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無音の響き (2)

 

「ねえ、どうしてそんなに原田さんのことを目の仇にしてるのよ」


 原田に先導されての道すがら、茉莉が不思議そうにヒカリを見やった。五メートルほど前方を歩く原田の背中にちらりと視線を投げかけ、ふう、と溜め息をつく。


「ヒカリが言うほど悪い人じゃないと思うけど」

「随分あいつの肩を持つじゃねーか」

「だって、原田さん、私に訊かないんだもん」

「何を?」


 怪訝に思って眉根を寄せるヒカリに、茉莉が悪戯っぽい表情で片目をつむってみせた。


「『彼女、いつもあんな感じにつんけんしてるの?』とか『どうしてあんなに男みたいな喋り方してるの?』とか」

「何だそれ」


 反射的に言い返したものの、それらの台詞はヒカリにとって決して珍しいものではなかった。


『ヒカリちゃん、どうしてそんなに乱暴な言葉を使うの?』


 さも不思議そうに投げかけられる問いかけの言葉。だが、そこに潜んでいるのは「疑問」ではない。おのれの期待にそわぬものに対する、「非難」だ。


『お姉ちゃんと同じように育てたはずなのに、一体何の影響なのかしら』


「……何だそれ」


 再度ぼそりと呟いたヒカリに、茉莉がにんまりと笑いかけてくる。


「だからさぁ、上っ面だけじゃなくて、きちんと中身も見てくれてる、ってことじゃん」


 朗らかな茉莉の声に、ヒカリはほんの刹那口を引き結び……それからそっと顔を背けた。


「――だから、ムカつくんだよ」


 


 数分後、三人は大学構内の奥にある池のほとりにやってきた。傍に建つ古ぼけた鉄筋コンクリート造りの四階建てが、文化系クラブの部室が集められた文化部棟だ。一階の薄暗い廊下を突き当たりまで進んだ左手に、原田が所属するという工作研究部の部室がある。

 趣味の工作に勤しむ人間ならば来る者を拒まず、という同好の会だけあって、部室の中はその趣旨を反映して混沌としていた。ヒカリも茉莉もここを訪れるのは今日が初めてで、高校までの部活動とは違う大学ならではの自由な雰囲気に、しばし無言で辺りを見まわした。


 入り口を入ってすぐ右手は壁で、正面には腰高窓がある。広さは十畳ぐらいだろうか、奥行きよりも横方向に長い部屋は、左手奥の壁を除く三面がオープンラックに埋め尽くされていた。棚に並べられた大小さまざまな箱には、布だの木材だの針金だの多種多様な材料の名前が書かれたラベルが貼られ、文房具や工具、裁縫用具の名が記された小抽斗(ひきだし)から電動工具や溶接機まで、雑多な品物が隙間なくラックに詰められている。


 部屋の真ん中には八人掛けぐらいの大きなテーブルがでんと据えられていて、その向こう、唯一壁が見える左手奥には四十インチはくだらないサイズの液晶ディスプレイがあった。ディスプレイの傍にはカラーボックスがあり、テレビのチューナーとは別に何種類ものゲーム機が棚からケーブルをだらしなく垂れさがらせている。テーブルの向こう端にぞんざいに置かれたゲームコントローラーと携帯ゲーム機、その横に山と積まれているマンガ雑誌を見て、ヒカリは思わず眉をひそめた。随分居心地の良さそうな部屋のようで、と口元を歪めかけたところで、部屋の隅に積まれたシュラフに気づき、ヒカリは思いっきり脱力してしまった。「秘密基地みたい」と目を輝かせた茉莉の呟きが、とどめを刺したようでもあるが。


「いい部屋だろ。冷暖房完備で、炊飯器もあるから米も炊けるぞー」


 なるほど、窓用換気扇の下に位置する棚の上には、炊飯器が見える。


「もしや電子レンジもあるとか?」


 目を輝かせながら茉莉が原田を振り返った。


「残念。レンジはないけど、トースターはあるぞ」

「えー、それじゃあ主食ばっかりじゃないですか」


 本気でがっかりしているふうな茉莉に、さしもの原田も苦笑を浮かべるしかない。


「トースターは、プラ板とかの工作に使うからな」

「え? じゃあ、炊飯器も何かに使うんです?」

「それは、白ご飯が大好きな先輩の置き土産」


 そんな呑気な会話を交わしつつ、原田は部屋の隅からスチール製の丸椅子を二つ持ってくると、二人の目の前、テーブルの短辺に沿って並べた。二人を丸椅子に座らせ、茉莉から紙袋を受け取り、テーブルの上に散乱している書類やらコップやらを大雑把に隅に寄せ、空いた場所にオルゴールを置く。

 物がのけられあらわになったテーブルの天板に、直径二センチほどの穴が等間隔に並んでいるのを見て、ヒカリと茉莉は思わず顔を見合わせた。よくよく見れば天板の側面にも同様の穴が幾つかあいている。いやそもそも天板の厚さが十センチ近くもある。


