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その参

8/1修正

○過去○ 


 三日目の朝、昨日の事を思い出し、美味しいはずの朝食が味気無いと思いつつも、龍之介はしっかりと三杯目をお代わりした。

 龍之介の隣に邦博、前には翔子、司は一年生で集まっている。

 龍之介は目の前の翔子に、司の事を話したい衝動を何とか抑えていた。

 翔子が龍之介の視線に気付き、

「何?」と、言って睨みつけて来た。 

「えっ!いや、何でも無いよ……」龍之介は翔子の攻撃的な視線に、慌てて目を逸らした。

 翔子は、その龍之介の慌てる態度を見て、何を察したのか、今度は邦博を睨みつけると、

「ひっ!」と、邦博は、その殺気を孕んだ視線に怯え、プルプルと首を左右に振っている。

 翔子の眼力に怯える二人を他所に、翔子は何事も無かった様に食事を終え、無言で立ち上がり食器を片付け、一年生達のテーブルの所で楽しそうに話しをしだした。

 翔子が居なくなって二人の緊張が一気に解け、どっと疲れが襲って来た。

 食事を終えて龍之介と邦博は、画材を持って旅館のロビーの前を歩いていると、司達一年生がやって来た。女子の中に一人混じる司だが、まったく違和感は無い。

 そして、旅館の玄関へ向っている二人の横を、美貴が通り過ぎ様とした時、

「あっ!鬼追!ちょっと待ってくれ!」と、龍之介が声をかけた。

 美貴は立ち止まり、龍之介へとゆっくりと振り向いた。

「すまない、ちょっといいかな?」

「何でしょう?」昨日の事もあるのか、少し恥ずかしそうに俯きながら美貴が答えた。

「美貴ちゃん、先に行ってるね」同じ一年生の洋子が、意味ありげな笑みを浮かべて、美貴に手を振っている。

「?……うん、ごめん」と、洋子の笑みの意味が分からず、美貴は怪訝そうに手を振った。

 一年生達が出て行った所で、龍之介は美貴の直ぐ前で、

「あのさ、鬼の血について聞きたいんだけど……」と、背の低い美貴に対して、少しかがむ様に顔を寄せて小声で聞くと、

「い、いいですけど……」と、近すぎる龍之介の顔に、美貴はドキドキしながら答えた。

「邦博、すまん。先に港に行ってくれ」

「いいよ。了解」邦博は、龍之介に笑顔で手を振って見送った。

 龍之介達は海岸の方に降りて行き、昨夜話していた場所で美貴と向かい合った。

「俺に、鬼の血が流れてるって言ってたけど、それって……なんて言うか……良い事なのか?悪い事なのか?」美貴と、手を伸ばせば届く距離で龍之介は美貴に聞いた。

「えぇと、どういう意味でしょう?」美貴は、背の高い龍之介を見上げるように話している。

「そうだな、生活する上で便利なのかなって……」

「人によるでしょうけど……先輩ぐらいだと、ちょっと体力がある程度かなぁ?」

「じゃ、化物が見えるのは?」

「人に見えない者……化物なんかが見えるのは、血筋の人達の特徴だから、仕方ないですけど、特に、見えたからと言って、何か出来る訳じゃないし……」

「……そんな程度か……」龍之介は溜息混じりに残念そうに呟いた。

「まぁ、考えてみれば、だから今の自分なんだよな……」

 龍之介は、昨日見た美貴の運動能力を思い出し、自分もアニメのヒーローの如く、超人的な力が出せるのかと少し期待していたが、大した事が無いと分り少し残念に思った。

「当たり前じゃ!おぬし程度で他と大きな差があれば、我が主は超人じゃ」十分、超人です。

「うっ、白ちゃん……」いきなり現れた白菊に驚き、龍之介は後ろに飛び退くと、

「なれなれしく呼ぶなと言っとろうが!白菊様と呼べ!」と、叫び、白菊は炎を上げた。

「白ちゃん!まあぁ、良いじゃない……先輩は少なくとも、白ちゃんが見えるんだから」

「ぶう、主がそう言うなら、許してやる」困った様な顔で宥める美貴に、白菊は炎を収め、不本意では有るがと、膨れっ面で腕を組んでいる。

「ははは、ありがとう……」白狐の迫力と人間臭い仕草のギャップに、龍之介は戸惑居ながら、引きつった笑いを浮かべた。

 気を取り直して龍之介は、再び美貴に近付き質問を始めた。

「それで、どれぐらいの数がいるんだ、お前みたいに、血の濃い奴は」

「正式に、本山の元で役目を負っている人達は、四百人ぐらい居ると聞いています」

「四百も居るのか……意外に多いな」思った以上に多い数に、龍之介は驚いている。

「はい、でも日本全国で、ですから少ないと思いますよ。それに、それぞれ能力の出方が違いますし……戦闘向きの能力とか、探査向きの能力見たいに、人によって出方が違うんです」

