暗転
少し残酷な表現が含まれます。
暗転
ズッズウゥゥゥン!
一瞬、地響きの様な振動が起き、二人は目眩に襲われた。
次の瞬間、気が付けば薄暗い山の様な所だった。
「何?……どうしたの?……」突然の変化に二人は警戒して辺りを見回している。
「結界?……」美貴はその空間の異常さから、結界を張られた事を感じた。
「結界って……なんでだよ、又カラスが襲ってくるのか?」龍之介は経験から、上空を警戒して辺りに武器になる物が無いか探している。
「あっ、部長!」美貴は、邦博と体を寄せ合っている部長を見付けた。
部長達は美貴達に気付いて、駆け寄って来た。
「なんなのこれ……港に居たんじゃ……」非常識な出来事に、何時もは自信家の部長もすっかり怯え、辺りを見回している。
「何処なんだよ此処?」邦博が、怯えながら龍之介に聞くと、
「俺にも分からんよ……」と、武器になりそうな一mぐらいの枝を拾い上げて、龍之介は邦博の方へと振向くと、其処には、邦博の腕にしがみ付き寄り添っている部長が居た。
二人の様子を、龍之介が訝しげに見ているのに気付き、二人は慌てて離れた。
そんな二人を見て、
「邦博……」と、龍之介が何か言いかけた時、
「部長!」大声で呼びながら司と翔子が走って来た。
「どうしたのよ、皆。此処は何処なの?」
翔子も、現状が理解出来ずに不安な表情を浮かべている。
「鬼追」龍之介が、美貴に問いただすようなに声を掛けると、美貴は不安げな顔で首を左右に振って、
「私にも良く分かりません。いきなり此処ですから……」と言って、辺りを見回した。
美貴も現状が理解出来ないでいたが、自分のせいで巻き込んだ事は感じていた。
そして美貴は、空を覆う結界を見て、今まで二度経験した物とは桁違いに広範囲に渡っている事に、不安と恐怖を感じた。
薄暗くどす黒い紫色の雲の様な物に囲まれ空間は、周りを見れば山である事は分かる。
その範囲は、ざっと一つの山を覆っている様にも見える。
美貴達がいる場所は、細長く開けている場所で、片方は崖なのか地面が消えて下の森が見えている。そして、もう片方は山の斜面が迫っていた。
美貴は、この場所に見覚えがあった。
この場所の下には、鎧武者と戦った川がある筈だと。
「白ちゃん!」美貴は、自分だけではどうしようもないと判断して白菊を呼んだ。
「よいのか?出ても」白菊は、何も知らない部長と翔子に気を使っている。
「緊急事態よ」美貴が重々しく言うと、空間が仄かに光り、白菊が姿を現した。
姿を現したと言っても、龍之介と美貴意外には、人魂の様な狐火としか見えない。
「何、それ……」真っ青になって驚いている部長を見て、そりゃ驚くわねと、美貴は思った。
「部長、大丈夫です」邦博が、怯えてしがみ付く部長の肩を抱き寄せる。
龍之介が二人を見て、また不審そうな顔をした。
龍之介は、二人を見て沸き起こった漠然とした疑問を尋ねたかったが、何故か怖くて聞く事が出来無い。
「人魂なの?」翔子は狐火の白菊に近付き、じろじろと観察しながら、
「人魂って燃えてるの?……熱くは無いみたいね……」と、指でつんつんと突付いている……
美貴と龍之介には、頬を突かれて迷惑そうな顔で我慢している白菊の姿が見えていた。
美貴は『白ちゃん……我慢してね』と、心の中で呟いた。
司は、そんな翔子を見て、
「怖くないんですか?……」と、予測は出来た事だが、翔子らしい反応に呆れていた。
翔子は、狐火を突付きながら司へと振向くと、
「なんで?どうして怖がるの?」と、平然として言った。
「大体、幽霊とかを何で怖がるのよ?」と、憮然と翔子が尋ねると、
「それは……呪われるとか……取り憑かれて、殺されるとか……」司は考えながら、おずおずと答えた。
「そんなの恨みを買った人がでしょ。私は人に怨まれる様な事をした覚えは無いわ」
「えっ!」きっぱりと言い放った翔子に、皆が驚いて目を剥いた。
「なによ……」皆の反応が気に食わなかったのか、翔子は眉間にしわを寄せた。
龍之介は、白菊の様子を気にしながら、
「後で、説明してやるから……止めろって……」と、翔子の腕を引っ張り白菊から離し、
「鬼追、どうなんだ、おかしな奴はいないのか?」と、美貴の方に振向いた。
「分かりません……白ちゃん分かる?」美貴は首を左右に振って答え、白菊の方を見る。
「空気は可也悪いね、此処……何か、丸ごと飛ばされた……いや、引き寄せられたみたいですね」白菊の顔に、戦闘態勢の赤い隈が浮き上がった。
「丸ごとって……港にいた皆を……」その能力の強さを考えると、美貴の心は恐怖に震えた。
狐火から聞こえる声に、
「へぇ……喋れるんだ」翔子は、狐火を好奇心に光る目で見ている。
部長は怯え邦博の腕にしがみ付く。
その部長と邦博の姿を見て、龍之介の心は締め付けられる様に痛んだ。
その時、白菊が何かの気配に感付き、急に髪の毛を逆立て、
「主!気を付けて!」と、叫んだ。
すると、遠くの方から、がしゃっ、がしゃっ、がしゃっ、がしゃっと、硬いものが擦れる音が近づいて来る。美貴は『奴だ!』と、悟った。
小さな黒い影が近づいて来て、やがてはっきりと其の姿を現した。鎧武者だ。
鎧武者は刀を抜いて、鎧のこすれる音と供に、美貴達を睨み付けながら近付いて来る。
さすがに翔子も、これには、やばいと感じて司と共に龍之介の後ろに隠れた。
迫る鎧武者に、美貴達は何も出来ずに、じりじりと後ずさる。
「白ちゃん、どうしよう……」
「主と妾だけなら、何とかやり様もあるのだが……数が多い……守りきれん」
全身を狐火で包み、皆を眺めながら、白菊は鎧武者に対して無力な自分を痛感している。
「そんな……あっ!逃げて!」鎧武者が太刀を振り上げた姿を見て、美貴が叫んだ。
が、皆は何の事かと、美貴を見ると、
「ええいっ、間に合わない!」と、美貴は飛び出した。
美貴は、太刀の射線上にいる部長と邦博に飛び掛り、突き飛ばす……その瞬間、鎧武者の放った三日月型の衝撃波が、その場を通り過ぎ地面を引き裂いた。
飛び散り飛んで来る土砂を、腕で防御しながら、
「な、なんだ……」龍之介達は、その非常識な現象を見て、顔色を失った。
間一髪の所で逃れた美貴は立ち上がりながら、太刀を振り上げる鎧武者を見て、
「もう一発来る!」攻撃を察知し、手を掴み二人を起こすと、
「こっち!」と、二人の手を引っ張り逃げた瞬間、また衝撃波が二人が倒れていた地面を切り裂いた。
二発目を交わして美貴は、不味い事に気が付いた。後が無い崖っぷちに三人は立っていた。
「逃げれない……来る!」と、察した美貴は、邦博と部長を庇う様に抱き付き、
「白ちゃん!」すぐさま振向き白菊を呼ぶと、
「はあぁっ!」白菊は三人の前に立ち、狐火で障壁を張った。
三日月の様に飛んで来た衝撃波は、白菊の障壁に遮られ、砕け散るように消えた。
衝撃波が衝突し、その凄まじい衝撃から空気が震え、白菊の障壁も消し飛んだ時、地面にひびが走り、美貴達は不気味な振動に襲われた。
次の瞬間、美貴達が立っている地面が滑る様に動いたかと思うと、一瞬にして崩れ落ちた。
「あっ!」美貴は、邦博の手を掴み二人は崖下へと落ちて行く。
「きゃっ!」部長もバランスを崩しながら落ちて行く。
「白ちゃん!部長、お願い!」美貴は邦博を引き寄せ、胴を抱きかかえながら白菊に叫んだ。
「承知!」白菊は瞬時に実体化し、部長に追い着き部長を捕まえた。
美貴は、崩れて来る土砂を避けながら、邦博を抱かかえ、足場になる所を選んで飛び移りながら、五十m以上はある崖を降りて行った。
「大丈夫ですか、怪我は?」下の川に降りきって、美貴が邦博に心配そうに尋ねると、
