第十七話 ネグリ山廃坑I 『星々に願う幸せ』
"崩"のジェイルコマンドは、魔界四天王の一人である以前に、"吸血鬼派"と呼ばれる派閥の幹部であった。
実力は現在の魔界四天王クラス。幹部となるには申し分の無い力量の持ち主で、古代呪法も複数操ることが出来る優秀な人物だ。少々残忍な部分があるせいで余計な火種を撒きがちだが、それを差し引いても吸血鬼派の幹部として必要なものは取り揃えていた。
だからこそだろうか。
光の神子の一行と遭遇したにも拘わらず取り逃がした、という彼の報告に吸血鬼派の面々は眉をひそめた。
『"崩"のジェイルコマンドともあろう男がそのような失態を犯すからには、何らかの理由があろう? そうでなくては、理解が出来ない』
『そうじゃのう。光の神子と言っても、先代のような化け物であったという報告はない。精霊族を滅ぼした以上、人間族が自らを変革することなど出来ないはず』
『もしや"語らない聖典"にでも至ったか? あの忌々しい導師のように』
如何に魔王軍にてその名を轟かす"四天王"とはいえ、自らを育てあげた吸血鬼派の中では下位の存在だ。裏側から魔王軍を操っているといっても過言ではない彼らにとって、ジェイルコマンドはただ一人の部下にすぎない。
彼らが見下ろす円卓から数歩下がった場所に膝をつき、ジェイルコマンドは顔をあげる。どれもが、高位の実力者たちだ。数百数千の時を生きる者も居る中で、若輩でありながら発言を許されるのは"実力が伴った者"だけだ。それも、魔王軍のものさしではなく、この場において。
『まぁ、お歴々。ジェイルコマンドに落ち度はございますまい。……何せ、二百年前に私の計画を……"傀儡導師"を踏みつぶしたあの妖鬼が、またしても現れたのですから』
"お歴々"などと年上を年上と見なしながらも、己は上座に腰掛けて。
魔王軍の一線から退いた男は高みで一人哂う。
グラスパーアイ・ドラキュリア。
現ドラキュリアの当主にして、吸血鬼派を実力と人脈で従えるその男。
瞳に怒りを湛えつつも、声色はいたって冷静に。自らに視線を向ける者たちを見渡してから、ゆっくりと口をひらいた。
『それに、"報告"ではあのアイゼンハルトが再び動き出したとのこと。それならばジェイルコマンドとて何も出来ませんからな』
『アイゼンハルト・K・ファンギーニが……? そうか、ようやく動いたか……』
『ようやく訪れる……復讐の時が……』
やにわにざわつく、暗闇の中の円卓。
ただ一人"崩"のジェイルコマンドだけが状況を把握出来ておらず、ぽかんとして居た。そんな彼に気がついて、ちらりとグラスパーアイがその視線を移す。
『どうした? そんな、驚いたような目をして』
『い、いえ……なぜ、アイゼンハルトが復活したと……?』
『ああ、ジェイルコマンドは知らなかったか』
あの日、光の神子を殺し損ねた時もアイゼンハルトの存在は認知出来なかった。
にも拘わらずどうしてそんなことがわかるのか。
それを理解出来ていないのはこの場においてジェイルコマンドただ一人。
納得したようにグラスパーアイはニタリと哂って、口を開いたのだった。
『あの憎きアイゼンハルトを殺す為に、わざわざ吸血皇女を一人造ったのだからね』
パチパチとたき火が爆ぜる音。
ネグリ山廃坑に向かうからといって、全員が全員シュテンのような強行軍が出来る訳ではない。それがたとえ魔王を倒した男であっても、コンディションを整える為には睡眠というものは不可欠だ。
そんな訳で、一日目の野宿は山の中。街道から少しはずれたところに各々が寝袋やハンモックをかけて眠っている。すうすうと心地の良さそうな寝息が聞こえる深夜、一人起きていたシュテンはぼんやりとたき火を眺めていた。
膝に頬杖をついて、ゆらゆらと身を踊らせながら薪を燃す炎を見つめる。その燻った臭いとぱちぱちとした音を聞いて、一人楽しそうに口元をゆるめていた。
「こういうのも……浪漫だねぃ……」
