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家庭の事情

誤字、脱字、言葉尻等を改訂しました。

まだ不備があると思いますが、感想と共にご指摘頂けたら幸いです。

○家庭の事情○


「えぇぇぇ!なんでえぇ!明後日(あさって)から美術部の合宿なのよ!」と、美貴が抗議の声を上げ、

「すまん!美貴。急に役目が入って……」父親の信仁が申し訳なさそうに手を合わしている。

 時は少し遡り、合宿二日前の鬼追家のリビングである。

 田舎の山沿いに建つ鬼追家は、村では平均的な百坪の敷地に、6LDKの木造二階建てが建っていて、玄関の脇にはハリヤーとパジェロミニが止めてあった。

 巾、一間半の、無駄に広い玄関を入って直ぐに有る、リビングのソファーに座って手を合わせている信仁は三十八歳、身長は百八十七cmと大柄でがっちりとした筋肉質の体型だが、背が高いと言う事もあり、着やせして見えるタイプだ。

 純国産だが、日本人離れした彫の深い顔立ちは中々渋く、それ故、若い頃は随分ともてたであろうと推測される。

「そんなの断ったら!」

「本山の“役目”は断れないよぉ……企業の“祓い”の方が先に頼まれていたけど……それに、企業の祓いは、割りの良い仕事だから断るには惜しいしぃ……だから美貴、すまないが、変わりに行ってくれよぉ……」と、低姿勢で懇願する父に対して、

「嫌よ!そんなの!役目が終わってから、祓いに行ったら良いじゃない!」無慈悲にも、躊躇無く断った。

「そう言う訳には行かないよぉ……企業の工場予定地に化物が現れるとかで、着工出来ないでいるんだよ。工場の完成が遅れたら、借入金の返済の負担が大きくなるし……だから報酬も気前良く出してくれるのに、遅らせる訳には行かないよ……なっ、頼む!」

「だったら、役目を後にすればいいじゃない」美貴は、腕を組みながら信仁を睨み付ける。

「それこそ駄目だよぉ。俺達は傭兵みたいなもんだから、役目の無い時は何したって構わないけど、役目を言い付けられた契約期間は、本山に従わないとなぁ……今回は、広範囲を分担して探査する役目で、他のお役目も何人か日を合わせて出るから、勝手な事は出来ないよぉ」

 信仁が更に深深と頭を下げ懇願すると、まぁ、何時もの事だと美貴は半ば諦めて、

「で、何処なよ……」と、思いっきり不機嫌な顔で、信仁の向かいのソファーに腕を組んで、どかっと座った。

「福井、滋賀と岐阜の県境に、三国ヶ岳と言う山があって、その近くだ。ほら、夜叉ヶ池で有名な」と、美貴が話しに乗って来た事に信仁は〝しめた〟と思い笑顔で説明した。

「じゃ、龍神の杜じゃない。なんで、そんな聖域、調べる必用あるの?」

「聖域といっても、神社とかの閉鎖区域じゃないから、場所によっては日陰の様に力の及ばない所が出来るんだ」未だ不機嫌な美貴に対し、信仁は機嫌を損ねない様に低姿勢で説明する。

「白雪姫だっけ……」と、記憶を探りながら尋ねる美貴に、

「それは、泉鏡花のお話。夜叉姫だよ」と、信仁は得意げに答えた。

「何よ偉そうに……で、バイト料は……」信仁の得意げな態度に気分を害し、美貴は真剣な顔で確信に迫る。

「…………」信仁は聞こえなかったかの様に、横を向いて黙っている。

「出るんでしょうね!」美貴は立ち上がって、信仁を睨みながら怒鳴ると、

「お前は、父の手助けをしようと思う気持が、無いのか!」と、信仁も負けじと勢い良く立ち上がって、怒鳴り返す。

「それと、これとは別よ!」

 怒鳴りあっている二人の横へ、ダイニングからやって来た母親の百合が、

「あなた、無理言うんだから、出して上げなさいよ」と、優しく声をかけた。

 母親の百合は、身長が百七十cm。スリムな体型が、更に長身を印象付けている。

 ボブカットに切り揃えた髪に栄える美しい容姿は、とても四十歳には見え無い若々しさがあった。

 信仁が、百合の方をチラッと見て、

「まあ、良いけど……じゃ、こんなもんで」と、美貴へ、しぶしぶ手を開いて差し出した。

「何それ?大?小?」指五本と言う意味に、美貴はちょっと期待していた。

「小に決まってるだろ!」信仁が、当たり前だろと言わんばかりに美貴を怒鳴り付けると、

「じゃ、やだ!」美貴は、ふんっ!と、そっぽを向いた。

「おい!もう……じゃ……大で」美貴の反応を見て、歯噛みしながら信仁が、しぶしぶ指一本立てているの横目でを確認して、

「二日よね……明日から行って……」と、美貴は(わざ)とらしく指を折って数えた。

「ああぁっ、分かった!これでどうだ!」信仁が、勢い良く指二本を立てて差し出すと、

「OK!今から用意して参ります!」美貴は、にかっと現金な笑顔を浮かべ敬礼した。

「ごめんね美貴ちゃん。私が行ければ良いんだけど」と、百合が申し訳なさそうに言うと、

「気にしないで。お母さん、私を生んで鬼の力が無くなっちゃんだもの……仕方ないよ」と、美貴は交渉が思い通りに運んで、ご機嫌な笑顔を浮かべている。

「まぁ、女のお役目は八割以上が子供を生むと力が消えてしまうからな……お母さんが現役の頃は、鬼百合とか、鬼姫とか呼ばれる程の暴れん坊さんだったから、惜しいと言えば惜しいけど……」と、信仁は、しみじみと言った。

「あっ、そうそう……あなた、お金はあなたの、おこずかいからお願いね」

「えぇ!そんな!」微笑みながら容赦の無い百合の言葉に、信仁が驚き抗議するが、

「あなたの、お願いでしょ」と、あっさりと棄却された。

「えぇぇ……でもぉ……」更に、未練がましく縋る信仁に、

「何言ってるの、家や車のローンだって有るのに……」と、百合が冷徹な目で睨み付けると、

「……」信仁は、百合から目を逸らして黙ってしまった……何処も同じかぁ……

「交通費とかの必用経費は家計から出しますから。はい、美貴ちゃんカード。失くさないでよ。それと、領収書はちゃんと貰ってね」百合が、美貴にクレジットカードを手渡すと、

