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第三章 花火大会⑦

 巡り大橋の橋の下の河川敷、芝生の坂になっている部分で、僕は亮祐と二人で座っていた。僕はわたがしを頬ばりながら巡り川を眺め、亮祐は美紀に薦められるままに買ったリンゴ飴をなめていた。結局、子どものころと変わらずわたがしを買ってしまった僕は、美紀に「やっぱ、変わらないね」と笑われてしまったのだった。

 花火の打ち上げまで、あと十数分といったところだろうか。

 僕が亮祐と二人でここにいるのは、亮祐に「ちょっと話があるから」と言われたからであった。タイムループ前の世界では、こんなことはなかった。花火の打ち上げの瞬間まで、巡り大橋の上で、四人で橋の手すりにつかまりながら、花火を今か今かと待っていたのだから。

 橋を見上げる。ここからでは見えないが、美紀と永井は巡り大橋の上にいるはずだ。

「それで、話ってなに? 亮祐があらたまってそんなこと言うなんて、珍しいじゃんか」

 僕はわたがしを食べ終えて、残った棒で草をいじりながら言った。辺りはもう真っ暗になっている。夜空には、星が見え始めていた。

「いやあ、俺だって、真面目な話くらいするよお。いつもいつもうるさくしてたら、さすがに面倒くさいじゃん」

「何だ、自覚あったのかよ!」

「誠太ちゃんはさ、はるちゃんのこと、好きなんだろ?」

 亮祐が唐突に本題を持ち込んできて、僕を見つめた。突っ込みを入れようとした僕の右手は、空中に浮いたまま行き場を失ってしまった。仕方がないので、のそのそと手を下ろし、僕は答える。

「だったら、どうだって言うの」

「最近。ここ一ヶ月くらいかな。誠太ちゃん、はるちゃんを無視してるだろ。何か、あったのか? 前まで、あんなに楽しそうに話していたのに」

 亮祐には僕が永井に嫌われようとしていたことは、ばれていたみたいだ。あれだけ露骨に無視していたら、やっぱり気づくよな、と思う心の片隅で――いや、真ん中の真ん中の奥の方で、永井は、どんな気持ちでいるんだろう、やっぱり、辛いと思っているんだろうな、という痛みが、痛む。

「色々あるんだよ、僕にだって」

 夜空を見上げる。花火は、まだ上がらない。代わりに、星たちが、空の隙間を縫うように、光っては消えていく。

「分かっているよ。別に、誠太ちゃんを責めたいわけじゃないから」と亮祐は笑った。

「何があったかは分からないけど、何かがないと、誠太ちゃんもそんな風にはならないもんな。だから、何があったかは聞かないよ。だけど、確認したかったんだ。誠太ちゃんは、はるちゃんのこと、好きなんだよな」

 永井の顔を思い浮かべる。笑った顔、頬を膨らませた少し怒った顔、寂しそうな目。僕は、永井のことが、好きだ。当たり前だ。好きだから、自分は永井の側にはいられない。タイムループ云々に限らず、そういう好きだって、あるはずだ。例え、それで相手が傷ついたとしても、それで好きな人を守れるなら。

「僕は、永井のこと、好きだ。今までも、これからも、ずっと」

 僕は真っ直ぐに亮祐を見つめて答えた。これだけは確かな気持ちだった。

 亮祐は嬉しそうに大きく頷いた。

「よしっ! 俺は、それが聞きたかったんだ。はるちゃんのことは好きだけど、言えない事情がある、と」

「うん」

「何だかよく分からないけど、誠太ちゃん、かっこいいじゃないか。その気持ち、はるちゃんにも届いているといいな」

 亮祐は、ぐっと親指を立てて、ウィンクをした。僕は「そんなことないよ。すっげえかっこ悪いんだ、僕」と静かに返す。かっこいいのは、亮祐、お前だよ。

 風が、さあっと頬を撫でるように吹いた。亮祐の明るい髪の毛がわずかになびく。

「何言ってるんだよ。誠太ちゃんはかっこいいよー。もう、優しすぎるくらいかっこいいよ」

 亮祐に頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。何も知らないはずなのに、何かを知っているようで、でもやっぱり知っているはずもない。結局、いつもの亮祐なのだった。

