第十二話 ハナハナの森II 『珠片の在り処』
九尾も居なくなってしまい、帝国書院の人間も軒並み炭化してしまったこの状況。
ポツンと一人残された、俺。
「静かなもんだな。鳥の鳴き声一つ聞こえやしない。……それも珠片を取り込んだ魔獣のせいっぽいけれど」
さて、どこから探そうかな。
鬼殺しを背負い直し、改めてぐるりと周囲を見渡す。
人間の焦げた臭いがツンと鼻をつくが、草木に引火していないあたりに九尾少女の実力が、狐火操作の巧みさがうかがえる。
俺のウィングスパンほどの幅を持つ大樹がところ構わず群生するこの森に、街道と呼べるほど管理された道は無い。ところどころ根っこや茂みに足を取られそうになりながら、木漏れ日の中を進んでいく。
珠片の反応は遠くない。
帝国書院の暗部連中も、先ほどの一件で撤退したのかは分からないが人影一つ見当たらない。一対一で魔獣の相手をするにはちょうどいい。巻き添えはともかく、邪魔だてはされたくないしな。
というのも、だ。
もちろんレベルアップはしているとはいえ、珠片を一つ取りこんだだけで俺の実力は中盤の中ボスからラスダンクリーチャークラスに強化されているのだ。
例えこの辺りの雑魚敵が珠片を取りこんだとしても、どれほどの強さになるのか俺自身想像がつかない。
だというのに、『あー! 化け物と一緒に妖鬼もいるー! まとめてやっちまおうぜー!』なんて横槍を入れられたら目も当てられないということだ。
それに。
「……うは」
珠片の反応のままに歩みを進めることしばらく。
まるでその部分だけ切り取られたかのように、綺麗にざっくりと地面が抉られていた。距離にして半径三メートルと言ったところだろうか。俺が三人縦に並んで、まだ余るほど。その周辺の木々も、まるで暴風に煽られた後のようになぎ倒されている。
「……おっそろしいなおい」
俺に出来るか出来ないかと言ったら、おそらく出来る。
けれども、こんな芸当が可能な相手に相対したことは無い。
「……女神のねーちゃんも軽く言ってくれるなぁ。珠片集め、難易度は思ったより高そうだ」
目にして初めて気づくこととはまさにこれだ。
戦いの経験が圧倒的に不足していて、正直にいえばこの光景に寒気がした。
恐怖、というほどではない。けれど間違いなく眼前の景色は俺を圧倒していたし、こんなことが出来る奴と今からやり合うのだと考えると、姿が見えていないだけに不気味だ。
「……まあそれでも、やれないことはないんだろうけど」
それでも逃げ出さないでいられるのは、偏に自分に自信があるからだった。
鬼殺しを握りしめれば、不思議と落ち着きを取り戻せる。鬼が鬼殺しを担いで落ち着くというのも、何とも言えない話ではあるが。
そのまま、抉れた地面に足を踏み入れる。
ふむ、こうして見ると分かるが、魔法の類で削られたわけではなさそうだ。
これはどちらかと言えば、巨大なショベルでごっそり抉られたかのような……。
思考に沈んでいた、その時だった。
急激に迫る珠片の反応。
背後に冷たい気配を感じたのは。
「ッ――!?」
跳躍、同時にひび割れる地面。地下からの攻撃ではない、これは何かを叩きつけた地割れ――いったい誰が。
空中で回転しながら周囲に視線を配る。
居た。
まさしく化け物。
俺が居た場所の背後。
巨大な顎を持つ四足の魔獣。
シルエットだけなら、見慣れた雑魚魔獣。
だが、その巨大さと言ったらまるで岩山のようだ。
「ギャウ……ガッ!」
「クソが」
頼る足場の無い状態の俺を狙うように、大きな口を開けて迫る魔獣。その強靭な前足は、その渾身の一歩を踏み出す瞬間に激震すら地面に与える。
「ただのクチイヌのクセによッ……!」
背に担いだ鬼殺しを、カウンターとばかりに振りかぶる。
襲い来る牙とスコップのような顎の挟撃を、真っ向から縦に両断してやるつもりで放った一撃。
しかし。
「ガゥッ!」
「チッ」
危険を察知したか、急激に勢いを落としてバック転。巨大化した癖に魔獣クチイヌとしての本来の身軽さまで兼ね備えていることに、目を見開く。
おいおい反則だろう。
獣本来の危機察知能力で、威嚇するように俺――いや、俺の担ぐ鬼殺しを睨み据えるデカクチイヌ。しかしその軽やかさが活きているのなら、俺が背後を取られて寸前まで気づかなかったのも頷けると言ったところか。