「だ、大丈夫みたい……」と、生まれて初めて経験したフリーホールの恐怖に震えていた。
「白ちゃん!」美貴は、部長が心配で白菊の方を見た。
「大丈夫です、早く上に!」白菊は部長を無事に下ろし、美貴に向って飛んで来る。
部長と邦博は、始めて見る実体化した白菊の姿を、不思議そうな顔で見ていた。
「分かった、白ちゃん飛ぶよ!」美貴は、上に残っている龍之介達が心配で、
「先輩……無事でいて……」と願い、白菊の背中に掴まった時、
「……駄目みたい……」と、白菊が辺りを警戒している。
「えっ……何?この気配……」美貴も異様な気配に感付いて身構える。
そして、小川の下流から、蠢く者達が姿を現した。
「やだあぁぁ!また、ムカデ!何匹いるのよぉ!」美貴は、今度は気絶せずに絶叫した。
「ひっ……」しかし部長は、巨大なムカデを見て瞬時に気絶し倒れ、
「ぶっ、部長!部長!」それを邦博が受け止め抱かかえ、叫びながら揺り動かしている。
目の前のムカデ達は、一昨日戦ったムカデに比べ遥かに大きく、赤黒い筋が血管の様に全身に浮き出ていた。
美貴はムカデに嫌悪を感じながらも、ムカデ達の様子がおかしい事に気が付いた。
「……何してるの?……」迫ってくるムカデの後ろで、数十匹のムカデ達がのたうち、何かに群がっている。
そして、近付くムカデ達に続いて、上流の方からもムカデ達が迫って来る気配がした。
「どうします……」白菊が不安な様子で聞いて来た。
「どうするも……先輩達を一人づつでも先に上に運んで!その間、私があいつ等の相手をするから!」
美貴は、手近に落ちていた五十cmぐらいの枝を拾い上げると、気を送り込みムカデ達に向って構え、
「早く!」と、白菊に叫んだ。
「しかし、主!」白菊は、残る美貴の事が心配だ。
「早く行け!」美貴が、躊躇している白菊に苛立ち怒鳴ると、
「あっ……」その姿に白菊は、現役時代の百合を思い出し姿を重ね、今の美貴なら大丈夫だと思った。
「……承知」白菊は、少し微笑みながら返事をすると、気を失っている部長に振向き、
バシッ!ビシッ!と、躊躇う事無く往復びんたを食らわした。
「わあぁぁぁ!」驚き声を上げる邦博を他所に、
「目を覚ませ!早く!」と、再び容赦無く往復びんたを食らわせた。
「ひえぇぇぇ!」可愛らしい少女姿の白菊の、無慈悲な攻撃に邦博が悲鳴を上げる。
「うっ……うう……」頬の痛みで気が付いた部長に、
「つかまれ!」と言って、白菊は背中を向けた。
「えっ?」部長は、訳が分からずに戸惑っている。
「上に行く!早くつかまれ!」
「えっ?あっ、う、うん……」部長は遠慮気味に、いや、初めて見る不思議な少女が何者か分からずに、小さな白菊の体へと、恐々(こわごわ)負ぶさった。
「もっと、強く!」
「はっ、はい!」白菊の怒鳴り声に部長は一瞬驚いたが、素直に従い強くしがみ付いた。
「行くぞ!」と、白菊がしゃがみ、勢いを付けて飛び上がると、
「きあぁぁぁ!」と、部長は、始めてのカタパルト発進の体験に絶叫した。
美貴は白菊が飛び上がったのを見て、躊躇せず一気に迫るムカデへと飛び掛った。
一昨日の美貴とは違う。今は白菊に操られていない。自分の意思で戦っている。
龍之介の事が心配で早く助けに行きたいのに、それを邪魔するムカデ達は、美貴にとって明らかに敵だった。敵に対して戦う事を躊躇しない。それが鬼の血を持つ者の性である。
ムカデが、飛び掛る美貴に対して、臨戦態勢を取る為に胴を立ち上げた時、美貴はムカデの頭へと一気に光る枝を振り下ろし叩き付けると、光が炸裂しムカデの頭は砕け散り、続けて胴体も飛散しながら、どす黒い霧となって消えていった。
それを見ながら着地した美貴は、
「よし、いける!」と、美貴は自信を持ち、次の迫るムカデへと飛び掛った。
邦博は美貴の後ろで、谷の斜面に寄り添い、震えながら其の様子を見ていた。
崖の上に降り立った白菊は、龍之介達と鎧武者の姿が無い事に気付いた。
「どうした?……何処に行った?」白菊に不吉な予感が走ったが、今は考えている暇は無い。
「此処で隠れて待っていろ!」太い木が立ち並ぶ場所で、不安そうに立っている部長に指示すると、白菊は崖下へと飛び降りた。
美貴の気の気配に感づいて、何かに群がっていたムカデ達も、ぞろぞろと美貴の方に向って来た。
「たあぁぁぁっ!」美貴はそれを見て、ムカデの群れへと踊り込んだ。
「主!大事無いか!」部長を上に降ろし戻って来た白菊が、邦博の隣に降り立ち叫んだ。
「構うな!早く行け!」美貴は、ムカデ達に囲まれ、凄まじい勢いで舞い踊り、次々にムカデ達を叩き潰している。
「百合殿の血じゃな……」白菊は呆れる様に呟くと、邦博を連れて上へと飛び上がった。
美貴は、休む事無く光る枝を振るい、ムカデを達を叩き潰していたが、美貴の膝が急に力が抜けた様にがくっと折れ、その場にしゃがみ込んだ。
「な、何?……これ……」美貴は、膝を付きながら苦しそうに胸を押さえた。
胸が焼ける様に痛み、重苦しい重圧感が美貴の体に圧し掛かる。
まだ、可也の数が残っているムカデ達が迫って来るのを見て、
「くそっ……」美貴は胸の苦しみに耐え、立ち上がりムカデ達に向かい構えた。
が、その時、胸の苦しみが激痛に変わり、
「ぐふっ!」と、唸り声を上げて美貴は、痛みに耐え切れずその場に倒れてしまった。
「くっ、く、くそ……」美貴は顔だけを上げて、苦しそうにムカデ達を睨み付けた。
白菊は、邦博を部長の傍に下ろし、直ぐに下に降りようとすると、
「おい!待って!龍之介達は何処なんだ!」と、邦博が慌てて白菊に聞いた。
白菊は、邦博に振り向こうともせずに、
「知らん!とにかく此処から動かずに待っていろ!」と、叫び、
「あの……」と、何か言かけた部長を無視して下へと向った。
下に飛び降りた白菊が美貴の姿を見つけた時、二匹のムカデが体を起こして、倒れている美貴に襲い掛かろうとしていた。
「主!」白菊は叫びながら、細い槍の様な狐火をムカデに向かって投げ付けた。
美貴の傍に居た二匹のムカデは、狐火に胴を打ち抜かれ、どす黒い霧となり消えた。
続いて、その周りのムカデに連続で炎弾を投げ付けると、爆発でムカデの頭が次々と消し飛び、どす黒い霧となり消えて行った。
ムカデ達が消える寸前に白菊は、美貴の傍に着地し、
「主!大丈夫か!しっかりして!」と、美貴を抱き起こした。
美貴は白菊に気付いたが、
「しろ、ちゃん……」虚ろな目は、焦点が合っていない。
美貴を心配そうに見てた白菊が、
「はっ!」と、何かの気配を感じ顔を上げた。
「まずい!」白菊は、一瞬でその気配が何であるか理解し、恐怖に引きつった顔になった。
白菊は、ある一点を見詰めながら、
「ぐっ、抜かった……何故、気付かなかった……」と、苦しそうに顔をゆがめ、
「くそっ……」美貴を抱かかえると、その場から飛び上がり離れた。
しかし、ムカデ達の囲いを抜け、十m程離れた所で失速し、地面へと落ちた。
白菊は、顔を歪め苦しそうに立ち上がり、落ちて倒れている美貴に寄り添い、
「主!……主!しっかりしてください!……主!」と、叫びながら美貴の体を揺すっている。
白菊の声に気が付いた美貴は、
「……白ちゃん……ごほっ、どうしたの……ごほっ、ごほ、何なの……」苦しそうに咳き込みながら、目眩にふらつく頭を左右に振っている。
「滅火……です……あれは……」
「えっ!」滅火と聞いて、美貴の背筋に冷たい物が走った。
白菊は睨むように一点を見詰めながら、
「あの岩から漏れているのは、滅火です……」と、怯える声で言うと、
「漏れてるって……」美貴は白菊の視線を追って、二十m程先に大きな岩を見付けた。
