第二十一話 ネグリ山廃坑V 『主人公が三人』
『テツに向けて、メッセージを贈る』
その一文から始まった、長くなどない伝言は。
テツがその場でただ一人、日が昇った今の今までずっと呆然としている理由として、あまりにも十分すぎた。
背中を向けているために表情は分からないが、彼が何を思い、どんな感情を抱いているかというのは想像に難くないものだ。
困ったような表情でシュテンに視線を向けるハルナの瞳も、若干潤んでしまっている。どうしていいのか分からないけれど、だからといって自分も動く気にはなれないといったところだろうか。動く気になれないというのは何も脱力感とか面倒だからという理由ではなく、おそらくは湖に綺麗な赤で綴られた文章を見てしまったからだろう。
「……」
そんな視線を受けて、シュテンはゆっくりと一歩を踏み出した。
当然彼の目にも、湖の手紙は見えている。
見えているからこそ、シュテンは動いた。テツが呆然としている理由も、分かったから。
「おいテツ、生きてっか」
「…………ぼかぁ、なんで気づいてやれなかったんでしょうかね。魔導司書の名が、聞いて呆れる」
「お?」
意外にも、声をかけるとすんなり返事が戻ってきた。
屈伸するようにして立ち上がると、足下に転がっていた二本の鎗を蹴り上げて掴む。
「みんなが起きてくるまでは、待ってようと思ってたんですが。意外と、早かった感じですなぁ。おはようございます」
「おうおはよう。……それで?」
振り返ったテツは、相変わらずの柔らかな表情。猫のような瞳は相変わらず細くて、瞳の奥で何を考えているのかまでは分からない。
だが、握りしめた双槍の穂先が小刻みに揺れているのを見てしまっては、シュテンもいろいろと察しようがあるというもの。
「それでってえのは、どういうことでしょうや」
「ミネリナがどこに向かったのか、分かってるか?」
「難しいことじゃああらんせん。おそらくはネグリ山廃坑。シュテンくんの夢に出てきた吸血皇女の女の子と一緒で……グラスパーアイに死ぬ気の特攻でも仕掛ける気なんだってえことくらい、あの文字を見ればわかりまさぁ」
「おっし」
ぐっ、と力を入れてシュテンはしゃがむ。軽く屈伸を繰り返してから、鬼殺しを担ぎ直してハルナに振り返った。
「ハルナ、とりあえず残りの三人起こしてきてくれ」
「えっ?」
「やりたかったんだろ、ダイビング。さらっと顔洗って、すぐ呼びに行ってこい」
「え、で、でも」
テツの心中を考えれば、そんな気軽なことは出来ない。
そう思っていたハルナだからこそ、シュテンの提案に慌ててしまう。
想い人が、残酷な定命を背負って一人死ぬつもりで居る。そんなことを知らされて、精神が平常で居られるはずがない。今のテツが平静を保っているのは、二人に対する矜持からではないのかと。
だが、シュテンは笑って、ハルナに言った。
「いいから、行ってこい。一人じゃ難しいから、待ってたんだ。お前らも頼りにしてる。お姫さまを、早く助けたいんだよ」
「あっ……」
「シュテンくん、ちょいとクサくは、ないですかい?」
「なんだよ、代弁してやったのに」
「まるで気取ってるみたいな言いぐさはやめてくれると助かりまさぁ」
白い目を向けるテツとは違い、シュテンは朗らかだ。
その意図に気づいて、ハルナは。
「はい! せんぱい命令ですね!」
「何も理解してねえ!!」
びし、っと敬礼をかますや否や、湖の端にしゃがみこんでばしゃばしゃと顔を洗うと。水滴を拭うこともせずに、一度テツとシュテンの方に向き直って。
「それじゃあ、起こしてきます!!」
「フォーメーションは?」
「ダイビングフォーメーション!!」
「グッド」
「いってきまーす!!」
サムズアップするシュテンに踵を返し、ぱたたたー、とハルナは街道を戻っていく。
その足取りは軽やかに見えて、実際はかなり焦燥に包まれていた。急いで起こして、ミネリナを、フレアリールを助けるのだと、その意志を背負って。
「……いい後輩じゃあ、あらんせんか」
「で、どうすんだ?」
走り去るハルナの後ろ姿を眺めていたテツの一言に、シュテンは水を差す。
もう一度湖に血で綴られたメッセージを見て、テツは頷いた。
「実際、光の神子の一行を頼りにしたいってえのは、事実でさぁ。前衛だけじゃあ、戦場ってえのは勝てるもんじゃああらんせん。五つ以上年下に見えるような子たちに、戦いで頼る時が来るたあ思いもよりませんでしたが」
