。
「明らかに戦場じゃねえか」
「っ……!」
「テツ、行くぞ」
「分かってまさぁ……!!」
ぐ、と双槍を握り締め、テツは森を先頭に立って突き抜けた。
夕暮れの斜陽に照らされた戦場は、まさに阿鼻叫喚のまっただ中。
ぱたりと、テツの足が止まる。
「この先に、フレアリールとミネリナがとっつかまってる場所がある訳か。しっかしやべえ状況だなこの戦場。なんだってまた殺し合いしてんだよ吸血鬼と……帝国書院か」
「……これは、酷い状況ですね。戦いに介入したほうがいいのでしょうか」
テツの後ろで止まったシュテンとクレインが、背後から戦況を覗き込む。
魔導司書たちはまだ出ていないようだが、吸血鬼と書陵部、そして多くの冒険者の死骸がその戦いの壮絶さを物語っていた。
その光景を見て、テツは。
「冗談じゃあ……あらんせんッ……!!」
二年前の自分は、何の為に戦った。
魔族への怨念でもない。帝国への忠孝でもない。
ただただこうして人々が死ぬのが、イヤだったからに決まっているだろう。
『人間も、魔族も。同じ時を共に生きる、仲間じゃあないか。どうして、殺し合わなければいけないんだろうね』
寂しげに語っていた彼女の表情を思い出した。
自らも賛同し、だからこそ魔王を、根元を絶とうと踏ん張った。
なのに、結局この有様だ。
人間と魔族の戦いは、確執は、まだ全く消えちゃいない。燻っていた火種を完全に絶つことができなかった自分の落ち度かもしれない。けれど、それでも。
目の前の悲劇を止めることができずして、何が英雄か。
「アイゼンハルト・K・ファンギーニがッ……」
シュテンの耳に辛うじて届いたその声。
にらみ据えるはその戦場。
握りしめた青虹、偉天から、膨大な魔力が立ち上る。
「目の前で大勢の人が死ぬんを、見ていられる訳がねぇでしょうがァ!!」
ミネリナを助ける。
その為にこの場に来たとはいえ。
二年前世界を救った英雄が、人々の殺し合いを黙って見ていられるはずなどない。
跳躍、そして、発動するは彼の神蝕現象。
最強の魔導司書の、最強の固有能力。
――神蝕現象【国士無双】――