ムカデ達の群がって居る場所に、高さ五mぐらいの大きな先の尖った岩が立っていて、群がるムカデ達の隙間から、岩がめり込んでいる地面が見えた。
その地面から岩を取り囲む様に、黒い炎の様なものがゆらゆらと湧き上がっている。
僅かに漏れ出している滅火は、ほんの小さな炎であったが、二人はその醜悪な禍々しさに襲われて怯えていた。
「あれは、おそらく、滅火を封印している大岩……ムカデ達のせいで封印が弱まり、滅火が漏れていると思います……」岩を揺り動かす様に群がるムカデ達を見て、白菊は戦いている。
大岩を見ていた美貴は、大岩を中心に周りの木々が広い範囲で枯れているのにやっと気付き、改めて滅火の禍々しさに恐怖した。
「どうしよう……」美貴は不安そうに白菊を見た。
「今の我らでは、どうする事も出来ません……それより早く上へ」白菊は美貴を抱き起こし、
「大丈夫ですか?」と、美貴の顔を心配そうに覗き込んだ。
「うん……だいぶましになって来たみたい……行こう、白ちゃん!」美貴は白菊に掴まると、
「承知」白菊は、飛び上がり二人は上へと向った。
○男が立つ!○
場面は少し遡り、
「鬼追ぃぃ!」美貴達が落ちて行った崖下を覗き込んで、龍之介が必死になって叫んでいる。
高さは五十m程だが、結界のせいで薄暗くなっている為、白菊だと思われる青白い光が、動いているのが見えるだけだった。
何度か叫んだ所で、龍之介は鎧武者の近付いて来る音に気付き、
「逃げるぞ!」と、司と翔子の手を引いて走り出した。
「あいつ、鬼追が言ってた〝全然歯が立たなかった〟って奴か?だとしたらやばいぞ……俺で何とかなる奴じゃねえ……」
龍之介は走りながら何処かに隠れる場所が無いかを探したが、幅が十m位のなだらかな斜面が開けている所で、大木が何本かは生えて居たが、隠れる場所など見当たらなかった。
龍之介は走りながら後ろを振り向き、ゆっくりと迫る鎧武者の姿を見ると、
「駄目だ。追って来る……くそ!」成す術も無く、悔しそうに呟いた。
「海神君!前!」
翔子に言われて龍之介が前を向くと、壁の様に景色が終わっていた。
どす黒い紫色をした壁は、霧の様な粒子が渦巻き流れ、その先の風景を遮断していた。
「何だ?……」龍之介が壁に、恐る恐る触れた瞬間、
「あちっ!」壁は稲光の様な光を放ち、龍之介の手を弾き返した。
龍之介は火傷の様な痛みに耐えながら、手を見て出血していない事を確め、
「……これが……結界?」と、痛む手を摩りながら呟いた。
司が近付き龍之介の手を見て、
「大丈夫ですか?」と、心配そうに聞くと、
「ああ、大丈夫だ……でも、進めないな……」龍之介は、結界を見詰め不安な声で答えた。
龍之介は鎧武者が近付いて来る姿を見ると、落ちていたバットぐらいの木切れを拾い上げ、力を込めて一気に振り下ろし壁に叩き付けた。
その瞬間、壁は稲妻の様な閃光を放ち、木切れの先端が砕け散り弾き返され、反動で龍之介は倒れた。
「先輩!」司が驚き叫び、倒れた龍之介の脇にしゃがみ込む。
「畜生……」近付いて来た鎧武者を睨みながら、どうしようかと龍之介は考えていたが、
「篠崎!俺が隙を作る!お前は司を連れて、あっちにすり抜けて逃げろ!」現状では、逃げる事しか思い浮かばなかった龍之介は立ち上がり、翔子に指を刺しながら指示をした。
それを聞いた翔子は、
「わかった!」と、頷き、司の手を握ると、
「司ちゃん、行くわよ!」と、司を立たせる。
「そんな、先輩はどうするんですか……」司が、龍之介を不安な目で見ると、
「大丈夫だ!」自信なんて無いが、司を安心させるために龍之介は笑顔で答えた。
龍之介と翔子達は、化物に対して左右に分かれた。
不安そうに怯えている司。翔子が龍之介を見る。龍之介が目で翔子に合図する。
龍之介の合図を見て、翔子が司の手を強く握り直し、頷いた瞬間、
「走れ!」龍之介の叫び声を合図に、三人は同時にダッシュし走り出した。
龍之介は、真っ直ぐに鎧武者に向かい、太い木切れを振り上げ、
「どおりゃあぁ!」と、掛け声と共に鎧武者に飛び掛り木切れを振り下ろした。
見事に木切れは鎧武者の肩に当ったが、鎧武者は毛ほどにも堪えていない様だった。
次の瞬間、ブウゥンと唸りを上げて、鎧武者の腕が龍之介目掛けて飛んでくる。
「わっ!」龍之介は、ぎりぎりの所で飛び退き交わして、倒れて転げ廻った。
上半身を起こし、翔子達が逃げた事を確認して、龍之介は立ち上がりダッシュした。
『奴の動きは、そんなに早くない……逃げ回るだけなら何とかなるか……』と、龍之介は走りながら考えていた。
翔子達を追って走って行くと、再び其処には結界の壁が立ち塞がっていた。
「海神君!」壁の前で、不安そうに待っていた翔子が龍之介を見付けて叫んだ。
龍之介は壁の傍まで来ると、苦々しい思いで結界を見詰めながら、
「どうやら、閉鎖された空間みたいだな……畜生……逃げ道は無いのかよ……」と、現状を理解し悔しそうに呟いた。
鎧武者が追い着いて来たのを見て、龍之介は同じ事を繰り返すしか無いのかと考えた。
何とか美貴が来るまではと思ったが『鬼追達は無事なのか?こっちに上がって来れるのか?
それに、鬼追が来たとしても、勝てるとは限らない……』と、龍之介に不安が圧し掛かり、
「篠崎!もう一度だ!良いか!」と、上手い考えが浮かばず、龍之介は叫んだ。
「分かった!」翔子も同じ思いの様だ。
三人は再び二手に分かれ、鎧武者に向かい構え、
「行くぞ、走れ!」龍之介の合図で、三人は同時にダッシュして、龍之介は鎧武者に向かう。
しかし、今度は既に、鎧武者は刀を構えていた。
龍之介は危険を感じて、手に持っていた木切れを投げ付けたが、あっさりと木切れを太刀で弾くと、鎧武者は上段に太刀を構えた。
「まずい……」そう感じた龍之介は、急いで鎧武者の横を通り過ぎようとした時、太刀は振り下ろされ三日月型の衝撃波が飛んで来た。
間一髪で龍之介は飛び退き直撃は逃れたが、通り過ぎた衝撃波の余波で体が飛ばされた。
三mぐらい弾き飛ばされ地面に落ちる瞬間、前回り受身を取り立ち上がり再び走り出し、
「覚えているもんだな、体に叩き込んだものは」と、龍之介は自分自身に感心した。
走りながら、翔子と司だけでも何とかならないかと考え、龍之介はせめて二人が隠れられるような場所があればと、辺りを再び見ながら走った。
『崖付近には何本か木が生えているけど、直ぐに見つかるな……斜面の方は、林の様に木が生えているけど、あの斜面を登るには可也の体力がいる。それに、林の中だと俺達も自由に動けないし……崖の方は?駄目だ、確かめている暇が無い」と、龍之介は走りながら付近の状況を見て考えていたが、これと言ったものが思い付かなかった。
崖っぷちに、五・六本密集して生えている大木の影から、走って行く龍之介達の姿を見付けた部長は、
「あっ……」と、咄嗟に、龍之介を追いかけようと、木の陰から出かけた時、龍之介の後ろから来る鎧武者に気付き、慌てて木の陰に再び隠れた。
司は走りながら思っていた。
龍之介に比べて、怯えて何も出来ない自分は、何て情け無い存在なんだろうと。
そして、翔子と手を繋いでいる事は嬉しいのだが、翔子に守られている様な自分が更に情けなかった。そして、自分の非力さを怨んだ。
その怨みは、徐々に怒りの様なものに変わり、司の心の中にむくむくと、
「私だって……いえ、ぼ、僕だって……」と、金玉が付いている事の自覚が目覚めて来た。
『愛していると伝え、傍にいたいと、お姉様にお願いしたけど、僕は何が出来るの?お姉様の傍に居て何が出来るの?求めるだけじゃ駄目なんだ。お姉様を愛しているなら、いえ、愛しているからこそ、求めるだけじゃ駄目なんだ』と、司の胸にそんな想いが湧き上がって来た。
