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私の誕生日に、ほかの女性への贈り物を選ばせないでください

作者: パリトン
掲載日:2026/10/27

 銀の葉の間に、小さな青い石が一粒ついていた。

 店員が黒い布の上へ置いた首飾りを、私は椅子から少し身を乗り出して眺めた。華やかすぎず、普段の外出にも使えそうだ。隣のヴィクトルに感想を尋ねられる前に、口元が緩んでしまう。


「それがいいと思うわ」

「そうか。では、それにしよう」


 即決する彼に、胸が温かくなった。十九歳の誕生日に、婚約者と二人で宝飾店へ来ている。朝、母にどこへ行くのか聞かれたときには、まだ分からないと答えたけれど、薄々期待はしていた。

 店員が首飾りを持ち上げ、私の襟元へ近づける。その手を、ヴィクトルが止めた。


「着けるのは彼女ではありません。贈り物なので、包んでください」


 私は首を傾げたまま、彼を見た。


「誰に差し上げるの?」

「レオニーだよ。先日の夜会の礼を、まだしていなくてね」


 幼馴染の名を聞いて、私は背筋を伸ばした。店員が首飾りを布へ戻す。鎖の先が、小さな音を立てた。

 レオニー様の髪は明るい金色で、青い石もよく似合うだろう。いつも大ぶりな飾りを身につけているから、もう少し華やかなものの方が喜ばれるかもしれない。そう言いかけて、自分の膝へ視線を落とす。

 今日は彼に会うために、新しい手袋を下ろしてきた。


「私、今日が誕生日なの」

「ああ、そうだったね」


 彼は一度頷き、店員へ向き直った。


「彼女の分もお願いします。エステル、好きなものを選ぶといい」


 店員は何も言わず、別の箱を開けた。真珠の耳飾りが並んでいる。綺麗だったけれど、さっきのように手を伸ばしたいとは思えなかった。


「私への贈り物を選びに来たのだと思っていたわ」

「ついでに選べるのだから、よかったじゃないか。何が欲しいか分からなくて、毎年困っているんだ」


 去年、彼から届いたのは薔薇の香水だった。私は香りが強いものが苦手で、瓶を開けられずにいる。その前は、手の甲が余るほど大きな手袋だった。

 喜んでみせたのは私だ。だから伝わらなかったこともある。それでも、何が好きか、尋ねてもらった覚えはなかった。


「欲しいものなら、先月お話ししたわ。銀鈴座の千秋楽を見たいって」

「あの喜劇か。君もよく飽きないね」


 彼は笑い、首飾りの箱を指で押して店員の方へ寄せた。


「レオニーは贈り物にうるさいから、先にそちらを決めよう。カードには何と書けばいい?」


 いつもなら、そこで考えた。彼女が夜会で着ていたドレスを褒めるか、招待のお礼だけにするか。彼の祖母への膝掛けも、上司への筆記具も、そうやって一緒に選んできた。

 選んだあと、彼はよく言った。私に任せれば間違いがないと。その言葉が嬉しくて、誰かへの買い物に誘われるたび、私は出かけていた。


「ご自分でお考えになって」


 ヴィクトルがこちらを見る。


「どうしたんだ、急に」

「今日は帰るわ」

「まだ君の分を選んでいないだろう」

「いらないの」


 店員へ頭を下げて立ち上がると、ヴィクトルも慌てて腰を浮かせた。


「彼女に贈るのが、そんなに気に入らないのか?」


 その言葉に、扉へ向けた足が止まった。彼は困ったように眉を寄せている。少し前まで、この顔をさせると、私の方が謝っていた。


「私の誕生日に、ほかの女性への贈り物を選ばせないでください」


 声が思ったより大きく響いた。店員がそっと目を伏せる。


「だから、君にも買うと言っている」

「分かっているわ」


 分かっていた。私が今ここで真珠を選べば、彼は代金を払い、二人分の箱を持って店を出る。そして私の誕生日を祝ったつもりになるのだろう。

 私は扉のそばで待っていた侍女に、馬車をお願いした。


   *


 婚約を解消したいと父に話したのは、その晩だった。

 父は、宝石が欲しかったのかとは聞かなかった。私の話を最後まで聞き、明日の朝になっても同じ気持ちなら、先方へ連絡すると言ってくれた。

 翌朝、私は同じことを頼んだ。


 解消が決まるまでに三週間かかった。ヴィクトルからは、機嫌を直してほしいという手紙が二度届いた。三通目では、彼の母への誕生日祝いに何を贈ればよいかと尋ねられていた。

