第1話「残り火」④
「――っ!!」
ガバリッと跳ね起きた。
日はとっくに暮れていた。
ライが寝ているのは相変わらず荷台の上だが荷物はすでに下ろされ、そしてライの上には毛布が掛けられていた。
「よお、坊主。起きたのか」
横では野営の火を焚いている集団があった。その中の男が話しかけてくる。周囲はいつのまにか森林に囲まれていて、闇夜がひんやりとした空気を運んできていた。
「サンツが怒ってたぜ。目的地に着いても起きないってよ」
体の上に掛けられていた毛布をどける。
サンツが掛けてくれていたのだろう。面倒見のいいやつだ。毛布の感触を確かめながらライは少し苦笑した。
「ここに着いてからどれくらい経つ?」
「数刻ってところかな。野営の準備が終わったのが先ほどってところさ。そろそろ飯の配給があるころだと思うぜ」
随分と寝過してしまったようだ。
危険がないときに寝るという習性は、逆をいえば危険が来ない限り眠り続けられることなのかもしれない。
ライは密かに唇を噛んだ。
腕に覚えはあったとしても油断は容易に死を招く。ライはそれを経験として知っていた。
そしてライにとって現在のこの野営地を囲む気配には身に覚えがあった。
普段と変わらないような空気の中に微かにまざる不安を煽るような圧迫感。
「――戦場の空気だ」
敵が――近い。
「サンツ、そんなに力むな。見張り番でそんなに神経を張り詰めてても仕方がないぞ」
「は、はい!」
肩を同じ隊の先輩に叩かれてサンツは力を抜いた。
野営地からみて9時の方向の警備がサンツのいる隊の任務だった。
かがり火をたきながら闇夜が支配する森の中を眺める。
「首尾はどうかね?」
「はっ問題ありません」
そのような会話に振り返ると、そこには本部のほうから巡回に来たのであろう貴族が護衛を引き連れていた。
(き、き、貴族だ!)
内心興奮する。そして慌てて他の隊員とともに敬礼を行った。
商都コマーサンドでは貴族を見かけることはあまりない。商人の力が強い街でもあるし、貴族は貴族街と呼ばれる街の中心地からあまり外に出てこないのである。
「どちらにしろ目的地に着くのは明日なのであろう? ここは野営地でなのだからそこまで気を張らなくてもいいではないか」
傷一つない白銀の鎧を着込み肩まで伸ばした髪を丁寧に編みこんだ貴族が愚痴を言う。どうやら巡回には無理やり連れ出されたようだ。
「マーヴェル卿、そうは言いましても部隊の把握をするのも指揮官の務めですから。なにとぞご付き合いくださいませ」
貴族の付き人であろうか、その横でサンツの小隊長と話していた男が柔らかく諌める。
そうして見張りのローテーションなどを確認していると、野営地の中心から伝令がやってきた。
「失礼します! 今商都の方から伝令がやってきて、商都にアデス=ワーニー候が到着し、本隊への合流を目指しているとのことです」
「なにっ!? アデス候とはあの双竜の片割れか?」
マーヴェル卿が編みこまれた髪を振り乱して慌てだす。
「何故、帝都待機の騎士がわざわざ夜盗退治などにやってくるのだ!?」
「そう言われましても…そのような連絡があっただけですから」
「ぬぬぬ…軽薄な若造のくせに…さては私の手柄を横取りしようという魂胆だな」
「卿、どうなさいますか?」
「今すぐ本部へ戻るぞ。他のものとも相談してできるだけ早くこの任務を片付けねばなるまい。あの軽薄なアデス候に手柄を持っていかれるというのも癪だからな」
そう言ってマーヴェル卿が本部へ戻ろうとしたときだった。
「敵襲だ!」
鋭い声とカンカンカンと警告の鐘の音が聞こえてきた。
「どこからだ!?」
「4時の方向! ここからほぼ真逆です!」
「くそっ。しかし状況は私の味方だ。アデス候が来る前に夜盗を全滅させるのだ」
そういって部下を率いて本部へと戻っていく。
残されたサンツたちは呆然としていた。
貴族の世界も駆け引きなど随分大変なんだなあと場にそぐわない事をぼんやりと考えていた。
商人の街であるコマーサンドの貴族であるマーヴェル卿にとって、この任務の手柄というのは重要なのだろう。上手くいけば帝都に呼ばれることだってあるかもしれない。
貴族が自分のことだけでこんなに必死なら、貴族の推薦を受けて練兵団に入りたいという夢も叶えるのは難しいかもしれない。サンツは少し落胆した。
「よし、では数名をここに残して俺たちも本部へ向かおう。後方支援に回るのだ」
隊長が全体にそう声をかけ、隊員を振り分けていく。
サンツは残ることになった。
今から行っても後方支援なのだから活躍できるチャンスは少ないだろう。それに貴族自身が手柄を求めている中サンツが手柄をたて認めてもらえる可能性は少ない。
大半の隊員が去ってしまった後、かがり火で暖を取りながら自分の槍を取り出して手入れをする。
ぼーっと見つめた森には先ほどと変わらず闇夜があるだけであった。
(―――なにかがおかしい)
人の流れの中でライはそう感じていた。
空気がーー奇妙だ。
これはただの夜盗退治の任務だったはずだ。
しかし、この野営地一帯に満ちている空気は明らかに戦場のものだ。
張り詰め、肌が表面からぞわりぞわりとする。
ただの夜盗にこのような雰囲気は出せない。
(夜盗ではないのか? 第一、夜盗があからさまな襲撃を掛けるか?)
