第七話 ケトルブルグ港III 『世界の馬車窓から』
「あっはっは、きみは行方不明だったのかい」
「三ヶ月も、だとは思わなかったがな……」
シュテンと合流できた以上、クレインたちは花の街コマモイに用はない。そんな訳で、二台の馬車は一路ケトルブルグ港へ向かっていた。がたがたと揺れる車内で、ミネリナは愉快そうに笑う。
対照的にシュテンはどうにも参ったという表情で後頭部を掻きつつ、考えていた。
三ヶ月の空白がいつ空いたのか。最初は過去改変の影響でもあるのかと思ったが、レックルスはシュテンたちを過去に送り込んでからすぐに迎えのゲートを開いてくれたはずだった。その歴史はレックルスの言動を見るに変わっていない。むろん、背景は多少変化していたのだろうが……それは時空関係と関わりがあるかは怪しかった。
だとすれば。
「……ユリーカは、"見つけてから三日"っつってた。ヴェローチェさ……じゃなかったヴェローチェも幽閉されていた時間については言ってなかったし、俺は思ったより長く気絶しちまってたのかもしれねぇなぁ」
本来なら三ヶ月も眠っていられる訳もないのだが、例えば過去に向かう際に女神が介入し損ねた時シュテンは軽く気を失っていた。クラーケンに襲われた時点で介入が起こったのかどうかは分からないが、もしかしたらそのあたりも関わってくるのかもしれない。
「……どこかで聞いた名前がちらほら出てきてスゴく気になるけど、今はいいか。それで、彼らはきみの眷属ときみを合流させる為にわざわざわたしのところに出向いてきた、と。良い子たちじゃないか」
「ありがてえ話だよ。あいつらだって、大変だろうに」
「光の神子……か……」
「あん?」
ぽつりと、ミネリナが呟いた。何かしら、因縁でもあるのかと勘ぐるも、問いかけるのもハバカられるような何かが彼女の空気から発せられていて一瞬躊躇ってしまった。
気を取り直してちゃかそうとするも、変な間ができてしまったせいで微妙に場が濁るだけだろうと踏みとどまる。
そんなことをぐるぐると思考しながら、ちらりと隣の席を見れば。
「……ん?」
「いつから起きてたよお前」
「やー、いつからと言われればいつからでしょうや。鬼のお兄さんが何とかしてくれそうな雰囲気がむわりとしてたもんで、安心してお昼寝してまして」
「むわりってすげえ暑苦しそうだなおい。っつか、ジェイルコマンドきてた時起きてたのかよ」
「さぁて、起きてたとすりゃ、"いつから"でしょうなぁ」
へらり、と相変わらずのんびりした笑みを浮かべたテツが座席にのんびりと腰掛けていた。先ほどまで閉じられていた瞳はうっすらと開き、煙に巻くような適当な文言。
それ自体は、別によかったのだが。
テツの言葉の節に違和感をおぼえ、シュテンは、テツを見据えた。
首を傾げる彼は特に思うところなどなさそうにきょとんとしており、気のせいかとシュテンも言葉を濁す。
「……ん?」
「どうかしたんで?」
「や、何でもねえが」
「はあ。……それよりも、彼ら光の神子とそのご一行でしたか。……光の神子、か」
「ミネリナといいお前さんといい、やけに食いつくな」
「やー、そりゃそうでしょうや。本来教国の守護者たるべき光の神子が、こんなところに居る理由……やっぱり、魔王復活ってぇのは真実だったってことですかい」
「まあ、ホラにしては酷すぎる気はするな」
腕を組むシュテンに対して、テツは元々細い目をさらに細めるのみであった。
のんびりと窓の外を眺める彼の表情は、反対側を向いているせいで窺い知れない。
テツは人間。ミネリナは吸血皇女。
光の神子に対しての接点などあまり思いつかないものだが、なにかしらあるのかもしれないとシュテンは思う。旅を続ける最中で確執にならない程度のものであれば支障はないのだが、どうなることやら。
ふむ、と顎に手を当てるシュテンの耳に、明るいアルトの声がかかった。
「何れにせよ、ケトルブルグに行けばギルドがある。そこで眷属宛のメッセージでも書くといいさ。あそこの伝言板は、そこそこ便利だ」