「まあ、年齢は関係ねえよ。どっかの組織にゃ十歳程度の見てくれでトップスリー張ってる奴も居る訳だしな」
「ヤタノ嬢のことを言ってるんだとしたら、そりゃあなんか釈然とはしないんですが」
まぁ、と一息おいてテツは続ける。
「ヤタノ嬢に関しちゃ、今回は居ないたぁ思いますが。何よりも、戦争を、魔族との抗争を嫌うお人でしょうや」
「ヤタノちゃんはそうじゃなくても俺ぁ相性最悪だからな、対面はごめん被りたい」
「……ま、それでも出てきたら相手はぼくがやりますわ」
「うっは、頼もしいなグリモワール・ランサー」
「そいつぁ、恥ずかしいんでやめてもらえると助かるんですがね」
二本の短鎗を握り、軽く振って調子を確かめるテツ。
こんな間抜けで悠長なせりふを吐きながら、その本質は人間最強の魔導司書だ。
たとえヤタノ・フソウ・アークライトであっても、絶対に倒すことは出来ないであろう壁。
「アスパラみてえな見た目の癖して」
「聞き捨てなりゃあしませんがシュテンくん!?」
「テツパラガスめ」
「テツパラガス!?」
あっはっは、と高らかに笑うシュテンに、テツは小さく吹き出して。
「いやぁ、おかげで少しぁすっきりしましたわ」
「そいつぁ、何よりだ。で、だ」
「ミネリナ嬢を、取り返す。吸血鬼派にゃあ、ご退場願うことにしまさぁ。連中、まだ諦めてなかったってぇことを……ぼかぁ、気づくことが出来ませなんだ」
「俺もなー……フレアリールちゃんがあんなことになってんの、何も知らずに居たからな。いろいろやっちまった責任もあるし、助けなきゃいけねぇよなやっぱ」
「お互い、吸血皇女には手を焼かされてる感じで」
「はっはっは、全くだ。いや俺が悪いんだが」
「それを言っちゃあ、ぼかぁ悪者でさぁ」
そんじゃ、ま。
「悪者同士、お姫さまを助けに向かいますか」
「そりゃあ、賛成ですわ。やらかした責任取って、必死扱いて救出劇でも、演じますか」
二人揃って、遙か先の山を睨み据える。
このままでは、夢見が悪い。
「じゃ、その話……僕たちも混ぜてくれませんか」
「あん?」
「やぁ、クレインくん」
振り返れば、クレインを始めとした光の神子一行が揃っていた。
ハルナ以外の全員が、腹をさすっている辺りで何かを察したシュテンとテツ。
「起こしてきましたよ、せんぱい! 命令通りに!」
「シュテンさんがダイビングで起こせって言ったの!?」
「……少しは見直したつもりだったんだけど」
驚きと共にシュテンを見るクレインと、白い目を向けるジュスタ。
ぺろっと舌を出したハルナは、絶妙にその二人から顔が見えない位置を取っている辺り抜け目ない。が、
「いて!?」
「アホFランクが。シュテン、ネグリ山行くのであれば、俺たちも向かおう。……何よりお前には借りがあるんだ。露払いくらいのことはしよう」
軽く頭をリュディウスにこづかれて、ハルナは痛そうに手で後頭部を抱えながらしゃがみこむ。そんなことはお構いなしに、いつも通り冷静に口を開くリュディウス。
借りというのはきっと、聖府首都エーデンでシュテンが連れ去られた時のことだろう。
「Fランクって言った! Fランクって言った!」
「拾ってやった時からそうだろうが」
「がるるるる」
かみつくようにリュディウスに文句を言うハルナだが、彼はどこ吹く風といった様子で相手にしていない。そんな光景を画面越しにいつも見ていたシュテンはどこか満足げで、ふと気づいた。
「そういや、テツとクレインが一緒に居るんだよなぁ」
「何か、問題でもあるんですかい?」
「んにゃ、俺にとっちゃあおもしろいってぇだけの話だ」
IとIIの主人公。
その二人が同時に、目的を共にしているこの状況。
明らかに歴史はもう変わっている。だからこそ、もうシュテンが自重する理由もない。
「シュテンさん、テツさん。僕たちも、力になります」
「頼もしくなりやがって」
「ありがたい限りっすわ」
主人公二人と、イレギュラーの妖鬼。
帝国書院書陵部、冒険者協会、魔王軍吸血鬼派が相まみえる戦場に、突貫する準備は整った。
「よっしゃ行くぞオルァアアアア!!」
拳を突き上げたシュテンが先頭に立って、半ばテンションごり押しで街道へと躍り出る。意外にもハルナがそれに続き、慌てたようにクレインとジュスタも追いかけていった。残されたリュディウスは、テツの方を一度振り返って。
「……行こうか」
「そうしますかねぃ」
彼の細い瞳の奥に迸る激情を、ただ一人感じ取っていた。
「殺させや……しません。もう二度と。大切な、誰かを」
