第五話 ケトルブルグ港I 『新たな必殺技』
クレイン・ファーブニルは光の神子だ。
ジュスタ・ウェルセイアは共和国領の忍だ。
リュディウス・フォッサレナ・グランドガレアは王国の第二王子だ。
それぞれがそれぞれ、肩書きに重みを感じながら今の今まで冒険を続けてきた。
魔王を唯一滅ぼすことができる、人類最後の希望。
強国に飲み込まれた祖国の為に奮闘する幼き少女。
広大な一つの国家の中心に立つべくして生きてきた、心強き剣士。
では、共に冒険する最後の仲間、ハルナはどうだろうか。
行き倒れ寸前で拾われた、ただのFランク冒険者。
彼女のもっている肩書きは、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ほかに彼女の人生になにもなかったのかと言われれば、そうではない。
命の危機に瀕した数も少なくないし、そもそもの話彼女が冒険者になったきっかけは脱走だ。
元々彼女は孤児であって、公国内部の修道院に預けられて。
敬虔な信徒として生きてきたが、そのままの生が許されるほど世界は優しくなどなかった。その修道院は彼女のような独り身の人間を売り飛ばすことを生業にしている奴隷商の息がかかっていた場所で、御歳十二を数えたハルナはそれはもうあっさりと捕縛され、売り飛ばされかけた。
運がよかったのか、悪かったのか。
護送されていた馬車が転倒し、彼女はその混乱に乗じて脱出を敢行。他の捕縛された人間を助ける余裕さえ無く、ただひたすら草木の中を駆け抜けて、気づけばたった一人、社会の荒波の中に放り出されていた。
職業に、身分証明のいらない冒険者を選んだのは当然といえば当然の流れであったし、そうなってからも何度も何度も苦労した。
だからハルナとて年齢にしては大人びて懸命に今を生きている。
……けれど結局それは、自分個人の問題だ。
他の三人のように、目指す目標がある訳でもなく。ただただメンバーが放っておけないから付いて行っている。ハルナは、そのことを少し気にしていた。
もちろん、それを誰に言うつもりもないし、何だったらハルナ自身も片鱗にしか気づいていないのかもしれない。されど、うっすらとした劣等感とどうしようもなく悶々とした気持ちだけは、小さくも彼女の心の中に積もり始めていたのだった。
「ハルナ!!」
「……プロテクトアップ!!」
ジュスタに護衛されながら、ハルナは広域魔法を打ち放った。
馬車を取り囲む大量のノーベルウルフたち。迂闊に街道を外れればカニバルプラントたちも襲いかかってくる可能性が高く、立ち回りが窮屈になってしまう状況。
だからこそ、ハルナのバフ魔法が生命線になっていた。
とは、いえ。
晴天の下、一陣の暴風が吹き荒ぶ。
少年が棒の石突を大地にたたきつけた瞬間、大地のひび割れと共に周囲を斬り裂く風の刃。
「絶波・爆砕金剛!!」
クレイン・ファーブニルの実力は、この短期間で凄まじいほどに成長した。
純粋な技量に加え、筋力と敏捷にかなりの補正がかかった彼の動きは、いつかの聖府首都防衛戦の時よりも遙かに磨きがかかっている。
「クレイン、下がれ!!」
「任せたよ!」
無様に吹き飛んだノーベルウルフたちが形成した塊を目掛けて、日光に鈍く煌めく大剣が迫る。
「バーストブレイド!!」
空気摩擦で熱さえ孕んだ、紅を帯びた巨大な鉄がノーベルウルフたちの中心を貫く。
方向性を完全にバスターブレードへと切り替えたリュディウスの実力も、以前とは比べものにならないほど上がっていた。
呆気なく大量のノーベルウルフを蹴散らした瞬間、赤と青の螺旋がリュディウスとジュスタの周囲に渦を巻く。
「……また、上がったか」
「ジャイアントウォール、行って正解だったってことなんだ」
呟くリュディウスと、ナイフを投擲しながら彼に併せて頷くジュスタ。
彼らは今までしばらく、公国の北方にあるジャイアントウォールというダンジョンに潜っていた。地上型ダンジョンなので潜るというよりは登ると言った方が正しいのかもしれないが、いずれにせよ籠もって修行をしていたのである。
その結果が、この力量の上がり具合であった。
「技術面は変わってなさそうだから、そのあたりはきっちり丁寧にね!」
「分かっているさ……クレイン!」
ロッドを振り回し、縦横無尽に敵陣を駆け回るクレインからの声。
大量の魔獣に取り囲まれた時はどうしようかと思ったが、思った以上に自分たちは強くなっていた。そのことに安堵と、慢心への引き締めを同時に行いながら彼らは次々にノーベルウルフたちを駆逐していく。
「……ブレイクアップ!!」
ジュスタ、クレイン、リュディウスの体表にうっすらと赤いオーラが纏われる。
頼れる後衛からの筋力上昇の魔法であると誰もが一瞬のうちに理解し、更なる連撃を魔獣に向けて叩き込んでいった。
「シュテンさんの言ったことは、やっぱり間違ってなかった!」
