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第1話「残り火」⑧


 サンツには訳が分からなかった。

 ライが黒装束の隊長? 狂戦士?

 それも衝撃的だったが、それよりも――


『3年前の大戦時に、サン=ライス攻防戦に参加していてな』


 ダジリスと呼ばれていた元・練兵団の副長はサン=ライス攻防戦に参加していたらしい。

 サン=ライス攻防戦。

 商都へ母と妹とともに逃げている途中に耳にした。

 商都への進軍を企てる共和国軍とそれを阻もうとした帝国軍がサン=ライスで衝突したと。

 サン=ライスを突破されれば商都へ辿り着くのも難しく、また辿り着いたとしても安全ではない、とも。

 サン=ライスで共和国軍を足止めしてくれた帝国軍がいなければ。

 そして黒装束がいなければ。


(俺たち家族はみんな死んでたってのに…)


「なんでだよ!」


 叫びが口をついで出た。


「なんであんたらは盗賊やってんだよ。俺はあんたらのおかげで助かったんだよ。商都へ逃げ込めたんだ。俺はあんたらみたいになりたかったんだ。逃げる人の後ろで敵を止められるような練兵になりたかったんだ。それなのになんであんたらは盗賊なんてやってんだよ!」


 涙が頬を伝った。

 槍を握る手が震えた。


「どうして…どうしてだよ」


 俺が憧れていたのは…一体…。


「黙れ、小僧」


 低く唸るような声が応えた。

 顔を上げると、ダジリスと呼ばれていた男が斧を構え直しながら、怒りをあらわにしていた。


「お前になにが分かる、戦場にいったことのないお前に」


 憤怒が。

 言葉となって宙を満たしていく。


「俺たちだって、自分たちの故郷を守ろうと、愛すべき人間を守ろうと必死に戦っていたんだ」


 炎が音を立てて爆ぜた。

 また1つかがり火が消える。


「だが、お前に分かるか。死よりも濃い血臭が漂う戦場で、仲間を一人また一人と失っていく辛さが。そして何よりも停戦し、故郷へ戻った時の俺たちの気持ちが!?」

「故郷?」

「サンツ。彼らは――彼ら第52統合師団43連隊にいた練兵は、ヌフラ地方の出身だ」

「ヌフラの…」


 大戦中に唯一共和国に奪われたことのある地域。

 奪われた地域では虐殺があったと言われている。

 通称、ヌフラの大罪。


「俺たちの故郷は蹂躙されていた。住人は全て皆殺しだ。誰も…誰も生きている者はいなかった。それなのに!」


 今でも脳裏にありありと甦るのだ。

 故郷の状況を冷淡に告げる軍部上層部。仲間とともに励まし合いながら、お互いにこれは嘘さと言い合いながら故郷へ帰る旅路。

 そして辿り着いた――何もない村。蹂躙され、何も残されず、更地になってしまったヌフラ。


 ダジリスが声を張る。

 怒りが。

 怒りが見えるようだった。彼の眼の奥には未だに恨みの、怒りの炎が燃え狂っているようだった。むき出しの感情に気圧される。


「それなのに! 貴族はのうのうと暮らしている。戦時中に立てた手柄の大半を自分のものとして、のうのうと。俺たちは傷つき全てを失った。それなのにあいつらは利権をむさぼり、民の命を糧として繁栄を続けるのか!? それが許されるとでも!?」

「…だから野に下ったのか」


 野に下るとは、隠語で軍隊を抜けることを指す。


「野に下り、貴族が所有する家畜や農耕物だけを襲う盗賊となったのか」


 ライが事前に調べた情報では、盗賊によって荒らされているのは貴族の所有物のものが多かった。そのために貴族が早くに動いたのだった。


「そうだ」

「貴族を殺すためにか」

「そうだ」


 ダジリスは即答する。


「貴族を皆殺しにしてやらねば俺たちの気が治まらないのだ。世の中の『義』ではない。正義ではない、そんなこと百も承知だ。だが、それで俺たちが納得するとでも? 仲間を奪われ、妻と娘を失った。例えこの魂が地獄に堕ちようと俺たちには慰めが必要なのだ。貴族の血という慰めが、な」


 悲痛なまでの訴えだった。

 魂の救いを求めているわけではない。清らかで正しくあることを求めているわけではない。神の言葉が命を生み出したのは遥か昔の話だ。世の中に神の救いがないことを彼らは戦場で身をもって経験しているのだ。