始めに折り返した結界の傍で、二人が汗だくになり、息を整えながら不安そうに待っている所へ龍之介はたどり着いた。
龍之介も連続の全力疾走で息が上がり、苦しそうに肩で大きく息をして、
「以前は、五Km、ぐらいは、平気で、走れたのにな……」と、美術部に入ってからの運動不足を悔やんだ。
息を整えながら、又、同じ事を繰り返すしか無いのかと、龍之介が考えていると、
「不味いな……」追いついて来た鎧武者は、今度は龍之介達と距離を取り立ち止まった。
「馬鹿じゃ無い様だな……これじゃ、奴を走り抜ける前に、やられる……」龍之介は鎧武者を睨みながら、半ば諦めるかの様に呟いた。
美貴はまだ来ない。部長達の安否も分からない。翔子達の体力も限界が近い。
「しょうがねぇか……」龍之介は、勝てる相手では無い事を百も承知の上で、囮になる為、鎧武者と戦う決心をした。
「短い人生だったなぁ……恋人、欲しかったなぁ……」と、呟きながら落ちている木切れを拾い、鎧武者に向かい構えて、
「二人とも……離れてろ……」と、鎧武者を睨みながら二人に言った。
鎧武者を前に構えながら龍之介は『鬼追、結構好きだったぜ……ただ、素直に成れなくてな』と、美貴の気持ちを、素直に受け入れられなかった自分を悔やんでいた。
「海神君……何をする気なの!」翔子が、尋常では無い龍之介を見て叫んだ。
「なに……お前らを、俺よりちょっとだけ、長生きさせてやろうってだけだ……奴を止めている間に逃げろ」龍之介は木切れを構え、鎧武者を睨み付けながら、翔子に指示した。
「馬鹿!何言ってるの!そんな……」と、翔子が叫ぶ中、司も落ちている木切れを拾い、龍之介の横に並び、木切れを構えた。
「……お前……」龍之介が司を不思議そうな顔で見ている。
「司ちゃん!貴方まで何やっているの!」翔子が叫びながら司に駆け寄る。
「ぼ、僕も、お、男です。お、お、お姉様は、僕が守ります」
司は、青ざめた顔で震えながら鎧武者を睨んでいる。
「馬鹿!貴方に勝てる訳無いでしょ!」翔子は司の肩を掴んで叫んだ。
「篠崎!司はな、お前を守りたいんだ……自分より一秒だけでも、長く生きて欲しいんだと」
龍之介は『やっぱりお前は強いよ』と思い、笑顔を浮かべながら司を見る。
司は龍之介の顔を見て、少し落ち着いたのか、微笑んで龍之介に頷いた。
「……司ちゃん」龍之介も司も何故、死ぬかもしれないのに戦うのか。翔子には二人の行動が理解出来なかった。
「何でよ……何で、何時もそうなのよ……」翔子は、龍之介に振向き問いかけた。
何時も迷惑なくらいお節介を焼いて来る龍之介、今も、翔子と司の為に、勝てる筈など無い相手に戦おうとしている龍之介……翔子には理解出来なかった。
「え?何がだ……」
「何で、そんなお節介ばっかりするのよ!」
すっとぼけた顔で聞き返した龍之介に、翔子はたまらずに叫んだ。
「お節介じゃあねぇよ……だって俺達、仲間だろ。だから、自分の出来る事をするだけだよ。だから、お前がもし生き残ったら、今の一年生達や来年入って来る一年生達に、絵を教えてやってくれ」
「馬鹿!そんな事言ってる時じゃ無いでしょ!敵う分け無いのに!」
「まぁ、そうだな……」翔子の言葉に、最もだと龍之介が頷いた。
「だったら……」
「負けたくねぇんだよ……死んだって、負けたくねぇんだよ、自分にな。あの世で後悔なんてしたくねぇ。あの世でも堂々として居たいんだよ」
「海神君……」
「篠崎。たまには当にしてくれよ……仲間なんだからさ……なっ、司」
「はい!」笑顔で同意を求める龍之介に、司は元気良く答えた。
「海神君、司ちゃん……」屈託の無い龍之介達の笑顔を見て、翔子は、心を閉ざしていた物が溶けていくのを感じ、目に涙が浮かんだ。
「よし!司!お前は篠崎から離れるな!篠崎を守れ!」龍之介の言葉に、
「はい!」と、司が潔く答えた。
龍之介は五m程前に出た。鎧武者との距離は十m程だ。
龍之介は鎧武者を前に、正直な所、怖かった。怖くて足が少し震えている。
龍之介は心の中で〝怯むな!〟と柔道部の先生に言われた言葉を思い出していた。
「くっそう……かっこいいよな、俺……命がけの勝負だぜ!先生、俺、殺されるかも知れないけど、怯みません。怯まず立っています」と、小便をちびりそうな自分を鼓舞していた。
でも考えてみれば、二人を放りだして逃げた所で、誰にも咎められる事は無いのにという考えも頭を過ぎったが『そんな無様な事が出来るか!』と、一瞬で打ち消した。
「どうせ死ぬなら、かっこよく死んでやる!怯まず正面から戦って死んでやる!」
龍之介は木切れを振り上げ、
「くっそうおうぅぅぅ!」と、叫びながら鎧武者に向って打って出た。
鎧武者が太刀を振り上げた。龍之介は鎧武者の注意を引き付ける為、横へと走る。
鎧武者が太刀を振り下ろす。龍之介が更に横に飛び退き、衝撃波を躱す。
そして、一気に駆け寄り鎧武者の正面。
「このやろう!」と、掛け声と共に鎧武者へと木切れを振り下ろした。
木切れは見事に鎧武者の顔面に当たったが、当然、鎧武者は平然として立っている。
「くそう!」と、再び木切れを振り上げた時、鎧武者の腕が龍之介を襲った。
「ぐうえぇふっ!」まともに、横っ腹に拳を受け飛ばされて、倒れて苦しそうに転がりながら龍之介は唸り声を上げている。
「先輩!」
「海神君!」
「だ、大丈夫だ!来るな!早く逃げろ!」龍之介は痛みに耐え、上半身を起こし手を振り上げて、二人を心配させない為に空元気を出している。
苦しみながら龍之介は『何で刀を使わない?』と、不思議に思っていた。
「遊ばれているのか?いや、もしかして、近距離じゃ、あの技は使えないのか……」と、思い付き、懐に入れば何とかなるかと考えたが、それが無駄な考えだと先程証明された事に気付き絶望した。
「くそ、勝負以前の問題だ……まったく相手にならない……」と、悔しそうに鎧武者睨んだ。
まだ腹が痛む中、龍之介は昔を思い出していた。
「馬鹿だよなあぁ、ほんと馬鹿だよ俺。振られるって分かってて部長に告って……小学校の時だって、苛められるの分かってて、邦博庇って……苛められて、殴られて、鞄隠されて……でも、負けなかった。俺は負けなかった」龍之介は、ゆっくりと膝を付く。
「柔道部入って、先生に教えてもらった。正義を貫く勇気を持つ事、それが強さだって……」
体を起こしながら龍之介は、柔道部の先生に言われた事を思い出していた。
「苛められるから強く成りたいって言ったら、先生、教えてくれましたよね。力に強さを求めるのは愚かだって……苛められても、自分を曲げなかったお前は正しいって……正義を貫いたお前は正しいって……」龍之介は、鎧武者を睨み付ける。
「俺、涙出たよ……俺、間違ってなかったって……」そして、龍之介は渾身の力を振り絞り、
「間違ってなんかいないんだ!」と、叫び、木切れを地面に突いて、勢い良く立ち上がった。
「くっそう!負けるか!このやろう!」龍之介は再び木切れを構え、鎧武者を睨み付ける。
だが、既に龍之介はふらふらの状態で、立っているのがやっとだった。
其処に鎧武者の放った衝撃波が襲って来た。
「わあぁぁ!」咄嗟に身を捻り躱して、辛うじて直撃は免れたが、衝撃波が通過する衝撃で、龍之介は五m程弾き飛ばされ、地面にバウンドして転がった。
「うぅぅ……」地面にうつ伏せに倒れ、龍之介は動けず唸っている。
「海神君!」
「先輩!」二人は叫び、龍之介に走り寄る。
その時、二人に向けて鎧武者が太刀を振り下ろし、衝撃波を放った。
衝撃波は三日月の形で、正面斜めから真っ直ぐに翔子に向っている。
「危ない!」司は、それに気付き翔子を横へと突き飛ばす。
