漆:parakeet
すぅぅ。首飾りから流れ込んできたのは、懐かしくも、強大で、恐ろしい力。
「どうだ? 力が戻った感覚は」
「僕も、魔術師だったんですね……」
確かに、思い当たる節は沢山ある。でも、だったらどうして、僕は自分で、自分自身の力で、願いを叶えなかったのだろうか? 記憶は全部戻ったはずなのに……。それも願いのうちなのか?
……判らない。でも、まだ、何かある。
「魔術師になるためには、10年間の教育と8年間の研修をこなし、さらに“神”に認められなければならない。しかし、逆に言えば、それさえ乗り越えられれば、誰でも魔術師になれる。神の血筋を引く天人でも、地に堕ちた邪人でも、あの世の住人の死人でも、そして、普通の人間でも」
「でも、神に認められるのが大変なのさ。少しでも悪意のある奴ははじかれるからな」
「え? でも、リンは“悪い奴もいる”って」
それに、僕の中に帰って来たこの力……決して、善いモノだとは思えないんだけど。
「それはね、彼女が君に、記憶を取り戻してほしくなかったからさ」
え?
「“神の使い”はリンなんだ」
えぇー!? じゃあ、
「……じゃあ、あの鸚哥が……」
「そう。あれが、神様が、自分が真に認めた者の証として、初めて与えた印。そして、リンが地上に実習に行った時、目立たないようにとっていた姿なんだよ」
「俺達には、お前の失くした8年間を戻してやる事は出来ない。だから」
「僕達の知りうる限り全てを、君に話そう」
*
私は30年前、天界から地上に派遣された。
私はその頃、すでに神に仕え、魔術師達を統括する身だった。だが、地上に降りた事は一度もなかった。私は神の孫娘として生を受け、その将来を期待されていた為、外部の悪い影響を受けないよう、宮殿に閉じ込められていたからである。今思えば、そういう所は私とロメヌは似ていて、それがより一層、彼の事を特別な存在だと思わせたのかもしれない。ともかく、籠の鳥状態の私の身を案じたのだろう。お母様が当時から魔術師の長だったスー婆様に頼みこんで、神の反対を押し切って、私を“研修”という名目で外に出して下さったのである。
研修先は長きに亘って協力関係にある、ロメヌの国だった。私は神から鸚哥の姿を与えられ、鳥籠の中から窓の外の街並みや宮殿の様子を観察するように、と仰せつかった。それは、“研修”というより“視察”に近かった。それでも、文字通りの籠の鳥になっても、地上での生活はとても楽しかった。
だって、ロメヌがいたから。他ならぬロメヌのそばにいられたから。
私はロメヌの14歳の誕生日プレゼントとして、彼の手に渡った。彼は私に“リン”という名前をつけてくれた。そして、いつも微笑みながら、私の頭を撫でてくれた。時には、私を肩に乗せて外へ連れ出してくれた。
……嬉しかった。私は神の長兄の一人娘。つまり、いずれは神になる身。だから、私には名前が与えられていなかった。必要が無いからである。お父様やお母様も、娘としか呼んで下さらなかった。せめて兄弟がいればなぁ。識別の為に名をつけてもらえたのに。そんな事を何度願った事か。だから、嬉しかった。
その日から、ロメヌと私はずっと一緒だった。
彼が心身ともに成長していく姿を見守るのが私の日常であり、
彼の独り言ともとれるような話を聞くのが私の日課であり、
彼の肩に乗って出掛けるのが、何よりも楽しみだった。
でも、そんな日々は彼が20になるまでだった。
私は知らなかったのだ。彼が戦争に行く為に、兵器として使われる為だけに、魔術師にさせられた事を。
本来なら、そんな事は出来ない。それだけ、神の目は厳しい。だが、この国は違う。言うなれば、お上直結の城下街のようなもの。ここの王族だけは、然るべき手段をとれば魔術師になれる。例え、その力の為に、おびただしい量の血が、流れる事になっても。実際、彼の父である現国王は、その力で自国の周辺のほぼ全域をその支配下に置き、小国だった彼の国をたった一代で大帝国にまで乗し上げていた。
そして、ロメヌもまた、わずか2歳の頃から“教育”を受け、20歳になった時、実技試験も終え、晴れて魔術師の仲間入りを果たしたのだった。
それから、ロメヌは“兵士”ではなく、“兵器”として戦場に駆り出された。
“記憶を対価に願いを叶える事”
魔術師の本分はそこにある。だが、それは強大過ぎる“力”を使う為の、大義名分にすぎない。つまりは、“人の願いを叶える”事は“対価があれば何でも出来る”という事だ。
物を“捜す”、“壊す”、“創る”。その方法を学び、使う事の出来るのが魔術師。勿論、出来ない事だって沢山ある。しかし、その力は何にだってなれる可能性を秘めている。