「そうか……まあ、俺としては、普通に生活出来るって事だな」

「ええ……まあ、そんなとこですね……でも、あの、先輩……」つまらなそうにしている龍之介の顔を、下から覗き込む様に見ながら、

「鬼の血って、私の事、あの……その、気味悪く……」美貴は、もごもごと口篭っている。

 最初は何を言っているのか分からなかったが、美貴の態度を見て直ぐに、自分の身の上を龍之介にどう思われているのか心配していると感付いた。

「あっ、別に気にしてないよ。第一、俺にも流れてるんだろ。気にすんなよ」

「あっ!はいっ!」

 美貴の気持ちを気遣い、勤めて優しく微笑んで答える龍之介を見て、美貴は安心したのか、元気に笑顔で答えた。

 その時の、美貴の笑顔がとても可愛く思え、龍之介はドキッと胸が高鳴った。

「あっ……すまない、時間を取らせたな……そうだ、港の方で、一緒にスケッチしないか?」

 少し動揺しながら龍之介は美貴を誘った。

「えっ!はいっ!あの……」と龍之介の誘いに美貴が、笑顔いっぱいで答えかけたが、

「……あっ……すみません。一年生の皆で一緒に書く約束があるんで……」と、今度は暗い表情で残念そうに答えた。

「そうか、いや、良いよ。港の方に来たら声でもかけてくれ。すまなかったな。じゃ……」

 そう言って美貴と別れて、龍之介は旅館の方へと帰って行った。

 旅館の前を通る時、玄関の方を見ると、壁に凭れる様に邦博が立っているのが見え、

「あれ?先に行ったんじゃ?……」と、思いながら、

「よう」と、軽く声をかける龍之介だったが、邦博の様子がおかしいのに直ぐに気付き、

「おい……どうしたんだ?」と、玄関に入り、邦博の顔を覗き込んだ。

 涙目で放心状態の邦博は、顔を覗き込んで来た龍之介に、はっと気付き、

「りゅうのすけえぇ!」と、叫びながら抱き付いて来た。

「わっ!馬鹿!止めろ!」何の事か分らないが、男に抱きつかれる事は遠慮したいと、強く抱き締めて来る邦博を、龍之介は押し離そうと力いっぱい手で押した。

「なっ、何やってんだよ!」

「あう、あう……」押し離そうとする龍之介に顎を強く押されて、邦博は上手く喋れない。

「落ち着け!落ち着け!……落ち着いたか?……落ち着いたか?」龍之介の言葉に、邦博は仰け反りながら、顔をかくかくと動かして頷いている。

「まったく……どうしたんだ?」そう言って、やっと離れた邦博に向き合った。

「篠崎が……」と、邦博が怯える目で、玄関の自分が凭れていた辺りの壁を見ている。

 龍之介が邦博の目線を追うと、壁から何か細い物が生えていた。

「何だ?……いっ!」近付き、その物体を確認して龍之介は驚いた。

 壁から生えていた物は、2Hの鉛筆だった。

 安普請で、ベニヤ板に壁紙を張ってあるだけの壁とは言うものの、鉛筆は邦博の顔の高さで深々と見事に壁の板を貫いていた……よい子の皆さんは、絶対に、真似をしないで下さい。

「……これ……篠崎がやったのか?……」恐る恐る振向き、鉛筆を指差して尋ねる龍之介に、邦博は無言で頷いたかと思うと、大粒の涙を流しながら、

「龍之介のせいだぞ!龍之介が鬼追を連れて行くから!」邦博が錯乱して急にわめき出した。

「なっ、何の事だよ!」急な事に龍之介は戸惑い、少し身を引いた。

「篠崎が、二人で一緒に海岸の方に行くのを見て、僕に詰め寄って、何処に行ったのかとか、何で行ったのかって、僕を後ろ向きに壁に押し付けて、鉛筆を、鉛筆を、お、お尻の穴に突きつけて、正直に言えって脅したんだよ!」恐怖の体験を、震えながら邦博は語った。

「尻の穴?」龍之介は、今ひとつ理解出来ない様子で聞き直すと、

「そう……そこから直腸を貫いて小腸を傷付けたら〝ショック死するぐらいの痛みを味わえるわよ〟って、篠崎が……」そこまで言うと邦博は、泣き崩れしゃがみ込んだ。

 その話を聞いて龍之介は、鉛筆がずぶりと肛門に深々と突き刺さった事を想像し、恐怖で背筋に悪寒が走り、思わず肛門がきゅっと締まった……呉々も、危険ですので、よい子の皆さんは、絶対に、翔子の真似をしないで下さい。

