第2話「芽吹く」07
「あのさ、あたしよくわかってないんだけどさ……」
おずおずといった調子でルミナが手を上げる。
「紋章刻印ってのはそんなに大変なの? いや、なんかエトラント族にしかできない作業だってのは知ってるんだけど、フランちゃんにも負担をかけるものなの?」
タオルで顔を拭っているハーヴェを横目でみながらルミナはライとサンツの方へ問いかける。
問いかけられたサンツは大きく首を傾げた後、ルミナと同様、ライのほうを見る。
2人の視線に問いかけられてライは、少したじろいだ。
「昔聞いた話だと…」
目線をわざとそらしながら喋り始める。
「たしか『霊力』ってのは、体内から溢れる魔力と違って、空気中に霧散してるらしい。だから、それを体内に取り込むとあまりの強力さに体が拒否反応を起こす…らしいよ」
手元のフランの紋章が書きうつされた紙を再び手に取る。
「だから、貴族は幼年期のうちに紋章を刻んで『霊力』に体を慣らすんだとさ。だから、フランのようにある程度成長してから紋章を刻印するのは、体に負担を強いるのかもしれないな」
「へー、霊力って体に悪いんだ」
「強力な分、諸刃の剣ってことらしいよ」
へー、ほー、とルミナとサンツが同じような反応をする。
「霊力って言われても庶民の俺らにはねー」
「まー、関係ありませんからねー。あたしたちが使うのは魔力を使った魔術ですしー」
「ですしねー」
「「あはははははは」」
笑っている二人は放っておく。
ライとて魔力すら持たない人間だ。霊力や霊術のことについてさほど詳しいわけではない。
だが、過去の戦場において戦友であった貴族が暇つぶしに色々と話してくれたことがあったのだ。
(確かあの時アイツはなんて言ってたんだっけ?)
『ライ、霊力ってさ――』
(軍部内の派閥の話をしていて―)
『貴族にとっても――』
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ライ、霊力ってさ貴族にとってもまだ未知の力なんだよねー」
「未知?」
「うん、そう。俺らって霊術使ってるけどさ、霊術がなんなのかよくわかんねーんだ」
戦場では破炎と恐れられた男は、椅子に深く座り直しながら、自身の右手をヒラヒラさせる。
砦の内部に設けられたアデスのための私室で、ライとアデスは向かいあっていた。
「魔術もよく分からないものじゃねえの?」
「んにゃ。魔力は一応人間との親和性が高いことから、生命力とかそういうものらしい。この世界に満ちていて、意識的にも知覚できるし、コントロールもある程度容易じゃん」
「まぁ俺はよくわかんねぇけど」
ライの口調は上官であるアデスに対しても、くだけた言い方をするが、この部屋では誰も咎めるものはいない。
「でも、霊力は違う」
もちろんアデスは気にしない。そのまま話を続ける。
「霊力はまず知覚できない。大気に満ちていると言われているけど、それを認識できることはできないんだよねー」
「え、そうなの? 貴族は気配とか感じてるんだと思ってた」
「認識してないんだ。ただ紋章を使うと霊力が集まってくるだけでさ」
アデスが右手を頭上まで持ち上げて光に透かすように目の前に掲げる。
微かに紋章が光った。
「何故かわからないけど、霊力が集まってきて。何故かわからないけど、手順を踏むと霊術が発動する、ってわけ」
「………」
「紋章の刻印はエトラント族の独自の技術だ。けど、エトラント族ですら霊力がなんなのかすら分かってないっぽくってさ」
「……よくわかってないのに、使ってんのか。なんかアホだな」
「ね、そう考えると怖くなるよねー。俺たちは子供のころから霊力に慣らされてきたから、なんとか扱えるけど、これは本来人間が扱うべきものじゃないのかもしれない、なんてことまで考えちゃうよねー」
「不思議な力なんだな」
ライの言葉にアデスが静かに首肯する。
ふと手を元の位置に戻すと、ライのほうに真剣に向き直る。
「正直な話、俺も霊力がなんなのか気になってはいるだよねー。自分の力の拠り所がはっきりしないというのは不安だからさ」
「そっか」
「けれども、それに関して最近ちょっときな臭いんだ」
真剣な目をしたアデスを見て、自然とライの背筋が少し伸びる。
「霊力に関する研究を行っている部署が軍部の中にあるのを知ってる?」
「あぁ、確か――」
「『情報技術局』」
言葉尻を奪うように、アデスが言い切る。
「軍部のなかで唯一エトラント族も交えて霊術の向上を研究している研究機関だ」
そして少し息を吐き出すと、アデスは不満そうだったライに1つだけ忠告をする。
「ライ、情報技術局には気をつけた方がいいよ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――、―イ、ライ!」
名前を呼ばれてハッと我にかえる。
「どうしたの、考え事?」
「いや、なんでもない」
過去の出来事へ戻っていた思考を浮上させる。フォークを持ったまま固まってしまっていたようだ。
目の前ではルミナとサンツとハーヴェがこれからどうするかを思案していた。
9歳の少女に刻印されかけている紋章。
強い拒絶反応が起きるほどの危険な刻印をなぜ強行しているのだろう。
アーサー・ウィリスの強い意志か。
王家に召し抱えられているエトラント族がそれを承諾するだろうか。
不思議とそういう事が気にかかる。
王家とエトラント族の繋がりは密接だ。紋章が貴族の証である以上、紋章は王家がエトラント族を通じて与えるもの、となっている。
「結局のところ、2人は商都コマーサンドを出た方がいいんじゃない?ってあたしは思うんだけど」
「そうだね、四大商人の1人、西のラングウッド商会はウィリス家と繋がりが深いし、正直商都には居づらいと思うよ」
「…サンツのくせによくそんなこと知ってるわね」
「サンツのくせにってなにさ! これでも守備隊だからね、そこら辺の事情は知ってるよ」
「なんか意外な感じ。ね、ライ? あんた商都の外に知り合いとかいないの?」
「ん? あぁ…そうだなぁ」
気になるとはいえ、些細なことでしかない。
2人が逃げ切れてしまえばなんの問題もないのだ。
そう思い直して、今後の話に加わろうとしたとき――
―― パリンッ ガチャンッ ――
「きゃあああああああああああああああ」
二階のライの部屋から窓が割れる音と、争う音、そしてフランの悲鳴が聞こえてきた。