 私は候補を書きかけ、便箋を丸めた。お母様は好きな方だったけれど、息子が選んだ品を喜ばれるだろう。それはもう、私が間に入らなくてもよいことだった。


 正式な書面が交わされた日の午後、私は机の引き出しから銀鈴座の案内を出した。千秋楽は、まだ四日先である。

 母を誘うと、行きたいのは山々だけれど、笑う場面を間違えるから遠慮すると言われた。前に一緒に見たとき、悲劇の最中に居眠りしていた伯爵役が起きるたび、母だけが笑っていた。


「ダミアンさんはどうかしら。あの方、この前の食事会でもお芝居の話をしていたでしょう」


 ラクロワ伯爵家の長男、ダミアン様。父の友人の息子で、王宮の書記官をしている。いつも襟元をきっちり留め、話す前に一度考える人だ。

 思い出したのは、食事会で私が銀鈴座の話をしたとき、彼が主演役者の名前まで知っていたことだった。もっと聞きたかったのに、ヴィクトルが別の話を始め、私は黙ったのだ。

 私は新しい便箋を出した。観劇のお誘いを書くのは初めてで、時候の挨拶だけを三度書き直した。


 返事は、その日のうちに来た。

 ぜひ、と書かれたあとに、私が挙げた演目の題名があり、その下に小さく、二度目ですが構いませんか、と添えられていた。


   *


 ダミアン様は、笑うと片方の目尻に深い皺が寄った。

 そんな顔を初めて見たのは、舞台上で、浮気を隠していた男爵が衣装箪笥へ逃げ込んだときだった。妻に見つかりたくない男爵が、中から扉を引っ張っている。それを知らない使用人が、蝶番の不具合だと思って油を差す。

 隣で肩が揺れた。見ると、ダミアン様は拳を口に当て、必死に息を整えている。二度目なのに、と思った途端、私も笑いをこらえられなくなった。


 幕が下りたあと、母の侍女に付き添ってもらい、劇場向かいの喫茶室へ入った。席に着くなり、彼は少し気まずそうに眼鏡を直す。


「うるさくなかったですか」

「あの場面で笑うのをご存じなら、先に教えてくださればよかったのに」

「教えると、油差しが出てくるまで待ってしまうでしょう」

「私はあなたが笑うのを待ってしまうわ」


 彼が口を閉じた。ほんの少し耳が赤くなったので、からかいすぎたかと心配になる。けれど、運ばれた紅茶を一口飲むと、彼は真顔で言った。


「次は離れた席を取ります」

「それは困ります。舞台が二つになるもの」


 今度は彼も笑った。

 最後に男爵が許されたのは納得できないと私が言うと、彼は、妻が鍵を預かったから今後は逃げられないのだと答えた。私には、次は窓から逃げるように思える。彼はしばらく考え、それなら一階の寝室を取り上げるべきだと言った。

 紅茶が冷めるまで、架空の男爵の住まいを二人で改築していた。


「あの使用人役の方が好きなんです。台詞がないときも、ずっと余計なことをしているでしょう」

「椅子の脚を直していましたね」

「そう! 主人が叱られている横で。最後には椅子だけ立派になっているの」


 勢いよく身を乗り出してから、私は背もたれへ戻った。食事会では、よくそのくらいにしておけとヴィクトルに言われた。好きな芝居の話になると、加減を忘れる。


「ごめんなさい。こんな話ばかり」

「椅子だけ立派になる、というのは気づかなかった」


 ダミアン様は残念そうに劇場の方を見た。


「もう一度見たいのに、今日で終わりか」


 私は膝の上で握りかけた指を伸ばした。


「来月は、あの方が主役なの。ただ、水曜のお昼だけなのですって」

「題名は?」


 続きを聞かれると思わず、すぐには答えられなかった。彼は急かさず、私が鞄から公演案内を出すのを待っている。

 私は題名を指で示し、その下に載っている役者の小さな絵まで説明した。


   *


 翌月、その芝居に誘ってくれたのは、ダミアン様だった。

 手紙には公演日が二つ挙げてあり、都合のよい方を教えてほしいと書かれていた。私は嬉しくてすぐ返事を書き、それから水曜日だと気づいて、仕事は大丈夫なのかと一行添えた。