「……間違いなく、珠片はコイツが取りこんだな」
「ガゥゥ……!!」
血走った眼は、鋭く俺を見据えて動かない。
ただ狂っているというよりは、目の前の敵を葬り去ることに全力というか……そんな感じだ。
何れにせよ、女神のねーちゃんが言っていた通りイカれているのは間違いがなさそうな雰囲気ではあるが。だらだらよだれ垂らしてるし。
「グァッ!」
「させっかよ」
太い木の枝に乗って、デカクチイヌとようやく視線を合わせられる高さ。
かぶりつくように口を開いたかと思いきや、勢いよく上を向いて顎で俺の乗っていた大樹自体を粉砕する。
直前に別の木に飛び移ったおかげで難は逃れたが、木端が当たるだけでも相当痛そうだ。
しかしこれではっきりしたことがある。
先ほどの抉れていた地面。あれは、クチイヌの顎によるものだ。
元々クチイヌはヤケに出っ張った顎をスコップのように利用して地面を掘り、そこに冬眠の餌を埋めるなりして冬を凌ぐ生物。狩りの際にもその顎でもって動物を突き上げるのがメインの戦法。
「……ならまずは、その顎をどうにかするしかねえか」
しかしあの威力。
今のクレインたちじゃ歯が立たないどころじゃねえな。一撃貰ったら終わりだ。
本当に、先に処理できそうで良かった。
「ってなわけだ。大人しく死ねや、シャベルドッグ」
こいつを斃せば、レベルアップも美味そうだ。
異常種と認定された魔獣を討伐せんがため帝国書院書陵部より派遣された本隊は、先遣隊の報告を受けてざわめいていた。
五十名からなる書陵部暗殺部隊と、その頭として魔導司書第十席のグリンドルがハナハナの森の前に待機していたのだが、本来異常種を偵察してくる予定だった先遣隊からの報告は"九尾と妖鬼が出現し、先遣隊は壊滅した"とのことだった。
いつからハナハナの森はそんな人外魔境になったのだ。
異常種として発見されたのは巨大なクチイヌだったはず。それだけでも厄介なのに、何故この辺りには出現しない希少種の妖鬼が居るのか。そしてそれ以上に単独で軍隊を相手取れるほどのバケモノである九尾まで。
訳が分からない。
報告を聞いた周囲の反応を体現するかの如くざわざわと揺れるハナハナの森の大樹。風に靡いただけだと分かってはいても、今は不気味の一言だった。
「どうしますか、第十席」
「クチイヌの戦闘力は分からないが、全滅した理由も九尾の狐火によるもの。……いざとなったら九尾の相手はこの僕がすることにしよう。妖鬼程度なら、お前たちが複数で掛かれば問題はないはずだ」
「はっ」
そんな中書陵部の副長である男が、一人だけ服装の違う青年に声をかける。
第十席と呼ばれたその青年こそ、帝国が誇る最強の単独戦力"魔導司書"が一人グリンドル・グリフスケイルだった。襟の立った黒のコートに刻まれたXの文字が、その末席である第十席であることを証明している。
「では、行こうか」
金の長髪を一束に纏めて、さっと靡かせるようにして歩き出す。
グリンドルの、ひいては魔導司書という"最強の個"に対する信頼からか、書陵部の面々も恐怖を押し殺して彼に追随してハナハナの森へと入っていく。
「しかし、九尾と妖鬼は完全にイレギュラーだな。……九尾は、もしかしてあれか? アルファンに封印されていたあの九尾なのか?」
その中で、先頭を行くグリンドルが漏らした一言に背後の副長が反応した。
横に並び立つようにして、懐から取り出した書類をパラパラと捲る。
横目でグリンドルが中身を見れば、書陵部が現在ミッションとして抱えている作戦行動の他、周囲の詳細地図に他国の情報処理など、国家機密のオンパレードであった。
ちょうど周辺情報が書かれた部分で手を止めると、副長は顔を上げてグリンドルに申告する。
「昨夜未明、ウェンデル高原にて高出力の魔力パルスが記録されています。しかしあの封印はタロス6世様により施された多重結界そのもの。そう簡単に……たったの百年程度で解かれる封印ではないと思われるのですが」
ウェンデル高原。ちょうど今居る場所から東に向かってハナハナの森を突っ切れば出られる、広く心地の良い高原だ。丈のある植物はほぼ皆無で、ところどころにある茂みに肉食動物が身を隠す。そんな場所。