「ああ、これ、作業台なんだよ」


 マンガ雑誌の山の陰からスタンドライトを引っ張ってきた原田は、真剣な顔でテーブルを検分する二人を見て口角を上げた。


「横の穴には木製の万力(バイス)が取りつけられるようになってる。天板の穴は、バイスピンっていう棒を差して加工対象を固定するためのものだ」

「そういえば、技術室の机にも端っこに四角い穴がちょこっとあいてて棒が刺さっていたような……」


「ね?」と茉莉に問いかけられたものの、残念ながらヒカリはよく覚えていない。


「ご明察。あれは『はねむし』っていって、カンナを使う時に木材が滑っていかないようにするためのものなんだ。固定する、というよりストッパーって感じだけど、まあ同じようなものだな」


 うっかり茉莉と一緒に「へぇー」と感心しそうになったヒカリは、慌てて表情を引き締める。幸い原田は気づかなかったようで、ガタガタと音を立てながらテーブル改め作業台の下からベンチを引っ張り出して腰をおろし、「まァそれより、こいつだ、こいつ」とオルゴールを手に取った。

 スタンドライトを点ければ、アクリルのキューブがまばゆく輝く。

 原田はオルゴールの底面を外すと、何やらごてごてと機器が取りつけられた大きなルーペをどこからともなく取り出してきて、剥き出しとなったムーブメントに近づけた。


「……やっぱりな」

「何がですか?」


 興味津々の茉莉の後ろから、ヒカリも原田の手元を覗き込んだ。渋々といった表情を作るのは忘れないようにする。


「あー、これじゃ見づらいだろ。ちょっと待って」


 そう言うと原田は腰をあげ、ディスプレイの電源を入れた。入力を切り替えたのち、傍の棚から黒いケーブルを一本引き出してくる。ルーペ側面の小さな蓋を開け、ケーブルのコネクタを差し込んだ途端、ディスプレイにルーペを通した映像が大写しになった。


「ここが、破損箇所だ。わかるか?」


 原田の手の動きに合わせて、画面一杯に映し出された鋼鉄色が、ゆっくりとスクロールする。


「変だな」


 ヒカリは思わず呟いていた。


「え? 何が? 何が変なの?」

「切断面が滑らかすぎる」

「そのとおり」


 やっと気づいたか、と尊大な態度で一言つけ加えてから、原田が慎重にルーペの位置を調節した。

 画面の中が大きく揺れたかと思うと、今度はその中央に、一本の水平なラインが映し出された。


「問題の歯だけを一本、こう、上に反らせて、切り取ったんだろうな。薄刃のニッパーを使えば、簡単だ」


 なるほど、画面に映るこの線は、上と下の両方から固い刃で挟み切られた痕に違いない。

 原田の台詞を受け、ヒカリは画面からオルゴールへ目を移した。


「つまり、この櫛の歯は、何者かの手によってわざと工具を使って切り取られたと考えていい、ということか」

「そう。ところで松山さん、破片は見つからなかったんだよね?」


 いきなり話を振られた茉莉は、跳ねるように背筋を伸ばした。


「は、はいっ! それはもう、目を皿にしたつもりで探したけど、箱の中にも紙袋の中にも見あたらなくって、どこかに飛んでったかも、って思ってリビング中を隅々まで見てみたけど、やっぱり無くて」

「ということは、やはりこの歯を切り取ったのは、その送り主である可能性が高いな……」

「え、でも、サトル兄ちゃんがなんでそんな……」


 絶句する茉莉の横で、ヒカリは思いつくままに口をひらいた。


「まさか嫌がらせってことはないだろうが……」


 そのあとを受けるようにして、原田が「それか、ある種の挑発行為とか」と顎をさする。


「ネタ振り、きっかけ作り、とか……?」


 顔も知らないサトル兄ちゃんとやらの行動原理を推測するのは難しい。うーん、と考え込んだヒカリは、ふと、茉莉があっけに取られた表情できょろきょろと顔を動かしていることに気がついた。不思議なものを見る目つきで、忙しなくヒカリと原田とを見比べている。

 次の瞬間、ヒカリはハッと我に返った。折れた歯の謎に集中するあまり、ついうっかり原田と屈託のない会話を交わしてしまっていたではないか。慌てて奥歯を噛み締めて、行き場のない腹立たしさを視線に載せて茉莉にぶつける。