夜盗が正面きっての戦闘というのは違和感が残る。
しかも野営地は全体的に浮足立っていた。
160人いるとはいえ、ほとんどがもともと商都の守備を担当していたものたちである。
このような地理の不確かなところで戦闘行為をしたことはないはずだ。
貴族の連中もほとんどが実戦経験がないようだった。おそらく騎士にもならず領主貴族として税金で暮らしてきただけなのだろう。
貴族も大きく3種類に分けられる。1つ目は領主貴族。これは自分の治める地域の統治であり、そこの税収は貴族の収入源である。2つ目は騎士貴族。軍部の騎士団にはいり軍属となること。3つ目は官僚貴族。帝国全体の統治に関わる元老院に入り政治を行うものである。
騎士貴族には貴族の子息が多く入り経験を積む。除隊後に故郷にもどって領主貴族になったり、帝都で官僚貴族になったりするものもいる。
しかし今回のマーヴェル卿を筆頭とする貴族たちは領主貴族である。実戦経験などほとんどない。誰もが今回の手柄を鍵として帝都の官僚貴族とのつながりをつくろうとしている者たちだ。
(手柄を焦って大勢が見えていない。これでは負けるぞ)
浮足立った部隊ほど負けやすいものはない。
こういう部隊ほど奇襲に弱いのだ。
(奇襲…そうか! 最初の敵襲はおとりか!)
今部隊の注目は最初に襲撃されたところへと集まっている。
所詮寄せ集めの部隊に経験のない指揮官だ。
その結果生まれた穴は大きい。
(奇襲を掛けるとするなら、最初の襲撃があったところの――真逆!)
ライは武器をもって集結する隊員の流れに逆流するように移動しはじめた。
おい、お前逃げるな戦え。そういう声がどこからか飛んできたが無視した。
しかし、とライは走りながら思考する。
(もし背後からの奇襲があったとしたら――この夜盗、ただの夜盗ではない)
抱えていた短刀を走りながら抜く。
腰だめに握りながらライは予測する。
(恐らく優秀な指揮官がいるか。もしくは訓練されている可能性がある!)
いつものくせで最悪の場合を予測する。
そして舌打ちをした。
(もしそうだとしたら…混成部隊に勝ち目はない!)
「どうやら彼はある程度勘づいているようね。この任務の裏側にある真実に」
野営地から程よく離れたところに背の高い一本の杉が生えていた。
その天辺の枝に腰掛けながら女は双眼鏡から目を外す。
「もともとそういうことに関する頭のキレは持ち合わせいますから」
その後ろにはいつも通り従者が控えていた。
地上から数十メートルという高さにいながらにして2人には微塵の恐怖もない。
それどころか――
「紅茶が入りました」
「ありがとう」
枝の上で固形燃料を燃やして湯を沸かし紅茶まで入れていた。
彼らにとってこの幅数十センチの木の枝が野営地であった。
「先ほどはいった情報によりますと、この任務の裏に気付いたアデス=ワーニーがあの野営地に向かって馬を飛ばしているようです」
「あら、双龍の彼?」
「はい、双子の弟の方です」
くすりと女が笑って紅茶を飲む。
おいしいわ、と女が言うと従者が黙って頭を下げた。
女の銀髪が夜風に舞い上がる。
その髪先を赤い瞳で追いながら女は誰ともなしに呟いた。
「戦争の――残り火、か」
夜空には満月が美しくそして冷たく輝いていた。