魔力パルスが確認されたのが、ウェンデル高原。九尾の封印はアルファン山脈にてされているはず。もし何等かの要因でアルファン山脈から岩が落ちてきたとすれば……何者かによって封印が解除されてもおかしくはない。
「……しかし状況証拠は揃っている、と?」
「はい。畏れながら」
「フッ……」
不敵な笑みを見せたグリンドルの真意など、察するまでもなかった。
弾かれたように彼の顔を見る副長。まさか、という言葉がありありと表情に出ている。そんな副長に、グリンドルは笑顔のまま言い放った。
「いや何。百年前に封印するしか無かった魔族を、魔導司書が狩る。今の帝国戦力が如何に素晴らしいかを証明する良い機会だと思っただけさ」
「は、は……!」
なんと恐ろしい御仁か。
副長の男は、素直にそう思った。
もし本当に九尾が出現したのだとすれば、百年前に起きた悲劇の焼き回しが起こる可能性すらあるというのに。グリンドルは九尾の情報を聴いて尚平然とし、一応報告に部下を向かわせたものの臆することなく進軍の命令を出した。
これが魔導司書。これが帝国の切り札。
感嘆すると同時に、閉口するしかない。
魔獣の脅威も魔族の襲撃も、魔導司書さえ居れば何とかなってしまう。
そう思わせるには十分過ぎるほど、豪胆な台詞であった。
「っ――」
「第十席?」
鬱蒼とした森。隆起した根っこを避け、茨や茂みを掻き分けながら進んでいた矢先、ふとグリンドルが足を止めたのだ。
そして、次の瞬間。
「下がれ、きみたち」
「っ!?」
グリンドルの台詞と、空より襲い来る炎とどちらが速かったか。
悲鳴を上げる暇もなく直撃するかに思えた青い焔を、グリンドルが正面に立ちはだかって難なく防いだ。
「……穏やかじゃないな。突然の攻撃とは」
「人間にしては、やるみたいね」
「ほぅ……?」
ひらりと、舞い降りたのは少女であった。
外見年齢は二十歳に届かない程度。若々しくも女性らしく、そんな風貌の銀髪の……否。違う。あれが人間ではないことくらい、彼女の纏う凄まじいプレッシャー無しでも分かる。
白く側頭部から生えた三角耳。地面に降りる際に風に靡いた人外の証拠、銀の狐尾。それも、九つ。
「きみは、九尾か。封印されていたという、九尾か」
「そういうあんたは……帝国の軍人ね」
「軍人? いや、帝国に軍は無い。あるのは、誇り高き帝国書院さ」
恐るべきはグリンドルの胆力か。まるで無数の針に何度も何度も突きたてられているようなプレッシャーを、あの九尾は放っている。
だというのにも拘わらず、グリンドルは普段通りの静謐とした態度を崩さない。
副長以下、書陵部の面々は既に震えで声すら出せないというのに。
「ふむ。きみたち、先にクチイヌの討伐に行ってくれ。クチイヌと妖鬼なら、きみたちでも大丈夫だろう?」
「は、えっ……?」
「きみたちがここに居ても足手まといだ。それに、仕事もしないで立ち尽くすのは帝国書院書陵部のプライドに障ると思わないかい?」
背を向けたまま、グリンドルは部下に命じる。
この九尾の相手は自分がやれるとはいえ、部下たちを守りながら立ち回ることなど無理だ。
グリンドルとて、平然としていながらも九尾を舐めているわけではない。
曲りなりにも帝国の魔導司書。強さの識別くらいは出来ていた。
しかし、自分が全力で戦えば勝てない相手ではない。いやむしろ、抜けば負ける可能性などほぼない。
だが、部下は邪魔だ。
それよりもさっさとクチイヌ討伐に行ってもらいたいというのが本音だった。
「行け! 命令だ!」
「はっ!!」
命じられるがままに、副長たちはグリンドルの脇をすり抜けて奥へと向かう。
しかし、それをみすみす逃す九尾ではない。
「邪魔」
「させると思うか?」
しかし九尾が放った狐火は、素早く回りこんだグリンドルによって掻き消された。
その速度と、無傷のグリンドルにピクリと眉を動かす九尾。
「さあ、始めようか」
白と、赤と、緑。
グリンドルの周囲に踊り始めた三色の球体に感じる並々ならぬ魔素。
口角を吊り上げるグリンドルに対し、九尾は不快そうに眉を顰めた。
まどうししょ の グリンドル が あらわれた ! ▼