ロングロッドを振るうクレインの表情は、言葉とは裏腹に複雑だ。
それはそうだ。
ジャイアントウォールのモンスターを倒せば、手っとり早くレベルをあげることができる。そうアドバイスしてくれたあの陽気な妖鬼は、三ヶ月も前から行方不明なのだから。生きているかどうかも分からない。魔王軍の中核を担っているらしき不可思議な少女に連れ去られてしまってから、いっさい彼に関する情報はない。
もう殺されてしまっているかもしれないし、魔王軍に捕縛されてしまっているかもしれない。
自分たちのせいで。
落ち込んでいたクレインたちを励ましてくれたのは、意外にも彼の眷属である九尾の少女であった。
『眷属の自分が死んでいないのだから、彼が死んでいるはずがない』
やけにあっさりとそう言って、公国まで同行してくれた彼女とはもう別れてしまったが。心配などしていなさそうな適当な言いぐさとは一転して、彼女の表情は一貫して変わることがなかった。まるで全てを押し殺すかのように。
あの妖鬼の居ないところで笑った彼女など見た覚えがない。ハルナのその言葉もあり、公国に着くなり別れを切り出した彼女を引き留めようと思える者など誰もいなかった。たくさんの恩恵をもらい、強かったあの少女。泣きも笑いもしなかったあの少女が、どこに向かったのかなど簡単に予測できる。
きっと己の主人を探しに、だ。
それを分かっているから、ジュスタの提案でここまできた。
テツミナカンパニーという、花の街コマモイにある小さな商会。ジュスタはそこでしばらく匿ってもらったこともあるらしく、何でも屋として凄まじい情報網を持つ"ミネリナ・オルバ"なら何か分かるかもしれないと。あの少女、ヒイラギの助けになることができるかもしれないと。
「……それがまさか、こんなことになるとはな!!」
悪態をつきながら、リュディウスはバスターブレードを振るう。一撃で数匹の狼を打ち上げるその膂力は、やはりかつての比ではない。
ちょうど花の街コマモイに向かう二台の馬車を見つけ、そのうち一つに乗り込んで。
統率の取れた魔獣たちに捕まってしまったのは、運が悪かったからなのか。
「……スピードアップ!!」
様々な感情を胸の中に押し込んで、ハルナはさらに敏捷上昇の魔法を周囲に撒き散らす。とたんに他三人は残像さえ見えそうな速度で動きだし、攻撃を重ねていった。
ノーベルウルフの数も、もう多くはない。
あとは丁寧に処理さえすればいいだけの話だ。
「ハルナ?」
「なぁに、ジュスタちゃん」
「……別に」
じっとハルナを見据えていたジュスタが、返事を聞くなりそっぽを向いて、かみつこうとしてきたノーベルウルフの首を掻き切った。その鮮やかな手際を見る度に、彼女も共和国の為にと修練を積んできたことが痛いほど分かる。
自分には、なにもない。
「……ううん」
ぶんぶんと首を振って、脳内に浮かんでしまったその言葉を打ち消す。
もし本当にそうだったとしても、今は戦闘中だ。余計なことを考えている暇などない。
「……プロテクトアップ!!」
ヒイラギとしばらく一緒に居たことが逆に、ハルナのそんな思考を加速させた。
誰しも、必死になる目標があった。
別に、これ以上の悲劇がほしい訳ではない。けれども、果たして自分は何かの為に必死になることができているだろうかと思い悩む。元々、冒険者としての仕事をして食いっぱぐれることがなくなればそれでよかったのだ。
けれど、今一緒に居るメンバーはそれぞれが何かを抱えている。
抱えなければならない、ということは勿論ないだろう。けれども、それが逆にハルナたった一人の悩みになってしまっていた。
「はああああ!! 爆砕棒・轟天!!」
ぎゃん、と情けない悲鳴をあげて、最後のノーベルウルフが倒れ伏した。
その瞬間、クレインとリュディウスの二人が武器を地面に突き刺し、それに寄りかかって息をあげる。
「あー……終わった……」
「ふぅ……情けないな、まだ少し体力が足りないようだ」
「しばらく戦いっぱなしだった。別に、仕方のないこと」
反省、とばかりに自嘲する男二人に、素っ気ないジュスタの言葉。
とはいえ彼女も二人の元に言って簡単な治癒魔法を施しているあたり、仲間意識もある程度は芽生えさせ始めてくれているようだ。
「た、助かりましたぁ……!!」
「ああいえ、あたしたちも大変でしたからっ」
馬車の中で気絶していた御者も目を覚まし、ぺこぺこと頭を下げている。
彼に応対していたハルナの隣にクレインが歩んできたのは、ちょうどそのときだった。
「こういうことは、よくあるんですか?」
「いや……初めてです。ノーベルウルフ自体、小規模な群で活動するはずなのでこんな量の魔獣が同時に出るなど……」
ふむ、とクレインは顎に手をあてた。
確かにクレインの疑問も尤もだ。普段からこんなに魔獣が大量発生するのなら、馬車にはきちんと護衛がついているはずだろう。魔獣対策として、車輪に魔獣よけの打ち鳴らし板がついているところを見ると、おそらく普段はこれで十分なはずなのだ。