 龍之介は、本当に、頼むから犯罪だけは止めてくれよと願いつつ、

「それで……篠崎は?」と、邦博の隣にしゃがんだ。

「それでも僕は知らないって言っていたら、怒った篠崎が、いきなり鉛筆を壁に突き刺して、旅館の奥に走って行ったよ……」邦博は少し落ち着いて来た様だ。

「篠崎の奴……」

 邦博の話を聞いて龍之介は、何で邦博ばかり標的にするのかと、翔子に怒りを覚えた。

「なんで僕なんだよ……僕は何も知らないのに……何もして無いのに……」

「邦博……」邦博の肩を抱いて龍之介は、昔の嫌な出来事を思い出していた。

「……ごめん、取り乱して……ごめん……何時も迷惑掛けて……」涙目で謝る邦博に、

「言うなよ、そんな事……」龍之介は少し微笑んで、邦博の肩を揺すっている。

「わかった、ちゃんと話して来る。邦博は此処で待ってろ」そう言って龍之介は翔子を探しに旅館の奥へと向かった。

龍之介がロビーを通り過ぎようとした時、階段から部長達が降りて来た。

「あっ、海神君!」と、部長が龍之介を呼び止めた。

 龍之介が立ち止まり部長の方を振り向くと、部長の他に二年の高山と三島も一緒に居た。

 高山は少しふっくらとした体型で、良く言えばグラマーだ。

 自己主張の強い巨乳に似合わず大人しい性格で、引っ込み思案な子である。

 三島は引き締まった体型で、特徴は短い髪の毛を男みたいに横分けにしている。

 男ぽい容貌の通り、男勝りで気が強いが、あっさりとした性格の子だ。

 えっ?顔?顔はアニメに成った時を考えて、可愛いと言う事にしておこう。取らぬ狸の……

「あの、何でしょう?」

「あのね、篠崎さんに何かあったの?海神君、何か知ってる?」

「何かあったんですか?」困った様子で訊ねる部長に、翔子が何かしたのかと心配になった。

「もう……篠崎には、いい加減、迷惑してるのよ」部長の後ろから迷惑そうな顔で、頭をかきながら三島が吐き捨てる様に言うと、

「えっ?」何の事か分らない龍之介は、三島の方を見た。

「あっ、あの……篠崎さん……さっき部屋に入ってから、鍵をかけて出て来ないのよ……」

 高山が、おどおどしながら状況を説明した。

「正直、迷惑なのよね……何で合宿まで来るのよ……」

「やめろよ……そんな風に言うの……」三島の言い方に龍之介は思わず抗議した。

「でも、そうじゃない。一年生の時もあんな騒動起こして。クラスの皆の目があるのに、一緒に居る私達が迷惑だわ」三島が階段を下りながら龍之介を睨む。

「ちょっと待てよ、迷惑ってなんだよ」龍之介も三島を睨み返す。

「何言ってるの!海神だって同じ事、思っているでしょ!」

「ああ、付き合い難い奴だって思っているよ。だけどな、不満があるなら直接言えよ!話し合えよ!迷惑とか言って除け者にするなよ!同じ美術部員だろうが!クラスの奴らの目が気になるなら、美術部の中だけでも受け入れてやれよ!」

「相手にその気が無いのに無理よ!それとも海神が説得するとでも言うの?」

「ああ、やってやるよ……もう、うんざりだ……」三島の挑発的な言葉に龍之介は怒りを抑える様に静かに答えた。

「篠崎が、一年生の面倒を良く見ているのは何でだと思う?」

「えっ?」急に話が変わり、三島は戸惑い龍之介に聞き返す。

「他に居場所が無いんだよ!お前達がそんな態度だからだよ!だから一年生の中に自分の居場所を求めてるんだよ!少なくとも俺にはそう見えるよ!」

 龍之介に言われた事に二人は言葉が無かった。

「お前達の気持ちも分るけど、自分達のやってる事……楽しいか?」

「そんな!……」三島は言葉に詰った。

「そうだろ、嫌な事だろ……自分自身、嫌に成らないか?」

「…………」二人は黙って俯いている。

「何も好きになれとは言わないけど、わざと除け者にする様な事は止めろよ……」

「そんな事……じゃ、私達だけが悪いの?除け者にするって……篠崎はどうなのよ……篠崎にその気が無いのに……」

「じゃ、篠崎が打ち解けたら、受け入れてやれるのか?」龍之介が静かに尋ねると、

「……そりゃ、無理に追っ払ったりしないわよ」少し恥かしそうに横を向いて三島が答えた。

 話が一段落したのを見て、部長が龍之介に近付きながら、

「じゃ、早速、説得してもらいましょうか」と、龍之介に微笑みかけて言って、

「海神君、部屋の様子見て来てよぉ」おねだりする様に龍之介に頼んだ。

「えっ?部長、でも、女子の、部屋ですよ……」部長の可愛い笑顔に、ドキドキしながら龍之介が答えると、

「別に、着替えが散らばってる訳じゃないもの、良いよ、お願い!」

「うん、お願い。嫌ってる訳じゃないけど……やっぱり苦手だもん」と、二人は手を合わせて拝む様に龍之介に頼み込んだ。

 龍之介にとって、非常に好奇心が刺激される申し出では有ったのだが、心の奥の何処かにある、邪な欲望が罪の意識を駆り立て、

「でも……」と、躊躇う龍之介に、

「大丈夫。海神は篠崎と仲が良いじゃない。食事も一緒にしてるし」と、三島が龍之介の肩を叩いて、にこやかに言った。

「あ、いや……」旅館での食事の時、たまたま同じテーブルに座っただけで、仲が良いも何も無いんだがと、言い掛けた時、

「じゃあ……お願いね」と、言って、高山がフロントから貰って来た合鍵を、龍之介に押し付ける様に渡すと、二人は手を振って旅館を出て行った。

 龍之介は鍵を手に、

「本当に良いのかよ……」と、戸惑っていた。

「海神君って、優しいんだね」龍之介の顔を覗き込み、部長が微笑んでいる。

「安心だな。私が卒業しても、海神君が居てくれたら……」

「そんなあぁ、ははは……」部長の好感度が、非常に高く上昇した事に龍之介は喜んだが、

「任せてください……とは、言えないですけどね」急に落ち込んだ様な暗い表情に変わった。

「何で?」部長は龍之介の変化を不思議に思った。

「まだ、そんな自身ありませんよ。ただ、嫌だったんです。俺にも覚えがあって……邦博の奴……あいつ、小学校三年生の時、転校して来て……あんな奴でしょ。だから、皆に馴染め無くて、それで苛められていて……俺も、あいつを苛めていて」

「えっ?」龍之介の意外な告白に、部長は目を大きく開いて驚いた。

「何て言うか、クラスの雰囲気と言うか、乗りと言うか……俺も考えもしないで、気が付いたら、あいつを苛めていました。たいした事無いって思っていました。皆と、あいつの嫌がる事を言ったり、無視したり……でも、あいつは……あいつ、トイレで泣いていたんです。俺、それを見て、やっと気付いて、苛めるのやめて、あいつと友達になって……」

「そうだったの……」目を少し潤ませながら話す龍之介を、部長は微笑みながら見ている。

「だから、嫌なんです。理由も無く、傷付ける様な事……そんなのって、理不尽ですよね」

「そうだね……でもね、海神君みたいに周りに逆らって、自分も苛められるリスクを負う様な事をする子は居ないよ……そんな、勇気の有る子は居ないよ……だから、三島さん達の気持ちも分ってあげてね」可愛い笑顔で部長がお願いすると、