次の瞬間、司の体は、まるでボールの様に宙を舞い、十mぐらい弾き飛ばされ、地面に三度バウンドし、関節が人形の様に出鱈目な方向へと曲がりながら転がった。
翔子も、衝撃で三m程飛ばされて肩を強打した。
「司!篠崎!」龍之介は叫ぶが、起き上がれない。
「司ちゃん!」痛む肩を庇いながら、翔子はよろよろと立ち上がり、司へと走り寄った。
「司ちゃん!司ちゃん!」翔子は、叫びながら司を抱き起こした。
司のシャツは消し飛び、直撃した胸から腹にかけて青黒い内出血の跡が斜めに走っている。
司は、体をびくっ、びくっと震わせて、耳と鼻から血を流し、口からは血が混じった泡を出して、目は半開きで、うつろに空を眺めている。
「司ちゃん!司ちゃん!」叫ぶ翔子の目からは、何時しか涙が溢れていた。
龍之介が自由に動かない体で、這いながら二人に近付いている時、後ろで爆発が起きた。
○愛の力○
白菊と美貴が上に着くと、美貴は龍之介が居ない事に気付き、不安になった。
「海神先輩達は?」部長に向かい不安な目で美貴が聞いた。
「あ、あの……」と、部長が、戸惑いながら何か言おうとした時、
「これは!あっちだ!主!」白菊が、鎧武者の放った衝撃波の気配に気付き叫んだ。
「うん!白ちゃん、飛んで!」美貴も気付き、白菊の背中に乗る。
白菊が勢い良く飛び上がると、二人は気配のする方へと飛んで行った。
部長は二人が飛び去ったのを見ながら、今まで我慢して来た感情が爆発した。
「なっ、何なのよ!さっきから!もう、此処何処なのよ!いったい何なのよ!」
部長は拳を握り締め手を上下に振りながら、ヒステリックに叫び、邦博の方に振り向くと、
「説明しなさいよ!本田君!説明してよ!しなさいよ!何とか言いなさいよ!」
部長は目に涙を浮かべ、叫びながら拳で邦博の胸をポカポカと叩いている。
不安から来る恐怖で、真っ青な顔で目にいっぱい涙を溜めて、感情を剥き出しに自分を曝け出して叫んでいる部長の姿を見て、邦博は部長が無性に可愛く思えて来た。
小学校の時、苛めに怯え臆病になっていた自分は、何時も龍之介を頼っていた。
しかし、邦博は今、怯えながら縋って来る部長を見て『僕が、守ってあげなきゃいけないんだ』と、勇気が湧いて来た。
順序は逆かも知れないが、部長を守りたいと思う気持ちが湧いて来た事で、邦博は『部長は、僕にとって大切な人なんだ……』と、思い始めた。
「もう!何とか言いなさいよ!何で黙ってるのよ!」
邦博は叫んでいる部長の手を掴み、そっと引き寄せ肩に手をやり、
「大丈夫です。僕がいます……僕がいますから」と言って、強く抱きしめた。
「あっ……」邦博の腕の中で、部長はやっと我に帰った。
「こんな僕ですけど、部長を守ります。絶対に守ります……」
部長は邦博の胸の温かさを感じ、
「……ありがとう……」その安心感から落ち着きを取り戻し、部長も邦博を強く抱きしめ、頬を肩に寄せた。
「ほん……邦博君……ありがとう……邦博君の前なら、私、素直になれそうな気がする」
「部長……」
その時、部長が急に邦博の肩から顔を上げ、邦博の額に自分の額をくっ付けて、
「み、碧って……呼んでよ……」と、顔を真っ赤にして言った。
邦博は、そんな部長に驚きながら、顔を真っ赤にして、
「……は、はい……」と、答えた。
美貴と白菊が鎧武者の気配へと向かっていると、再び衝撃波の気配がした。
前方を見据えていると、鎧武者の姿が見えて来て、その前に龍之介達三人が倒れている。
倒れている龍之介の姿を見た瞬間、美貴の頭に血が上った。
「はあぁ!」美貴は白菊の背中を蹴り飛び出し、その勢いで鎧武者へと体当たりをする。
「主!」急な事に白菊は驚き叫んだ。
美貴に背中から体当たりをされた鎧武者は前のめりになり、バランスを崩して膝を付いた。
体当たりした美貴は、勢いが付いたまま地面に転がる。
鎧武者から美貴が離れたのを見て白菊が、炎弾を鎧武者へと叩き付けると、炎弾は爆発し炎を舞い上げ鎧武者を包んだ。
「先輩!」美貴は立ち上がり、倒れている龍之介に向かった。
「大丈夫ですか!」龍之介を抱き起こしながら、美貴は泣きそうな顔で叫んでいる。
「俺はいい、大丈夫だ!司を、司を助けてくれ!」龍之介は痛みに顔をゆがめながら、司の方を見て叫んだ。
龍之介の言葉に、美貴は司の方を見た。ぐったりとして翔子に抱かれている司を見て、戦慄が走る。尋常では無い司の姿に、美貴は死を感じた。
「白ちゃん!助けて!」美貴は司を見ながら、反射的に白菊を呼んだ。
「待ってください!今は!」白菊は鎧武者の放つ光りの矢を避けながら炎弾で応戦している。
美貴は、司の様子に時間が無い事を知り、立ち上がり一気に鎧武者へと駆け出した。
「はあぁぁぁ!」美貴は走りながら、気合と共に両手に気を込める。
美貴の両手が激しく緑の閃光を放ちだし、更に美貴の全身が緑の光で包まれた。
美貴は鎧武者に駆け寄ると、勢いを殺さずそのまま飛び、肩から体当たりをかます。
美貴が、鎧武者の背中に体当たりした瞬間、爆発の様に空気が弾け、白菊に気を取られていた鎧武者は、衝撃でバランスを崩し地面に倒れた。
体当たりの反動で倒れた美貴は、直ぐに立ち上がり、鎧武者の背中に刺さったままの鬼斬丸を取る為に、倒れている鎧武者に飛び掛った。
倒れた鎧武者の背中に、腹ばいに着地した美貴は、鎧武者の腰の辺りから手を伸ばし、鬼斬丸を掴もうとした時、鎧武者が体を捻りながら、肘で美貴を突き飛ばした。
「きゃっ!」美貴は悲鳴を上げて地面へと転がった。
「主!」白菊が叫び美貴に向って急降下する。
美貴が立ち上がろうと手を地面に突いた時、鎧武者が美貴の手首を掴んだ。
「うっ」美貴は必死で鎧武者の手を離そうとしたが、びくともしない。
そして、鎧武者はそのまま、ゆっくりと立ち上がり、美貴を盾にする様に差し出した。
「くそっ……」白菊は美貴の傍まで来て慌てて止まり、手が出せずに悔しそうにしている。
「くそっ!放せ!放せ!ちくしょう!」鎧武者に高く持ち上げられ、ぶら下がっている美貴は必死に逃げようともがいている。
鎧武者が美貴を持ち上げながら、白菊を睨みつけ太刀を振り上げた。
白菊は危機を感じ、その場を全速力で離脱し、龍之介の横に着地した。
「頼む!助けてくれ!司が、司が」龍之介が、白菊に縋り懇願している。
「分っている……だが、今は、あ奴が居っては……あ奴を何とかせんと……」白菊も司を見て時間が無い事を悟った。
その時、毒々しい紫色をした煙のような物が、鎧武者から染み出す様に表れ、鎧武者に掴まれている美貴の体を包んで行く。
その煙に全身を包まれ、美貴は苦しそうにもがいている。
「主!」
「鬼追!」二人が叫んだ時、紫色の煙の中で稲光の様な閃光が走った。
「きゃあぁぁ!」美貴は悲鳴をあげると、ぐったりと体の力が抜けた。
「主!」
「鬼追!」煙の中で、ぐったりとぶら下がる美貴を見て、二人が叫んだ。
「くそっ、鬼斬丸さえ有れば……もう少しだったのに……」白菊が悔しそうに呟く。
「鬼斬丸?」龍之介が白菊の顔を見ながら聞いた。
「奴の背中に刺さっている短刀じゃ……あれさえあれば、何とか……」
「取れないのか?」
「我では無理じゃ、我はあれに触れる事すら出来ん」
「俺なら……俺なら触れるのか?」龍之介が、腹を押さえながら白菊に這い寄る。
「えっ?……お主は人じゃから触れるが……」何の事か分からずに白菊が答えた。
「おい!俺に憑け!」龍之介は、突然白菊に怒鳴った。
「なっ、何を言っておる」白菊は、突然の龍之介の申し出に驚いている。
「俺に憑けって言ってんだよ!お前が憑けば強くなれるんだろ!早くしろ!」