「了解しました!」美貴は、再び現金な笑みを浮かべて敬礼をした。

 その横で信仁が、しぶしぶ自分の財布を取り出し、美貴に二万円を差し出しすと、

「THANK YOU!」と、お金を受け取り、ちょっとファザコンの入っている美貴は、躊躇いも無く、信仁の首筋に嬉しそうに抱き付いた。

 なんだかんだ言っても美貴には甘い信仁は、美貴に抱き付かれて、嬉しい様な悲しい様な複雑な表情で中身の少なくなった財布を眺めていた。

 信仁達お役目の多くは、瑾斂宗、鵬願寺の役目の他に、一般企業等の仕事も請けている。

 命懸けとなる役目の報酬は高額だが、今回の様な定期的に行っている探査の役目は、特に危険も無く報酬額もしょぼい。

 それに比べ、企業からの以来される祓いの大半は、レベルの低い化物相手の割には報酬が良く、彼らにとっては割の良いアルバイトだった。

 信仁達は、祓いの相手が化物だからと言って、何も毎回退治する訳では無く、追い払えば済む者なら追い払い、話の出来る者なら話し合って移動して貰う為に、退治とは呼ばずに祓いと呼んでいる。

「あっそうだ、簡単な役目だけど、万が一があるといけないから“鬼斬丸”を持っていけよ。もしかしたら“滅火(ほろび)”があるかも知れんからな」信仁はそう言って、刀袋に納められている鬼斬丸を手渡した。

「えっ、鬼斬丸を……」手渡されて、美貴は鬼斬丸を見詰めながら戸惑った。

 美貴は袋の紐を解き、鬼斬丸を取り出した。

 四十cm程の長さの鬼斬丸は、小さな(つば)の付いた懐剣で、三十cm程の凍て付いた氷の様な(やいば)は、朱塗りの鞘に納められていた。

「でも、初めてだよ。魔斬りの法具使うの……どうすれば良いのよ……」

 刀身の輝きを見詰めながら、不安そうに尋ねる美貴に、

「まぁ、心配するなって。お守りみたいに思ってて良いから」と、信仁は、全く問題無しと言うように、軽い調子で答えた。

「俺が使っている、槍の“蒼天撃(そうてんげき)”と、お母さんが使ってた日本刀の“鳩槃荼(くばんだ)”も同じだけど、魔斬りの法具自体に化物を滅する力があるんだよ。だから、白菊には絶対触らせるなよ……まあ、あいつは知ってるけど」

 説明する信仁の隣に、百合が座り、

「美貴ちゃんは、もう気の使い方が分かってるみたいだし、自然と使えるわよ」と、微笑みながら付け加えた。 

「化物って言うのは、気の変化したエネルギー体みたいな物でな、下等な生物や人の思念とか霊をコアにした者と、神様の意思とも思える様な偶然に、多くの気の力が意思を持って集結して生まれた者達なんだ」

「魔斬の法具に込められた霊的な波動は、化物が結合している特有の周波数に干渉して消滅させるのよ。つまり、浄化するって事よ」

「まあ、自我も持たない様な、レベルの低い化物なら、俺達の気の力や白菊達でも倒せるけど、強力な化物になると、魔斬の法具を使わないと倒せない奴も居るし……」

「それに、私達が使う気の力も、体力同様の限界があるでしょ。雑魚でも多数の化け物を相手する時は、魔斬の法具を使わないと、体力負けしてしまうわ」

「それと、滅火の影響で凶悪化した奴らは、魔斬りの法具で浄化しないと、滅火をばら撒く事にもなるからな」

「でも……滅火とかじゃ、きっと私の手に負えないよ……」と、不安そうに美貴が言うと、

「大丈夫、滅多に無いって。もし滅火があったら情報不足の本山が悪い。とっとと引き返したら良いよ」と、信仁は無責任に答えた。

「でも、滅火って何なの……怖い物だって、何時も聞かされているけど……」

 美貴の質問に、二人は困った様に顔を見合わせている。

「そうだな……滅火って、他の自然界に流れる気とはまったく違う物……ってぐらいかなぁ」

「そうね、本山の専門家達も研究しているけど……はっきりとは分かっていないのよ」

「そんな……」

 正体不明の滅火に、美貴は言い知れぬ恐怖を感じていた。 

「まぁな、普通の気の流れは、色々な要素が複雑に絡み合って存在し、それ自体に善悪は無いんだけど、滅火はなぁ……人々にとって……いや、この世に生きている者全てに災いする気……って言うのかなぁ……」と、信仁は、同意を求める様に、百合の顔を見た。

「そうね……霊的な毒って言うのかしら……精神的にも肉体的にも生命体を犯して、全ての生き物を死滅させてしまうの。でも、毒は薬にも成るって言うでしょ。滅火の力を取り込んだ化物は凶暴で強力になるわ。だから、もし滅火があっても、絶対に近付いちゃ駄目よ」