「分っているつもりですよ。あいつらが、何も意地悪だと思っていませんから」龍之介は部長の笑顔を見て、顔を赤くし照れながら答えた。

「そう、よかった」可愛い笑顔を炸裂させる部長を龍之介は、ぽぉーとして見ている。

「じゃ、お願いね。私じゃ手に負えそうにないし」

「……がんばってみます」

 部長は、笑顔で手を振っているが、龍之介は、期待に沿えるかどうか不安だった。


 ○説得○


 龍之介は、部屋の前でドキドキしていた。

 旅館の部屋なのだから関係無いと言えば関係ないのだが、男の兄弟しか居ない上、彼女いない暦=年齢の龍之介にとって、女子の部屋に入る事は、度胸のいる好奇心溢れる冒険だった。

 龍之介はドアの前に立ち、とりあえずノックして見た……が、返事が無い。

 聞き耳を立てて中の様子を探ろうとしたが、中は静まりかえっていた。

 龍之介は、どうしたんだろうと思っていたら、急に不吉な事が頭に浮かんだ。

 翔子にはリストカットの前科がある事を思い出し、

「まさか、早まった事、して無いだろうな!」と、慌てて、

「おい!俺だ!海神だ!入るぞ!」

 龍之介は、慌てて扉の鍵を開けて中に入り、中の部屋の襖を開けた。

 中に入り龍之介は、二枚重ねた座布団を枕にして横たわっている翔子に一瞬驚いたが、回りに血の後も無く、どうやら眠っているだけだと分り、ほっとした。

 体を丸めて横向きに眠っている翔子は無防備だった。

 翔子の服装は白のタンクトップのシャツに、グレーの膝上十cm位のスカート。その寝姿は何と言うか、艶かしいというか、危ないと言うか……龍之介は翔子のスカートの奥に白いパンティー……いやスキャンティーを発見し、高鳴る鼓動を抑え切れなかった。

 翔子のタンクトップの隙間から、奥が見える……

「ノーブラ?」かと、目を凝らす。

 細身の翔子の寝姿。タンクトップの隙間、長く白い足、更にその奥には、白いスキャンティーに包み隠された秘密の花園と、冒険者が辿り着いた先は、破壊力ある物ばかりだった。

 龍之介は寝ている翔子の脇で、色々と角度を変えて移動しながら、タンクトップの隙間から奥が見えないかと努力していた。冒険者は、何時しか探求者に変わっていた。

 更に、探求者は、危険を冒す事を承知で勇気を振り絞り、求める物を得る為に、しゃがみ込んで近付こうとした時、翔子がいきなり上半身を起こした。

 龍之介は、ぎくっと驚き、反射的に飛び上がり後退る。

 翔子は龍之介に気付き、タンクトップの右肩がずり落ちたまま体を捻り龍之介を見た。

「海神君?」と、寝惚け(まなこ)で振り向いた翔子に対して、(やま)しい所が有る龍之介は、声をかけられて思わず、“御免なさい!”と言いそうになった。探求者はいきなり臆病者に成り下がった。

 翔子は、汗ばんだ肌に纏わり付いた髪の毛を、白く長い指でたくし上げながら、寝起きの虚ろな瞳で龍之介を見ている……龍之介は思わず、ごくっと、唾を飲んだ……色っぽい…… 

「先に言っておくけど、お前の様子を見て来いって、部長と三島達に頼まれたんだからな……ほら、鍵」龍之介は煩悩を振り払い、自分は公務で此処へ来た事を強調した。

「そう……迷惑な話ね……」

 翔子は龍之介の方に向きを変えて、片手を畳に付いて片膝を立てている。

 捲れ上がったスカートからは白いスキャンティーが見え、肩からずり落ちたタンクトップの隙間からは、Bカップと思える膨らみの裾野が僅かに見えた。

「服装、直せよ!乱れてるぞ!」探求者の求める物が目の前にあると言うのに、メデューサの首の如く見てはいけないと、龍之介は後ろを向いた……既に一部、石となっていますが……

「いいよ、別に……見られて減るもんじゃなし」けだるそうに話す翔子の言葉に、えっ、そうなの?と、お言葉に甘えさせて貰おうかと振り向きかけたが、寸前の所で理性が邪魔をし、

「そう言う問題じゃ無い!」と、一部硬直した部分を気にしながら言った。

「なに?海神君。欲情したの?良いよ、おかずにしても」上目使いで色っぽく翔子が言うと、

「下品な事言うな!」と、ジーンズの中で膨張しきった物の納まりを気にしながら怒鳴った。

 龍之介は翔子に気付かれないように、腰を少し引いて、ジーンズをたくし上げる様にしながら位置の修正をし、翔子の方に振り向いて、

「俺は男としての、礼儀として言っただけだ。他意は無い!」と、煩悩を振り払い、盗人猛々しいと言おうか、居直ってきっぱりと言い放った。

「もう、見たんだから、出て行ってよ」翔子が、けだるそうに服装を直しながら言うと、

「何を見たって言うんだよ!」と、龍之介は疚しい所がある分、強く抗議した。

「……出て行かないの?」翔子が龍之介を睨み付けながら言うと、

「話があるんだよ!」と、龍之介も睨み返した。

「……迷惑だって言ったでしょ」と、言いながら翔子は立ち上がり、タンクトップの胸元を掴み、スカートの中に手を入れスキャンティーを摺り下げ、

「叫ぶわよ……」と、龍之介を、氷の様な冷たい目で睨み付けた。

「まっ、待て!話せば分かる!」翔子の行動に全てを察し、慌てて翔子を制したが、

「問答無用……」と、翔子はタンクトップとスキャンティーを、引き千切ろうと引っ張った。

 その瞬間、龍之介は電光石火のスピードで、畳に額を押し付け土下座しながら、

「ごめんなさい!ごめんなさい!お願いです、止めてください!」と、悪代官に年貢の減免を訴える農民の如く、必死で懇願する龍之介の脳裏には『高校二年生、同級生の少女を襲う!』と言う、新聞の見出しが浮かんでいた。