周囲が全員眠ってしまった後、ひとり起きている状況も。誰にも邪魔されることなく、一時として同じ姿を見せない何かを眺めてゆっくりすることも。
そこでふと思いついて、シュテンは懐から手のひらサイズの本をとりだした。
魔王討伐物語。
月明かりの下、たき火の明かりを頼りに読書するというのもまた乙なものだ。
ぱらぱらとめくっていくページには、アイゼンハルトをはじめとした五英雄の活躍が、美談としていくつも書かれている。そこに魔王討伐の裏側にあったような黒いものは欠片もなく、ただただ世界を救った英雄としての彼らが描かれていた。
「……」
シュテンも、アイゼンハルトの最期などは知りもしなかった。
グリモワール・ランサーIの世界での彼は結局死んだのかどうかわからなかったし、IIでもアイゼンハルトに対する言及は特にない。
英雄が魔王と差し違えて、魔王の方は復活した。
そんな情報がもたらされたのが、いつの日かのこと。
シュテンもそのくらいしか知らなかったし、だからこそランドルフが必死でアイゼンハルトを逃がしたことや"伝説の妖鬼シュテン"の活躍など、欠片も聞いたことはなかった。
そもそも伝説の妖鬼とやらは数百年前に封印されたのではなかったか、と。
「なんで封印されたのかは知らんし、何なら一号の可能性もあり得る訳だが」
それはそれで、封印を解いてみるのもおもしろそうだ。
一つ笑って、ページをめくる。
と、そこに背後から土を踏む音が聞こえてシュテンは振り返る。
その人影は、苦笑したように彼を見据えて、穏やかに微笑んだ。
「……まだ、寝ていなかったのか」
「お、ミネリナじゃん」
「やぁ……私も眠れなくてね」
「吸血皇女も、夜に眠るのかい?」
「デイウォーカーなのさ、気分は。私も、人間やほかの種族と合わせていたい」
日傘をさしていつもテツと一緒に笑っていた彼女の言葉だ。
なるほど、と一つ頷くと、彼女は照れくさそうに顔をあげた。視線の先には、ハンモックで眠る一人の青年の姿。
「少し、歩かないかい? きみも、なんだか眠れそうな顔じゃない」
「毎日お祭りみてえな顔ってことか!?」
「あながち間違ってはいないだろう……!」
「あ、うん、そうね」
力のこもったミネリナのツッコミには、シュテンもはいそうですねと流すしかない。
先行する彼女が赤の二房を軽く払い、くるりとシュテンに振り返った。
「どうした?」
「いや? 連中が起きるまでには帰らんとな」
「そうだね」
木々の間をするりと抜けて、昼の間進んでいた街道へと躍り出る。街道とはいっても、山中だ。周囲は森で、傾斜があって。ジャポネは山が多いといえど、これから三つも四つも山を越える必要があることを考えると、馬車を調達出来なかったことが悔やまれる。
「魔獣が活発化さえしてなけりゃな」
「馬車に関しては仕方がないことだろうに」
満天の星空。
きらきらと輝く星々を眺めながら、ミネリナは言った。
「やはり夜が好きなのは、種族的なものなのだろうかね」
「俺も夜好きだぜ? んなもん、人それぞれだ。"○○が好き"ってぇ素直な感情に、無理に理由付けすんじゃねえよ。みんな好きでも、度合いだって心の持ち方だって違ぇんだ。胸張って好きなもんには好きって言ってこうぜ」
な? とにこやかに笑うシュテン。
ミネリナは一瞬きょとんとしていたが、しばらくして破顔した。
「あっはっは、そうだね。そういうものに言い訳するからきっと、種族の壁みたいなものが出来てしまうんだ。私は、夜が好きだ。それでいい」
「ん、それでいい」
「だから人間を好きになってしまっても、それでいい」
「ん、それで――あん?」
「ん?」
くるりと振り向いたミネリナは、楽しげだ。手を後ろで組んで、まるで年頃の少女のように屈託なく微笑む。ふと、その姿が誰かとかぶって、シュテンは額に手を乗せた。
『――好きだったのに!!』
……。
「あんまり素直すぎるのもやっぱりよくねえな」
「ええ!?」
「いや、こっちの話だ」