「そうさせてもらおうかねぇ。ケトルブルグに一泊したらすぐにジャポネに向けて出航なんだろ? ならま、俺は港に着いたらちろっと別行動させてもらおうかな」
「くれぐれも覇気は隠してくれたまえよ。きみのそれも、なかなか尋常ではないものだ」
「うぃ」
代わり映えしない花街道の景色と香りに身を任せながら、馬車の中でのんびりと揺られていく。もうそろそろ、ケトルブルグに到着するだろうか。
隣で鼻歌を歌う上機嫌なミネリナの横顔に、先ほどの"光の神子"に対する言いしれぬ感情は読みとれなかった。
「シュテンさんが居たから、バレちゃってたね。クレインのこと」
「それについては仕方ないだろう。もとより頼みごとをする立場だ。素性くらい明かさねば、後々面倒だったかもしれない」
一方、同じく花街道を走るもう一つの馬車の中では同年代の少年少女たちによる会議が開催されていた。等しく真剣な表情で、四人が車内で円を作るようにして座っている。
「むしろ、ヒイラギさんを探してもらうって感じになったね。あの人、涼しい顔して危険区域とか行っちゃいそうな雰囲気だったし」
「心配を今更していても始まらないだろう。それより俺たちはどうするよ、クレイン」
「……そうだね」
ジュスタ、リュディウスの言を受けてクレインは頷く。
じゃらり、と手元で鳴ったキーチェーン。そこには、赤、橙、黄、緑と四色の全く同じ形をした鍵が連なっていた。残り、三色の鍵の在処は分からない。だからこそ手探りで捜索するしかないこの状況だ。先ほどミネリナに問いかけても、流石にそのような鍵の存在は知らないとのことだった。
「……情報通と噂のミネリナさんでもだめだったから、ちょっと頑張って探さないとね」
「ミネリナ・オルバ、か」
「リュディ?」
ため息混じりのクレインの隣で、顎に手を当てたリュディウスがぽつりと呟いた。
「あいつはおそらく、人間じゃねぇ」
「……う、うん。あたしもそう思った」
「人間じゃないかどうかは別にどうでも良いと思うんだけど……」
「いいわけあるか。魔王軍の可能性だってあるんだ」
「……でも、シュテンさんと一緒に居たんだよ?」
「魔王軍に連れ去られたシュテンと一緒に、な」
「……」
一瞬、クレインは虚を突かれて息を飲んだ。
忘れていた。
確かにシュテンは三ヶ月前に、あの悪夢のような少女に連れ去られたのだ。"ヴェローチェさん"とシュテンが呼んでいたことから彼女の経歴について情報を集めたが、あまりはっきりとしたことは分からなかった。
だからこそ、シュテンの所在にもいまいち見当が付かなかったのだ。
そして、彼は唐突に現れた。
あの、人間ではない少女と共に。
「あれ、吸血皇女でしょ。……例の、ジャポネのアレと同じ」
「ああ、あの……」
ジュスタの随分と投げやりな発言に、クレインはぽんと手を打った。
思い出した、とばかりに。
そんな彼とは相対的に、暗くなるのはハルナだった。
「フレアリールちゃん、か……」
「ハルナ、やっぱりお前まだ悩んでんのか」
「うん……だって、やっぱり放っておけないよ……」
フレアリール。
吸血皇女であると名乗った彼女とは、ジャポネ周辺を鍵の捜索を兼ねて巡った際に一ヶ月前に冒険者としての依頼で出会った。出会ったというよりは、吸血皇女が廃坑を根城に暴れているとの報を受けて討伐に出向いたのだ。
「……強くならなきゃ、って、あの子はそれだけだった」
「主の為に強く、なんて言われたら討伐するしかないだろう。吸血鬼の血族が魔王軍に大きな影響を及ぼしているのは今に始まったことじゃないんだ。ジャポネなんていう辺境で暴れる理由は分からないが、それでも魔王軍に関わりがある以上は戦わねばならない」
「……なんて、あの子供に一切手を出さなかった剣士が供述しており」
「子供はジュスタもだろうが。手を出さなかった俺と違って手も出なかったお前はどうなんだよ」
「うっさい」
ぷい、と子供らしく顔を背けたジュスタ。だが、彼女の言ったことは真実であった。