 その姿を見て翔子は手を緩め、

「出て行って」と、上から目線で見下ろしながら冷たく言い放った。

 冤罪を盾に脅迫する翔子に怯えながらも、このままでは引き下がれないと度胸を決めた龍之介は、土下座したままで、

「お願いです!聞いてください!鬼追の事でぇす!」と、ヤケクソ気味に必死で訴えた。

「美貴ちゃんの事?」翔子が興味を示すように言うと、

「はい!」と、龍之介が返事をした。

 翔子が服装を直しながら座ると、龍之介は頭を上げて翔子の前に座りなおした。

 龍之介は、邦博の事に腹を立てて抗議しに来たのに、危うく社会から抹殺されそうになり、一瞬で立場が下僕へと成り下がった事を情けなく思っていた。

「教えてください。鬼追と俺がどうかしましたか?それで何で邦博に酷い事するんですか?」少し遠慮気味に、警戒しながら龍之介が尋ねた。

「……聞いているんでしょ、本田君から……」

「何の事でしょ……」

「美貴ちゃんの事」

「……ああ……でも、本当なのか?」

「本当よ。美貴ちゃんの事、愛しているわ……悪い?」

「別に……悪くは無いけど……」

 龍之介に何の躊躇いも無く答える翔子を見て、龍之介は戸惑い言葉が続かなかった。

 龍之介の感覚では、芸能人は別として、通常、同性愛者等と言うのは、日陰者で隠れて居る者だと思っていたのに、何の遠慮も無く堂々としている翔子に違和感を覚え、『やっぱり、こいつは普通じゃない』と、感じた。

「鬼追が好きな事と、邦博に酷い事をするのと、何の関係があるんだよ」

「そんな事……説明する必要は無いわ。馬鹿馬鹿しい……」

 まったく他人事の様に、そっぽを向く翔子に、

「お前な!何で、何時もそんな態度取るんだよ!俺はちゃんと話しようとして来ているんだぞ!それを、馬鹿にする様な態度しやがって!」龍之介は、翔子の態度に思わず怒りが爆発し、怒鳴り声を上げた。

 翔子は、そんな龍之介を黙って睨んでいる。

「お前が俺に話す気が無いなら、此処に鬼追も邦博も呼んで来て、四人で話するか?」

 龍之介は翔子の逆襲が怖かったが、此処で負けてたまるかと踏ん張り、翔子を睨み返すと、

「脅す気?」美貴の名前を出され、翔子の目に殺気が走った。

「ど、どうとでも取れよ!邦博は俺にとって、大事な親友なんだよ!黙ってられるか!」

 怒鳴る龍之介を黙って見ていた翔子が、呆れる様な溜息をついて、

「……本当に、お節介なんだから……」と、龍之介から顔を背け、小さく呟いた。

「えっ?」龍之介は、翔子の言葉が良く聞き取れずに聞き直した。

 そんな龍之介を無視して、翔子は黙って壁の方を見ている。

 二人の間に暫くの沈黙が続いた後、

「私ね、中学生の時、強姦されそうになったの」と言って、龍之介の方へと振向いた。

 突然の翔子の衝撃的な告白に、龍之介は驚き声が出ない。

「未遂……だったけどね……私って狙いやすいのかな?三回も襲われたのよ」

 ヘビーな話を翔子は軽い口調で龍之介に語った……何故、未遂だったかは聞かない方が……

「皆、二度と使い物に成らない様にしてやったけど……」うっ……な、なにを?……

「それでね、トラウマって奴かしら……気付いたら同性にしか興味が無くなっていたわ……別に男嫌いとか、男性恐怖症とかの自覚は無いけどね。あっ、言っとくけどまだ処女よ」

 軽く微笑んで話していた翔子は、そこまで話すと急に顔の表情を暗くした。

「一年生の時ね……ねぇ、覚えている?坂上響子ちゃん」

「えっと……あぁ、十月位だったかな、中途半端な時期に転校して行った小柄な子だろ」

「響子ちゃんね、禿ゴリラに苛められていたの」

「えっ?」

 禿ゴリラとは、翔子に目の前でリストカットされた、四十前の若さで額が大きく後退した、筋肉ムキムキの体育教官のあだ名だ。

「私、好きだったの。響子ちゃんの事。響子ちゃも私の気持ちに答えてくれて……愛し合っていた、とまでは行かなかったけど……それでね、響子ちゃんから聞いたの。あいつから汚らわしい行為を要求されて、拒絶していたら、あいつに苛められる様になったって……」

 話す翔子の目付きが変わった。

「その事を響子ちゃんから聞いても、私は励ます事しか出来なかった……何とかなると思ってた……でも、響子ちゃんが学校を休むようになって、連絡も取れずに心配していたら、響子ちゃんから電話があって“ごめんね”って言ってそれっきりで……それで、二度と会う事無く転校して……」翔子の、悔しさを滲ませた目から涙が零れた。

「悔しかった……私、あいつが許せなかった。転校の直接の原因が、あいつに在るとは断言出来ないけど、発端となった事は事実よ。だから、仇を取ってやったの」其処まで話すと、急に膝を抱え、翔子は膝に顔を埋めて、声を殺し泣出した。