「せっかく良いことを言っていたのに、台無しじゃないかきみという奴は」
「まぁな。……で、テツか?」
「……そう、だね」
照れくさそうに、ミネリナは頷く。
若干頬が赤いのも、どうやら本気らしいことに一役買っているというかなんというか。
部外者であるはずのシュテンも少し恥ずかしくなって鼻の下をこすりながら、途絶えた会話に一石を投じる。
「……で?」
「……私はね。テツのこと、どうしようもなく好きなんだ。いつからだ、って聞かれると、あんまり覚えてはいないのだけど」
「そういやお前ら、出会いはいつなんだ?」
「三年……くらい前だ。それこそ、テツがアイゼンハルトとして必死で戦っていた頃に。私は吸血鬼側の先兵として、彼らの魔大陸侵攻の壁となった」
「へえ、じゃあ何度かやりあってんのか」
「テツとの相性は最悪でね……私はもっぱら、背後の女性陣をねらっていたよ。思えばあのころから、嫉妬していたのかもしれないね」
ちろりと、らしくもなく舌を出しながら。
彼女はそれでも楽しそうにそう言った。
のんびりと歩くと、上空の星がそれに合わせてちょっとだけ動くのがまた楽しい。
「嫉妬……嫉妬なぁ。何が好きだったんだ? あいつの」
「あのアホな口調がもうストライクだったし……最初から、私が抱えているものに気づいていたさ」
遠い目。ついでシュテンを見据え、ミネリナは自問自答するように「シュテンになら、いいか」と呟いて。
「私は、ところどころ記憶がない」
「ん?」
「生まれから、魔王軍に加入するまで。そして、最後にアイゼンハルトと戦ってから、彼と再会するまで。……私には、記憶がないんだ」
「戦いの記憶ばっかだな。消された痕跡は?」
「痕跡と呼べるようなものはないんだ。もしかしたら一種の病気かもしれない。それで、なぜ戦っているのかもわからずに居た私に"人間"というものを教えてくれたのが、あいつだったんだ。何度も相対したけれど、もう最後のころの私には敵意と呼べるようなものはなくてね。そのせいで出くわすと、アレイア……五英雄のブレイヴァーからの殺気しか感じなくなっていたよ。あれはしかも、女のそれだ」
女性は怖いものだね、と肩をすくめるミネリナ。お前もだろうが、との隣からの白い目も気にせず、ミネリナは語る。
「魔力の大部分を上手く使えない……という話は以前したね」
「したっけ」
「したよ。クレインたちを助けた時に、私は魔法を使ったじゃないか」
「ああ、そうだったか。すまん、忘れてた」
「全く。……それでね。きっと上手く大半の魔力を使えない理由もきっと、記憶の空白にあるんじゃないかと思っている」
「記憶が戻った時に、魔力減ってたりすんの?」
「いや、しない。……そういえば、しないな。じゃあ、関係ないのかもしれない」
「どっちだコラ」
「何せ記憶がない訳だから、わからないさ」
てへへ、とツインテールの少女は笑う。
シュテンの腹くらいの高さくらいしかないくせに、やけに達観しているのがどこかシュテンの心に残る。
「……記憶がない間に、テツと会ったこともないみたいで。その辺りはわからないんだけど、目の前に倒れているアイゼンハルトを助けてから……このゆっくりとした生活は始まったんだ」
「ああ、二年ちょい前っつってたな。テツミナカンパニー立ち上げ」
「そっちは覚えているのか」
思い返すのは、邂逅当初。
アラモードの奪い合いをしていたテツとミネリナはとても楽しそうで、二年以上のつきあいだと聞けばうなづける話であった。
「私は……"アイゼンハルト"を忘れさせてあげたかった」
「ん?」
少しばかり暗くなる、彼女の声のトーン。
どこか自嘲げな口元が、口から出た言葉を実現出来ていないことを物語っている。
「大好きなあいつが、辛い表情をしている時。それはいつも、二年前を思い出している時だった。だから私はあいつから二年前を奪って、私とのこれからを見てもらう為にいろいろしたよ。容姿を変えたり、一緒の目標を無理に目指させるのもその為だ。……けどやっぱり、そう上手くはいかない。"光の神子"なんて名前がシュテンの口から出た時は正直……私の方が過剰反応してしまったよ。一番辛いのは、あいつのはずなのに」