湖を一瞥し、最後尾を駆けた。
『
テツに向けて、メッセージを贈る。
こんなものを湖に書いて大丈夫なのか、なんて思うかもしれないが、安心するといい。きみが来て初めて、この術式は発動するようにしてあるからね。
ああ、それから。血のように見えるかもしれないが……というか実際血なんだが、別にこれで私が死ぬようなことはないから安心してくれ。殺生なども、もちろんしていない。そんなことをしてしまったら、最後にきみに顔向けすることが出来なくなりそうだからね。そのあたりは、抜かりない。誉めたまえ。
……なんて、言えたら良かったのだけどね。
本当に、ごめんなさい。私はそんなことをするしない以前に、きみにはとても顔向け出来るような吸血皇女ではなかったようなんだ。
なにせ、この身はきみを殺す為に造られたただの人形で。それが達成出来ないと知るや、監視の為の道具にされていた。いざという時には自爆する為に、膨大な魔力にロックまでつけてね。
まるで遠距離操作の魔導人形のようなものだよ。
そんな、生き物ですらない私が偉そうに魔族と人間の間での平和を、なんて願うこと自体、おかしなことだったのかもしれない。
私が今まで起爆されなかったのは、きみの正体が人間側に知られていなかったからだろうと思う。私が変化系の魔導に突出していたのも、もしかしたらきみの為の調整だったのかもしれないと思うと少し悲しいけれど。
フレアリール、という少女を覚えているかい? シュテンの夢に出てきたという彼女だ。洗脳と記憶障害を取り去ってくれたのはその彼女で、私はこうして今きみに危害を加えずに済みそうだということに、心底安堵しているよ。
本当に、申し訳なかった。一緒に居る資格すら、本来はなかったようなものだ。
図々しいにも、ほどがある。
図々しいついでに、もう一つだけ密かにしていたことがあってね。
私すら予期していない秘密があったせいで、もうこの程度は大したことではないかもしれないんだが。きみの監視の為に私が使われていた理由だ。
最初私はきみを殺す為の道具として造られたはずなのに、何度かやり合ってもきみを殺すことなんて出来なかっただろう?
その理由はひどく簡単で、もう三度目くらいにはきみを殺す気なんてみじんもなかったからだ。
だって、私はもうその時点で、きみのことが好きになってしまっていたんだ。
無理じゃあないか。好きな人を、殺さなければならないなんて。
それが露見して、記憶を消されてきみの監視役にされたんだ。恋心も、ものの見事に消されていたらしい。
けれど甘いと思わないかい?
一度好きになった人を、二度目に好きにならないはずがないじゃないか。
案の定テツミナカンパニーを立ち上げた時には、きみと一緒に居られる幸せをかみしめてしまっていたんだ。私という奴は、本当に度し難い。
そりゃあ、監視にはうってつけだったと思うよ。
きみがもし帝国書院に行くようなことがあれば、きっと書院を巻き添えにして私は爆破されていたはずだ。そうならずに居られたことだけを、今は助かったと思っている。
それでね。ここまで暴露してしまって恥ずかしいから、もうきみには会わないと決めたんだ。
いつきみを殺してしまうか分からないこの身だ。絶対に、きみを危険に晒したくなんかない。だって、きみには防御の術がないだろう?
だから私は、せめてグラスパーアイに一矢報いる。
きみの存在はどうやら向こうにはバレてしまっているようだからね、きみの安全の為に、せめてもの罪滅ぼしとして、どうにか頑張ってみるよ。
いつかきっと、きみが幸せを感じられるように。寂しさを、消してしまえるように。
私なりにいろいろ考えてはいたし、頑張ってもみたんだけど、私程度じゃやっぱりだめだから。どんなに頑張っても、"アイゼンハルト"を忘れさせることは出来ないみたいだから。
本当に、ごめんね。
私ばっかり楽しかった。
私ばっかり幸せだった。
だから、ありがとう。
シュテンにも謝っておいてくれ。あれだけ言って、吸血皇女一人はおろか、自分すらも救えそうにないのだと。巻き込まれてはかなわないから、大陸に戻ってくれると嬉しいな。
船は明日には出るはずだ。だから、ここで別れとさせてほしい。
今まで、ありがとう。
こんなことを言うのもなんだろうけど、私はきみのことが大好きだった。
だから、きみを守るよ。
最後くらい、守りたい。
ありがとう、テツ。私は、とっても幸せだった。
ミネリナ・D・オルバ』