第十八話 ネグリ山廃坑II 『真実』
先に帰っていてくれ、というミネリナの言葉に従って、シュテンはのんべんだらりと街道を戻ってきていた。流石に迷子になるようなことはなく、先ほどまでのミネリナとの会話を思い出しながらゆっくりと。
「にしてもなー……恋愛ねー……」
実のところ自分に思いを寄せるような酔狂はどっかの車輪くらいしか居ない訳なのだが、だからといってじゃあくっついちゃえ! となるかというとまた話は別。
結局のところ今は自分の話はさておいて、純粋にミネリナとテツには幸せになって欲しいというのが正直な感想だった。とはいえ。
「テツの方は、どんな感じなのかねぇ」
えっちらおっちらと歩みを進め、目印をつけておいた木々の間を割って入る。
すでにたき火の明かりが朧気ながらも見えており、その向こうに誰かが居ることは伝わってきた。
相変わらずゆっくり眠っているのだろうか。
それとも、誰か起きているのだろうか。
はたして暖かな人の気配の方へと戻ってきたシュテンが見たのは、ぼうっとたき火を眺める一人の青年の姿であった。
「……起きたん?」
「まぁ……そうでしょうや。いつから起きてたかといやぁ、ちぃと分かりぁしませんが」
「テメエまさか俺とミネリナが出ていくとこから見ていたか」
「あっはっは」
高らかに笑う、テツ。
二本の鎗はもう隠すこともなくその辺りに転がっていたが、見た目はもう黒髪の青年に戻っている。
アイゼンハルト・K・ファンギーニではなく、テツミナカンパニーの従業員として。
彼はいつも通り気の抜けたコーラのような雰囲気のままで佇んでいた。
「……よっと」
「お、すげえ」
どうしたらそれで浮くのかは全くわからないが、テツは地面に転がっていた青の鎗を踵で蹴りあげてキャッチすると、器用にくるくると回してから穂先をたき火の方に向けた。
てらてらと揺れる炎が穂先の銀に反射して、テツの瞳の中に小さく宿る。
「……光の神子、ってぇのを聞くと、やっぱりランドルフは死んじまったんだなぁと。そういうもんを、突きつけられる気分でさぁ」
「あぁ、そうか。光の神子に限っちゃ、死ななきゃ代替わりしねえもんな」
「……けど」
ちらりと、テツは。奥で眠る四人の方へと目をやって。
ふ、とゆるめたその瞳はとても穏やかで。
「ランドルフの何倍も弱っちいはずのこの子らは、どうしてか誰よりも頼もしいんですわ」
「けっこう、話したのか?」
「ぼちぼち、ってえ感じでしょうや。向こうはまだ、アイゼンハルトってぇのが誰なのか分かっちゃいないでしょうし。別に伝える気も、あらんせん。むしろどうして教えることが出来ましょうや。過去の英雄が、何を今更」
「……過去の、英雄ねえ」
ぼりぼりと顎を掻いて、テツの言葉を咀嚼するシュテン。
その瞳にも、気持ち良さそうに眠る少年たちの姿が映っている。
確かに年下ではあるが、強く芯の通った頼もしい戦士たち。
彼らの物語はまだまだ中盤。だからこそ、これからも伸びしろがまだまだありそうな、将来が楽しみな彼ら。
「ヴォルフも、カテジナも、アレイアも、ランドルフも。みんながみんな死んだこの世界でぼかぁ、ほんと何をすりゃあいいのかさっぱりでした。ランドルフに飛ばされた先に、希望なんざどこにも残ってなくて。だって、そうでしょうや。大事だった仲間は失って、帰る場所も奪われて、結局ぼかぁ何の為に戦ってきたんだろう、って」
「何の為に、と言われちゃ尤もな答えを返すのが一番何だろうが……求めちゃいねえよな」
「……まぁ、あれですわ。ぼかぁ理想があって戦ってきたような、頭の良い男じゃああらんせん。ってえのもあって余計に、ですかね。魔王を倒せばハッピーエンドなのだと、勘違いしていたのやも、しれませんなあ……」
「……」
