零:goshawk
気が付いたら、僕は知らない街に居た。とてもにぎやかな街だ。
色とりどりの野菜や果物や魚が道中を埋め尽くしている。どうやら市場のようだ。
知らない人達がうじゃうじゃしている。
いつまでも道端に座っているのもなんだから、少し散歩してみる。
そういえば……。何故、僕はこんな街に居るのだろう?
僕は今まで何をしていたんだ? 僕は本当に存在しているのだろうか。
見慣れない街並み。見慣れない人々。皆僕が見えていないかのように、自然と避けて通る。
「よぉ、元気か?」
後ろから声を掛けられたかと思ったら
「あぁ、お前は?」
どうやら僕に向けて発せられた言葉ではないらしい。
「いらっしゃい」「こんにちは」 僕をすり抜けていくいろんな声。
やはり、もう僕は存在していないのか……。
人ごみをそれ脇道へ。大分疲れた。少し休もう。再び、地べたに座る。
見上げればそこには、青い空・白い雲・黄色い鳥。
しばしぼーっとする。頬をなでる風が爽やかで気持ちが良い。
遠くを眺める。緑が綺麗だ。――突然、視界が遮られる。その物に焦点を合わせると、それは何と人だった。それも、年端も行かぬ少女だった。金のゆるいウェーヴのかかった長い髪、栗色の瞳、人形のような娘である。
「あなたも、自分の事忘れたの?」
少女は悲しそうな目でそう、呟いた。
「此処は……そういう人のくる場所なのかい?」
「……えぇ。たまにいるの。あなた……自分の名前、わかる?」
そういえば……。
「……わからない」
そうだ、それもあったから、僕は“存在していない”と思ったんだ。
「そう……よほど強い“願い”だったのね。……来て。話をしてあげる」
名も知らぬ少女だが、何故だか信じられる気がしてついてった。
……その少女が、とても愛らしかったからかもしれないのだけれど。
*
着いた先は小さな、小屋のような家だった。少女はここに、一人で住んでいるらしい。
「座って。少し、吃驚するような話だから」
本当に、吃驚するような話だった。
「私はリン。ここは失しモノ町。記憶を失った人が来る所。“記憶の墓場”とも呼ばれているわ。ここには魔術師がいて、人の“願い”を叶えてくれる。その噂を聞いた人々が、いろんな国からやってくる。“願い”を叶えてもらった人はその代償として、“記憶”を奪われる。記憶を奪われたら自分の国には戻れないから、皆ここに居座る。そうやって出来たのが、この街。ここまではわかる?」
「何となく」
「あなたはlevel8ね。名前まで、失っているから」
「レベル……?」
「叶えてもらった“願い“が強ければ強いほど、その代償も大きくなるの。それは8段階に分けられ、“level”で表す。だから、8はもっとも、酷い段階」
「……そうなんだ」
本当に何となくだけど、ここまでの話は理解していた。否、理解できる内容ではあった。だがしかし、これが自分の身に起こっている事となれば話は別だ。
「僕は一体、どうしたらいいんだ……?」
思わず、本音が出た。
「……記憶を取り戻す方法は一つ。それは7人の魔術師にあなた(じぶん)を認めさせること。そうすれば、記憶を返してもらえるわ」
「7人? 僕が失くした記憶は8つじゃないのか……?」
「あなたが失くしたのはname(名前)、place(生まれた場所)、person(自分)、memory(想い出)、family(家族)、precious(宝物)、love(恋人)、with(願い)のはず。でも、残念だけど、今回叶えてもらった“願い”については自分で見つけるしかないの。でも大丈夫。記憶を返してもらう時に、各々の魔術師がヒントをくれるわ。それに、次の魔術師の居場所も教えてもらえるし」
「そうなんだ……。でも、肝心の最初の人の場所が分からないんじゃ……」
「わかるわよ? そのぐらいなら。私も魔術師のはしくれだから」
「え!? そうなの? じゃあ早く教え「でも」
興奮した僕をなだめるかのように、彼女は初めて、僕の言葉の上に台詞を被せていった。
「でも、とても危険なの。魔術師と言っても彼らは人だから、良い人も悪い人もいるわ。運悪く悪い奴に捕まって、ボロボロになって帰ってきた人達を、私は知ってる。……だから、この街の人々は無理に記憶を取り戻そうとはしないわ。……あなたみたいに、名前まで失う人は、稀、だから」
「そう、なんだ」
少しだけ、迷った。何故なら僕はこうして生きていて、このリン、という少女とも会話は成立する。更に、先程の彼女の言い方では、どうやら僕のように“記憶”を失っている人はこの街には大勢いて、しかも彼らもまた、普通に生活しているというのだ。だったら……。
だが、それは所詮一種の気の迷い。僕の答えは最初から決まっていた。
「それでも、僕は行く。自分が自分じゃないまま生きるのなんて、嫌だ」
リンに会うまで、自分はまるで生きていないんじゃないかとも思ってしまった、あの感覚。あんな思いを感じたまま生活するなんて、多分、僕には出来ない。
僕の想いが真剣そのものである事を、彼女は理解してくれたのだろう。僕の顔と先程の言葉を十分に咀嚼するように間をおいてから、彼女は言った。
「そう……。わかった。じゃあ、一つテストをさせて」
「? 何をすればいいの?」
「私の、兄様に勝って。そうしたら、教えてあげる。兄様、ムハン兄様」