「無茶を言うな!幾ら、鬼の血が流れているからと言って……」怒鳴る龍之介に怒鳴り返す。
「うるせぇ!ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ!早くしろ!」龍之介が怒鳴り、白菊の胸倉を掴もうとしたが、霊体に戻っていたために空振りして、不思議そうな顔で自分の手を見た。
「……とにかく、鬼追を救う方法が、他にあるのかよ!駄目で元々だ!」掴めない事が分かり、龍之介は白菊に顔を寄せて怒鳴り付ける。
「どうなっても構わんのか?……死ぬぞ!貴様!」白菊は無茶な申し出に怒鳴り返すと、
「とっくに覚悟は出来てるよ!」白菊を思い詰めた目で見詰め、龍之介が叫んだ。
白菊は暫く考える様に目を閉じていたが、
「……承知……」と、静かに呟いた。
白菊は龍之介の背中へと廻り、青白い炎を上げて龍之介へと入って行った。
のぼせる様な感じに龍之介は戸惑っていたが、直ぐに痛みが消え、体に力が漲って来た。
「あ、あ、あ……なんか、すげぇ……」
白菊が憑いた龍之介は、美貴と同じく目が青白く光り、背中から炎を上げている。
「よいか!長くは無理じゃぞ!」龍之介の頭の中で、白菊の声が直接響いた。
「おっ、おお……」龍之介は、その感覚に少し戸惑い返事をした。
涙を流しながら、司を抱きかかえている翔子に向って、
「司を頼むぞ!」と、龍之介が言うと、翔子は黙って頷いた。
「行くぞ!」
「承知!」
龍之介は一気に走り出すと、
「す、凄く、早い……体が軽い、力が溢れている」と、感じた。
「どおぉりゃあぁぁぁ!」龍之介は五mほど飛び上がり、鎧武者にとび蹴りを食らわせた。
龍之介は意識していなかったが、気合と共に足がオレンジ色に光り、そして鎧武者の背中を蹴った瞬間、爆発の様に空気が弾けた。
鎧武者は、のけぞり美貴を離して倒れ込んだ。
「鬼斬丸を!奴の背中の刀を抜け!」白菊に言われ、龍之介が鎧武者の背中を見ると、
「分かった!」背中に短刀が刺さっているのが見えた。
立ち上がろうとしている鎧武者に、龍之介は再び飛び上がり、真上から背中に両足で蹴りを入れ踏み付け、再び地面に這いつくばった鎧武者の背中に馬乗りになり、刀を引き抜いた。
「それは、魔切の短刀じゃ。其の刀に気を……気合を込めて切れ!」
「良く分からんが……」白菊の言葉の意味が分からないまま龍之介は、
「死ねえぇ!」と、気合と共にオレンジに光る鬼斬丸を、渾身の力を込めて突き立てた。
刀を突き刺し、やったと思った瞬間、鎧武者は体をよじり、肘で龍之介を突き飛ばした。
龍之介の脇腹を肘が直撃して、鬼斬丸を持ったまま、五m程突き飛ばされたが、不思議と痛みは無かった。
「くそっ!効いてないのかよ!」龍之介は地面に転がり鎧武者を睨む。
「いや……効いている」まだ立ち上がれない鎧武者の、ぎこちない動きを見て白菊が言った。
鎧武者は自分の体を維持しようと、鬼斬丸で刺された傷に結界を張り、可也の霊力を使っている為に、その動きは明らかに弱っていた。
「行くぞ!」龍之介は勝てると確信し、鬼斬丸を握りなおし立ち上がろうとしたが、
「あれ?……」と、力が入らず尻餅をついて、地面に座り込んでしまった。
「駄目だ!限界だ!」白菊は叫ぶと龍之介から離れた。
「ぐっ!」龍之介の体から力が抜け、消えていた痛みが一気に戻り、龍之介は顔をゆがめた。
「限界じゃ!これ以上憑いていると、お前を取り殺す事になる!後は我が何とか……」白菊は自信は無かったが、後は自分が何とかする積もりで、手に狐火を溜めた。
「だからなんだよ!憑けよ!皆を助けるのに、それしか無いだろうが!」
「馬鹿を申せ!そんな事が出来るか!」怒鳴る龍之介に振向き、白菊も怒鳴り返す。
「だって、もう少しじゃないか!奴は弱ってるんだろう!」
「お主の気概には感服するが……これ以上、無理じゃ……」
「死ぬ覚悟は出来てんだよ!早く!頼むから!早く、憑けよ!」龍之介は倒れたままの美貴の事が心配で仕方が無かった。
「……分かった……」白菊は言い合いをしている時間が惜しかった。
「良いか良く聞け。只の一撃で力を使い果たす様な者に、これ以上憑けば魂を削る事になる。憑くと言う事は、力を食らうだけでは無いのだぞ……魂の力が回復しないまま我が憑き続ければ、その時は、我が術では癒せぬぞ……我が術では魂は回復せん……よいな」
「……おぉ、覚悟は出来てる」悲しそうな顔で説明する白菊に、龍之介は頷いた。
その時、白菊は何かの気配を感じ、美貴の方を向いた。美貴の体が光っている。
龍之介も何が起きているのか分からずに美貴の方を見詰めていた。
美貴は全身を煙に包まれ、電撃の様なショックを受けて気を失っていた。
気絶している中で、美貴は『これで死ぬのかなぁ』と、夢の様な思いの中で、死への恐怖より、龍之介への思いが浮かんで来た。
『勢いで、告白しちゃんたけど……振られた。だけど、先輩も部長に振られた……そうよ!まだ、チャンスはある!こんな所で死ねるかぁ!』と、龍之介への未練が沸々と沸いて来た。
何処までも、前向きな美貴ちゃんです。
「くっそうおぅぅぅ!」と、美貴は、まだ意識が朦朧としている中、全身に力を込めると、不思議な事に力が漲っている。美貴は、膝を付いてから一気に立ち上がった。
頭がふら付き前が良く見えないが、美貴は鎧武者の気配のする方を向いて手に気を溜めた。
送り込まれた気は、今までとは違い、激しく閃光を放ちながら眩しく輝いている。
「鬼追!」
「主!」龍之介と白菊の声に気付き、美貴はやっと回復して来た視界に、
「先輩……白ちゃん……」龍之介達の、無事な姿を見付けほっとした。
そして、自分の体に纏わり付いている紫色の煙に気が付き、
「はっ!」と、気合を込めて払い退けると、美貴の全身が閃光を放ち、紫色の煙は吹き飛ぶように消え去った。美貴は輝く手を見て、自分の力が以前より強くなった様な気がした。
自分の力に戸惑っていると、股間から何か流れるものが、太股を伝うのを感じた。
始めはお漏らししたのかと思ったが、どうやら美貴は初潮を迎えた。
「やだ、何?……何で、こんな時に!」太股を伝う血を手で拭い、美貴は途方に暮れていた。
「主!」白菊が心配そうな顔で美貴の傍に飛んで来た。
「白ちゃん」美貴はどうして良いのか分からずに、不安な顔で白菊を見た。
「主、無事か?……どうしたの……凄い気……」白菊は美貴を見て驚いている。
まじまじと見つめる白菊に、美貴は恥ずかしくなって、顔を赤くしながら、
「えっ?やっぱりそうなの……」と、美貴は戸惑い光る手を見た。
「先程の滅火に近づいたせいで……影響されたのやも知れません……」
「滅火の……とにかく早く憑いて!」やっと立ち上がった鎧武者の姿を見て美貴は焦った。
「はっ、承知……はうっ!」白菊が美貴の背中に回り込もうとした時、急に倒れ込み苦しそうに全身を小刻みに震わせている。
「きゃっ!どうしたの白ちゃん!」美貴は咄嗟にしゃがみ込み白菊を見た。
苦しんでいる様に見える白菊が気になるが、立ち上がり美貴を見ている鎧武者も気になる。
美貴はどうするか悩んでいた時、白菊の体が急に光を放ち炎を上げた。
「白ちゃん!」光に驚き、美貴は身を引いた。
白菊の全身が青白い狐火に包まれ、大きくなりながら白い毛が生えだし、尻尾が伸び狐の姿へと変化し始めた。
「どうやら……妾も、滅火のせいで……影響を……受けたみたい……」
「大丈夫?」白菊は大狐に変化して、小刻みに体を震わせて、まだ苦しそうにしている。
「大事ありません!憑きます!」四本の足で立ち上がった白菊の大きさは、美貴と目線の高さが同じくらいにあった。
「行くよ!」
