第四話 花の街コマモイIV 『ぬるぬるうごく』
一夜明けて、出発の朝が来た。
テツミナカンパニーのある建物の前で、シュテンは一人準備運動と銘打って無駄にキレのある無駄な動きに勤しんでいた。何とも形容しがたいそのぬるぬるした運動を、テツは微妙な視線で見つめている。
吸血皇女のミネリナが最後に荷物を持ち出してくるまでの間、しばらく待機しているのだった。
気持ちの良い、朝だ。
魔大陸に滞在していた期間が長かったシュテンにとっては、やはりまだ慣れないのもあってか少し日光に目を細めることが多い。しかし元気になれるのもまた事実で、午前の太陽の下、雲一つない青空の下、シュテンはやはりぬるぬるした動きをやめずに、これから出かけるルートについて思いを馳せていた。
目的地はネグリ山廃坑。
ここからだとまずケトルブルグ港に戻り、船に乗ってジャポネに渡る。
そして北方に向かい、ネグリ山廃坑へ至るという道筋だ。
ケトルブルグまでで半日。そこにまず宿を取って、朝から船に乗ってさらに船上で一泊。ジャポネの港クチベシティから、また徒歩で一日という道程を考えると、そこそこの距離を行く旅路だ。
「そういやテツ、ここからはまた乗り合い馬車か?」
「いんや、ミネリナ嬢が馬車の予約をしてくれたそうで。もうすぐ迎えが来るはずでさぁ。もうちょっぱかし、待ちましょうや」
「あいさー」
そんなこともできるのかと一人頷きつつシュテンはやはりぬるぬるした動きを続行した。
花街道を通りぬけ、ケトルブルグ港に至り、そしてジャポネへ。
シュテンにとっては生まれ故郷である、あの名も無き山も近くにあることだろう。
クチベシティからどの程度の距離にあるのかは分からないが、何れにしたって里帰りのチャンスには変わりない。今後もまた旅を続ける中で、あれだけ"何もない島"にあと何度戻ることになるかなんて分かりはしないのだ。
だが、そう思っても少々、里帰りする気にはなれなかった。
「里帰りイコール墓参り、だもんなぁ」
ぬるぬるした動きでテツの周囲を這いずり回りながら、至って真面目な顔でシュテンは呟く。微妙な顔で、しかし視線は常にシュテンを追うテツが何気に面白かった。背中にも目があるのではないかというくらい、しっかり彼を捕捉している。
「そいつぁ、ぼかぁ聞いちゃいけない話題だったんじゃああらんせんか」
「気にするない。よく思わず口に出るんだ。隠し事が出来るタイプじゃねえんだよ、俺ぁ」
「さようで。しかし、里帰りが墓参りたぁ……鬼のお兄さんも結構、並じゃねえ人生送っとるようですなぁ」
「お前さんも抱えてる悩みはでかかろうよ。ま、俺のは俺さえ決めりゃまるっと事が運ぶ案件だ、そんなに難しくはねぇよ」
「決断ってぇのが、また一番重苦しいもんでしょうや」
「それを言っちゃぁ何も出来ねえよ」
へらへら笑いながら、相変わらずシュテンはくねくねうねうね。
テツも同じように軽薄な笑いを浮かべて、空を見上げる。
「ぼかぁ、機を逸したのやも、しれませんなぁ」
「機なんてもんは、また作ればいい。けどせっかく出来た機を逃すのはどうなんだろう、ってな。ま、俺の今の悩みはそんなとこだ」
いつかは、行きたいと思っていたところだ。
自らがまざまざと見せつけられた敗北の記憶。
金縛りにされて捕らえられ、混濁する意識の中で耳に痛いほど響き渡った己の名。
泣き叫ぶ同胞と、炎にまみれた自らの故郷。
あのままになっているかもしれないし、新たな魔族の住処になっているかもしれない。はたまた誰かしら、供養でもしてくれたかもしれないし、開拓されてそもそも山がなくなっているかも分からない。
三年半。もう、おそらくそのくらいにはなる。
それだけなら、もう吹っ切れて墓参りに行けたかも知れない。
実際問題、ガイウスによって意識を強制的に落とされた影響で名前が思い出せないのだ。さらに前世の記憶が絡んできた時点で、思い入れはそこそこ以上に薄れていたはずだった。加えて今までの旅で多くの知り合いを増やし、小さな"山"という世界以上の多くのものと触れて、それこそ心を抑えて墓参りと供養、それから謝罪くらいなら出来たかもしれない。
力も手に入れた、仇も取った。