バサバサバサ……。
羽音とともに現れたのは、目の赤い鷹だった。
え? 鷹が兄? どういうこっちゃ。
混乱する僕をよそに、鷹はしゃべり始めた。
「何だ、リン。もしかして……巡人か?」
「うん。……それも、level8」
「eightだと!? こんな小僧が……? 嗚呼、ついに、か……。」
「それで、兄様に案内役を頼みたいの」
「俺に? ……そういう事か。わかった。じゃあ、小僧! 表に出な。」
*
言われたとおり外に出ると、鷹は人になっていた。成程、この人も魔術師ってやつなのか。
ムハン、と呼ばれていた人は、背が高く黒の短髪の、目つきの鋭い青年だった。
「小僧。お前が記憶を取り戻す資格があるか、テストしてやる。ルールは簡単。俺からこの箱を奪ってみろ。範囲は、そうだな……この円の中だ」
そう彼が言うと、地面に円が浮かび上がった。半径1.5mぐらいの円だ。
「時間は無制限だが、この円から少しでも出たら負けだ。わかったか?」
「はい」
確かに、シンプルなルールだ。了承した証として、僕も円の中に入る。
「では、始めましょう。Ready……Go!」
箱は手のひらに収まるほどの小さな物。あれを奪う、というのは難しそうだ。という事は……あの人をこの円から出した方が早そうだな。よし、とりあえず。
「てぃっ」
腹を目がけ上段蹴りを放つ。案の定、ひょいっ、とあっさりかわされる。円の縁ギリギリで踏み止まり、次の攻撃を仕掛ける。足元狙いのローキック、ジャブ、ストレート、アッパーカット……etc。だが、彼は相当戦い慣れているらしく、僕の攻撃は見事に全てかわされてしまう。
「ほら、どーした!? そんなんじゃ俺は倒せねーぞ!」
くっ。次の策を練る為、いったん距離をとる。一応、今までの戦いぶりから彼から手を出さない事はわかっていたので、安心して作戦に集中する。
しかし、うぅむ。どーすれば……。ん? そうか、わかったぞ!
「では……本気で行きましょう。これで最後です!」
「おぅ、来い!」
僕はぴょんっと跳び上がり、彼の頭上目がけて足を振り下ろす。それをムハンは横に飛んでかわす。そこですかさず、僕は彼の軸足をひっかけて倒そうとする。
「甘い!」
ひっかかる寸前に片手をついて足を後ろに跳ばすムハン。今だ! 足が地を離れ、手が地面についている、という事は、今箱を守るものは何もない! 僕はすばやくスライディングしていた体を起こし、箱に飛びついた。
「くそ!」
箱を上に上げてガード。目標を見失った僕は、そのままムハンにどーん。痛―――――。予期せず、僕の始めてにして最後の攻撃は、頭突きとなった。
……うぅ、頭がくらくらするよぉ。って、あれ……?
僕はギリギリ円の中にいたが、僕に頭突きをくらったムハンは……
「勝負あり。兄様の負けです」
ヤタ――――!!!
喜んでぴょんぴょん跳ねる僕のそばで、ムハンは大の字にのびていた。頭の周りに星やらヒヨコやらが見えるのは……気のせいだということにしておこう。
しばらくして、ムハンは起き上がった。
「……うぅ、痛ぇ。……しかも、負けてるし。チクショー。わーったよ。お前の面倒見てやるよ。……ほらっ、餞別だ」
「あ、ありがとうございます」
ムハンが投げたのは、先程の箱だった。
「これからお前は7人の魔術師に会って、“お前”を認めさせなきゃならん。中には、俺みたいに勝負を挑んでくるような奴もいるかもしれん。」
「そんな時の為に、その箱にはあなたの役に立つ物が入っているわ」
「何が欲しいのか、念じてから開けな」
僕の欲しい物、か……。誰かをいたづらに傷つけるような事はしたくないし……。無事に記憶を取り戻すのに、僕に必要な物……。
パコ。ん? 何だこれ?
箱を開けると、そこには丸い紫色の石がはめ込まれた、美しい装飾品が入っていた。
「お前……その首飾り……「は、元々剣なのよ。あなたが望むような形になる、ね。魔よけにもなりますから、かけておいては?」
「へぇー」
確かに、箱から出すと、紐がついていてペンダント、というにふさわしい形をしていた。僕は言われたとおり、それを首にかける。これ……綺麗だなぁ。
「……そういや、お前の瞳も、紫だな」
「え? ……そうなんだ。鏡なんて見てないから、わかんないや」
あはは、と思わず自嘲的に笑う。
「何だ。それならそーと早く言えよ。ほれ」
ムハンさんがふわっと手を動かすと、どこからともなく手鏡が出てきた。中を覗き込むと、そこには藍色の髪をした少年が同じように、僕を覗き返していた。
そうか……これが僕なのか……。
しみじみと感慨にふけりつつ、自分の顔を頭の中にインプットしていると、ゴホン、と咳払いが聞こえて、僕は現実に引き戻された。
「そういや、小僧。お前、名が無いんだったな。リン、お前がつけてやれよ」
「私が? そうね……じゃあ、“アハト”はどうかしら?」
「アハト、か……良い響きだね」
「あぁ。良いんじゃないか? 分かり易いし」
? 何がわかりやすいんだろう? ……まぁ、いいか。兎に角、名前が無いよりずっといいや。
「ありがとう、リン」
「どういたしまして」
「よし。じゃあ、今日からお前はアハトだ。宜しくな」
「はい、ムハンさん」
「じゃ、早速行くか。最初の魔術師の所へ」
こうして、僕の“記憶”を巡る旅が、始まりを告げた。