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第2話「芽吹く」06

遅くなってすみません。

 1年前のある春の日。ウィリス家は悲しみに包まれていた。ウィリス家の一人娘であるサリーが病によってこの世を去ってしまったのだ。

 花のように笑う少女だった、と屋敷の従業員は全員口を揃えて言う。それがたったの9歳で逝去してしまわれるとは。そう言って誰もが悲しんだ。

 ウィリス家の長男であるデイビットは、横暴で粗野な振る舞いで従業員を困らせていたので、幼いながら優しいサリーは従業員からかわいがられていたのだ。


 特に家主のアーサー・ウィリスの落ち込み方は半端ではなかった。確かに年齢的にも若くはなかったが、それでもめっきりと老け込んでしまった。

 貴族としての仕事にも手をつけず、娘の部屋にこもって遺品を眺める日々。


 しかし、数ヶ月後、彼は見つけてしまったのだ。


 気晴らしにでかけて馬車での散策の時に、窓から見えた裸足の少女。

 通りを同じ年代の少年と一緒に駆けていく、大輪の花のように笑う亡きサリーによく似た少女。

 ――フラン・ダズニフを。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「それからはあっという間だった。俺は無理矢理フランと引き離されて、フランはあっという間にウィリス家の養子になっちまった」


 包帯を解いてもらったハーヴェが悔しそうに話す。

 場所は1階のケーニッヒ夫妻とルミナが暮らす住居部分のダイニングである。簡単な夜食を全員で食べている。

 ライの暮らす2階部分からこの住居部分へは直通の階段があり、これを使ってルミナはよく食事をライへ持っていっていた。


「俺は手切れ金を押しつけられるだけで、文句すら言う機会すら与えられなかった! 貴族だから! 全てはその一言で終わらせられた! アーサー・ウィリスの顔すら見たことない!」


 当時の悔しさを思い出したのか、絞り出すようにハーヴェが言う。

 力を込めて机を叩き、机にうずくまるように顔を伏せた。


「それでも――」


 腕の間からくぐもった声が漏れる。


「それでも、フランが幸せになるんならいいと思っていたんだ。貴族の子女としてマトモな生活ができるようになるならって」


 フランは嫌がっていた。結局フランが嫌がろうが喜ぼうが、フランが養子になることは決定してしまっていたのだが、それでもフランは嫌がった。


『わたしだけ幸せになるなんてイヤ!』


 そう言って嫌がった。フランがウィリス家にハーヴェも同様に養子に迎えてほしいと懇願していたことをハーヴェは知っていた。

 だが、それは望みのないことだった。

 ウィリス家は養子が欲しいわけでなく、サリーの替えが欲しかっただけなのだ。


 それでも構わなかった。

 ひとりぼっちだったハーヴェを助けてくれたこの心優しい少女が幸せになるのだったら、何でもしようと思っていたのだ。


『だって、わたし名字変わっちゃうんだよ? もうハーヴェと姉弟じゃないんだよ? せっかくハーヴェからもらった名字じゃなくなっちゃうんだよ?』


 それでも、それでもいいのだ。

 そうハーヴェは思う。

 俺がフランにあげられたのはダズニフという親父の名字だけだから。

 それ以上のものを僕はたくさんもらったから。


 恩返しがしたいんだ。


 そのためなら、再び一人になることだって構わない。


『大丈夫、フランは貴族になって幸せになればいいんだ。それが、俺の願いだから』


「幸…せになる…って思ってたから、だから…だからっ…」


 うずくまったまま嗚咽が漏れる。

 泣き出すハーヴェを囲むように座っていたライとルミナとサンツは顔を見合わせるしかない。


 夜の静かな空気に嗚咽だけが響く。

 ライは、机の上にあった紙を手に取る。そこにはフランの右手にあった紋章が簡単に描き写してあった。


「紋章刻印の儀式か」


 そう、ぼそりと呟く。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 久しぶりに会ったフランの様子が変わってきたのは一ヶ月ほど経ったころだった。


 フランは身分は貴族の子女となったものの、持ち前の身軽さを生かして時々屋敷を抜け出してきてハーヴェに会いにきてくれていた。

 ハーヴェはその度に来ちゃだめだよ、と注意するものの、その訪問を心待ちにしていたし、フランも会うと屋敷での話を愚痴ってスッキリして帰っていった。

 愚痴はたくさんあった。作法にうるさい、自由がない、従業員が時々わたしをサリーと呼ぶ、時々家に帰ってくる軍属の兄デイビットが意地悪で怖い、などなど。

 フランは、時々自分を通して自分ではない人を想っているのがよくわかって不快だと言っていたが、おおむね屋敷でも大事にされ幸せそうであった。


 そのフランが腕に包帯を巻いてきたのだ。しかも包帯には血が滲んでいた。

 どうしたんだ、と詰め寄るハーヴェに対しフランは痛みに耐えながら重い口を開いた。


『貴族の紋章を刻印する儀式なんだって』


 大丈夫だ、と言い張るフランを信じ、何も言わずに屋敷へ戻したハーヴェだったが、回数を重ねるごとにフランの右腕の包帯は厚くなり、痛みに顔をしかめる回数も増えていった。


 エトラント族という特殊な一族によってしか成すことができない紋章の刻印儀式。

 そのエトラント族の腕が悪いのではないか。ウィリス家が貴族といってもあまり大きくないから腕の悪いエトラント族が寄越されているんじゃないか。

 ハーヴェはそんなことを考えて、フランを苦しめるウィリス家やエトラント族を憎んでいた。


 だが、ある日ハーヴェはフランの口から衝撃の言葉を聞いてしまうのだ。


 久しぶりにあったフランが痛みに耐えられなくなって膝を吐いてしまったのを見てハーヴェは怒りをこらえられなくなって叫んでしまった。


『どうなってるんだよ! 畜生!』


 もちろんウィリス家やフランの紋章刻印を行っているエトラント族への怒りだったのだが、フランは必死の形相で痛みこらえながらこう言ったのだ。


『ごめんなさい、ハーヴェ。わたしがんばるから。わたしがんばってちゃんと貴族として幸せになるから。だから怒らないで。大丈夫だから。これくらいの痛み大丈夫だから。ちゃんと貴族になるから。貴族になって幸せになるから。ごめんなさい、ごめんなさい』


 悲痛なまでの懇願だった。

 その時、ハーヴェは気づいてしまったのだ。



 貴族として幸せにならなくてはいけないという枷を填めてフランを苦しめていたのは自分だったということに。



 最初から、貴族になることがフランの幸せにつながるわけではなかったのだ。現に今フランは苦しんでいる。

 そうしてしまったのは自分とウィリス家だが、そしてフランをその状況に縛り付けてしまったのはハーヴェ自身だったのだ。

 フランは貴族として幸せになろうとしていたのではない。ただ、ハーヴェの願いをかなえようとしていたのだ。


 悲痛なまでのすれ違い。



 それが分かったハーヴェは決心する。自分のためにフランが辛い目にあってはいけない。フランはハーヴェの願いを叶えたくて、ハーヴェはフランを幸せにしたい。

 なら――


「俺が――俺がフランを幸せにすればいい」


 そして残っていた手切れ金を全て使って計画を練り、フランを奪取することに成功した。

 必死にフランを引っ張って逃げるハーヴェが選んだ潜伏場所は、貴族も警備隊も寄りつかない見捨てられた街ーハバーレス街だった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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