 厳しい表情で、美貴に教える百合に、

「でも、見た事も無いのに、滅火って分かるの?」と、美貴が不安そうに尋ねた。

「大丈夫だよ。直ぐに分かるって。普通の気は、白菊が憑いたら見えるんだろ?だったら、他の気とは全然違うから、直ぐに分かるよ」

 不安そうにしている美貴に対して、信仁は安心させる為に態と明るく説明した。

 美貴は、そんな信仁を見ても、まだ見ぬ滅火に怯えていた。


 パジャマ姿で美貴は、合宿で使う画材や着替えの荷物を宅急便で送る用意をして、部長に合宿参加が一日遅れる事を連絡した。

 調査に向かう場所は登山道も無い山で、美貴は出来るだけ身軽な荷物にしたかった。

「主……此処じゃと、電車とやから降りてどう行くんじゃ?」

 白菊がベッドの上で、ふあっと浮かびながら、うつ伏せの姿勢で地図を見ている。

「とりあえず、人気の少なくなる山の麓まで、バスかタクシーで行って……後……お願い!」 

 たのんます!とばかりに美貴は、白菊に手を合わせて頼み込んだ。

「ええぇ!やっぱりそうなるの!妾はまだ、大狐になれないのに……主、重いよ」

 美貴は、重いと言う言葉に瞬時に反応し、目をギンッと光らせ、

「失礼ね!私、重くなんか無いわよ!」と、白菊に向い怒鳴り、思いっきり否定した。

「抱えて飛ぶ、妾にとっては重いの!」白菊は、美貴の剣幕に戸惑いながらも強く抗議した。

「だって……こんな山、歩いて行けないよ……道なんて無いのに」

 美貴は困った様子でベッドに座り、置いてある地図を見ている。

「妾は、平気ぞ」何やら白菊は、得意げである。

 そんな白菊の態度に腹を立て、

「白ちゃんは、浮いているだけじゃない!歩く身にもなってよ!」と、美貴が強く訴えると、

「そんな事知らないもん!」白菊は不満げに頬を膨らませた。

「何よ!だったら、早く成長して大狐になってよ。それなら、私一人ぐらい乗せて楽に飛べるのに……何時までも子供なんだからあぁ」美貴が腕を組んで、意地の悪そうな表情を浮かべ、横目で白菊を見ながら言うと、

「あっ!ああぁ!あっ、主!妾が、一番気にしてる事を!だったら、主だって、まだ子供じゃない!〝生理〟とか言うのが、まだ無いんでしょ!百合殿が言ってたよ!」白菊は悔しそうな表情で、美貴を指差し叫んだ。

「なっ、何、言ってんのよ!はっ、恥かしい事言わないでよ!鬼の一族は長寿なの、だから、普通の人より成長も、老化も遅いのよ!」帰って来たブーメランに、顔を赤らめ激しく反論しながら、美貴は余計な事を喋った百合を怨んでいた、所に、突然、扉が勢い良く開いて、

「ちょっと静かにしなさい!何、騒いでいるの!康仁寝ているのよ!」と、百合が怒鳴り込んで来て、大きな声に二人は驚き飛び上がった……康仁とは、小学校四年生の美貴の弟である。

「早く寝なさい!」百合は二人を睨みつけて言うと、

「はあぁい……」と、美貴は、お母さんの声の方が大きいわよと、思いながらも、逆らう事無く素直に返事をした。

「あっ、それと白ちゃん」と、部屋を出かけた百合が、急に思い出したかの様に振向き、白菊に話しかけた。

「なんじゃ?」白菊は、何の事かと百合を見た。

「美貴ちゃんに憑いたら、気を付けてやってね」

「何をじゃ?」

「ほら、白ちゃんが憑いたら美貴ちゃん、限界が分からなくなるでしょ」と、心配そうに話す百合を見て、

「あ、その事か……しかとった」と、白菊は頷き、軽い調子で承諾した。

 その様子を見て、百合は言い知れぬ不安が湧いて来た。

「……美貴ちゃんも、良く聞いてね。私達の気の力には、限界がある事は知っているわね?」

「うん、限界は経験した事は無いけど、修練している時に、何時もお父さんが言ってたから」

 百合は、美貴の座っているベッドの横に座り、

「私達の気の力は、魂の力で作られているの。だから、魂の力を超えて気を使うと、魂を削る事になるのよ……これは、危険な事なのよ」

「うん……聞いてるわ」

 心配そうに話す百合だが、まだ経験した事も無く、現実的な実感の湧かない美貴は、あまり深刻に考えていなかった。

「白ちゃんが憑いて、美貴ちゃんの能力が上がっても、それは、白ちゃんの能力を借りているだけで、それに必要なエネルギーは自前の気を使っているのよ。今回は問題無いと思うけど、限界を超えて気を使うと魂を削り、命の危険さえあるのよ」

「うん……」

「白ちゃんが……あやかし達を憑けると言う事は、とても危険な事なの。あやかしが憑いて居る時は、私達のリミッターが外れるの。だから、身体能力は格段に上がるけど、化け物と戦っている時、幾ら激しく動いても疲れを感じない。どんな大怪我をしても痛みを感じない……だから怖いの。疲れや痛みは、言ってみれば体の警報なの。それを感じずに、更に戦おうとする……それが鬼の血筋の者の(さが)なんだけど……だから、気を付けて欲しいの……本当は、お役目になんて成って欲しくはないんだけど……鬼の血を引く者の定めと言うか……私にも覚えがあるけど、自然とこの道を選んでしまうのよね……」

「お母さん……」

 美貴の事を心配して、少し悲しそうに微笑む百合の顔を見て、

「うん、気を付けるわ」美貴は、心配させない様にと、明るく答えた。

 その横で、百合の話を聞いていた白菊が腕を組みながら、

「そうじゃったのう……そのせいで百合殿も、何度も死に掛けたし」と、しみじみと言うと、

「もう……白ちゃんったら……」百合は、恥かしそうに白菊を見た。

「いやいや……それだけ百合殿の現役時代は凄まじかった……」

「もう、止めてよ……今は普通のおばさんよ……」

「とにかく戦った後は、十tダンプが踏み荒らした見たいじゃと、信仁殿も言っておったし、お玉殿と山の頂上を吹き飛ばしたのには、妾も驚いた……」と、長々と昔話を語る白菊に、

