陸:canine
僕が感じてきた疑問。その答えが今日、解き明かされる。……はず。
「ほら、アハト。何ぼーっとしてんだ。行くぞ」
「は、はい!」
「二人とも、気をつけて」
「おぅ」
「行ってきます」
バタンっ。
見送ってくれたリンの顔が、心なしか寂しげに、そして悲しげに見えた。
扉が完全に閉まった事を確認してから、少女は物憂げに呟いた。
「いよいよ、か……」
バサバサ * バサバサバサッ
「ふぅ、着いたぞー。ここが兄貴の家だ」
ムハンさんの兄、シエテさんの家はサンク・リウ兄弟の家に似て、こじんまりとしていた。多分、今までの魔術師さん達の家の中で、一番質素なものだろう。そりゃあ、トロワさんと合わないはずだ……。余裕があったら、何故結婚したのか聞いてみよう。
「ほれ、入るぞ」
「はいっ」
ガチャ。
「やっほー兄貴ー生きてるかー?」
「おぉ、ムハンか。久しぶりだな」
シエテさんはムハンさんとは違って、とても優しそうな好青年だった。眼差しも、春のお日様のようにやわらかく、初対面の人に恐怖心を抱かせてしまうムハンさんとは大違いだ。でも、根っこは変わらないらしい。笑った顔と、内面の人の良さそうな所は同じだ。やっぱり、兄弟なんだなぁ……。
「さて、アハト。僕に聞きたい事は沢山あるだろう。だからまず、それを解決しよう。その後で、君の最後の記憶を返すかどうか、君が決めなさい」
「最後……? 記憶は“wish(願い)”を除けば、あと2つじゃ……?」
あれ? どーいう事?
すると、思わぬ方向から声がした。
「ま、俺達兄弟が最後の砦って事さ」
「え? ムハンさんも?」
「実は、な。黙ってて悪かったな」
……灯台下暗し。その言葉の意味と使い方を、僕は身を持って学んだ。まぁ、仕方ない。僕は僕の記憶が戻ってくれば、それで良い。
「では、まず魔術師の制度について、説明しようか」
うん、臨む所だ。
「そもそも、魔術師はどうして、記憶を対価に人の願いを叶えているのか、わかるかい?」
確かに。“人の願いを叶える”、“対価をもらう”。そこまでは理解できるのだが、どうして“記憶”が対価なのかが分からない。ついでに言うなら、どうして対価として“支払った”はずの記憶を取り戻せるのかも、謎ではあった。
そこで僕は、素直にこう答えた。
「いえ、さっぱりです」
「だよなー」
皆で苦笑い。その後に
「それはね、神様からの指令なんだよ」
と、シエテさん。
魔術師の次は“神様”、っすか。いよいよ訳が分からなくなってきたぞ……。困惑する僕に
「まぁ、なんだ。神っつうのが解りづらかったら、俺達のリーダーとでも思ってくれれば良い」
ムハンさんからのフォロー。あぁ、成程。リーダー、ね。
「で、その神様が物好きな人でね。一応“人を幸せにする”っていう目的は一貫しているんだけど、やる事はめちゃくちゃなんだ。神が若い時なんかは、いろいろな国の王様と結託して、裏で国々を操っていた、なんてお噂を聞いたりしたけど。でも、その神様も今やもうご高齢でね。昔ほど派手に動き回れなくなってしまったんだ。そこで、人々の願いを叶える代わりに、記憶の欠片をもらう事を思いついたんだ」
「ま、一種の旅行気分を味わう為だと考えてくれ」
「へ、へー。そうなんですか」
そんな理由で……。じゃあ
「まさか、記憶を返してもらえるのって……」
「一回見た記憶は“用済み”っつう事だな。中には気に入って、何回も見るヤツもあるらしいけど」
「それでも、せいぜい10回ぐらいの話だろーね」
……やっぱり。はぁ、何だかな。願いを叶えてもらったらしいから、こんな事言える立場じゃないんだろうけど、でも
「不純だ……」
ぼそり、と二人には聞こえないぐらいの声で呟いた。あぁ、もう! 何なんだよぉー。
もうすでに頭はパニック状態だったけど、更に驚くべき言葉が、ムハンさんの口から飛び出した。
「そして、魔術師はその見返りに“命”を頂く」
「え?」
何ですと?
「んー。簡単に言うと、寿命を延ばせるって事、かな?」
「あぁー」
なんだ、そういう意味か。てっきり、神の命をむしばんじゃう感じなのかと思った。
「だから、魔術師は殺されでもしない限りは死ぬ事はないのさ」
「へぇー」
「一級魔術師のスー様に会ったろ? 彼女は御歳……まぁ、軽く千は超えているはずだ。でも、そうは見えなかっただろ?」
「はい」
っていうか、スー様ってそんな年だったんだ……。まぁ、流石に千歳まで普通の人は生きられないからそこは分からないけど、でも百歳のおばあちゃん、って感じでは全然なかったな、うん。
「それも命の使い方だ。時を止める、って感じなのか。だから、スー婆は今の年齢より年は取らん。見た目はな」
「ほえー。すごいですねー」
でも……魔術師って、一体何者?