 返事には、休暇を取るので問題ないとあった。


 当日、迎えに来た彼は、いつもより明るい色の上着を着ていた。玄関で父に挨拶をし、私を見ると、何か言おうとして一度口を閉じる。


「お待たせしました?」

「いえ。……その色が、よくお似合いです」


 私は袖へ目を落とした。淡い黄色のドレスだった。彼がそこを見ていたのかと思うと、用意していた挨拶がどこかへ消えてしまう。

 馬車に乗ってから、ようやく仕事のことを尋ねた。


「お休みを使わせてしまって、ごめんなさい」

「使うために残していたので」

「この演目、お好きなの?」

「初めてです。筋も知りません」


 私は彼の持つ封筒を見た。中には今日の切符が二枚入っている。


「では、私が見たいと言ったから?」

「ええ」


 彼は頷き、何かまずかっただろうかという顔になった。


「前に、平日は難しいと仰っていたでしょう。私なら休める日があったので」

「それは、あなたのお休みなのに」


 ダミアン様は少し黙った。それから、切符の封筒を持ち直す。


「一人で見てきてほしいなら、切符を送ります」


 彼の耳が、あの日と同じように赤くなった。


「私は、見終わったあとに君と話したかったんです」


 馬車が角を曲がり、膝の上の鞄が滑った。慌てて押さえる私へ、彼が手を伸ばしかける。大丈夫です、と言う声が少し上ずった。

 私は窓の方を向き、流れていく店先を眺めた。いつも誰かのために覚えていた好みを、今度は私のために覚えてくれた人がいる。

 それだけで、まだ始まってもいない芝居を、もう忘れられない気がした。


 劇場で切符を出すと、受付の女性が目を細めた。


「本日もありがとうございます。昨日とはお連れ様が違うのですね」


 私は隣を見た。ダミアン様は、机の角をじっと見つめている。


「昨日?」

「……母と」

「初めて見ると仰いましたよね?」

「昨日は別の演目です」


 受付の女性が切符を返しながら、微笑んだ。


「お席のご相談でしたら、いつでもお受けいたしますのに」


 彼は礼を言い、私を案内した。二階席へ上がり、椅子に腰掛けてみる。舞台の端までよく見えた。前の人の帽子にも隠れない。


「下見に?」

「初めての劇場だったので」

「お母様まで?」

「一人では目立つと思ったんです」


 私は扇を開いた。口元を隠すのが間に合わず、彼が肩を落とす。


「結局、母にも同じ顔をされました」

「だって、お仕事のお休みだけでも嬉しかったのに」


 彼がこちらを向いた。

 言ってから恥ずかしくなったけれど、聞こえなかったふりはできない。私は開いた扇を膝へ置き、もう一度、ちゃんと彼を見た。


「ありがとうございます。楽しみにしていました。今日、あなたと来るのを」


 ダミアン様は、手にしていた公演案内を裏返した。表紙に戻し、また裏へ返してから、ようやく膝へ置く。


「それは、よかった」


 舞台が暗くなったので、それ以上からかわずに済んだ。


   *


 芝居は、彼と私で、まるで違う感想になった。

 私は主人公が最後まで嘘をつき通したのがおかしかった。彼は、あそこまで嘘を重ねるなら最初から正直に言えば済むと、ひどく真面目に考えている。


「それでは、お芝居が十分で終わるわ」

「嘘が下手すぎるんです。私なら、もう少し」

「昨日も来たことを、あんなに簡単に知られたのに?」


 彼は紅茶の杯を持ったまま止まった。それから私を見て、降参するように笑った。

 その笑い方が好きだと思った。目尻の皺も、困ると眼鏡の端へ触れる指も、次に何を言うか考えている間も。


 次の誘いは、私からした。

 彼が何年も前に見た芝居をもう一度見たいと話していたので、再演の知らせを見つけた日に手紙を書いた。返事には、舞台を思い出して仕事中に笑いそうになったとあった。私はその手紙を、二度読み返した。

 会うたびに、彼について知ることが増えた。甘い菓子は好きなのに、熱い飲み物は苦手。席に着くと、無意識に卓上のものを真っ直ぐに並べる。笑っているときには、それを忘れる。

 私は次に頼む紅茶を、少し早めに注いでおくようになった。彼は私が食べ終わるまで、自分の皿を下げさせない。帰りの馬車を呼ぶ前には、必ず、もう一杯飲むかと尋ねてくれた。