「ミネリナ嬢と……飛ばされた先で再会出来なかったら。ぼかぁ、やっぱり死んでたと、思うんですわ。頼りもなければ希望もない。そんな状態で、ぼかぁ生きていける気がしなかった。だから、ミネリナ嬢の存在は救いだった。過去何度か戦ったばかりの縁でああもよくしてくれる彼女のような女の子が……ぼかぁ、本当にありがたくて」
「ん?」
「ん?」
「いや、過去何度か戦っただけの女の子が、良心だけでお前さんをこう……ずっとこうして?」
「そうじゃなきゃあ、何だってんで。思えば初めて戦った時から彼女は殺気を向けてくることすら、無かった。優しい、女の子なんですわ。ぼくにとっちゃ、眩しくて。ほんと、善い奴で。種族の間にあるもんを無くそうってぇ理想も、輝かしくて。だから、シュテンくんの言葉に絆されて、あの子のためにがんばろうってえ思えたんでさあ」
「お、おう。……あ、お前さんらくっついてた訳じゃなかったのね」
「くっつ……ああ。あっはっは。どうしてぼくのような、枯れ木の流木みたいな人間とあの子が釣り合いましょうや。ミネリナ嬢はいつも一生懸命で……だからこそ、いつかは別れる時がくるんでしょうなぁ、たあいっつも思ってることでして」
「うっわ」
「……なんでしょうや、そのイガグリ食べちゃいましたみてえな顔は」
「そいつ頭悪すぎだろ。……え、なに。お前、あれなん。ミネリナの親的なポジションにでも居るつもりなん」
「……そういうつもりは、あらんせんが」
「てっきりくっついてるもんだと」
「そりゃあきっと、ぼくの身勝手な願望ってえだけでしょうや。あんな女の子に、ぼく程度じゃあ釣りあわない」
シュテンはイガグリ食べちゃいましたみたいな顔をした。
少し弱くなってきた火に、そこら辺に転がっていた枝を一本放り投げて。
一瞬の思考。これは正直割って入るような案件ではないと己の中で整理してから、シュテンはもう一度目の前のアスパラガスに目をやった。
「お前さんは、世界を救った英雄だ」
「へ?」
「それだけは、覚えておくといいさ」
割って入らずには居られなかった。
「それに、大丈夫だ。クレインくんたちは、お前さんらのようにはならない。……俺が、させねえ」
「シュテンくん?」
「他ならぬテツから、そんな悲しい結末を聞いてよ。黙ってられるかってんだ。せめて、こいつらはお前さんと同じ絶望を味わわないようにしてやる。それが、きっと"せんぱい"としてのけじめだと思うしな」
「……不思議な、もんですなあ」
「あん?」
「容姿こそ全く違うのに、妖鬼シュテンってえのはどうしてこうも……や、辞めときますわ」
「ああ!? なんでだよ言いかけたなら言えよ! オ・ト・コダルォオオオ!?」
「や、あつっくるしいのは勘弁でさぁ」
「何だとこのやろう」
けらけらと笑うテツの声は楽しげで。
納得いかない様子であったシュテンも、一応は怒りを抑えて。
ふと、テツは一頻り笑ってから問いかけた。
「そういえば、ミネリナ嬢は?」
「もう少ししたら帰ってくるってよ」
ぽへっとしたシュテンの返事に頷いたテツは、一度シュテンの来た方を一瞥してから、もう少ししたら迎えにいこうか、などと考えていた。
もう、戻らないとも知らずに。
ミネリナ・D・オルバはその夜、シュテンと別れてからしばらくの間その場に佇んでいた。
夜の湖はどこか心地よく、頬を撫でる風も柔らかで落ち着ける。
いろいろとあの陽気な妖鬼に話してしまってすっきりしたこともあり、彼女は清々しい気持ちで湖を眺めていた。
時折石を投じては、その波紋を目で追って。
「私は……テツの為に、何が出来るかな」
言葉こそ固くとも、彼女の表情は穏やかであった。
だって、もうすることは決めたから。決められたから。
自分が彼に出来ることは何だろう。それさえを考えれば、たぶん、それでいい。
「うん、それでいい」
一人笑顔で頷いた。吸血鬼捕獲も、この分なら上手く行きそうだ。
あといくつか山を越えれば目的地のネグリ山廃坑にたどり着く。だから、もう大丈夫。
そう、思っていた時だった。
『吸血鬼側の先兵かと思ったら……そうでもないみたいね』