それがまるで、意志を持ったように――
「――さすがにこの程度の魔獣共で殺せるような相手ではなかったか。少し低く見ていたようだ」
「……っ!?」
はじかれたようにハルナが顔をあげる。
降り注ぐ日光の下、まず目に入ったのは黒い翼だった。
牙を向く、悪魔のような赤い体表の男。鋭い一本角と、黒の腰巻き。
上位種族・吸血鬼であることくらいはハルナにもよく分かった。
「おまえは……!?」
「魔界四天王……"崩"のジェイルコマンド。貴様ら光の神子を消しにきた、か弱い吸血鬼だよ」
「……こいつ」
威嚇するクレインが、当たり前のようにハルナを庇う位置に立った。
リュディウスもジュスタもすでに臨戦態勢。疲労がかさむ中、まさか四天王などに出くわしてしまうとはと歯噛みする。
強大な気配。しかし、全快の自分たちなら戦えないことはないだろう程度。故に"か弱い"と言ったのか、それとも力を未だ隠しているのか。いずれにしても、今相対できるような相手ではないということだけは確かであった。
「まあこのあたりにはまだ大量のカニバルプラントが居る。そいつらに任せるとでも、しようか……」
す、と手を振りあげた吸血鬼――ジェイルコマンドの全身から、一瞬突き抜けるような魔力パルスが発生する。同時に、殺気が周囲に充満したことを、四人とも気づいていた。
「すみません、馬車の中に隠れていてください」
「は、はいっ!」
まずい。
冷や汗を流して四天王をにらむしかなかったハルナとは違い、クレインは冷静であった。さらっと御者に指示を出すと、リュディウスと共に馬車を背にして囲む。まるで、ここにだけは来させないとでも言うように。
そんな彼らの対処に、口元をつり上げてジェイルコマンドは嗤った。
「おやおや……随分と対処が早いじゃないか。その、お嬢ちゃんを除いては」
「っ……?」
「俺にはな……人の心の弱さが見える。今のおまえは随分と脆い。面白ぇなぁ……そのくだらない悩みは……。いいぞぉ、実に、美味そうな弱さだ……」
「う、うるさい!」
「ハルナ……?」
ぐ、と杖を握りしめてハルナは叫ぶ。
その隣で、「やっぱり」と嘆息するジュスタと、心配げにハルナを見据えるクレイン。
視線が痛かった。ジェイルコマンドの言うように、くだらない悩みかもしれない。
自分だけが、なにも持っていないというのは。
けれど、それだけに。くだらないからこそ重いのだと。
くだらない、誰にも理解されない悩みだからこそ重いのだと、声を大にして言いたかった。
なのに、声が出ない。
にやにやと哂うジェイルコマンドが、空中からそっと手をのばす。
充満する魔力は闇。以前のクレインなら気絶してしまったような、濃厚な闇魔力。
やはり苦手意識は拭えないようで、冷や汗を流す彼だが、それでもハルナを守ろうと一歩前に出た。
そして、ハルナはそれがたまらなくいやだった。
「いいからっ!」
「ハルナ?!」
「えっ……あ、違うの……!!」
勢い余って怒鳴ってしまった。
それを見て、さらにジェイルコマンドは哂う。
地面に舞い降りたジェイルコマンドが、充填した魔力を放とうと構える。
ハルナはそれに真っ向から相対して。
クレインもリュディウスも、周囲のカニバルプラントの相手もしなければならない状況で混乱させられて、イヤな空気が蔓延した。
「ちっ」
ただでさえ疲労困憊だというのに、チームワークに罅が入りそうな状況に一人ジュスタは舌打ちして、目をさましてやろうとハルナの頭を小突こうとしたその時だった。
どどどどどどど、と凄まじい音と土煙。
それは、ジェイルコマンドの背後から聞こえてきたもので。
何事かとジェイルコマンドが振り向いた瞬間、どこかで聞いた頭の悪そうな声が周囲に鳴り響いた。
「人跳ねアタック!!!!!!」
「なにぃ!?」
恐怖と絶望に満ちた顔の馬が六頭、圧倒的格上存在であるジェイルコマンドに突っ込む。慌てて空中へ回避したと同時、急ブレーキと共に馬車が停止した。
「……は?」
思わず間抜けな声を出してしまったジュスタは、自らの言葉に気づいて赤面するがそれはさておき。呆然とする周囲をさしおいて、御者台から出てきた男の姿に、一同は目を丸くするのだった。
「やー、御者って楽しいなおい! 俺結構才能あるんじゃねえの!?」
「あ、ありません!! 馬たちがおびえているじゃないですか!」
小脇に抱えられた御者らしき男が必死に抗議するが、その声は青年には聞こえていないようだった。高らかに笑い、驚愕する一同に目を向けて。
「……え、な、なんで貴方が……!」
「よぉ、クレイン。リュディウスも……あとハルナちゃんとジュスタちゃんだったな。久しぶり。んで――」
くるりとジェイルコマンドのほうを振り返って、背中の大きな斧を取り出すと。顔だけで振り返ってにかっと笑った。
「――助太刀、要るかい?」