医者にだって探偵にだって料理人にだって大工にだって、そして、兵器にだって。
ロメヌはとても優秀だった。とても優秀な、兵器だった。
彼の手は段々、血と脂にまみれ、心は徐々に罪悪感と悲壮感に蝕まれていった。
そんな事を2年間続けて、久しぶりに帰って来た彼は、私に、いや、空に向かってこう言った。
――何故人は戦うのだろう
――何故僕は沢山の罪なき人を殺さなければならないのだろう
これは、彼にとって禁句だった。何故なら、彼の国が豊かなのは、多くの人々の犠牲によるものだと、いう事を彼は知っていたからである。彼はこの国の人々が大好きだった。色とりどりの花が咲き乱れる花園のような、温かい笑顔が大好きだった。彼自身、その人達を守る為に戦っていたのだから。
でも、彼は堪えられなくなってしまったのだ。
仲間の為に、他人を殺す事に。
そして、私に虚ろな目で、こう告げた。
「なぁ、リン。この争いを止める方法は、本当にないのだろうか……」
私には彼の気持ちが痛いほど分かった。だから、彼の願いを叶えてあげたい、全てが終わってしまった今でも、そう思う。でも、それは無理だという事も、私は知っていた。私はその8年間で、人の温かさや優しさを知った。同時に、醜さや哀しさも知ってしまった。
そこで私は、ロメヌだけを戦争から解放してあげる事を思いついた。つまり、彼を天界に連れてこよう、と考えたのである。
「おじい様。私の一生のお願いです。どうか、ロメヌを助けて」
「フィユ、解っているだろう。それでは根本的な解決にはならぬ。王子が悲しむだけじゃ」
「……判って、います。だから……彼には眠ってもらいます」
「何?」
「彼が私に、実戦に、ひいては戦争に関わった8年間を巻き戻すのです」
「お前、まさかあの術を……。しかし、それでは時間稼ぎにしか」
「その8年間に、私が争いを止める方法を見つけ出します」
「そんなものはない! 儂はお前の100倍は生きておる。そんなものあったら、とっくに見つけておるわ! じゃが、やはり無理だった。だからあの国に力を与えて」
「見つからなかった時は、彼に全てをゆだねます。“level8”、発動許可を」
「しかし、あれは……」
「えぇ、解っています。人の“名”と“力”を奪う事は、その人の命を奪ったも同然。彼が目覚めた後、強く生きてくれるとは限りません。でも」
「でも、なんじゃ?」
「私は信じたいのです。彼を。それに、出来る限りのサポートはしますし、彼に選択の余地も与えます」
「……分かった。しかし、お前にもそれ相応のリスクは背負ってもらう」
「何でしょう?」
「1つは、天界から二度とでてはならぬ、もう1つは、子どもの姿で残りの余生を過ごす事、じゃ」
「え? しかし、それでは……」
「無論、王子が目覚めるまでにその方法が見つからなかったら、の話じゃ。……それまで、頑張りなさい、“リン”」
「……ありがとうございます。おじい様」
「俺はどうしたら……」
コツコツ
「ロメ、ここ、あけて」
「何だい? リンが自分から出たがるなんて、珍しいね」
カシャン
扉が開いた。もう、後戻りは出来ない。ふー、と深く息を吐いて、変身を解いた。すーっ、とまばゆいばかりの光が、部屋全体を包み込む。次の瞬間
「え……?」
私は、元の姿に戻った。
「君は……」
ロメヌは驚いたようだった。無理もない。突然、鸚哥が女性の姿になったのだ。いくら魔術師だからとはいえ、目を丸くして、呆然としたまま動かなくなるのも、致し方ない事だろう。
だが、そこでひるんでいる暇はない。私は意を決して、言った。
「私は“神の使い”。貴方の願いを、叶えて差し上げましょう」
「君は……リン、なのか」
流石、というべきなのか。状況の飲み込みは早かった。
「しかも、“神の使い”って、あの……」
「うん、そう。今まで隠してて、ごめんね」
「……争いは、失くせると思うか?」
やはり、そうきたか……
「えぇ、きっと、探し出して見せる。だから、待っていて。私達が出逢った、14歳の姿のままで」
*
「これで、俺達が知っている事は全部だ」
「……リンはね、ずっと苦しんでいたんだよ。君を、ここに連れてくる事について」
「でも、お前の苦しんでいる姿が、あいつにとっては一番辛い事だったんだ。……それだけは、分かってやってくれ」
「……まだ、疑問は全て解決していません。彼女と、リンと話す必要があります」
「私なら、ここにいますわ」
リンは黄色い鸚哥の姿。僕は14歳の子どもの姿。
二人とも、最初に出逢った時のままだった。
でも、もうあの頃には戻れない。そんな気がした――
全てのピースは出揃った。
そして彼らは、新たな時を刻み始める。