 ありがとうな。僕は心の中で呟く。何も聞かないでいてくれて、ありがとう。

「よし。じゃあ、今野とはるちゃんのところへ戻ろう。そろそろ、花火も始まるころだしね」

 亮祐は立ち上がって、お尻についた草を払い落とした。そして、座ったままだった僕に「ほら、行くよ」と手を差し伸べる。僕はその手は取らず、まっすぐに亮祐を見上げて、言った。

「亮祐は、美紀のこと、好きなんだろ」

「わお、今度は俺に矛先が向いちゃったかあ」

 亮祐は、僕に差し出した自分の手を、おでこにぱちんと当てて、おどけたように言った。

「今までちゃんと言葉にしてなかったけど、亮祐は、美紀のこと好きなんでしょ?」

「好きだ」

 はっきりと断言するように、亮祐は言った。そして「俺は、今野のこと、好きだよ」と続けた後、「まあ、みんな知ってると思うけどね。たぶん、今野自身だって」と手を上げて自分で自分を笑っていた。

「ねえ、亮祐。もし、亮祐がそうしたい、って言うのなら、僕が美紀に働きかけてみようか? 幼馴染の僕だったら、何かお手伝いできることがあると思うんだ」

 亮祐は静かに微笑んで僕を見つめて「そんな、残酷なこと、してくれなくてもいいよ……」と言った。僕が「え?」と聞き返すと、亮祐は慌てて笑顔を見せて「やっぱり、俺は今野のことが好きだってことだよ。だって、今野、可愛いもん」

「ふーん。亮祐にとったら、美紀は『可愛い』になるのか。僕は、美紀は『綺麗』って言った方がぴったりくる気がするんだけどなあ」

「ううん。美紀は『可愛い』だよ。何というか、照れ屋だしさ、自分勝手なようでいて、他人思いで、だからほっとけないっていうか、素直すぎるくらい素直じゃないっていうか……。俺も同じだから、何となく分かるんだけどさ。今野は、自分の気持ちをぶつけるのが、苦手なんだと思う。自分の気持ちを伝えるのが、怖いんだと思う。だから……」

「だから?」

 僕は、亮祐の顔を下から覗き込むように見上げた。亮祐は、少しだけ寂しそうな目をしていて、それはどこか美紀の目にも似ていて――僕は何だか、美紀に関して大事なことに気がついていないんじゃないかという気がした。

 亮祐は、ふっと笑って、後ろで手を組んだ。

「だから、なーんでもない。誠太ちゃんも、もうちょっと今野のこと見てあげると、いいんじゃないかな。はるちゃんのことを好きなのはいいけど、はるちゃんのことばかりじゃなくってさ」

「……うん。なあ、亮祐。僕、何か間違ってるのかな」

「そんなの、俺には分からないよ。誠太ちゃんのしていることが、今野やはるちゃんを悲しませることなら、それは間違っているんじゃないかな、とは思うけど」

「亮祐……」

「だから、俺は今野には、自分の思いは告げないつもりでいるよ。俺が今野に好きだと伝えても、今野は困るだけだから」

「何で……」

 僕が言葉を紡ぐ前に、ぴゅううう、という音があがった。川面の上に、光の帯が空に昇る。一瞬の間とともに、大きな花が空に広がった。一発目の花火が上がったのだ。菊先だった。

 立て続けに二発目、三発目の花火が上がる。花びらのような爆発音が星空を埋める。

 夜空は、一瞬で散っていく花で満ちていた。真っ白なノートに滲んだあの涙の花びらに永遠的な存在を感じたのとは対照的に、夜空に咲く花には刹那的な存在しか存在していなかった。

 亮祐がゆっくりと僕の目を見た。にこりと微笑む。花火の明かりに照らされたり、影になったりして、亮祐の笑顔の輪郭は、はっきりしない。

「美紀には、ずっと思いを寄せている人がいるから」

 亮祐は花火の音の隙間を縫うように――花火の光の線が星たちの隙間を縫うみたいにぽつりと言った。

「え? 何、それ」

 花火が真っ暗な夜空に打ち上がる。星々の間を縫って大きな花を咲かせる。一瞬で散って、無数の花びらが舞い落ちた。

「誠太ちゃんは、近くにいすぎるんだよ。だから、美紀のことが見えないんだよ」

 亮祐の表情はどこか寂しげで切なくて――悲しそうにも見えたのは、なぜだろう。

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