第2話「芽吹く」03
「ハーヴェ!」
少女の叫び声が響く。
ハーヴェと呼ばれた少年の体はいとも簡単に宙を飛び、積んであった果実の山に突っ込んだ。木材でできていた屋台は既に傾いており、果実や野菜が周囲に飛び散っている。
「ちっくしょう!この筋肉ダルマ!」
柑橘系の匂いが体にまとわりつく。手が果汁で少しベタついたが、幸い目には入らなかった。
相手は体格の大きな獣人だ。帝国内で獣人はどちらかというと少数派である。それは人間種の貴族による貴族政治が行われているせいもあるだろう。大きな体と毛皮。その特徴的な毛皮からイノシシの獣人だとわかる。丸太のような腕と厚みのある体からは底知れないパワーを感じる。それに対してハーヴェは小柄で相手の腰あたりまでしかない。10代前半ぐらいの少年である。
体格差は仕方がない。ハーヴェは自分にできること――すなわち駆け回るって攻撃するしかなかった。
「ハーヴェ、だめ!」
だが回り込もうとしたハーヴェの腹に巨漢の靴のつま先がめり込んだ。
胃液が逆流するのを喉の奥で感じながら、ハーヴェは地面にうずくまる。目に映る無骨な石畳がチカチカしている。
「や、めろ…フランに近づくな…」
胃液で焼けた喉で必死に言葉を吐くが、それでも獣人の男は泣き叫んでいる少女――フラン――のもとへとゆっくり歩みを進める。
(情けねぇ…フランのこと助けたいのに、あの筋肉ダルマのクソったれ野郎が!)
ハーヴェは悔しさに涙が溢れそうになる。最近、泣いたことなどなかった。泣いてはいけないと思っていたから。泣いてしまっては今まで我慢していたものが全て溢れてしまうと思っていたから。
だから、まだ泣けない。
まだ。
フランを助けるまでは!
「おたくらさぁ、うちのマーケットでなにしてくれてんの?」
場違いなほどのんびりとした声が響いた。
見ると痩身の男が獣人の正面に立って、腕を組んでいた。その横には投げ捨てられたのだろうか、少年が1人ひっくり返っていた。
「降ろす時はもっと優しく降ろせ! 頭割れるかと思ったぞ!」
「降ろしたんじゃない。放り投げたんだ」
「余計に酷いよ!」
「ライ遅いよ! うちの屋台ぶっ壊れちまったよ!」
「ごめん、マライルさん。ちょっと遅れた」
「俺に対しての謝罪は!?」
そんな声が聞こえてくる。
一方でその声を無視するように巨漢の男は、手で痩身の男を押しのけ、少女へと歩みを進める。
「ちょっとおたくさ、話聞いてる?」
「…邪魔だ」
それを押しとどめようとする痩身の男だが、獣人の男はそれを無視するようにその脇を通り過ぎようとする。
「人の話は聞けよな、っと」
突然、パンっという音とともに、獣人の顎が跳ね上がった。空を見上げる格好になった獣人がフラフラっとバランスを崩して膝をついた。
あまりの素早さに何が起こったか一瞬分からなかったが、すれ違いざまに痩身の男が獣人の顎を裏拳で叩き上げたらしい。
(チャンスだ!)
今ならタックルして足を取ればあいつを倒せる。あいつを倒したら顔でも踏みつけておいてフランの手を引いて一目散に逃げてやる。そうハーヴェは一瞬で思考する。ここは「放棄された街」のハバーレス街だ。逃げ込むのには好都合である。
少年は、そう計算して痛む体を押さえて全速力で走りだした。
だが――。
「はいはい、君もおとなしくしてようねー」
そんなハーヴェに痩身の男はかがむようにして親指と中指で円を作って差し出した。
(デコピン? なんのためにそんな――の゛っッ!?)
頭がのけぞるほどの衝撃を受けて――ハーヴェは意識を失った。
「ハーヴェ!」
バゴンッという凄い音がしてデコピンされたハーヴェがゆっくりと後ろに倒れた。
血の気が引く。ハーヴェは悪くないのに。私のせいなのに。どうしよう?
「まぁ気を失ってるだけだから」
途中から割り込んできた黒髪の男がフランの方を見て丁寧に説明してくれる。
不思議な雰囲気を持つ男。争いごとの中心に割り込んでるのに、とっても静かな雰囲気を崩さない。飛び散った果物や木片のなかで存在が浮いていしまうくらい超然としている。一瞬違和感を持たせるのに、次の瞬間にはもう馴染んでいて違和感がない。
「…お前。殺す」
「っ! 後ろ!」
先ほどまでフラフラして膝をついていた獣人が痩身の男の後ろから殴りかかろうとしていた。丸太のような腕には、血管やら筋などが浮き出ているほど力が込められている。唸りをあげて振り下ろされる拳に男が殴られる図が想像できてフランは悲鳴を上げそうになる。
だが、次の瞬間フランは信じられないものを見た。
「お前には手加減する必要がなさそうだな」
振り向きもしないで大男の拳をくぐりぬけた痩身の男は、大男の背後に立ち、一瞬にして足を払うと地面に仰向けに倒れ伏した大男の腹を踏み抜いた。それでも立ち上がってこようとする顎を掌打で撃ち抜き脳を揺らし、地面に完全に倒すと、とどめに頭を蹴り飛ばす。
その間――ほんの一瞬。
蹴り飛ばされた獣人は地面を滑って屋台のかろうじて残っていた土台のところへ突っ込む。派手な音をたてた後に、舌をだらんと伸ばして気絶している獣人の姿が露わになる。
圧倒的な早業で大男を昏倒させると、痩身の男は、驚いて口が閉じれなくなっているフランにこう言った。
「俺、ここで便利屋やっているライってんだけど、話聞かせてもらっていいかな?」
その紫金の綺麗な瞳を見ながら、口が閉じれないフランは、コクコクと頷くしかなかった。
ちなみに全てが終わってから追いついてきたサンツは、マライルさんの屋台を片付けるのに扱き使われたとかしないとか。