「承知!」白菊は、美貴の言葉で霊体へと変化し美貴の中に入って行く。
美貴は入ってくる白菊に、今までとは違う強力な力を感じた。
「海神先輩!鬼斬丸!」美貴は鎧武者に駆け寄りながら龍之介に叫んだ。
「あっ……おう!」龍之介は美貴の言葉で、反射的に美貴に向って鬼斬丸を投げた。
美貴は飛んで来た鬼斬丸を掴むと、一気に気を送る。空気を震わせ鬼斬丸が激しく輝く。
二mぐらいの長さで、刀の様に伸びた緑色の光を、青白い狐火の炎が包み込む。
と、その時、鎧武者が太刀を水平に振り払い、美貴に向かって衝撃波を放った。
美貴は、咄嗟に足を踏ん張って、
「はぁっ!」気合と共に鬼斬丸を両手で目の前に突き出し、障壁を張る。
衝撃波は、美貴の張った障壁に激突し、障壁と共に砕け散る。
衝突した衝撃で、美貴は地面に線路道を描いて、五m程押し下げられた。
鎧武者が、上段に太刀を構え直すのを見て、美貴は躊躇せず、鎧武者へと鬼斬丸を水平に構え駆け出した。
鎧武者が太刀を振り下ろした時、美貴は瞬時に横に飛び退き、同時に鬼斬丸を右上から袈裟懸けに振り下ろした。
「はあっ!」鎧武者が放った衝撃波は美貴の横を通り過ぎ、振り下ろされた鬼斬丸から放たれた光の矢が鎧武者を貫いた。
貫かれた鎧武者はその場に膝を付きしゃがみ、苦しそうに美貴を睨みながら太刀を再び構えようとしている。
「たあぁぁぁ!」鎧武者に駆け寄った美貴は、鬼斬丸を一気に振り下ろし、鬼斬丸から伸びた気の光が空気を震わせ、鎧武者を袈裟懸けに切り裂いた。
手から太刀が滑り落ち、身を屈める鎧武者の傷口から、血の様にどす黒い煙が噴出し、バックリと開いた傷口の周りには、どす黒い煙が渦を巻いている。
美貴は、その傷口の中で何かが蠢いているのを見た。
鎧武者は、崩れる様に片手を地面に付き、傷口をもう片方の手で押さえている。
美貴は、蠢く物のおぞましさに一瞬身を引いたが、今しかないと鬼斬丸を上段に構え直し、
「くたばれ!」と、叫び、鎧武者の首を狙い、一気に振り下ろした。
碧の閃光が走り、鎧武者の首が宙を舞う。
鎧武者の傷口から、どす黒い煙が噴出し、鎧武者は崩れる様に煙となり消えた。
「か、勝てた……」鎧武者に勝てた事を、美貴は驚きながら、激しく輝く鬼斬丸を見ていた。
しかし、そんな事に驚いている暇は無いと気付き、
「白ちゃん!早く、司ちゃんを!」
「承知」白菊は美貴に返事をし、大狐の姿で飛び出して美貴から離れ、司の脇に降り立った。
「早く!頼む!助けてくれ!」龍之介が白菊に叫ぶ姿を見て、
「お願い!助けて!」翔子も泣きながら訴えた。
「……」白菊は、翔子に抱かかえられている司の額に前足を置いて様子を見ている。
「白ちゃん?」狐の顔で表情は良く分からないが、黙っている白菊の姿を見て、美貴は不安になって来た。
「魂が……離れかけています……上手く行くかどうか……」
眉間にしわを寄せ、重苦しい表情で呟く白菊に、龍之介は苛立ち、
「何でも良いから、カラスにやったみたいに、直してくれよ!」白菊に詰め寄り、怒鳴った。
「……分かった、其処に寝かせろ」龍之介の必死な顔を見て、白菊は司に向き合った。
翔子がゆっくりと、司を気遣いながら地面へと寝かせた。
白菊が、司の額に前足を置いたまま癒しの術をかけると、司の全身が青白い光に包まれた。
「……駄目か……はあぁ!」司の変わらぬ様子を見て、白菊が気合を入れなおす。
白菊が気合を入れ術をかけると、司の体を包む青白い光が、閃光を発し激しく輝いた。
「……駄目だ……」暫くして白菊は、術をかけるのを止めて、司から前足を下ろした。
「駄目って……おい!何とかしろよ!頼むから!助けてくれよ!」龍之介は白菊の肩を掴んで激しく揺すりながら、必死になって頼んでいる。
「いや!司ちゃん!」翔子が司を再び抱かかえ叫ぶ。
「魂が離れた者は駄目なんじゃ!……どうしようも無いんじゃ……」激しく揺する龍之介の目を見て、白菊は悲しそうな声で呟くと俯いてしまった。
「そんな……そんな……司!司!司!」龍之介が取り乱し、翔子に抱かれている司を揺り動かしながら呼びかけた。
「司ちゃん!司ちゃん!嫌よ!死じゃだめ!」目の前で起きている、司の死と言う現実を認めたくない翔子が、泣きながら叫んでいる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私のせいで……」美貴は、がくっと地面に膝を付いて涙を流しながら、巻き込んでしまった事を後悔し、歯を食いしばって悔やんでいる。
「馬鹿!そんな事、許さないから!私の傍に居たいって言ったでしょ!勝手な事しないでよ!傍にいなさいよ!ずっと、傍にいなさいよ!」
〝ごめんね〟の一言だけを残して自分の前から消えた響子。
思いを寄せる美貴は、恐らく自分が望む形では振向いてはくれないだろう。
そして、傍にいたいと言ってくれた司が、自分を庇って、今、死に掛けている。
「何よ!返事しなさいよ!黙ってないで何とか言いなさいよ!返事してよ!」
翔子は、虚ろな目で空を見ている司に向って、狂った様に叫んでいる。
大勢の中で、一人でいる事に何とも思わない翔子だったが、抜け殻の様な司を見ながら、身近に思う人達が自分から離れて行く事に、胸を締め付ける孤独感を始めて感じた。
「嫌、嫌よ……そんなの嫌よ……」
翔子は怖かった。司を失う事が怖かった。自分と分かり合えるはずの司を、崩れそうな心を支えてくれるはずの司を……
「嫌よ!勝手に逝かないで!傍にいてよ!お願い!お願いだから、傍にいてぇ!私の傍にいてぇぇぇ!お願い、一人にしないでぇぇぇ!」翔子が天を仰ぎ絶叫した時、
「! ……待て!どけ!」白菊は翔子を突き飛ばして、司の横に座った。
「はあぁっ!」白菊が両方の前足を司の胸に当て、気合と共に癒しの術をかけた。
辺りは、術の輝きで明るく照らされ、周りの者は息を呑んで見守っていた。
「……帰って来た!……おうぅぅぅぅ!」そう言って、白菊は更に気合を入れる。
司の体の周りを、激しい閃光が稲妻のように飛び交っている。
「……よし……」白菊は術をやめ、司から前足を離した。
まだ稲妻が司の体の表面に飛び交っている時、司がびくっと仰け反り、
「うっ……ごほっ、ごほっ……」と、苦しそうに咳き込んだ。
「司!」
「司ちゃん!」翔子が司に飛び乗るように抱き付き、龍之介と美貴も司の脇にしゃがんだ。
「先輩?お姉様?美貴ちゃん?」司は自分の顔を、泣きながら覗き込んでいる三人を不思議そうに見ている。
「よし!生きてるぅ!生きてるぅ!」龍之介は立ち上がり、拳を振り上げながら叫んでいる。
「司ちゃん!あうっ、あぁぁぁ……」翔子は、自分を見詰める司を抱きしめて泣き崩れた。
「お姉様……怪我は?」司は、何があったのか、やっと記憶の整理が付き、翔子を気遣った。
「ありがとう……大丈夫よ……司ちゃんは?痛い所無い?」翔子は少し落ち着きを取り戻し、微笑みながら司を見ている。
「私……あの、どうしたのか良く覚えて無いのですけど……さっき、声がして……お姉様が呼んでいる声がして……それで……良かった、お姉様が無事で……」司は、優しく微笑みながら翔子の頬に手を当てた。
「ありがとう……ありがとう司ちゃん……」翔子は、司の手に自分の手を添えている。
「あのな、篠崎。お前に酷い事をしたのが男なら……お前を命がけで助けた司も男なんだぜ……まぁ、今更、言う必要も無いと思うけどな」龍之介が笑顔で翔子に言うと、
「そうね……知っているわ」と、翔子も笑顔で答えた。
「奇跡じゃ……離れきってはいなかったとは言え……離れかかった魂が、戻るなんて……」
白菊は驚いて、不思議そうに司を見ている。
