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第三章 花火大会④

 その日の夜、僕は自分の部屋で勉強机に向かっていた。夏休みの宿題である数学の問題集を開いて答案をノートにすらすらと書き上げていく。こんなに簡単に問題が解けるのも、当たり前のことなのだろう。何しろ、タイムループしてくる前と全く同じ問題集なのだから。

 見開きのノートが、計算式と解答でいっぱいになってしまったので、ノートを次のページへとめくった。計算式の続きを書こうとしたところで、勉強机の脇に置いてあったケータイがブーン、ブーンと震動した。画面をタッチして確認すると、永井から文芸部全員へ向けての一斉送信メールだった。

「こんばんは。永井です(部長ですよー)。『夏休みが終わるまでに長編小説を一本書き上げようプロジェクト』の夏合宿日程が決定しました! 八月二日~五日の三泊四日。場所は、今野さんの家です(今野さん、すみません、お邪魔します)。何か聞きたいことがありましたら、永井のケータイまで!」

 ケータイを机の上に置いた。再び勉強にとりかかろうとシャーペンを握ると、間髪入れる間もなく、ケータイがバイブレーションした。ふうっとため息をつきながらケータイを見ると、時田からのメールだった。まさか、時田からメールをしてくるとは思ってもいなかった僕は、慌ててケータイを操作する。

「メールしてみました! これからよろしくお願いしますね。仲良くなれたら、嬉しかったりします。メール、ちゃんと、届いていますよね?」

 少し考えて、返信メールを送った。

「こちらこそ、よろしく。ちゃんと届きましたよー」

 程なくして、またケータイが鳴る。

「了解しました。夜分遅くにすみませんでした。遠野くんって、本当は優しい方なんですね。では、また」

 夜分遅くに、というほど夜は更けていない。まだ、二十時を過ぎたところだった。それに、本当は、優しい方なんですねって……。

 何か、時田のイメージ違うなあ、と机に肘をつきながら時田のメールをぼんやりと眺めていると、またまたケータイが鳴った。今度は、美紀からの電話だった。

「もしもし。私だけど」

「もしもし、どうかしたの?」

「いや、あのさ、去年、っていうか、今年っていうか、えっと、この前、でもなくて、何て言うんだろ。この後の、でも変かなあ」

「なに、どうしたの?」

 僕は、思わず「ふふっ」と笑ってしまった。ケータイを耳に押し当てながら、言葉を探しあぐねて頭を押さえている美紀の姿が思い浮かぶ。今は、部屋にいるから髪も下ろしているんだろうな。

 僕は机から立ち上がり、窓の前に立ってカーテンを開けた。美紀の家の明かりが見える。美紀の部屋は、カーテンがひかれていた。

「とにかく、タイムループする前の合宿ってどんな感じだったの? ってこと。私、前はずっと陸上部の方に出てたから、よく知らないんだけど」

「あ、なるほど。まあ、あまり真面目にはやってなかったかなあ。それなりに書き進められたけど、僕も、亮祐といっしょにキャッチボールしたりして遊んでることもあったから。それに、ゲーム大会とかもやったりしてさ。遊んでたなあ、という記憶の方が圧倒的に強いかな」

「ふーん。他には?」

「うーんとね、美幸さんが張り切っちゃってさ、毎晩豪勢な料理を振舞ってくれたよ……って、これは美紀も知ってるのか」

「うん、知ってるね。まだ他にある?」

「他に? どうだろう。ちょっと待って、思い出すから」

 そう言って記憶を呼び起こしている間に、美紀は唐突に切り出した。

「……は、はるちゃんとは何か、なかったの?」

 なるほど。本題は、それか。僕は心の中で深呼吸をする。美紀の部屋のカーテンは開かない。

「永井は、ずっと真面目に書いてたよ。僕と亮祐は合宿中に三十枚くらいしか進まなかったけど、永井は確か百五十枚くらい書いてたし」

 美紀からの返事はなかった。電話越しだから、表情も分からない。受話器の中で雑音が響くだけで、しばらく無言の時間が続いた。

「話がないなら、電話、切るよ。今、宿題やってるし……」

「はるちゃんと!」

 雑音の中から、美紀の声が響いた。電話は、顔の表情が見えない分、声の心が直に伝わってくる。大きな声だった。高く響いた声だった。でも、どこかくぐもっていて、湿り気があって――だから、怒っているわけではない、心配してくれている声なのだということも、分かる。

「はるちゃんと付き合わないっていうのは、納得できないけど、分かったよ。……それが、時田の気持ちを逆なでしちゃった、のかもしれない、んだったら」

 途切れ途切れに言葉を選びながら美紀は話す。僕は無言で美紀の言葉を待った。

「でもさ、はるちゃんにあんなに冷たくしなくても、いいじゃない。ただ付き合わないと決めるだけで、いい話なんじゃないの? 仲良くしていたって、何も問題ないじゃない。だって、誠太から告白したんでしょ? だったら、誠太が告白しなきゃいいだけだし……。今のままじゃ、誠太もはるちゃんも、悲しい気持ちになるだけだよ……」

 言葉の尻尾が下がる。僕は声を大きくして力強く答えた。

「万が一があっちゃ、ダメなんだ。たぶん、永井は、この時期にはもう僕のことを好きになってたんだと思う。例え僕が告白しなくても、永井が僕に告白をして、そのことが時田の耳に入ったら、きっと同じことになるんだと、思う。だから、僕は永井から好かれてもダメなんだ……。嫌われて、僕のことなんて、どうでもいいって、そう思ってくれなきゃ、ダメなんだよ」

「……意味ないじゃん。そんなの、意味ないじゃん。そんなことをして未来が変わったって、何も意味ないじゃん!」

 かすれた声だった。でも、耳にも心にも響く声だった。意味が、ない、か。涙腺が、じんわりと熱くなる。でも、涙は流さない。泣き声にも、ならない。僕は続ける。美紀に向けて、というよりむしろ、自分自身に向けて。

「永井が生きていてくれれば、それでいいんだ。それに、永井を笑顔にできるのは、僕だけじゃない。常盤くんだって永井のことが好きだ。時田も、永井のことを想っている。それに、亮祐だって、美紀だっている。永井を笑顔にできる人は、こんなにもたくさんいるんだ。だから、僕じゃなくても、いいんだよ。それが、永井を守ることにつながるなら、それが永井の笑顔につながるなら、僕はそれでいい」

「誠太……。あんた、バカなんじゃないの」

「美紀だって、そうだろう? 美幸さんがいてくれれば、それでいいって、思うだろう?」

 ノートに書かれた数式が目に入る。途中計算がずらっと並び、答えはX=3と12となっていた。そうなんだ。別に、答えが3である必然性なんて、どこにもない。代わりの12という答えがいてくれるのだから。

「バカ」――美紀の声が、寂しく耳に伝わるのに、どうしてだろうか、少しだけ温かい気持ちにもなれた。

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