 ただ安寧を。


 他人から見て、それがどんなに茨の中や業火の中に見えようとも。

 復讐の愚かさなど今さら人に説かれたくはない。

 いくら愚かであろうとも、復讐は彼らの痛みを一瞬だけ和らげるのだ。

 だから復讐による、安寧を。


「言葉は尽くした。もはや語るべきことは何もない」


 ダジリスが再び斧を構える。

 それに呼応するように後ろでダジリスの仲間がそれぞれの獲物を構え直す。

 言葉は、時として役に立たない。

 畏れを知らぬ者、後ろを振り向かぬ者。それらの者にとって言葉は彼らの足取りを止められるほど重くはない。


「俺らが例えここで倒れようとも、マートン隊長率いる更なる別働隊が本陣へと特攻を仕掛けているはずだ。どちらにしろ、お前らに勝ち目などない」


 言葉は俺らには役に立たない。サンツの声と悲鳴は役に立たない。

 闇夜を背にして、紫金の目をもつ青年が剣を構える。

 そうだ。

 結局のところ俺たちは剣で語り合うしかないのだ。

 ダジリスは誰にも気付かれないようにひっそりと笑みをこぼした。

 あのライという黒装束の元隊長は、戦場の礼儀を知っていた。そのことに感謝する。

 そうして再び戦いは仕切り直され、両者は剣戟の世界へと舞い戻った。











「第52統合師団43連隊、元・連隊長マートン・ディアスと申します。お見知りおきを、マーヴェル卿」


 剣戟と喧騒が騒がしい本陣の中でその男の名乗りは明朗としていて、マーヴェル卿の耳に届いた。

 既に護衛の2人はこの男に切り捨てられていた。

 地面に横たわる護衛の生気のない目を見て、この現実を嫌でも理解してしまう。


「唐突ですが、お命頂戴に参りました」

「な、なな、なぜだ! お前ら練兵団は我ら貴族の手足となりて帝国を守りし部隊ではないか」

「あなたたちは手足を粗末に扱いすぎた。そういうことでしょう。なんなら卿の手足の指を1つずつ切り落としてあげましょうか。粗末にされる側の気持ちがわかるかもしれません」


 そう言いながら一度鞘に納めていた剣を再び引き抜く。

 その鈍色の剣に自分がもっている剣にはない怪しい光を認めてマーヴェル卿は腰を抜かす。あのような剣など見たことはない。戦場で血を吸い、敵の魂をも宿してきているのではないか。そうとまで思わせる。


「や、やめろ。なにが望みだ。先の大戦での報償が不満だったか。俺の膝元だったら多少好き勝手させてやれるぞ」

「俺たちが求めているのは、お前には一生かかっても用意できない」


 そういって剣を上段に構える。

 周囲では混成討伐隊が分散され押し負けていた。

 元々練兵ということもあり実力差も大きい。


「死んで償ってもらおう。せめてもの情けとして苦しくないように……ぐッッ!」


 マートンの体が衝撃を受けて後ろへと後退する。

 マートンがマーヴェル卿の首を刎ねようとした瞬間、横の森から馬が飛び出しマートンへと体当たりをかましてきたのだ。

 それを辛うじて体をひねって直撃を避けながら、マートンは馬を素早く見据えた。

 良い馬だ。だが、相当に疲労している。走らせ続けたのだろう。馬は泡を吹く寸前だ。口元を苦しそうに歪めながら呼吸を休めているようだ。おそらく身体強化をかけられて実力以上の走行をしてきたのだろう。

 そして、『彼』はその騎乗にいた。


「久しぶりじゃん。マートン」


 肩口で切りそろえられた金髪を後ろへと流しながら鮮やかに下馬する。

 顔に残る大きな切り傷は彼を双子の兄と区別する重要な役割を持っている。

 双竜の片割れ、と言われる男に対し、マートンは慌てることなく返答した。


「お久しぶりです。よもやこんなところでお会いするとは思いませんでした」


 少し悲しそうな顔をしながら剣先を地面に向けて軽く礼をする。


「第52統合師団、師団長アデス・ワーニー候」


 それに対しアデスと呼ばれたかつての上司は目を細めながら軽く応える。


「戦場で別れて以来?」

「えぇ、3年ぶりです」


 そうして言葉を交わしたかつての戦友同士は、既にお互いがかつてのような関係を紡げないことをよく分かっていた。

 

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