「……えっと?」
ふわり。
湖に新たな波紋が生まれた。
その中心に立つのは、ミネリナよりも幾ばくか小さい一人の少女。
赤と黒のシンプルドレスに身を包んだ、同族。
「……実在は、していないみたいだけれど」
『精神体よ。……一応自己紹介はしておくわ。私はフレアリール。貴女とは少し違うけど、吸血皇女という点だけは同じね』
「ミネリナ・D・オルバだ。フレアリールというと、もしかしてきみは」
『お察しの通り、ネグリ山廃坑の主よ。こんなことになるつもりはなかったのだけれど』
フレアリール。
その名前は、何度か聞いた。それはハルナからであったり、シュテンからであったり。
精神体であるということはおそらく、ミネリナ以外には彼女は見えていないのだろう。吸血皇女としての特性があればこそ、こうして会話も可能ということだ。
「……で、何の用だい?」
『何の用、ね。それは私が聞きたいくらいなのだけれど。私の結界に悠々入ってきたということは、もしかしてと思っていたけれど……自覚、ないのね』
「……自覚? 何のことだい?」
黒いロングの髪は、幼い彼女の容姿と相まって人形のようだ。
そんな彼女が凍り付くような視線を送ってきているのだから、身構えるのも無理はない。というよりもそもそも、なぜこの場所に、しかもミネリナが一人でいる時に現れたのか。それが全くわからなかった。
わからない、という意思表示。
それが逆にフレアリールをいらつかせていることにさえ気づくことができない。
では、それはなぜか。
答えは、実は簡単で。
ミネリナ・D・オルバには、大切なものが欠損しているからであった。
『私の結界内に入った時もそう。今もそう。シュテンさまが気づかないのは仕方がないとして、湖に最初から張ってあった私の結界に気がつかなかったのが、なによりの証左でしょう』
「結……界……?」
周囲を見渡す。
いわれてみれば、ごくごく自然に濃い魔力が混ぜ込まれていることはわかった。
ここまで巧妙な技術を使える吸血皇女なのかと半ば驚きはしたが、それだけだ。
彼女の力が優れているだけで、自分が実力以上のことをできていないだけ。
ただ二つのことだけだと思っていたのに。
ミネリナの耳に飛び込んできたフレアリールの言葉は、その斜め上を軽々と越えていった。
『貴女、自分にかかる魔法に気づけないようにされているのね』
一瞬の沈黙が、湖に訪れた。
「……は? ……え?」
『……魔力は、この辺りのものを使えば足りそうね』
「ど、どういうことだ!?」
あっという間に話題を変えたフレアリールとは違い、当然ながらミネリナは食いついた。
当たり前だ。自分にかかっている魔法に気がつかない。それは何の冗談だ。
まるで今も、何らかの魔法が自分に作用しているかのような言いぐさ。
本来ここにいる自分は、自分ではないのかと疑いたくなるような恐怖。
そんなものを叩きつけられて、はいそうですかと冷静になれるようなイカれた思考はミネリナは持ち合わせてなどいない。
そんな彼女に、返答代わりに向けられる強い魔力パルス。
『攻性魔法ではないから、じっとしていなさい』
「っ!?」
ぶわり、となま暖かい風がミネリナを突き抜けた。
もちろん、それがただの風でないことくらいは理解できた。
だが、そのなんたるかを分析する前に。
ミネリナは、頭を抱えて叫んだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
『……少し乱暴だったかしら。吸血鬼派……本当に残酷な連中ね』
フレアリールの実力は、吸血鬼派でも幹部クラスに入ることができるであろう程度には熟達していた。ちょっとやそっと上位の者がかけた魔導くらいであれば、あっさりと解除する力が彼女にはある。
特に、思い入れもない相手。
そして、自らの敬愛する男とのうのうと共にいることが脅威になるような女だ。