 ヒカリのまるっきりの八つ当たりを、とてもイイ笑顔で受け流した茉莉に、原田が「ええと」と水を向けた。


「そもそも、お姉さんと、その『サトル兄ちゃん』ってのは、どういう人でどんな関係なんだ?」


 再び自分のほうに話の矛先が回ってきたことで、茉莉はヒカリ達の観察をやめて姿勢を正す。


「姉ちゃんは……私よりも三歳上で、音大に通ってます。専攻はピアノで、結構腕はいいみたい。見た目もそこそこ美人なんだけど、中身が……中身が……」


 そこまで語って、茉莉はぶるりと身を震わせた。


「……昔、姉妹喧嘩の時にブリタニカ投げつけられたし……、この間は、電車で遭遇した痴漢をボコボコにして駅員に引き渡したって……」

「ボコボコに!?」


 ヒカリが我が耳を疑うのと同じタイミングで、原田も同じく驚きの声を上げる。


「逃げようとした痴漢に足を引っかけて転倒させて、逆上して殴りかかってきたところを鞄で返り討ちにした、って……」

「鞄で?」


 またも異口同音に発せられた問いかけに対し、茉莉は視線を虚空へと向けた。


「レポートのために本を山ほど借りて帰ってきたところだったらしく、めちゃくちゃ重い鞄だった……」


 しばし沈黙があたりを支配する。

 原田が感心したような表情で、ふー、と息を吐き出してから、ニヤリと傍らを見やった。


「……要するに、雛方みたいな性格、と」

「冗談! 私は百科事典を粗末に扱ったりしない」

「ブリタニカじゃなくて! 私の心配をしてよ!」


 話題が逸れた元凶がおのれであることを自覚しているのかいないのか、原田が「まあまあ落ち着いて」と調子のよい態度で茉莉をなだめた。


「で、そのツワモノなお姉さんに、そのサトル氏がいわくありげなプレゼントをした、と」

「姉ちゃんと同い年って言ってたっけ」

「そう。高校までずっと同じ学校でねー。落ち着いた感じの、『これぞお兄ちゃん』ってふうに頼れるカッコイイ兄ちゃんなんだけど、面倒見の良いところにつけ込まれて、姉ちゃんに振りまわされてるって言うか、尻に敷かれてるって言うか、いじめられてるって言うか、虐げられてるって言うか……」


 並びたてられるほどにどんどん穏やさを失っていく言葉の数々に、ヒカリは眉を思いっきりひそめてしまう。


「ちょっと待て、『お互い意識し合ってる二人』じゃなかったのか?」

「世の中には色んな愛のカタチがあるんだよ」


 と、わざとらしく頷く原田に、ヒカリは容赦なく視線を突き刺した。


「知ったふうなことを」

「お子様には解んねーだろうけどなー」

「解ったフリしてボケかます馬鹿に言われたくないね」

「もうっ、サトル兄ちゃんの話、聞くの? 聞かないの!?」

「あ、すまん」


 もしやこれが姉譲り、と思わせる怒声を張り上げる茉莉に対して、二人は声を揃えて姿勢を正した。


「……で。ついこの間、兄ちゃんが、東京に就職が決まったらしくって。姉ちゃんは、もうこっちでピアノの仕事が決まってるし……、どうなるんだろう、どうするのかな、って思ってたら、それから二人とも全然お互いに顔を合わさなくなって……」


 そこで茉莉は、一際大きな溜め息をついた。


「このまま終わってしまうのかな、って矢先に、プレゼントよ。たぶん初めての。袋覗いたら、蓋の閉まりきっていない箱が剥き出しなのよ、つい中身見てしまいたくなるよね!?」

「ノーコメント」


 またも二人の声が揃う。

 いち早くそのことに気づいたヒカリが反射的に原田を睨む。しかし原田はじっと何か考え込んだきり、どうやら周りが目に入っていない様子だ。

 やがて彼は神妙な顔でオルゴールを手に取ると、もう一度ゆっくりハンドルを回し始めた。

 一音欠けたむず痒い旋律が、静かな部屋に流れ出す。


「何の音が折れているんだろうな……」


 原田の呟きを受け、茉莉が少しだけ誇らしげに胸を張った。


「姉ちゃんだったら、すぐにわかるかもだけど」

「もしや、絶対音感ってやつ?」


 ヒカリがそう嘆声を漏らすのとほぼ同時に、原田の口から「なるほど」と呟きが漏れた。


「なら、この欠けている音に秘密がありそうだな」


 もう少し調べてみるか、と言葉を継ぎ、原田が立ち上がる。


「誰か詳しそうな奴に話を聞きに行こう」

「ありがとうございます!」


 ぱあっと表情を明るくする茉莉の横で、ヒカリは小さく鼻を鳴らした。この謎の行方が気になるだけではない、この男との謎解きをうっかり楽しく思ってしまっている自分に気づいてしまったのだ。


 ――こんなことで、胡麻化されたりしないんだからな。


 ヒカリは一人静かに唇を引き結ぶ。


「雛方も来るだろ?」


 アクリルカバーを付け直したオルゴールを手に、原田がニカッとイイ笑みを浮かべた。


注)文部省唱歌「ふるさと」はパブリックドメイン作品です。

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