第1話「残り火」②
カランとドアの上の鐘がなった。
「いらっしゃい…って、なんだライか」
「なんだとは失礼な」
カウンターに腰かけていつも通りの飲み物を注文する。
このヤッジーという酒場はヤズリクという中年のマスターが経営している。
下町の酒場らしく無精ひげを生やし、その屈強な体躯で酒や料理を運んでいる。
「ほら、いつもの。仕事はうまくいったようだね」
「ちょっと派手なせいで逃げるの大変だったけど」
ヤズリクはこの地域一帯の情報通だ。
そしてライに『仕事』を持ってくる人間でもある。
「一晩中追いかけられてたからクタクタだったよ」
グラスに入った酒を傾けながらライがぼやく。
「それでもライのおかげでこの地域一帯はまた少し楽になるさ」
「そういうもんかねえ?」
「そういうものだよ、この地域は」
カランと氷がグラスの中で揺れて音を立てる。
と、同時にドアが再び開いて数人の男たちが店へと入ってきた。
「お、ライじゃねえか」
「よお、ライの若旦那ひさしぶりー」
「あ、ヤズ、俺にもライが飲んでるのくれ」
三人の男はライの横のカウンターに腰掛けながらそれぞれ挨拶と注文をする。
男たちはこの地域で店を構えている。よく揃ってヤズリクの店に飲みに来ているのだ。
「おう、そうだヤズ、聞いたか?」
「なんです?」
「あの糞うざってえ役人、死んだらしいぜ?」
「そうそう、昨日の夜に暗殺されたって」
三人が口を異にしながら同じ事柄について興奮して喋る。
「マザラフ商人の家に宿泊してたところを賊に襲われて殺されたって話だ」
「賊がなかなかのやり手らしくってな、警備兵を振り切って逃げたらしいぞ」
「警備兵も諦めないで夜中じゅう街中を追いかけまわしたんだが、捕まらなかったそうだ」
酒も回りながら饒舌に話していく男たち。
その横でライは素知らぬ顔をして話を聞いていた。
「それにしても、言っちゃ悪いが因果応報だよな。あの役人」
「散々俺らの経営に難癖つけて、税金搾り取っていきやがったからな」
「あぁこれで少しは経営が楽になるな。またヤズの店にも頻繁に顔を出せるぜ」
「それはそれは。いつでもお待ちしてますよ」
ヤズリクはそう穏やかに答えながら、ライのほうをみて微笑する。
ライはその意味ありげな笑みからわざとらしく目をそらしグラスを煽った。
「ライオネル=スタンドバルドは時々ヤズリク=ハーリッシュから暗殺の依頼を受けているようですね」
従者が女へと報告をした。
「ずいぶんと落ちぶれたものね。そのヤズリクという者のバックは誰なのかしら?」
女は相変わらず屋根の上に立っていながらその高貴さを失っていなかった。
下のアングルから見れば月が綺麗な夜空にさぞ映えたであろう。
しかし上のアングルから見下ろせば、女の足元にあるのは薄汚れた貧民街だ。
そしてその目線はヤズリクの店ヤッジーに向けられている。
「ヤズリクのバックはいないようです。ソロの情報屋ですね。依頼もヤズリク自身がライオネルに行っているようです」
「情報屋自身が?」
「はい」
「それは不思議ね。彼自身になにか大きなメリットがあるのかしら?」
「メリットというか…ここは『放棄された街』ですから」
「『放棄された街』?」
ええ、と従者が頷く。
流麗に立ち続ける女主人の傍らで膝をついたまま淡々と述べる。その姿は主人の影たる従者にふさわしい。
「このハバーレス街一帯は、本来ならこの都市の西地区の守備隊の警護地域なのですが、ある時から難民や貧民が多く流入してしまったことから守備隊が警備を放棄してしまった地域なのです」
「守備隊が…警備を放棄?」
「はい。そのせいでこの地域の治安は荒れ、無法地帯となってしまったのですが、それを西地区の守備隊はいいことに問題を全てこの地域に押し込め、他との境界の警備を強化してしまったのです」
「つまり、ごみ溜め、というわけね。悪いものは全てここに持ってきて捨ててしまおう、と」
その通りです、と従者が頷く。
女はその美しい顔を少しだけしかめた。
「どの場所でも責任の押し付け合い、ね…」
「一ヶ所そのような場所をつくれば、他の管理が楽になるのでしょう。その中でライオネルは、この地域一帯の治安維持を1人でやっているようです。事実彼が来てから治安はずいぶんよくなっているようですから」
「まあチンピラ程度なら全くの問題にならないでしょうね」
「はい。ですから情報屋ヤズリクが依頼しているのも治安維持の一端なのでしょう」
「なるほど。昨日彼が殺した役人は横領をしていたんでしたっけ? なるほど」
女は1人腕を組んでなるほど、と何度か頷いた。
そして眼下のバーをもう一度眺める。
そこには数人の男たちが歩いてくるところだった。ハバーレシ街に似つかわしくない整った鎧姿。
「あら、お客さんのようね」
「あれは…西地区守備隊の紋章ですね」
「あら。この地区の警備を放棄したその守備隊?」
「ええ、そのようです。あの真ん中の男が西地区守備隊長のファーヴェルですから」