 龍之介は、聞いても良かったのかと、肩を小さく震わせて泣いている翔子を見て思った。

 暫くして、翔子が目を真っ赤にして顔を上げ、涙で濡れた目の辺りを指で拭っている。

「今年になって、美貴ちゃんが美術部に入って来て……私にとっては天使だったわ。可愛くて、明るくて……あの子の笑顔見てると、落ち込んでいた私が、何か元気を貰ってるみたいで……美貴ちゃん、ちょっと響子ちゃんに似てるかな?」

「ああ、そう言えば……」龍之介は響子の顔を思い出して言った。

「美貴ちゃんの事、好きなのに……やっぱり勇気が無くて。今日だって一年生達に一緒に描こうって誘って……それで、美貴ちゃんと一緒に居れると思ったのに、海神君が美貴ちゃん連れて行って……」

 タイミングが悪かったかと、反省しながら龍之介は翔子に向かって、

「でも、何で邦博に酷い事をするんだよ」と、静かに問い掛けると、

「そうね……確かに変ね……」翔子は天井を見ながら考えて、

「八つ当たりかな」と、しれっと言った……随分と理不尽な話である……

「……お前ね……」と、龍之介が呆れながら、

「だったら、直接の原因の俺に、当たれよ。邦博は関係無いじゃないか」と、翔子に聞いた。

「そんな事……そんな事したら、美貴ちゃんに嫌われちゃうわ……」

「どう言う事だよ」

「……知らない見たいね……私、見たの……」

「えっ?」

「七月に入る頃からだったかな……美貴ちゃんね、校舎の玄関に在る、海神君のロッカーの前で、何度も立っているのを」

「えっ?……なんで?」

「……分からないの?美貴ちゃんね、封筒を持って、毎日、何度も立っていたのよ……可愛らしいパステルピンクの封筒だったわ」

「……」何の事か分からず、龍之介は翔子を見詰め、頭を掻きながら考えていると、

「毎日って、なんで翔子がそんな事知ってんだよ?」などと、的外れな疑問が湧いて来た。

「……なんでって……何故、其処なのよ!……私はずっと、美貴ちゃんの事、見てたの!」

 龍之介の()けた質問に、呆れて怒鳴る翔子の答えを聞いて、

「……ストーカー……」と、龍之介が思わず呟やくと、

「何ですって!」翔子が怒鳴り、殺気を孕んだ目で龍之介を睨む。

「……」龍之介は翔子に怯え、思わず口を両手で押さえ、首を左右にぷるぷると振っている。

「何でそんな話になるのよ!私は美貴ちゃんの事を話してたのよ!」

「あ、ああ……」龍之介は翔子に怒鳴られ、確かに、考えて見れば呆けた疑問だと反省した。

「もう!鈍感ね!普通、そう言うシチュエーションは、ラブレターでしょうが!渡したいと思っても、躊躇って何度も海神君のロッカーの前で、立っていたのよ!」

「あっ……」翔子に言われて、驚いた様に目を開く龍之介。

「……じゃぁ……それって……」

「そうよ、確証は無いけど、美貴ちゃん、たぶん貴方の事を好きなんだと思うわ」

「……」龍之介は、翔子の怒りと羨望が入り混じった告発に驚いていた。

「ほんと、鈍感ね、気付かなかった?……そう思って美貴ちゃんの事見てたら、よく海神君の方を見ていたわよ、あの子……」翔子は、(あざけ)る様な薄笑みを浮かべ、龍之介を見ている。

 美貴の事に全く気付かなかった龍之介は、

「うん……」翔子の嫌味な微笑みに、頷くしかなかった。

「だから殺してやりたいと思っても、貴方を標的にしたら、美貴ちゃんに嫌われるでしょ……死体も残さずに消し去るのって、結構面倒くさそうだし」翔子の目が、冷酷に光るのを見て龍之介は、全身の毛が逆立つぐらいぞっとした。

「で、でも、それって邦博関係ないし……」龍之介が気を取り直して、翔子に言うと、

「そうね、自重するわ……」と、翔子は髪の毛をたくし上げながら、面倒臭そうに答えた。

 龍之介は、翔子の言葉を聞いて、ほっとした。

「海神君は、美貴ちゃんの事どう思っているの?」

「えっ?俺か?俺は……可愛いとは思ってはいるけど……」翔子の質問に龍之介は、どう答えていいのか分らずに戸惑い、何となく思っている事を言った。

「そう……その程度ね……私は美貴ちゃんの事、愛しているわよ」

「そうか……」自信たっぷり話す翔子に龍之介は思わず、

「でも、女同士だろ……そんなのっておかしくないか?」と、余計な事と知りながら聞いた。

「何でよ、美貴ちゃん明るくって可愛いし、愛するのは自由でしょ。別に体とか、肉欲を求めている訳じゃないわ」刺激的な言葉を躊躇いも無く、平然と言う翔子に、

「にっ、肉欲って……お前……」龍之介は驚き、顔を赤くした。

「鬼追は……知ってるのか?」聞いても仕方の無い事だと思いつつ龍之介が尋ねると、

「私が美貴ちゃんを好きだって事?美貴ちゃんは……知らないわ。貴方の事が好きなんだもの……私の事なんて……」翔子は悲しそうに答えると、抱えた膝に顔を横たえた。

「報われないって分かってて……それでも、良いのか……」

 翔子は龍之介の言葉に、急に頭を上げ、憎しみの篭った目で睨み付けると、

「良くないわよ!悲しいわよ!辛いわよ!……切ないわよ……でもね、其の悲しみが貴方、分かるの!報われない、恋をした事があるの!貴方なんかに、何が分かるのよ!」髪の毛を振り乱し、狂った様に叫んだ。