とりあえずはかかっている魔法を解いてからがスタートだと決めてかかっていたフレアリールであったが、さすがにそれは誤算であったらしい。
『いくつ、洗脳魔法なんてものをかけていたのだか』
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
目は震え、口からは叫びしかでてこない。割れるように痛い頭を押さえて発狂する彼女を、フレアリールはただただ見据えていた。防音の結界が張られているとはいえ、シュテンに気づかれる訳にはいかなかった。
無用に、自分やこの女を助けようとしてしまうであろうから。
だから、フレアリールは彼女を見下ろして待つ。
彼女の混乱が、せいぜい会話が出来るあたりまで戻るのを。
しかし、それにはあまりにも……残酷ではあっただろう。
『……自分の脳が無理矢理リンクさせられて、逐一アイゼンハルトの情報を向こうに送っていた……だけならまだしも』
ちらりと、泣き叫ぶミネリナを見下ろしてフレアリールは。
『自らには使えない大魔力は、好きになった男をいざという時殺す為の自爆装置になっていた。……吸血鬼派、えげつないことをするものね』
ミネリナの精神が収まるまでの間、フレアリールはしばらく彼女を見下ろしていた。
痛々しいとは思う。しかし、シュテンの付近にしれっと置いておくには、あまりにも危険すぎた。
そして。
洗脳魔法さえ解除すれば。
それなりに、地獄へのお供にちょうどいい相手だと、そう思っていた。
魔王四天王"理"のグラスパーアイ改め、吸血鬼派筆頭ドラキュリア当主グラスパーアイ。
殺されかけてから、自らを癒すのに十年。さらに力を高めることに百年。人脈を築き、一大勢力を作るまでにまだ数十年。
魔王軍吸血鬼派を再結成し、さらに二年。
長い道のりを経て、グラスパーアイ・ドラキュリアは大きな力を再度得ることに成功した。
だからこそ、というべきか。
「準備、整いました」
「どけ」
ジャポネに向かう船を整備していた魔族を突き飛ばし、グラスパーアイは急ぎ軍船に乗り込んだ。その背後からぞろぞろと、戦闘部隊が続く。その数、二千。
「たった一人……侯爵家の吸血皇女を粛正する目的であったはずが……最高の土壌になりそうだ」
「閣下、ジャポネまではおよそ二日で到着いたします」
「うむ」
「それと、よろしいでしょうか」
ドラキュリアの軍船。その甲板に乗り込んだ吸血鬼の一人は、グラスパーアイ子飼いの部下だ。じろりと男を睨み据えれば、彼は敬礼しつつグラスパーアイに問いかける。
「ネグリ山廃坑付近にて、"書陵部"の存在が確認されております。ほかにも、公国の冒険者や、果てはターゲット配下と思われる魔族も。……全面抗争が予想されますが、よろしいのでしょうか」
「そのよろしいってのは、公に吸血鬼が姿を現すことが、か?」
「はっ」
「それならば問題ない。……せっかく、クズ共を皆殺しに出来る機会だ。帝国書院の魔導司書……ブレイヴァーズ……そして、アイゼンハルトに……妖鬼シュテン……!!」
拳を握りしめ、凄惨な笑みを浮かべるグラスパーアイ。
二千の吸血鬼は、確かに強力だ。それこそ、一人一人が十字軍百人に相当する実力をもっている。だがそれだけでは、おそらく書陵部の魔導司書やアイゼンハルトを殺すことなど不可能であろう。
それをわかっていてなお、グラスパーアイは笑みを絶やすことはない。
閉じた右手が発する闇魔力。
己が持つ、古代呪法。それを、最高の状態で引き出す条件がようやく揃った今だからこそ、グラスパーアイは笑わずにはいられなかった。二年前からの、決着。二百年前の、恨み。すべてここで片をつける。
「最大の祭りだ。最高の血祭りを……遙か高みからじっくりと眺めさせてもらうからな……!!」
ふふ、と声が漏れた。
「ふは……ははは……はははははははははははははははははははは!!」
一度漏れだした高笑いは止まらない。
ネグリ山廃坑に、吸血鬼の群が進軍する。