「ほんと……やめてよね……」と、百合は、いい加減にしろ、と言わんばかりに白菊を睨み付けた。

「そう言えば、玉ちゃん最近来ないね……以前なら一年に二・三回来てたのに……もう、一年程来て無いんじゃない?」思い出した様に、美貴が尋ねると、

「そうね……忙しいのかしらね?まぁ、私の鬼の力が無くなって、縛りが解けたからね……」百合は少し寂しそうに答えた。

 玉ちゃんとは、近江ノ玉江(おおみのたまえ)と言い、齢千年の白狐で神通は高大だ。

「縛りが解けたのは白ちゃんも同じでしょ……なんで居るの?私、縛ってないのに……」 

 美貴が白菊に振向き、何となく尋ねると、

「いやぁ……妾は、縛りが解けたからと言っても行く所が無いから……」と、白菊は、恥かしそうに頭をかきながら答えた。

 百合は微笑みながら、そんな白菊の姿を見て、

「本来は、呪詛を込めた髪の毛とか体の一部を、あやかしに埋め込むんで縛るんだけど、白ちゃんには必要ないわよ……それに、美貴ちゃんはまだお役目じゃないしね」と、美貴に説明した。

「じゃ、何時かは私も、白ちゃんを縛らないといけないのかな?」

 友達感覚で白菊と居る美貴は、縛ると言う行為に抵抗があった。

「そうね、それは美貴ちゃんの判断に任せるわ……元々は、自由奔放で享楽的なあやかし達に私達の言う事を聞かせる為に縛るんだから、白ちゃんには必要無いかもね」

「そうだよね」百合の説明を聞いて、美貴は少しほっとした。

「私は、玉ちゃんも白ちゃんも縛っていたけど、結局は縛る必要なんて無かったかも知れないわね。二人とも、私を助けてくれて……あの激しい化物との大戦を、戦い抜けたのも二人のお陰よ……私はずっと、二人の事を大切な戦友だと思っているわ」

「勿体無い……百合殿……お玉殿も今の言葉を聞くと、きっと嬉しく思いますよ……」

 微笑みながら見詰め合う二人の話を聞いて、

「大戦と言えば、おじいちゃんから、よくお母さんの昔話は聞くけど、お父さんはどうなの?強かったの?」と、ふと、疑問に思った事を聞いた。

 百合は、美貴の方に向き直り、

「あら、お父さんは今でも強いわよ」と、当然だと言わんばかりに言うと、

「ええぇぇ……とても、そんな風には見えないけど……何か、お母さんの尻に轢かれているみたいで……」美貴は、不審そうに百合を横目で見た。

 自覚は有る物の、改めて娘に言われると、百合は少し恥かしいのか、頬を少し染めながら、

「尻って……あんたね……」呆れる様に美貴を見て、

「私は、両親が早く死んで鬼追家に引き取られて、お父さんは弟みたいな存在だったから……其のせいかな?」と、今度は少し照れながら説明した。

「ふうぅん……」少し頬を赤くする百合の顔を、更に不審そうに美貴は眺めた。

「もう、本当にお父さん強いわよ。気の力だけを比べたら、現役の時は私の方が強かったけど、お父さんは気の使い方が上手いの。私はお父さんみたいに、器用に気を使いこなせなかったわ」百合が、美貴に言い聞かせる様に話している姿を見て、

「そうじゃった、そうじゃった……百合殿は何時も、どっかあぁぁんとか、ぼっかあぁぁぁんと、派手じゃったのう……それに……」と、再び白菊が、頷きながら昔話を語りだした。