「面白いことになりそうね」
「面白いこと…ですか?」
少し喜色を見せた主人に従者は首をかしげる。
「そうよ。ケンカとかにならないかしら?」
高貴で美しい顔を少し悪戯に微笑みながら女が言う。
従者はため息をついた。
「そのような事を期待なさらないでください、姫」
酒は飲んでも呑まれるな。
古からの教えである。
しかし避けようのない事態というものもある。
それは呑まれた人間に絡まれる、という事態である。
「だーかーらーよおー? 結局戦争が終わっても大して俺たちの生活は変わらなかったっちゅーことなのよ、ねえ?」
ライの心情を端的に表すなら『めんどくさい』である。
しかしまだ残っている酒を置き去りにして店を出るのも忍びない。
結局、酔っ払ってしまった三人の男の相手を適当にしながら時間が経つのを待っているのだ。
今までの経験上あとしばらく飲み続ければ彼らも潰れるだろう。そして彼らの女房が呼ばれてきて彼らを叱咤しながら連れて帰ってくれるはずである。
「ラーイー、お前もこんな酒飲みやがって、え? 今お前いくつだっけ?」
「19だよ」
「まーだ十代かよお。がははははは」
飲酒は正式には18歳から許されているが、この地域では15歳くらいから飲むものが多い。
「結局よ、戦争で儲けたのは貴族連中ってことさ」
「違えねぇ。武勲を上げたのだって貴族連中ばっかだろ?」
「割を食うのはいつも平民さ。『ヌフラの大罪』だってそうだ」
帝国はその突出した軍事力を基礎とした軍事国家である。
先の大戦でも、停戦となったとはいえ領地は失っていなかった。
しかし、大戦中にヌフラと呼ばれる地域だけ、一度共和国に支配されたことがある。
その時に領民はほとんど皆殺しにされたのだった。
「三将軍に鬼将軍、ファイデンの鷹、神速の詠唱…ぜーんぶ騎士候たちだもんな」
騎士というのは貴族階級によって構成される軍部である。
軍部は主に貴族による騎士隊と平民による練兵団の二つによって構成される。
「あと雷雲の…なんとかってのもいたな」
「やっぱ貴族様は『霊術』が使える分、練兵団とかより断然強いよなあ」
「仕方ねえよ、霊術あってこその貴族だからなあ」
「魔力の10倍だろ? 霊術の威力って」
「お、でもよ! 『黒装束』がいるじゃねえか!」
「おぉ、忘れてた! 救国の正体不明部隊だろ?」
男たちが俄然色めきたつ。
『黒装束』
正確には部隊名ではなく通り名ではあるが、その名前を聞いた瞬間ライは顔をそむけ、残っていた酒を飲み干した。喉を焼けるような熱さが通り抜けていく。
「あれはー…結局どういう部隊だったんだ?」
「騎士と平民と傭兵の混成部隊だったって話らしいぜ」
「圧倒的だったからなあ。戦況をひっくり返す勢いだったよな」
「あれぞ、民衆の味方ってか?」
「でもあの部隊も結局全滅したじゃねえか。結局民衆の味方ってーのは死んじまうんだ」
少しだけ空気が湿っぽくなる。
救国の秘密部隊。
そう言われた黒装束は終戦間際に全滅していた。
「ロトワール戦役だっけ? あの部隊が全滅したのは」
「でもそのおかげでロトワールは帝国の領内に組み込まれたしな」
「黒装束が全滅してなかったらきっと共和国も全部帝国が占領してたよな」
「違えねえ! あはっははははは! ん? なんだ、ライ帰るのか?」
帰り支度をしながら席を立ったライに気がついて男たちは、ライの両脇へ移動してライを席へと押し戻す。
おーちょい待て待て、と千鳥足でグラスを抱えたままカウンターへと押し戻してくる三人の男にライは苦笑する。
「なんだよ、俺はそろそろ帰るぞ」
「な~に言ってんだよお。もっと付き合って飲んでけよお」
「今日は俺たちが奢ってやっからさあ」
「がはははは」
よほど横領役人が殺されたことが嬉しかったらしい。
赤ら顔の男たちは興奮してその顔をさらに赤くしていく。
「おら、ライなんて戦争のことなんか覚えてねえんじゃねえの?」
「黒装束ってーのは聞いたことあるか?」
「そこの隊長ってのは狂戦士って呼ばれるくらい強かったらしいぜ?」
はあ、とため息を吐く。
面倒なことになってしまった。早く帰りたいな、と切に思う。
「…聞いたことはあるよ」
さらに男たちが黒装束の功績について語ろうと近寄ってきたとき、酒場のドアが開いて冷たい空気が入り込んできた。
ドアを開けて入ってきたのは三人の男だ。
「失礼するよ」
そういって屋内に入ってきた真ん中の男が一歩前に出る。
その服装は簡素な鎧で、腰に吊り下げられているのは使いこまれた長剣だ。
鎧と剣に刻まれた印に誰もが見覚えがあった。
「…西地区守備隊」
誰ともなしに呟いたその言葉を受けて男が頷く。
「私は西地区守備隊隊長のファーヴェル=ライスだ。この酒場にこの辺のチンピラを押さえつけてくれている『ボランティア守備隊』のライという男がいると聞いたのだが、どなたかな?」
面倒事があっちからやってきた。そう気付いたライは、三人の男の酒臭い息に囲まれながら眉をしかめた。