「篠崎……」翔子の剣幕に一瞬驚いたが、叫ぶ翔子を龍之介は、何となく哀れに思った。

「貴方には分からないわよ……この切ない気持ち」一頻(ひとしき)り叫んで翔子は、顔を膝に横たえ悲しい表情で目に涙を溜めている。

「……何となく分かるよ……俺、部長の事好きなんだ」翔子の姿に、尋ねてはいけない事を聞いてしまったと思った龍之介は、つい自分の事も話してしまった。

「えっ……振られたの?」翔子が顔を上げて聞いた。

「いや、それが怖くて告白出来ない。だって、何となく分かるだろ。俺の事をそんな風に想っていないって」翔子の目線を気にしながら、龍之介は照れながら答えた。

「へぇ、意外と意気地無しね」と、見下す様に翔子が言うと、

「お互い様だろ」と、容赦の無い翔子の言葉に、今の自分を言い当てられ、龍之介は少しムッとしたが、ふと、二人は顔を見合わせ、声を出して笑ってしまった。

 笑ってから龍之介は、翔子に向って、

「……強いな、お前」と、しみじみと言った。

 龍之介は昨日の司と言い、翔子と言い、何で泣くほど真剣になれるのだろうと思い、それに比べて自分の思いは、真剣じゃ無いのかなと情けなく思えて来た。

「強くなんか無いわよ……ただの女よ……」

 響子が居なくなった寂しさに耐えられずに泣き通した自分。響子の力になれず、(ささ)やかな復習しか出来なかった自分。翔子はそんな自分が情けなかった……リストカットが、細やかかどうかは判断しかねるが……

 長い沈黙が二人の間に流れていた。

 そして、龍之介が(おもむろ)に翔子に向かい、

「お前、三島達とも馴染むようにしろよ、大きなお世話だろうけど」と、遠慮がちに言った。

「……そうね、大きなお世話ね」翔子は伏目がちに、興味なさそうに答えた。

「だけど、お前がそんな態度だと……」

「お互い様だわ!」龍之介の言葉をさえぎり翔子が叫んだ。

「彼女達は私を必要としていない、私も彼女達を必要としない……それだけよ、海神君が気にする事じゃ無いわ」空虚な態度で翔子が龍之介を睨んでいる。

「でも……」

「止めてよ、迷惑だわ。そんなお節介……」

 戸惑う龍之介の言葉を遮り、翔子が龍之介を睨みながら言った。

「でも俺、美術部が好きで、美術部の皆がが好きで……だから……だから嫌なんだよ、そう言うの。理由も無く、わざと避けたり、無視したり……嫌なんだよ、上手く言えないけど。話し合おうともせず、歩み寄ろうともせず……お互いに理解し会おうともしないで、最初から意地張って、拒絶するなんて、そんなの嫌なんだよ」考えながら途切れ途切れに話す龍之介は、自分の気持ちをどう言えば良いのか分からず、翔子に上手く説明出来ずにいた。