「……ランドルフ、だっけか」
「かっこいい奴だった。テツと肩を並べられる、唯一の存在。アスタルテ・ヴェルダナーヴァと"まともに"戦えるのはランドルフだけだと、私は思う」
「まあ、そうだな。うん、たぶん。あの野郎が十三機も無ければな……」
頬を掻きながら、シュテンも頷いた。
戦闘者としてのランドルフなら、当然シュテンも知るところだ。あれほど強いマルチプレイヤーは、ほかにいない。それこそ、アスタルテくらいしか思い浮かばない。
とはいえ戦いになればテツが勝つだろうし、実力だけを見るならばシュテンが今まで出会ってきた猛者たちも負けてはいない。
「……光の神子と同行していることを、テツがどう思っているかまでは私はわからない。けど……見ていて、辛いんだ」
「なるほどな……」
「歯がゆいし、辛い。やっぱり、私じゃダメだったのかなって……たまに……」
「私じゃ?」
ちらりとミネリナを見れば、いつの間にか目に小さく涙をためていた。
シュテンからすれば彼女の努力など全く知らないのだから何を言えばいいのかわからないのだが、それでも一つわかることは。
誰かの影が彼女にはずっとちらついていて。それはきっと、同じようにテツを想っていた人物なのだろうということだった。
「"アイゼンハルト"の物語は、もう終わった」
「え?」
だからこそ、シュテンは己の思うことだけを、自分が信じる答えだけを、口にする。
「誰の影がお前さんの中にあるのか、そいつぁわからん。けど、俺に言えることは一つある」
「……」
「お前さんと今一緒に居て、これからを作っていく"この未来"はあいつにとって、決してバッドエンドなんかじゃあねえよ。いや、バッドエンドにしちまうかどうかは、お前さん次第だ」
「……」
「どんな形であれ、テツとミネリナが一緒に居る今ってえのはあの頃からすりゃ未来の一つで、テツも、お前さんも、こうなる道を選んできたんだ。だったら……いいじゃねえか。この未来、最高の形にしてこうぜ」
「……シュテン、きみという奴は」
「ん?」
滔々と己の答えを語ったシュテンの瞳に入ったミネリナの表情は、最初よりもいくらか明るい。どこか吹っ切れたように、にこやかに。
「お」
「あ」
気がつけば、湖の前にまで来ていた。星々が反射して、どこか美しい。
昼間にシュテンが水飲みがてら湖の主で水上スキーしたとは思えないほど、静かな場所だ。
「支えていこう」
「ん?」
「支えていこう。私に、アレイアの代わりは出来ない。けどきっと、私にだけ出来ることがあるって、そう思いたいんだ」
「ああ、それでいいんじゃないかね」
「シュテン」
「あん?」
「私は夜空が好きなんだ。けど、あの満天の星空の良さをきっと、星空自身は知らない。だからこの湖のように、あの美しさを星空に教えられるように……していきたい」
湖を眺めながら、彼女は言う。
その瞳に映っていたのは湖か、それとも反射した星々かはわからない。
だから、シュテンは。
「いいや、違うね」
「え?」
そう一言言って、足元にあった小石を全速力で湖に投擲した。
手のひらほどの大きさだったとは思えないほどの音を立てて、その石は湖に沈んでいく。それと一緒に、波紋がゆっくりと広がっていった。
「……あ」
ゆらゆらと波紋が広がるその湖に、星々は反射して。ただ映る以上に、水面の揺れで美しく見えて。
「こうすればもっと、美しくなる。それを教えてやれ。……全力でな」
「あ、あはは。きみはずいぶんと、ロマンチストだね」
「俺ほど浪漫に満ち溢れてる奴ぁ、中々いねえよ」
楽しげに笑うシュテンに、ミネリナは頷いた。
このまま。否、これからはもっと。
テツと一緒に日々を楽しく過ごしていきたい。
ミネリナは、心からそう思っていた。