そんな今なら、或いは助けられなかった情けない"大将"で申し訳なかったと、頭を下げに行くことくらいは出来たかもしれない。
けれど、シュテンは過去の世界で。
「オカンに、会っちまったからなぁ。やべえ、マザコンみてえな言いぐさだコレ」
ため息混じりに溢れた本音。
意外と、若き日のイブキに会ってしまったことが堪えたらしい。
前世の記憶と混ざりあって若干薄れていた過去二十年の記憶。
それが鮮明に甦るほどには、あの豪快な女妖鬼との出会いは大きな影響であったようだ。
「まあでも、だからこそ逆に行かなきゃなって思いもあるんだが」
「初めての墓参りってぇのは、どうにもきついもんでしょうや」
「あん?」
「つい最近まで、隣で笑ってたような奴らが居なくなっちまって……墓参りってぇのは、"死んだ"ってことをまざまざと見せつけられる一番のもんで……どうして、そう簡単にいけましょうや。鬼のお兄さんの悩みぁ、真っ当なもんです」
「さんきゅーな。ま、でもせっかくきっかけが出来たんだ。もののついでって感じで軽ぅく、故郷に遊びに行くことにするよ。この依頼が片づいた後でな」
「ああいや、すみません」
「元々この依頼が無かったら、今行こうとも思わなかったろうしな」
一息、吐いて思うこと。
結局心の中では、里帰りはしたかったのかもしれない。
なんやかんやと理由をつけて、今まで動かなかった自覚はある。
されど、その理由以上に、けじめは元々からつけたかったのかもしれない。
それはきっと、あの日から。
自らの眷属が過去に決着をつけた時から。……いやもしかすると、ケリをつけようと前に進んでいるあの姿を見ていたから思えたこと。
彼女は今、どこで何をしているだろうか。
「変なもん拾い食いして倒れてなけりゃいいけど」
「ところで、鬼のお兄さん」
「あん?」
呼びかけられて、ふと振り向く。
すると、テツが興味深げにシュテンの方を眺めながら、問いかけた。
「……その動き、どうやってるんで?」
「やる?」
鼻歌交じりに、ミネリナは身支度を整えていた。
テツがシュテンを迎えに行くと言って出ていってからしばらく。
彼女はリボンを髪の両サイドに結んでツインテールを作りながら、自らの血で生成した小さな手に軽いメイクを手伝わせて。
いつものように、朝の準備。
今日からしばらくの旅に備え、だいたいの手回しは済んでいた。
テツミナカンパニー休業の知らせももう出したし、昨日のうちに荷造りも済んでいる。多少重いものがあったとて、彼女の魔導で浮かせればいいだけの話。
テツの分も持とうとすると、矜持が云々と言って断られてしまうから、最近は声をかけることもないが。
ある程度最終確認を終え、鏡に映る自分を見て。
旅装とはいえ上等な絹を使ったシックなドレスと、いつものように調子の良いなめらかな髪。寝癖が直らずあわてて水浴びしたせいで少し手間取ってしまったから、もしかしたら既に二人は待っているかもしれないと思いつつ、それでも馬車が来るまでには出ようと心に決めて。
「うむ、今日もわたしは可愛いはずだね」
一人鷹揚に頷くと、部屋を出た。
後ろからふよふよと、そこそこ大きな荷物が浮きながらついてくる。
玄関を出て、鍵を締めて。きちんと休業の看板が出ていることをもう一度確認して、かつかつかつと階段を降りていく。
待たせるくらいが淑女の嗜みと知っては居ても、あまり遅れるのは気持ちの良いものではない。どうせなら相手を待った上で口八丁で奢らせるくらいの方が、ミネリナは好きだった。
表ではきっと二人の青年がぼんやりと待っているだろうと、脳内に想像を浮かべながら、
「待たせたかい?」
と口を開くと同時に表へ飛び出すと。
「うねうね」
「違う、こう、くねくねだ」
黒髪の青年が二人で、ぬるぬるダンスをしていた。
「……何をしているんだい、きみたちは。とても気持ちが悪いよ」
陶器が割れるような音を立てて、脳内での想像が弾け飛ぶ。
二年もの間連れ添っているパートナーと、陽気ながらも真っ当だと思っていた新たな友の意味不明な動きに、思わず口元をひきつらせて一歩退く。
「……こう、か。おお、出来たのと違いますかい?」
「おおー」
「だから何だねこの不気味な儀式は。教国ですら見たことがないよ」