リュディウスはフレアリールという少女に一切手は出さなかったし、出さない理由も全員が知っていた。"子供は斬らない"という彼の誓い。それは王国での彼の過去に大きく根付いているものだ。
だから、"危険因子"であった彼女との戦闘も避けた。十に満たないような少女と刃を交えるようなことはしない。外見も中身も、あの少女はまだまだ子供であった。だから、リュディウスは戦わなかった。リュディウス抜きで勝てるような相手ではなかったし、何よりもその時点で全員が戦う意志を薄くしていた。
そして。
「……あたしは、あの子を止めたかった」
「どうにもならねぇよ、あれは。クレイン、何とか言ってやれ」
「彼女の決意は覆せるものじゃなかった。だからといって守ってあげることもできない。僕たちにできることは、敵軍の心臓――魔王を倒すことだけ。あんな小さな子を、攻撃することなんてできない」
「甘い奴ら」
「弱い奴め」
「なんだとっ」
むっ、と頬を膨らませるのはジュスタだけだ。
彼女だけは、初めから殺伐とした社会で生きてきた。彼女が幼いからといって、周囲は容赦しなかった。弱肉強食の中を生き抜いてきたからこそ、彼らのスタンスが甘いと思う。だが……口ではそう言ってもジュスタとて素直にあの場を退いたのだ。
きっと、彼女も殺したくなどはなかったのだろう……そう、クレインは信じている。
「ともあれ、どうするかだよね。シュテンさんたちがどこに向かう予定なのか、まだ聞いていないわけだしさ」
「しばらく同行するってこと?」
「それも視野に入れようかなって。また、武術を教えてもらえるかもしれないし」
「あんたあの妖鬼ほんと好きだよね」
「かっこいいから、さ。ああなりたいって思うんだ」
「助けられたとはいえ、それはないわ」
げっそりとした顔で首を振るジュスタの脳内には、敵の前で得物を宙に投げ意味の分からない言語を叫びながら狂ったように喜びをかみしめる恐ろしい妖鬼の姿が残っていた。
「……ねぇ、クレイン」
「ん?」
と、最近とんと口数の少ないハルナが俯いたまま口を開いた。
三人の視線を一身に受けて、ぎゅっとそのスカートを握りながら彼女は前を向く。
「あの子は、主って人の為に一生懸命だったんだよ。たったそれだけ、だったのに……今もきっと冒険者たちに討伐依頼が出てる。……あたしたちが依頼に失敗しちゃったから、また次の人に回ってるかもしれないし……なによりあの子、別に人間に危害があるわけじゃないのに……」
「ジャポネは、帝国と公国の間にある。だからやっぱり帝国のような魔族排斥主義があるんだよ。……それは今の僕たちにはどうしようもない」
「でもっ……」
「あれだけハルナが説得したのに、彼女は首を振ったんだ。……きっと、あの場所の要塞化を解くことはない。主という存在さえ、どうにかできればね……」
はぁ、とため息を吐いたクレインに合わせて、少々暗い雰囲気が車内に満ちた、その時だった。減速し始めていたことにも気づかなかった彼らは、とうとう馬車が止まったことにさえ反応しなかった。
すると、がらりと馬車の扉が開かれて。
そこに居たのは御者でもなんでもなく。
「うぃーっす、着いたぜケトルブルグ! ここのお土産がなかなか美味くてよ、お前らも……って暗ぇなおい! なんだあれか、OTUYAか!? ほれ、お兄さんに相談してミソシル」
「シュテン、さん……」
「なんだいなんだい」
ん? ん? と全員の顔を見るシュテンの姿を見ていると、なんだか全てこの人が解決してくれるのではないかという気さえしてくる。
クレインは一度リュディウスにアイコンタクトを送り、彼が頷いたのを確かめてから、大きく深呼吸してシュテンに問いかけた。
「小さい子供が、主の為にってひたすらジャポネで暴れてるんです。もしジャポネに行くのなら、彼女を止めること……手伝ってくれませんか?」
「HA?」
すごい顔をしたシュテン。ジュスタはそれを見ながら、やっぱりこいつちょっとヤバイやつなんじゃないかと思った。