「だから、それがお節介だって言うのよ」

「で、でも俺達、同じ美術部の仲間じゃないか!」

「……止めてよ……そんな、安物の小説みたいな台詞。上辺だけの言葉で、友情を押し売りされて感動するほど幼稚じゃないわよ。それに、私は一人でも、何の問題も無いわよ」

「でも、でも篠崎、一年生達となら、仲良くしてるじゃないか、鬼追が居るからってだけじゃ無いだろ、だから、高山達とだって……」

「もう、止めてよ……」痛い所を突かれ翔子は、龍之介を睨み付けて言葉を遮った。

 周りから少し浮いていた翔子。事件の後、更に皆が翔子を避ける様になって、その疎外感から、一年生の中に居場所を求め様とした自分。其処には弱い自分が居る。

  それを龍之介に言い当てられて、翔子は少し悔しかった。

 翔子に睨まれ龍之介は、上手く説明出来ない自分を情けなく思い、黙ってしまった。

「ほんとに、何時もそうなんだから……特に中が良い訳でも無いのに……」

 弱い自分が、一年生達の中に逃げている事を龍之介は気付いている。

 その事は、翔子にとって悔しい事ではあったが、その反面、そんな自分を龍之介は理解してくれているのかも知れないと思うと、少し嬉しかった。

「私が、海神君の主義に従う義理は無いわ……」翔子は立ち上がり龍之介に背を向けた。

「篠崎……」龍之介が、情け無い顔で翔子を見上げ、声を掛けると、

「……でも、考えておくわ」背を向けながら翔子は、恥かしそうに答えた。

 翔子は、龍之介のお節介が嬉しく思えた事が、少し恥かしかった。

「……ああ、考えてくれ……」自分の不甲斐無さから満足出来る返事は貰えなかったが、完全に拒否された訳では無い事に龍之介は、今はそれで良しと思った。

「用が済んだんなら、出て行ってくれない?」翔子が、首だけを振向かせて龍之介に言うと、

「ああ……昼飯には降りてくるんだろ?」と、龍之介は時計を見ながら聞いた。

「ええ」翔子は、何処までお節介なのと、少し呆れた笑顔で答えた。


○けりを付ける○


 部屋を出てから龍之介は、小学生の頃の自分を思い出していた。

 邦博を苛める事を止めて、邦博を庇うようになってから、龍之介も理不尽な苛めを受けた。

 教科書に落書きされたり、皆に無視されたり、殴られた事もあった。

 強くなりたかった。気持は決して負けてはいなかったが、悔しい思いから、腕力さえ強ければ、苛められないのにと、龍之介は思うようになっていた。

 そして龍之介は、中学に入ると柔道部に入った。

 柔道部に入り、強くなって、誰からも苛められない自分に成りたかった。

 でも、それは、思い違いだと教えてもらった。

 柔道部で龍之介は、今でも師匠として尊敬している柔道部の顧問の先生から、本当の強さと言うものを教わった。

 それは腕力等では無く、正義を貫く事……正義を貫く勇気を持つ事。

 苛められて殴られても、自分を押し通して来た龍之介には、先生の言葉が素直に理解出来、強く心に刻み込んだ。

 練習や試合の時、先生は口癖の様に〝怯むな!〟と言って龍之介達を励ましていた。

 どんな相手を前にしても、最初から気持で負けていたら勝負にならない。

 龍之介は一生懸命練習し結構強くなった。

 一年生の十一月に、学区内で行われた一年生の新人戦で、個人と団体で優勝した事を、校長先生が朝礼の時に全校生徒の前で報告してくれ、龍之介は誇らしかった。

 そして、既にその頃には、精神的にも成長した龍之介を苛める者は居なかった。

 最終的には三年生の時に、県大会の準々決勝戦敗退まで行った。

 微妙な結果ではあるが、本人としては結構自慢に思っている。

 しかし、先生の言葉を思い出すと、未だに弱い自分が見える。

 振られる事を恐れて怯えている自分は、何て弱いんだと龍之介は思った。

 今にも先生の〝怯むな!〟と言う怒鳴り声が聞こえて来そうな気がして、

「勝負もせずに不戦敗なんて、情けない事はしたくねぇな……」と、龍之介は決心した。

---◇---

「あっ、海神君……どうだった?」

 部長はロビーのソファーから立ち上がって声を掛けて来た。

「説得出来たかどうかは、分かりませんけど……でも、昼飯には出て来ますから」

「そう、やっぱり直ぐには無理ね……まあ、良いわ。ありがとう。頼りになるわね」少しは進展した事に部長は満足そうに微笑んだ。

 その明るく可愛い笑顔を見て、龍之介は今しかないと決断した。

「何か、評価高そうだから……この機会に、ちょっと言いたい事があるんですが……良いですか?」恥ずかしそうに鼻をかきながら龍之介が言うと、

「何かしら?」と、部長が小首を傾げ、微笑みながら尋ねた。

 龍之介は一呼吸置いて、部長の目を見ながら、

「部長の事、好きです。一年生の時からずっと。俺と付き合ってくれませんか?」と、はっきりと伝え、龍之介は意外と冷静な気持ちで言えた事に満足だった。

「…………」部長は少し驚いた顔をしたが、すぐに困った様に下を向いて、

「ごめんなさい……」と、小さく呟いた。

 予測出来た答えとは言え、部長の言葉を聞いた途端、龍之介は貧血の様な感覚に襲われた。

 自分が今、何を見ているのか、何を聴いているのか、一瞬だったが頭がふらつき、分からなくなった。

「海神君の事は、後輩としては好きよ。貴方が居てくれると安心して卒業出来るわ……だから、とても頼もしい後輩だと思っているけど……」

 部長は龍之介から目線をはずして、申し訳なさそうな表情で言って、

「ごめん、貴方の気持に答えられなくて」と、両手を前に丁寧に頭を下げた。

 龍之介は、嫌な感覚が収まると、自分を取り戻し冷静になって、

「好きな人が、いらっしゃるんですか?……すみません、立ち入った事聞いて……」と、軽く頭を下げて龍之介が聞くと、

「……うん……」部長は、恥ずかしそうに俯きながら答えた。

「分かりました……すみません。何か困らせてしまって……」

「そんな……私こそ、ごめんなさい」

「あの、俺、それでも部長の事好きですから。今まで通り、変わらずに居ても良いですか?」

「うん、それは私の方がお願いしたいわ」

 照れながら申し出る龍之介に、部長は笑顔で承諾した。そして、

「じゃ」と、龍之介が部長に握手を求めると、部長は、にこやかに応じてくれた。

 握手しながら、龍之介の心には小さな満足感があったが、強く胸を締め付けるような苦しみも味わっていた。

---◇---

 龍之介が部長と別れ、トイレに行こうとして、ロビーを通り過ぎると邦博が待っていた。

「どう……だった?」と、邦博が心配そうな顔で、おずおずと近付いて来た。

「大丈夫だよ、篠崎と話は付いた。安心しろ」明るい表情で話す龍之介の顔を見て邦博は、

「良かった」と、ほっと胸をなでおろしている。

 その時、司が勢い良く玄関から走り込んで来て、龍之介の前まで来ると、

「先輩!お姉様、翔子お姉様見ませんでした?」と、入って来た勢いのまま聞いて来た。

「あ、ああ、篠崎なら……」龍之介は司の勢いに唖然として、二階の方を指差すと、それを見た司は、龍之介の言葉を最後まで聞かず、ダッシュで二階へと向った。

「何だ……あいつ?」龍之介と邦博は、司が昇って行った階段を見詰めている。

「あっ、俺ちょっとトイレに行って来るから、先に港に行っててくれ」 

「了解」龍之介に返事をして邦博は、一人港へと向かった。

 そして、龍之介はトイレに入って戸を閉めた……限界だった……涙が一気に噴出した。

 声が漏れない様に歯を食いしばって手で口を押さえ、涙が止まるのを只ひたすら待った。   

 なかなか止まってくれない涙は、トイレの床にぽたぽたと落ちて染みを広げていく。

 龍之介は生まれて初めて、失恋の苦しみを味わった。

 思いが届かなかったこの気持……切ないって、こんな気持なのかと知り、 

「すまん、篠崎……俺、嘘言ってたよ……報われないって、こんなにも苦しいだな……」と、龍之介は初めて体験する、締め付けられる様な胸の痛みに苦しんだ。


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