ぬるぬるしながら手を叩く和装の妖鬼と、よりうねうねしながら完成を喜ぶ短髪の青年。はたから見れば訳が分からないおぞましい何かである。
「ミネリナを降臨させる踊り」
「まるでそのぬるぬるでわたしが呼び寄せられたみたいな言いぐさはやめたまえ! ただただ準備が手間取って少し遅れてしまっただけだ!」
「おおー、ミネリナ嬢が降臨されたー」
「だからやめたまえと言っているだろうに!」
顔を赤くして抗議する吸血皇女に、けらけらと笑う二人。
さすがにそのふしぎなおどりは辞めたのか、テツは荷物に寄りかかりつつ遠くへ目をやった。
「お、ちょうど来たんじゃああらんせんか?」
手で庇を作りつつそう呟いたテツ。
うっとうしそうに空を見上げ、手に持っていた黒の日傘を差したミネリナは馬車の来る方向へと向き直った。そして、眉根を寄せて呟く。
「うむ? ちょっと様子がおかしいね」
「ですなぁ。やたら高速と言いますか……このままだと跳ねられるやもしれませんわ」
「悠長に言う台詞じゃねえな」
あっはっは。
顔を見合わせてテツとシュテンは笑う。
「笑っている場合ではないだろう!?」
ツッコミのミネリナ。
目が飛び出すくらいの勢いで叫んだと同時、テツがすかさず彼女を抱き上げて飛び下がった。シュテンも目を細めて目測で一歩だけずれる。すると、そのシュテンの目の前ぎりぎりに馬車がつっこんできた。
「ひいいいい! ご、ごめんなさいいいい!!」
「……なんだね、全く危ないな」
急ブレーキで嘶く馬と、止まるや否や涙目で謝罪する御者。
テツに抱えられたまま、ふてくされた表情でミネリナは御者に目をやった。
すると彼は、少々寂しくなってきた頭をぺこぺこと下げつつこう言ったのだった。
「花街道に魔獣が大量発生いたしまして……仲間の馬車がとらわれまして。慌てて逃げてきたのです……!」
「花街道に魔獣……ふむ、ノーベルウルフか、カニバルプラントあたりかい?」
「え、ええ……それが百ほども。ケトルブルグからこちらに向かう途中、取り囲まれまして。空馬車であったこちらを逃がし、もう片方の馬車の乗客であった方々が今戦ってくれているのですが……」
ふむ、とミネリナは一考。
テツとシュテンに目をやり、問いかける。
「それならすぐ救援に向かうべきだね。テツ……戦えるかい?」
「魔獣相手なら、一応は」
「シュテン、頼めるかい?」
「あー、まあ人命かかってるっぽいしな」
「助かるよ」
曖昧に頷くテツと、軽く言葉を返すシュテン。
二人に満足したのか、ミネリナは御者の方に向かって言った。
「こちらは問題ない。救援に向かうから、馬車を出したまえ。なに、テツはともかくシュテンは強いし、何ならわたしが相手をしようじゃあないか。そこらの雑魚には、負けないよ」
「あ、ありがとうございます……!! ……ええとそれからですね、ミネリナ様」
「む、なんだい?」
予約していた顧客であるからか、彼女の名前を出した御者。
突然声色が変わった御者の顔をまじまじと見るミネリナと、テツ。
何のこっちゃと鬼殺しを担ぐシュテンは、双方をぼんやり眺めつつ勝手に馬車に荷物を放り込んでいた。
「その、今迎撃に出てくれている馬車の方々が、テツミナカンパニーさまに用事があるとのことでして。それだけ先にお伝えしたく思っておりました」
「わたしたちに、かい? まあかまわないが……迎撃というからには冒険者だろう? あまり乱暴な案件は受けない主義ではあるんだが……何用だろうね。名前は聞いているかい?」
何の気なしの問いかけ。
それに御者は、はぁと頷いて。何かを思い出すように空中に目を泳がせてから、こう言った。
「確か、ハルナ殿、と」
「あん?」
声をあげたのは、シュテンであった。
予想もしないところからの反応に、御者もミネリナも振り返る。
許可もなしにどかどか荷物を放り込んでいたシュテンに微妙な顔をする二人だが、それより先にシュテンが御者に問いかけた。
「メンバー、何人いた?」
「四人、ですが」
指折り数える御者。
そんな返事にシュテンは一人、目を丸くしながらも「おーけーおーけー」と頷いて。
きょとんとしたままのテツとミネリナに振り返り、言い放った。
「今代光の神子のご一行じゃねえか」
す、と。
ミネリナの瞳が細められた。