 現役の時はいざ知らず、今は御しとやかな母親を目指す百合が、

「おい……やめんか……」と、白菊を殺気の篭った目で睨み付けると、

「ひっ……」白菊は、その迫力に怯え、慌ててベッドの陰に隠れた。

「まぁ、大戦があったのは、今から二十二年程前だから、その頃、お父さんは高校生だったの。だから、皆に知られる様な武勇伝は無いけど……」

 気を取り直して、其処まで語ると百合は、

「でも、いざと成ったら……とおぉっても、男らしいのよぉ……」と、赤く染まる頬を両手で押さえながら、小娘の様に恥かしそうに身をよじっている。

 そんな百合の惚気る姿を見て、

「……はいはい……」と、美貴は、しらけた気分で呆れていた。

「じゃ、明日は早いんだから、早く寝なさいね」

 百合が、まだ頬を染めたままで部屋を出て行くのを見て、

「はぁい……」素直に返事をしながら美貴は、まだラブラブな両親が少し羨ましかった。

 静かになった部屋で、美貴は隠れている白菊に近付き、

「ねえ、白ちゃん……さっきの話、お願いだから、ねっ」と、手を合して懇願した。

 白菊は、恐る恐る顔を出して、

「分かりましたよ……その代わり、きつねうどんですからね」と、膨れっ面で答えた。

「了解!それで手を打ちましょう」それで済めば安い物だと、美貴は笑顔で即決した。

 俗っぽい話だが、白菊は狐の好物と言われている油揚げが大好きだ。

 白菊にとって、存在を維持する為に食事を取る必要は無いのだが、油揚げが入ったきつねうどんや稲荷寿司には目が無い。

 ただし、プライドにかけて、たぬきは食べたくないそうだ。あっ、関西では、きつねそばを“たぬき”って言うんです。

 元々、霊体の白菊が物に触れる事は出来ない。肉体が無いため、重さも無い。

 しかし、霊力で空気中の微粒子を、高密度に圧縮し変化させ実体化する事が出来る。

 つまり“化ける”事が出来る。 

 そして、実体化する事で、物を持ったり食べたりする事が出来る。 

 取り合えず、取引が成功したので美貴は寝る事にした。

 美貴はベッドへ入り、龍之介と一緒に行けない事を残念に思っていた。

 それと、渡せ無いままのラブレター。

 まだ鞄の中に入ったままのラブレターの事を思うと、美貴の気分は落ち込んで行った。

「直接、告白するなんて……出来ないし……手紙も渡せない……」

 美貴は、自分に勇気が無い事を情けなく思っていた……まぁ、普通そんなもんですけどね。

 そして美貴は、合宿で龍之介と一日中一緒に居られる事を楽しみにしていたのに、其の日が一日減った事を残念に思った。

 でも、二日目からは合流出来るんだと、持ち前のポジティブ思考で気分を切り替え、眠りに入った。


○白菊○


 美貴達は、特急サンダーバードで敦賀駅に着いて、普通列車に乗り換える。

「主!きつねうどん」駅中の”今庄蕎麦”の看板を見て、姿を消している白菊が美貴に囁くと、

「我慢しなさい!……見なさい、この真っ白な時刻表。乗り遅れたら一時間待ちよ!」美貴が語尾を荒く、周りに気付かれない様に小さな声で答えた。

 そして、普通列車に乗り換えた美貴達は、長いトンネルを抜けて今庄駅に着いた。

 美貴は、ホームに立ち周りを見渡し、その緑いっぱいの……いや、緑しか見えない風景を愕然と眺めていた。  

「主、きつねうどんは……」白ちゃん、よっぽど楽しみなんですね。

「こんな所に有る訳無いでしょ!」と、駅を出て僅かに連なる集落を見て答えた。

 とは言うものの、もう直ぐお昼の時間で、美貴もお腹が空いて来た。

「今庄駅に、今庄蕎麦が無いなんて……」と、北陸ではメジャーな、立ち食い蕎麦屋が無い事に、美貴は不満気に呟いた。

「国道の方に出てみようか……」と、美貴達は、線路を越える道路を歩いて国道に出た。

 国道……いや、さすがに国道だけに美貴は一軒の食堂を見付け、

「あっ、あそこにしましょう!」美貴が店を指差し、白菊が居る筈の空間に向かって言うと、

「はあぁい」と、姿を隠したまま白菊が元気良く返事をした。

 美貴達は食堂がある事を確認して、再び来た道を戻り線路を越えて、人気の無い神社の中に入って行き、周囲に人の気配が無い事を確認した。

「OK白ちゃん……今よ……」美貴は、周りを見張りながら白菊に合図を送ると、

「承知」と、霊体の姿を現した。

 そして、体をぶるぶるっと震わせたかと思うと、全身が青白い炎に包まれ、CGの様な粒子が白菊を中心に渦巻き、まるで魔法少女の変身シーンの如く、次々と粒子が集まり腕、胴、足と、形を作って行く……残念ながら、変身ポーズはまだ未開発の様だ。

 そして暫くして炎が治まり、実体化した姿が現れた……が……なんでやねん……

「あなたねぇ……何で、そんな格好するのよ」怪しい者を見る目で美貴が聞くと、

「良いじゃないですか、可愛いんだから」と、白菊はスカートをふりふりさせながら答えた。

 レースのフリルが沢山付いた、黒のフレアータイプのジャンパースカートと、同じくレース飾りが付いた白のエプロンを組み合わせたエプロンドレス姿で、中には襟幅の広い白のブラウスに、銀のロザリオ。長くて細い足には、黒のニーソックスに、小さな赤い薔薇飾りが付いた黒のエナメルの靴。長い白髪(はくはつ)は、薔薇模様を編み込んだ臙脂色のレースのリボンでポニーテールにまとめている……まんま、ゴスロリ……夏らしくは無いですが……

「其の格好で、きつねうどんは……似合わないなぁ……」そう思います。

「良いじゃないですか!放っておいてくださいよ……趣味なんだからぁ……」眉をしかめ呆れている美貴に、白菊は、しれっと答えながら、上手く変化出来たかと、スカートを少し摘み上げ、可憐に体を回し裾を翻しながらファッションチェックに余念が無い。 

 ジーンズにTシャツとMarine(海兵隊)のロゴ入りキャップと言う、何とも素っ気無い姿の美貴は、ただ呆れて白菊を見ているだけだった。

 美貴達は再び国道の方へ引き返し、お店に入ってきつねうどんを注文した。

 村の食堂では、美貴の予想通り白菊の姿は浮いている。

 食事をしている、トラックの運ちゃんと近所のおばちゃんが、珍しい者を見る目で注目しているのに美貴は気付き、自分の事では無いのだが、少し恥かしい気分だった。

 お店の人達は、きっと白菊の事を外国人の子供だと思ってるなと、美貴は想像していた。

 白く輝く髪の毛はプラチナブロンド、明るい山吹色の瞳は金色にも見える。

 狐顔とでも言うのか、目がくりっと大きくて、彫が深く鼻筋が通っている。

 美貴は白菊の美少女ぶりに、嫉妬に似た悔しい思いが少し込み上げて来たが、まぁ、どう言う経緯で白菊の趣味がこうなったのかは分からないが、美貴は十二・三歳ぐらいの美少女姿の白菊を見て、似合っているから良いかと思った。