“神”が“リーダー”って事は、その遣い、“天使”みたいなものなのか? うーむむ。何か、謎が謎を呼ぶなぁ……。あぁ、そうだ。1つ、気になっていた事があったんだった。
「あの、この流れで1つ質問です」
「はいどーぞ」
「この前、リウが“子”が自分の印だ、って言ってたんですけど、それってどういう意味ですか? もしかして、ムハンさんが鷹になれたりするのと、何か関係があるんですか?」
「おぉ、鋭いねぇ」
「あれは、んー。何だろう。まぁ、神に認められた証ってとこか?」
「ま、そんなとこだね。魔術師にもいろいろな人がいてね。神が直接支配する組織である僕達“Tier”や、独立して独自に営業している“pianta”、とかね。で、僕達の所は動物がシンボルでね。組織に入る前に、神から1人ずつに1匹、その人に見合った動物の名が二つ名として与えられ、その動物に変身も出来るようになっちゃうって訳」
「へぇー」
「俺は便利だからちょくちょく変身してるけど、他の奴はあんまりしてないみたいだな」
「ふーん」
何だか可愛い組織だな。
「さて、そろそろランクとの繋がりを説明しようか」
無駄話はここまで、といった具合に、ガラリと口調を変えて、シエテは言った。いよいよ、本題らしい。
「魔術師のランクってのは7級からでね。7級がlevel1。以下、級が上に行くに従って、level7まで扱える内容が変わっていく。それに応じて、もらう記憶も1つずつ増えていく……」
「ちょ、ちょっと待って下さい。じゃあ僕は」
「……そもそも、level8なんて存在しないんだよ」
「え?」
それじゃあ、僕って……
「level8はね、この世で唯一、特級の称号を与えられた“神の使い”と呼ばれる魔術師が創り上げた、彼女にしか使えない、究極の魔法の事なんだよ。でも、あまりにも強力だから、使われる事なく封印されていたんだ」
「それを最初に使われたのがお前だ。これだけ言えば、お前にも分かるよな?」
「……僕の叶えてもらった願いが、それほど重い、と」
「あぁ。そういう事だ」
「僕達の預かっている記憶を返せば、君が何を願ったのか、はたまた君が何者なのか、君なら全て解るだろう」
「だが、それがお前の為になるかどうか……」
……。確かに、今までの話から推測するに、僕が記憶を取り戻しても、良い事はほとんどない、というか、また僕が思い悩むだけなのだろう。ぶっちゃけ、僕は今の穏やかな生活と、“アハト”という名前を、今では気に入っている。だが……
「それでも、僕は知りたいです」
だって、その為に7人の魔術師を巡ったのだから。
「……宜しい。その心意気に免じて、僕のは返そう」
そう言って、シエテさんは宙に図形を描いていく。丸や星、文字が重なり、1つの陣を成していく。ポンっ。
「君の、“名”は?」
すうっ。嗚呼、懐かしい。涙が一筋頬を伝う。
「僕の名は、ロメヌ。この国の王子だ」
おかしい、とは思っていた。
“何故この街は、少しずつ戻ってくる僕の記憶と、これほどまでに一致するのか”
人々の笑顔も、明るくにぎやかな街並みも。ただ、今まで気付けなかったのは、この街と僕の国に決定的な違いが2つあったからなのだ。それは――
「この街には城がない。そして、武器も兵器もない。この街、失しモノ街と言いましたっけ? ここは僕の国を模写したもの、なんですね?」
「流石、王子様。正解です」
「ま、正確には、土地は移してきたし、ここの人達は本物のお前の国の人だよ。魔術師以外は、な。あいつと、それからあいつに協力した俺達の魔力にも限界はあったから、城下街の人達しか連れて来られなかったけど」
「それが心残りだ、とも彼女は言っていたね」
「やっぱり……僕の願いは、自分の国の人々を守る為のものだったんですね」
「そう。“お前は戦争や犯罪から人々を守りたい”、そう言ったんだ」
そう、だったんだ……。その、心優しく使命感の強そうな特級魔術師さんには、感謝しなきゃな……。でも何だろう。まだ何かひっかかる。僕は何かを見落として……!?
「ま、待って下さい」
『?』
「……僕は、そもそもこの年でそんな事を願ったんですか? いや、きっと違う。もっと大人に、それこそ、戦争に兵士として投入させられてから、そんな願い事をするべきなんです。だって、いくら一国の王子だからと言って、今の年齢でそれを望むのはおかしい。だって、僕はまだ子どもだ」
最初に鏡を見た時に感じた違和感は、これだったのか……。今までの事も、全て僕が大人だったと考えれば理屈が通る。そして……
「そこまで解ったのか。そうか……」
「ムハンさん、もしかしたら貴方は、僕を大人に戻す為の何か、を持っているのではありませんか?」
「うーん。正確には、お前をお前に戻すもの、かな?」
やっぱり、鍵を握るのはムハンさんか……。
「返しては、いただけませんか?」
「……仰せのままに」
お前の力を返しましょう それは守る為にも壊す為にも使える力
どうするかはお前次第 願わくば この力が使われる事のない事を――
今までに聞いた事のないぐらい優しい声で、ムハンさんがそう唱えると、僕の胸の辺りでピカ、と何かが光った。そして
「!?」
*
ガシャンッ。何かが壊れた音がした。
音のした方へ向かうと、彼の首飾りを入れていた箱が、跡片もなく消えていた。そうか、ついに……。
「彼は全てを取り戻したのね」
Tierの皆に協力してもらって、記憶をわざとバラバラにしたり、思い留まるように示唆したり、妨害したり、思いつく限り全ての手は打ってみたんだけど……。
でも、それも終わり。時間稼ぎは、もうおしまい。
「私も、覚悟を決めるべきね」
そう、あの時みたいに。
NAME・PERSON・WISH come back.Total:8