第2話「芽吹く」05
「フラン・ウィ…いえ、私はフラン・ダズニフと申します」
ベッドの上に座ったまま、綺麗な金髪の少女が腰を折る。しかし次の瞬間には腰を折ったまま激しく咳き込む。慌てて駆け寄る少年を押しとどめて再び顔を上げる。
「そして、こちらはハーヴェ。ハーヴェ・ダズニフです」
「ダズニフ?」
「えぇ、姉弟なんです」
疑問の声を上げるライに対し、フランはそう答える。
ライは何も言わずにハーヴェの顔を凝視した。
「なんだよ」
「いや…」
「へー、姉弟にしては似てないね!」
口ごもったライを遮るようにルミナが率直な感想を述べた。
「あ、ごめん」
「いえ、血は繋がっていませんから」
「あ、そうなの」
ルミナ自身もケーニッヒ夫妻の養子であるため、あまり血のつながりについては偏見を持たない。その反応を見てフランが安心したように微笑んだ。
「あ、私はケーニッヒ薬局の実力派跡取り娘ルミナです」
「…ハバーレス街で便利屋をやっている、ライだ」
スカートを軽くつまんで挨拶するルミナ。その後ろでライは『実力派』の表現に口元を引きつらせる。
「で、そこで頬を押さえてうずくまってるのが東警備隊のサンツよ」
「誰のせいだ! 誰の!」
「立ってる場所が悪いのよ」
「ドアは手で開けるもんだ! 蹴破るもんじゃねぇ!お陰で口の中切っちまったじゃねえか!」
「なによ、後でいくらでも新作の軟膏塗ってあげるわよ!」
「ややややめろ! 落ちつけ、早まるな! 俺が悪かった!」
急に低姿勢になるサンツ。その様子を見て力が抜けてしまったのか、ハーヴェは崩れるように床に座り込む。
「は、はは…」
「ハーヴェ?」
フランが心配そうに覗きこむ。
「大丈夫?」
「うん、なんかダサくて安心した」
「おい、誰がダサいって!?」
サンツが吠える。だが、それでもハーヴェは力ない表情を浮かべるだけだ。
母親が死んでから今までフラン以外誰も信用しないで生きてきた。信用してこなかったのは、信用されなかったからだ。周りの人間が騙し合い、嘲り笑っていたからだ。
だから、サンツとルミナの口喧嘩はハーヴェにとってひどく懐かしい耳心地だった。
「――くしゅんっ」
そんな喧騒のなかで小さく、しかしはっきりとクシャミの声が響いた。
寝汗をかいて体を冷やしてしまったのか、フランがそこから立て続けにクシャミをする。
「あちゃー。ごめんね、放ったまんまで。体拭いて上げるから、また少し寝ようか」
ルミナが手際よく水とタオルを準備し始める。ライの部屋だが、そこは勝手知ったる他人の部屋。恐らく部屋の主よりも手早くそろえてしまうとキッと男3人を睨みつける。
「ほら、男は出てって!」
「…俺の部屋だぞ」
ライの主張もむなしく男たちは、部屋の外に追い出される。
ドアへ向かって歩き始めたハーヴェの傷だらけ裸足の足元を見て、サンツは少しだけ眉をしかめた後―――とても悪い、悪魔の顔をした。
「あ、ルミナ?」
「なに?」
「ハーヴェくんだけどさ、彼も裸足で怪我しちゃってるみたいだからさ。ちょっと簡単に治療してあげてよ」
「え?」
満面の笑みを浮かべるサンツと嬉しそうな反応を返すルミナ。ハーヴェとフランは疑問顔だ。ライはハーヴェの足の傷とルミナの笑顔を見比べて顔をひきつらせた。
「ほら、ハーヴェ。遠慮するな」
「い、い、いや、いいよ。なんか嫌な予感がする」
「遠慮しなくていいのよ、ハーヴェくぅん」
「いや、フランのを先にやるんなら俺は外にいるよ」
「大丈夫よ、包帯で目隠しきつくしてあげるから。見えないようにしてあげる」
「怖い! むしろ怖い! 絶対イヤだ!」
「ダメよ、ハーヴェ!」
本能的に危機を避けようとしたハーヴェにフランが声を掛ける。
「あたしのせいで足怪我させちゃってごめんね。せっかく治してもらえるんだから、治してもらってよ。お願い」
その涙声にハーヴェは神妙に頷き、ルミナは喜びの笑みを、そしてサンツは黒い笑みを浮かべた。
ドアがしまると同時に口数の少なかったライがぼそりと呟いた。
「結構えげつないことしたな」
「お前が言えるのか! 俺に同じことしやがったくせに!」
そして次の瞬間、ライの部屋から絶叫が聞こえてきたのであった。
「ライ、ちょっと」
ルミナが扉を開けてライを手招きする。薄暗くなり、部屋にはランプが灯されていた。部屋の隅には包帯で簀巻きにされたハーヴェが無惨に転がされている。おそらくわざとであろう、目の部分は入念に包帯が巻かれていた。
「これ、ちょっと見て」
ルミナがベッド脇で寝ているフランの右手を取る。フランはベッドで静かに寝ていた。
先ほどまで包帯で覆われていた右手は、ルミナによって露わになり手の甲の様相を晒していた。
「これは――」
その様子にサンツが口をつぐむ。
「ライ。これって―――貴族の『紋章』?」
ルミナも不安そうにライを見上げている。
フランの手の甲には、複雑な紋様が描かれている。だが、それはライが以前見たことがあるものより、複雑ではなく、そして何よりもフランの手は爛れていた。
紋様の周りは炎症で腫れ上がり、紋章自体からも薄く血が滲んでいる。
「フランちゃんって貴族、なの?」
ルミナが顔をひきつらせている。仕方がない。貴族と平民の格差はここ10年くらいで急激に開いた。特に大戦をを経て、霊術という圧倒的武力をもつ貴族の地位は完全に隔離され保証された。
場末の一般市民など貴族と喋る機会はおろか見かける機会すらないと言える。
「これ、血出ているけど治療していいのかしら?」
「と、とりあえずお前の薬はやめておけ」
「そ、そうね。貴族相手に失礼よね」
「い、いや、そういう意味じゃ…まあいいや」
ライは再び手の甲の紋章をよく見る。血が固まっていて少し見えにくいが、それでもよく見てみると、以前アデスが戦場で見せてくれた紋章との違いがわかってくる。
(霊結石が剥き出しだ。それに家紋も不完全?)
紋章は6つの霊結石と呼ばれる宝石が核として配置されている。その配置は全ての紋章において共通しているらしい。霊力を集約する構造だよ、とアデスが笑っていたのを思い出す。
その集約した霊力を霊術として行使する一方で、紋章自体を使った霊術がある。それが霊術の独技と呼ばれるものだ。
独技は紋章の紋様―すなわち家紋に左右され、一子相伝の霊術である。その分、非常に強力だ。アデスで言えば「破炎」がそれにあたる。
その家紋が未完成となっている。
「この子は一体……?」
全員が疑問に包まれていた。
「養子なんだ」
それに滲みでるような声で答えがあった。
ハーヴェである。
部屋の隅で包帯にグルグル巻きにされながら、ハーヴェが唇をかんでいた。
「フランは、貧民街の出身だよ。貴族のウィリス家の養子なんだ」
目に当てられた包帯は斜めにずれている。ずれた場所から覗いているハーヴェの茶色い瞳とライの紫金の瞳がかち合う。
「どういう事だ。話せ」
ライが続きを促す。
それに答えようとしてハーヴェは体の動きがとれないことを思い出した。
「とりあえず、包帯外してくれよ……」