 注文したきつねうどんがやって来て、白菊は早速、油揚げから食べている。

 そう言う物は最後に取っとくものでしょと、美貴は思ったが、幸せそうな笑顔を浮かべて食べている白菊を見て、美貴も何となく幸せな気分になれた。

「あのさ……この辺だと直接飛べるね。人気無いから……」美貴が白菊に顔を寄せて囁くと、

「えっ!此処から飛ぶんですか?」白菊は今までの笑顔を、あからさまに嫌な顔に変えた。

「はい、どうぞ!」と、美貴がまだ口を付けていない油揚げを、白菊の器へと謙譲すると、

「承知!」あっさりと取引は成立した。

 白菊は実体化して食べたりした物は、体内で燃やして僅かだが霊力の補給にしている。

 食事が終わって外に出て、川に沿って三百m程歩いた所で民家が無くなる。

「……この辺りから民家は無いわね。白ちゃん行くよ」美貴が辺りを見回し、白菊の背中におんぶする様に抱き付くと、

「やっぱり、重おぉい……」白菊は、迷惑そうに駄々をこねた。

「五月蝿いわね!重くなんか無いわよ!油揚げあげたでしょ!」目を吊上げて怒鳴る美貴に、

「はあぁい……」と、諦めの表情で白菊が返事した。

 高校生になっても、一向に成長する気配すら見せない胸に比べ、お尻だけが不本意にも成長して来た美貴にとって“重い”と言う言葉は禁句である。

 白菊が気を溜めると全身が青白く光り出す。そして、光は炎に変わり二人を包む。

「しっかり捕まっててくださいよ」

「うん」白菊の言葉に美貴が緊張する。

 白菊が、一度しゃがみ込む様に弾みを付けて飛び上がると、景色はあっという間に山の姿を上から見下ろした。

「あまり高く飛ばないで、見つかるとまずいよ」付近を気にしながら美貴が言うと、

「承知」と、白菊は返事した。

 白菊は山肌に沿うように飛んでいる……時速にすれば八十km/hぐらいか……美貴は白菊の狐火に包まれているため風圧は感じないが、速度の速さは感じている。

 山の木々が眼下を流れて、遠くには白山連峰が見える。

「主……そろそろ休憩……」五分程たった頃、疲れた声で白菊が訴えた。

「OK……あそこ、見晴らし良さそう」美貴が指を刺しながら指示すると、

「承知」と、白菊が返事をして美貴の指差す方へ向かった。

 白菊は、木の無い平坦な所を選んで着陸し、

「はあぁ、疲れた……」と、言って大の字になって寝そべった。ゴスロリのままで……

 白菊は、単独で飛ぶなら地球一周ぐらい平気で飛べるが、それは白菊の存在が霊体なので重さが無いからだ。それを美貴と言う重さを……本人はたいして重く無いと主張しているが……持った者を運ぶとなると、結構、霊力が消耗する。

 成長して、大狐として実体を結ぶ事が出来る様になれば、何でも無い事なのだが、今の白菊にとっては、休憩しながら霊力の回復を待って飛ぶしかない。

 時速八十km/hぐらいで五分飛んだので、直線距離で六km以上は移動出来たはずだ。

 美貴は、地図とコンパスを取り出し現在位置の確認をする。

 そして、辺りの風景を確認しながら目的地の方角を割り出している。

 美貴は、直ぐ横で大の字になって寝そべっている白菊を見て、

「はしたないよ女の子が、足開いて……」と、窘めると、

「ふあぁい……」と、白菊が疲れた声で返事して足を閉じた。

 美貴達は、それから約三十分の休憩を二回入れて目的地に到着した。

 時刻は三時半過ぎ、美貴は思ったより早く着けたので、明日中に終わらなければ成らない作業を、日が沈むまでの時間に出来るだけ進めようと決め、

「白ちゃん大丈夫?」と、寝そべる白菊に訊ねると、

「もう、ちょっと……休憩……」と、白菊が気持ちよさそうに、まどろみながら答えた。

 白菊の眠りは、人間の睡眠とは少し違うが、霊力の回復のために意識を遮断するため、見た目は眠っているのと変わらない。

 龍神の(もり)の木陰で、涼しい風と清浄な気に包まれ、気持ち良さそうに眠る白菊の姿を見ていると、美貴も眠くなり何時の間にか眠ってしまい、目が覚め気付くと五時前だった。

「白ちゃん!白ちゃん!起きなさいって」美貴が白菊を起こそうと声をかけると、

「ふぇ?……」と、目の焦点が合っていない白菊が上半身を起こした。

「もう、寝ぼけないでよ……始めるわよ!」美貴がリュックから札を取り出す。

「ふあぁぁい……」意識の回復が完全で無い白菊が、寝惚けながら返事をする。

「日が暮れるまでに、何箇所かマーキングするよ、ついでに寝れそうな所も探してっと……」

 美貴は、何やらミミズが這っている様な文字が書かれた、薄い板で出来た札を何枚か手に持ち、再びリュックを背負った。

「はあぁい、じゃ、行きますよ」ゴスロリファションから霊体に戻り、何時もの白装束姿に成った白菊が、おんぶする様に美貴の背中に乗って来た。

 白菊は、青白い炎を上げると、そのまま美貴の背中に吸い込まれるように入って行く。

 白菊が取り憑き始めると、美貴は全身が熱くなる事を感じ、鼓動が高鳴り、目がちかちかとのぼせた時の様になった。

 暫くして不快感が収まってくると、今度は全身に力が漲って来る。 

 白菊に取り憑かれた美貴は、黒い瞳が青白く変わり、普通の人には見えないが、背中から炎を上げている。

「良い?白ちゃん、始めるわよ」美貴は、右手の人差し指を立て、目の前で振り印を切る。

「承知」白菊の声が頭の中で直接聞こえる。

 すると、今まで見えなかった気の流れが見えてくる。綺麗な気だった……清浄で穏やかで。   

 見えて来た癒しの気に、美貴は眠くなるはずだと納得した。

 美貴は、お札を地面に指で押し当て、右手で印を切り念を送る。すると、お札は僅かに光り静かに地面に沈んで行く。

「これで一つ完了」簡単な作業ではあるが、

「これからが大変なのよねえ……」と言いながら、気の流れに沿って斜面を見上げる。

 気の流れに沿って道の無い所を移動して、お札を埋めて行くという、結構大変な山登りだ。

 この作業は、マーキングと呼ばれている気の調査で、気の流れを見て変化しているポイントにお札を埋めて行く。そして、もし気の流れに異常が起きれば、お札が反応して本山や各同宗の寺にいる“お守り様”と呼ばれている僧侶達が感じると言う仕組みだ。

 お守り様と呼ばれる僧侶達は、はっきり言って化物みたいに法力の強い者達で、お寺にいながら自分の受け持ち地域の、こうして埋めたお札の一つ一つを感じる事が出来る。

 白菊が憑き、大きく身体能力の上がった美貴は、山の斜面を木の枝から枝へと猿の様に飛び移ったり、高さ二十mぐらいの崖を駆け登り、気の変化しているポイントを探しながら、札を埋めている。

「本当に、もう!……可憐な乙女に肉体労働させて!」と、信仁に文句を言いたかったが、

「夏休みの二万円はラッキーかな、欲しかったCDも買えるし、友達と海にもいけるな……」と、割切ってもいた。


 その頃信仁は、依頼のあった工場予定地の近くにある温泉で、お銚子を乗せたお盆を浮かべ、のんびりと露天風呂に浸かって居た。

「はぁ……生き返るねぇ……」

「そうじゃのう……」

 山が連なる緑の風景を見ながら、幸福感に浸る信仁の隣には、十五・六歳の少年が同じく景色を眺めながら座っていた。

「でも、()いのか信仁。こんな良い旅館に泊まっても……贅沢すると、また百合殿に怒られるぞ」心配そうに少年が信仁に声を掛けると、

「大丈夫、大丈夫。将鬼丸。今回は全部、企業持ちなんだから……百合ちゃんだって文句はねぇよ!……風呂出たら宴会も有るみたいだし、たまには、ぱぁぁっと行こうぜ!」と、信仁は、猪口を傾けながら気楽に答えた。