   *


 ヴィクトルが訪ねてきたのは、冬の初めだった。

 父から会うかと聞かれ、私は少し考えて頷いた。断る理由を何度も練習していたころと違い、今は、何を話しに来たのか知りたかった。

 応接室で彼は立ち上がり、私の顔を見て、少しほっとしたようだった。卓上には細長い箱が置かれている。母が隣に座ったままでいることには、何も言わなかった。


「母が、君によろしくと」

「お元気?」

「ああ。誕生日には庭仕事の道具を贈った。君なら、もっと上手く選んだだろうけれど」


 私は頷いた。お母様は薔薇を育てているから、よい贈り物だと思う。

 彼は私が続きを言うのを待ち、やがて自分から箱を開いた。銀の葉に、青い石。あの日、私が綺麗だと思った首飾りだった。


「同じものを作ってもらった。あれが欲しかったんだろう」


 私は首飾りを見た。今見ても好きだった。それが少し悲しい。


「レオニーには似合わなかった。もっと大きな石の方がよかったらしい。君はいつも、相手に合うものを選んでいたから、あの日も間違いないと思っていた」

「私が身につけるつもりで選んだのよ」


 ヴィクトルの指が箱の縁で止まる。


「あのとき、そう言えば」

「言ったわ。私への贈り物を選びに来たのだと思っていた、と」


 彼は視線を下げた。しばらくして、箱を私へ押し出す。


「悪かった。君が怒るとは思わなかったんだ。いつも、喜んで付き合ってくれていたから」

「あなたと出かけられるのが、嬉しかったの」


 初めて、彼の顔がはっきりと歪んだ。

 私は、買い物のあとに二人で食事をしたかった。店先で見つけたものの話をしたかった。彼は用が済むと、助かったと言って私を馬車へ乗せた。その言葉だけでも嬉しかったころの自分を、今は責める気になれない。


「これからは、君の行きたいところへ行こう。あの劇場にも」

「もう行ったわ」

「……一人で?」

「ダミアン様と」


 彼は顔を上げた。名前を聞いて驚いたらしく、口を少し開けたまま私を見る。


「あの堅い男が、喜劇を?」

「ええ。とても楽しそうに笑うの」


 話してから、私は膝へ目を落とした。ここで彼の好きなところを並べたいわけではなかった。けれど、ヴィクトルは私の顔から何か読み取ったらしく、黙ってしまった。


「僕といるときには、そんなふうに話さなかった」


 私は顔を上げた。


「何度か話したわ。あなたは、よく飽きないねと仰ったでしょう」


 時計の音が聞こえた。ヴィクトルが伸ばしかけた手を引き、箱の蓋へ触れる。


「まだ、やり直せないだろうか」

「できません」


 声は震えなかった。彼は首飾りを見つめ、長い間、顔を上げなかった。

 やがて、持っているだけでいいからと言われた。私は首を振った。彼はもう勧めず、箱を閉じる。留め金が噛み合わなかったのか、一度開け直して、今度は両手で丁寧に閉じた。

 玄関まで見送ると、彼は帰り際、私の誕生日の日付を口にした。


「合っているよね」

「ええ」


 覚えたのだと、伝えたかったのだろう。私が頷いたあとも、彼は少し待っていた。来年の話を、私からすることはなかった。


   *


 ダミアン様との次の観劇は、年が明けてからだった。

 終演後、いつもの喫茶室へ入る。彼は外套を預けて座ると、紅茶が来るより先に、私の前へ封筒を置いた。


「次のお誘いです」

「まだ、今日の感想を話していないのに?」

「感想を話し始めると、言いそびれるので」


 中には、公演案内が二枚あった。一枚は彼が好きな劇団、もう一枚は私の好きな役者の出演作だ。


「どちらになさるの?」

「君の返事によります」


 顔を上げると、彼は卓上の匙を真っ直ぐに置いていた。一度揃えたものを、また少し動かす。その手が止まり、彼は私を見る。


「友人として誘うのは、今日までにしたい」


 私は案内を持つ手を下ろした。


「これからは、君との結婚を考えて、お付き合いを申し込みたいんです」


 隣の卓で、誰かが砂糖を落とした。小さな音が妙にはっきり聞こえた。

 ダミアン様は私を待っている。私は何と答えるか迷ったのではなく、嬉しいときに、どうすればちゃんと声が出るのか分からなくなっていた。


「私も、そうしていただきたかったの」


 彼の手が、匙から離れた。


「いつから?」

「あなたが、下見を隠し損ねたころには」


 彼は片手で目元を覆った。私が笑うと、その手の下で、彼も笑った。

 運ばれてきた紅茶を二人分注ぎ、私は彼の杯を先に卓へ置いた。それから公演案内をもう一度開く。


「こちらを見たいわ。でも、あなたはこちらでしょう?」

「ええ。これは譲りがたい」

「では、両方」


 彼が顔を上げる。


「両方でいいんですか」

「二度、出かけられるでしょう」


 そう言うと、彼は案内の日付を確かめ始めた。今度は、私も手帳を出す。片方は午前の用事を済ませてから、もう片方は先に食事をしてから。二人の予定で、空いていた頁が埋まっていく。

 最後に彼が、少し先の日付を指した。私の誕生日だった。


「この日も、空けておいてもらえますか」


 私は頷き、彼の名前を書いた。

 贈り物は何がいいかと聞かれたので、少し考えた。銀の葉の首飾りを思い出したけれど、それより先に浮かんだものがある。


「終演後の予定を、入れないでいてほしいわ」


 ダミアン様が、片方の目尻に皺を寄せた。


「紅茶が冷めるまで?」

「二杯目も頼むかもしれません」


 彼は手帳を開き、誕生日の日付の横へ、夕食、と書き足した。


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