「我の力が強くなったとは言え、返魂の外法を使えぬ我では、離れかかった魂を戻す事など出来ん……なのに……」
「愛の力だよ……」白菊の言葉に、美貴は溢れる涙を指で拭いながら答えた。
「えっ?」白菊が不思議そうな顔で美貴の方を見た。
「篠崎先輩の、司ちゃんを思う心が、呼び戻したんだよ」
「愛……そうですか……理解する様にします。でも、強いんですね。その、愛って力……」
「うん!」柔らかく微笑む白菊に、美貴は笑顔で返事をした。
「狐さん……ありがとう。司ちゃんを助けてくれて……」翔子が目に涙を貯めながら、今まで見せた事の無い笑顔で、白菊に礼を言った。
「狐さん……」その呼び方に聊か不満は有ったものの、二人の姿を見て満足そうに微笑んだ。
翔子に続いて、龍之介が白菊に振向き、
「あっ、白ちゃん!ありがとうな!……」と、礼を言った途端、
「あっ?……」急に力が抜ける様にばたっと倒れた。
「先輩!先輩!」美貴は慌てて龍之介の脇に座り、龍之介の体を揺さぶっている。
「海神君!」翔子と司も突然の事に驚いている。
「あぁあ、やっぱり……だから、言わんこっちゃ無い……」呆れる様に白菊が呟くと、
「何?どうしたの?何があったの?」美貴が不安そうに白菊に問いただした。
「いえね、こ奴に憑いたんですけど……言ったんですよ、死ぬ気かって……」
「えっ?先輩に憑いたの!そんな、無茶な!」美貴は驚き、白菊を怒鳴り付けた。
「だってぇ……主が危なかったしぃ……こ奴、死ぬ覚悟は出来ているって、言うしぃ……」
白菊が言い訳っぽく、ぶつぶつと言うのを聞いて、
「えっ?じゃぁ、先輩……私を助けるために」美貴は、自分が気を失っている間、龍之介が自分を助ける為に、命がけで戦っていた事を知り感動した。
正義感の強い龍之介だから、何も美貴の為だけでは無い事は分かっていたが、身を挺した龍之介の行動に『先輩が私の為に……』と、美貴の心が、どっぷりとヒロインしかけた時、
「あっ!白ちゃん!早く!先輩を助けて!」遠くに行きそうな自分の心に気付き、美貴は我に帰って白菊に頼んだ。
「えっ?死ぬ覚悟は出来ているって、言ってたよ……」と、白菊が素っ気無く言うと、
「あほかぁ!だからと言って、見殺しにする気かぁ!」と、美貴は鬼の様な形相で、白菊を睨み、力いっぱい怒鳴り付けた。
「はあ……」白菊は面倒臭そうに返事をして、倒れている龍之介のそばに座った。
「随分、力使ったのに、ほんとに、狐使いが……」と、白菊がぶつぶつと呟いていると、
「何、ぶつぶつ言ってんのよ!死に掛けてるのよ!早く!」美貴が再び怒鳴り付けた。
「はあぁい……」と、他人事の様に返事をして、白菊は尻尾をぽそっと龍之介の額に置いた。
「ぐっ……あんたね……」龍之介の事が心配で、気が気でない美貴にとって、面倒臭そうな白菊の行動が一々気に触った。
そして、白菊が術をかけると、ほんの一分ほどで龍之介は気が付いた。
「あれ?……」気が付いて、今までの痛みが全て消えている事に龍之介は驚いている。
復活した龍之介の姿を見て、
「よかったぁ!先輩!」美貴は思わず、龍之介に抱き付いてしまった。
龍之介は、抱き付いて来た美貴に一瞬驚いたが、
「すまなかったな、心配かけて」と、言いなから笑顔を浮かべ、美貴の頭を優しく撫でた。
「まったく……馬鹿な奴じゃ……」白菊が龍之介を見て、呆れるように呟いた。
「ああ、馬鹿だよ……守りたい物があるからな……だから馬鹿に成れるんだよ」
龍之介の守りたかった物。
それは、汚したく無いプライドと、失いたく無い仲間、そして……龍之介は、自分の胸にしがみ付いて泣いている美貴を見て、素直に成れそうな気がして来た。
そんな二人を、微笑む様な顔で見ている白菊に気付いた龍之介は、
「どうかしたのか?」と、訝しげに尋ねると、
「えっ?……いや……ああも強くなれるものかと……」と、白菊は、しみじみと言った。
まだ目に涙を浮かべ、龍之介に抱き付いている美貴の傍に、何時の間にか翔子が近付き、
「美貴ちゃん、貴方、始まったの……」と、耳元で囁くと、美貴はビクッと驚いた。
「あっ、あの……」美貴は翔子と龍之介の顔を交合に見ながら、顔を真っ赤に染めている。
「ちょっと、こっち……」翔子はそれに気付き、美貴の手を引いて木陰の方へと向った。
「何だ、どうしたんだ?」突然の不可解な二人の行動に、龍之介は思わず声をかけると、
「来るんじゃないよ!来たら殺すよ!」と、翔子が叫んだ。
「なっ!何なんだよ……」翔子が言うだけに、真実味のある言葉に龍之介はたじろいだ。
其処へ、司が近付き、龍之介の脇にしゃがみ込んで、
「お花を摘みに行ったんですよ」と、そっと耳打ちした。
「えっ?何だそれ?花なんか何処にあるんだ?」きょろきょろと、辺りを見回す龍之介に、
「……鈍感……トイレですよ……」顔を少し赤くして説明する司の言葉で、
「ああ、なるほど。女は連れションか……」と、納得した龍之介だった。
龍之介のデリカシーの欠片も無い言葉を聞いて、
「……もう……」司は、膨れっ面で更に顔を赤くした。
一方木陰では、
「足に血が付いていたから、もしかしてと思ったら……駄目じゃない、始まりそうなら、何時も持っていなきゃ」と、言う翔子に、美貴は初めてだとは言えなかった。
翔子は膝を付いてしゃがむと、ウエストポーチから、ナプキンと携帯用のウエットティシュ、使い捨ての紙ショーツをドラエモンの如く取り出した。
「はい、これで拭いて、履き替えなさい」と、翔子が美貴にウエットティシュを手渡すと、
「あっ、ありがとうございます……」美貴は恥かしそうに言って受け取った。
「良いわよ、気にしないで。あっ、それと……えっ?貴方、毛?」翔子が、ふと振向いた時、ショーツを脱いで股間を拭こうとスカートを上げた美貴の下腹部を見て気が付いた。
「あっ!先輩!駄目!お願い!内緒!言わないで!」美貴は慌てて手で前を隠した。
「言わないわよ……」翔子は優しく微笑ながら、再び後ろを向いた。
着替えが終わり、美貴は翔子に近付いて、
「ありがとうございます……終わりました」と、顔を真っ赤にして翔子に礼を言った。
翔子はそんな美貴を愛おしそうな目で見詰ながら、
「あのね、美貴ちゃん……私、あなたの事好きよ」と、静かに言った。
「えっ?あ、はい。私も先輩の事、好きです!」突然の翔子の言葉に美貴は一瞬戸惑ったが、直ぐに屈託の無い笑顔を浮かべ元気に答えた。
翔子は美貴の笑顔を見て、満足そうに微笑んだ。
その妖精は春と共にやって来た。
心の凍て付いた雪の女王の元に。
愛した少女は〝ごめんね〟の一言を残して、自分の前から消えた。
悲しかった。寂しかった。苦しかった……体が引き裂かれる様な心の痛み。
その痛みに比べれば、手首の痛みなど、蚊ほどにも感じなかった。
冬の凩に首を竦める様に、硬く心を閉ざしていた自分。そんな自分を誰もが避けて通った。
だが、春にやって来た少女は、煩わしいほど、自分へと纏わり付いて来た。
その少女は、屈託の無い笑顔を浮かべ、皆が避ける自分へと、無防備に近付いて来る。
そして、何時しか少女の笑顔は、固く閉ざした心に暖かな風を吹き込んで来た。
そう、春の妖精の様に。
妖精が吹き込んだ春一番は、凍て付いた心を溶かして行った。
何時しか少女だけを見ている自分に気付いた。その時、少女の全てが愛しく思えた。
そして妖精は、次第に心の中で天使へと昇格して行った。
翔子には分っていた。美貴に自分の思いが受け入れられて貰えない事ぐらい。
中途半端な告白だったが、翔子はそれで満足だった。
「さあ、行きましょう」翔子は優しく微笑みながら美貴の肩に手を回して言った。