 将鬼丸と呼ばれた少年は、信仁に憑いている龍の化身だ。

 上品な顔立ちの将鬼丸は、長い灰色の髪の毛を、湯船に浸からない様に頭の上で一つにまとめている。

 日頃、色々と百合に頭の上がらない信仁の事を理解している将鬼丸は、

「ぱぁっとって……」と、すっかり出来上がっている信仁を呆れた顔で眺めながら、ため息を付いた。


○懸想す思い人○


「さて、こんなもんかな……」と、日が(かげり)り薄暗くなった空を見ながら美貴は思った。

 薄暗い中、美貴は木々の間に少し平坦に開けた場所を見付け、辺りを見渡すと、

「あっ、ラッキー!川だ!」十m程降りた所に小川があり、今夜は此処に泊まる事にした。

 こんな場所での野宿は、小学生の頃から信仁に連れられ何度も経験している。

「白ちゃん、今日はこれぐらいにしましょう」

「承知」美貴の言葉に白菊が返事をして、美貴の体から離れた。

 美貴は、まだ辺りが僅かに明るい間にテントを張り、其の中に荷物を入れ、着替えとタオルを取り出した。

 そして、斜面を下り川に着くと、ぱっと潔い脱ぎっぷりで素っ裸になって、タオルを川の水に浸け、体の汗を流す。源流に近い小川の流れは、冷たくて気持ち良い。

 木々に囲まれた自然の中で、開放感に浸りながら体の汗を流していると、悩んでも仕方が無いと思いつつも、どうしても気になる事がある。

 そう、風が吹き抜ける、凍て付いた湖の様な平滑な胸……EF(エフェクト) ピュゥゥゥ……

 美貴は自分の胸を見ながら、

「遺伝かな?お母さんもだし、希望無いなあぁ……お祖母ちゃんもだ……絶望的だね、貧乳のサラブレッド……なんやねんそれ!」と、寂しく一人で突っ込んでいた。

 美貴は低身長と低脂肪乳が、他人が思うより深刻にコンプレックスを感じていた。

 この胸で、本人の生活が不自由である訳では無いのだが、自分の理想とは懸け離れた現実に不満を感じ、周りの目が気になった。

 体育の授業で着替える時、周りの同級生達の膨らみが目に入ると、自分はどう思われているのかと気になり、特に、憧れの龍之介が、普段どう言う目で自分を見ているか気になる。

「海神先輩、こんなの嫌かな?貧乳は嫌いかな?男の子って巨乳が好きよね。駄目かな私……悩んでもしょうがないけど。せめて、身長だけでも何とかならないかな。遺伝だとしたら、希望はあるんだけどな……」と、胸を見詰、本人にとっては最重要問題を真剣に悩んでいると、

「主?どうしたのじゃ?」と、後ろから白菊が声をかけた。

 内宇宙の精神界に、どっぷりはまっていた美貴は、急に声をかけられ飛び上がって驚いた。

「あっ、いえっ、なっ、何でも無いよ、景色が綺麗だなあぁって」と、あせって答えると、

「もう、真っ暗だよ……」白菊は、きょろきょろと辺りを見回している。

『そんな事は分かってるわよ!きょろきょろすんな!』と、思いつつも、

「あは、そうね……あっ、食事にしましょうね」美貴は、ばつが悪そうに話題を変えた。

 美貴は着替えて、ペットボトルに水を入れて、テントの張ってある所まで帰って来ると、ランタンを点けて、コンロに火を点けてお湯を沸かす。野宿する時の、何時もの手順だ。

「さて、白ちゃん、じゃあぁん、これなあぁんだ」美貴がリュックからパックを取り出すと、

「あっ、お稲荷!」と、満面の笑みを浮かべて白菊が叫んだ。

「これ、白ちゃんの分ね」美貴がコンビニで買った、三つ入り二百円のパックを差し出した。

 すると白菊は直ぐに実体化し、お稲荷を受け取ると、パックに頬擦りしながら、

「主、忝い……その、気持ちが嬉しい……」と、白菊は満足そうな笑みを浮かべている。

「何、大げさに言っているのよ……」白菊の喜び様に美貴も嬉しかった。

「明日も、がんばってよ」

「はあぁい!」と、美貴の言葉に白菊は元気な笑顔で答えた。二百円で御手軽である。

 食事も済み、これからは焚き火タイム。美貴の好きな時間だ。

 拾って来た小枝を二十cmぐらいに折り、あまり大きな火にならない様に少しづつ燃やす。

 ゆらゆらと揺れる小さな火を見ていると、色々な事が思い浮かんでくる。 

 今、気になっている事は……龍之介の事。

 入学して間もない時、校舎で迷っていると優しく声をかけてくれたり、初めての学食で、食券を買うのに戸惑っていた時に助けてくれた事がとても嬉しかった。

 他愛の無い事だが、美貴にとっては、優しくて素敵な先輩と言う印象が刷り込まれ、龍之介が美術部員だと知ると迷わず美術部に入部した。部長に釣られて入った龍之介に似ている。

 入部してからは、優しくて面倒見の良い(お節介とも言う)龍之介に益々惹かれて行った。

 惹かれて行く内に、あんなに素敵な先輩なんだからと美化し過ぎ(あるある)きっと自分の他にも、素敵だと思っている人がいるはずだと、また、龍之介には誰か好きな人がいるんだろうなと、ネガティブな不安が湧き上がり、私なんか、だめだよねと、落ち込んでしまう。

 渡せずにいるラブレター。

 切なる思いを、告白出来無い心の足掻(あが)き。

 膨らむ想いに耐え切れず、書いてしまったラブレター。

 文字に託し、優しくして貰った感謝の気持ちと、憧れる気持ちを綴ったが、好きだとは怖くて書けなかった。

 一度は書き上がったラブレター、それを何度も読み直し、何度も書き直していると、このまま持って居ようかと弱虫な自分が囁く。

 だけど、伝えたい気持ちは押さえ切れない。

 直接手渡す事など出来ない臆病者。

 それでも勇気を振り絞り、何度もロッカーヘと立ち向かったが、全戦全敗。

 ロッカーがまるで、門を閉ざす強固な砦に思えた。

 伝えたいのに伝えられない。

 もう後ほんのちょっとの勇気があればと思ってみても、勇気の出口を何かが押さえている。

 それは怯える自分自身。

 幼い恋心は、美貴も今までに何度も経験したものの、龍之介への思いは今迄のそれとは違っていた。

 初めて経験する胸を締め付けられる思いに戸惑い、普段は明るい性格の美貴を、不安が臆病にさせていた。 

 それは、鬼の血筋の事を知られたくない思いが、美貴の勇気を縛り付けていた。

 思いに(ふけ)る美貴の前で、白菊は何やら虫達を集めて楽しそうに遊んでいる。

「白ちゃんは、誰かを好きになった事があるの?」と、美貴は何となく白菊に声をかけた。

「何の事じゃ?(せん)の主の百合殿も、今の主の美貴殿も、信仁殿も、皆好きじゃぞ」白菊は美貴の方を向いて、何の事かと不思議そうな顔で答えた。

「うぅん、そうじゃなくて、恋したとか、愛したとか……」やっぱり分らないわよねぇと、美貴は思いながら聞いた。

懸想(けそう)す思い人の事か?」

「えっ、えぇぇと……だぶん……」美貴は、今の日本語?と思いながら適当に返事した。

「妾は、おらんな……でも、お玉殿には居ったと聞いた……」

「玉ちゃんに?……」

 少し顔を曇らせる白菊に疑問を感じながら、美貴は玉江の事を思い浮かべ、

「プライドが高くって、ハードボイルドな玉ちゃんからは想像出来ないな……でも千年も生きているんだから、恋の一つや二つは有るわよねぇ」と、龍之介に憧れている自分を玉江に重ね、両手を胸の前で組んで、浪漫チックな思いに浸りながら空の星を眺めて言うと、

「そんなもんかの?妾には、よう分からんが」白菊は、美貴の方を見もせずに味気無く言うと、また虫達と遊び始めた。

 そんな白菊を横目で見ながら、

「まあ、白ちゃんも、大人になれば分かるわ……」と、少し見下す様に美貴が言うと、 

「何よ!主だって、子供の癖に!」白菊が振向き反論する。

「あのね!……ねえ、前から聞こうと思ってたんだけど……白ちゃん、話し方おかしいんじゃない?」美貴が訝しげな目で白菊を見る。

「なにが?」

「それよ……“妾は、八幡の白菊じゃ”なんて言い方したり、“何でようぅ”なんて言い方したり……」

「何でだろ?……別に意識してないよ。百合殿や主といる時間が長いからかな?……良いではないか、細かい事は」白菊は、そう言いながら屈託無く笑っている。

「外人さんが長く日本にいて、日本語が話せる様になる様なものかな……違うか?」

 美貴は何やら話題が変わってしまい、どうしてこうなったか思ったが、

「まっ、いいか……さぁ、寝よ寝よ」と、睡眠を優先させ、火の始末をしてから、美貴はテントに入り寝袋を用意した。

「じゃ、おやすみ」美貴がテントから首を出して、外の茂みに横たわる白菊に言うと、

「おやすみなさあぁい」白菊もそう言って二人は眠りに入った。

      ---◇---

 仮の(ねぐら)に訪れた、静けさに固まった朝に気付いた時、自分の鼓動さえ耳障りだった。

 まだ青く硬い空気の中、川を走るラムネ色の水で顔を引き締め目を覚ます。

 時間がゆっくりと流れる非日常的な空間で、微風(そよかぜ)に撫でられる濡れた頬が心地好()い。

 昨夜、居場所を与えてくれた火は、ささやかな思い出を残し、白い灰となっている。

 僅かに残る虫の声と、(さえず)り始めた小鳥の声を聞きながら、少しの未練と供に灰を押しのけ、新たに火を起こし、幼馴染の(すす)けたコッヘルに水を入れ、火に架ける。

 群青色が徐々に色褪(いろあせ)せ、透通(すきとお)り始めた空の深さを眺めながら、コンビーフの缶の封を切る。

 缶から引きずり出した塊に(かぶ)り付き、機械的に咀嚼しながら寝ぼけた味覚で味わう。

 最後の一口を喉に押し込んだ時、コッヘルの蓋が踊りだし、湯が沸いた事を教えてくれた。

 口に残った脂っこさを、熱いブラックコーヒーで洗い流す頃、朝焼けの空に閃光が走った。

 稜線の背後から放たれた緋色の光は、朝靄(あさもや)を突き刺し、天空へと光と影のストライプを絵描いている。

 そして太陽が、其の眩しい光を自己主張した時、今日の始まりを感じた……

 夏の早朝、美貴が冷涼な一時(ひととき)に浸っていると、

 ク、カァー、ク、カァー、ク、カァーと、白菊の、とても可愛いとは言いがたい寝息に、気分をぶち壊された美貴は、(こめかみ)の当たりで“ぶちっ”と言う音が聞えた。

何時(いつ)まで寝てんのよ!」美貴が仁王立ちで白菊を怒鳴り付けた……まだ、五時過ぎですが。

「ふえぇ?……」白菊は、寝ぼけ(まなこ)でよだれをたらしている。

 はい、其処の人。霊体なのにと突っ込みを入れない様に。

「今日も忙しいのよ!早く起きなさい!」

「まだ、眠いよ……昨日、力……沢山使って……」白菊は寝返りを打って、再び夢の世界へ。

 美貴は、どうしてくれようかと考えたが、最終手段を執行する事を決意し、

「終わったら、きつねうどん」と、ぼそっと呟いた。

 耳をぴくりと反応させ、それを聞いた白菊は

「おはようございます!」と、飛び起き、満面の笑顔で答えた。効果覿面である。

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