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夏の聲

作者: 大路 将臣
掲載日:2026/07/02

 大学の最寄り駅、ホームの階段に近い場所。

 それは、自宅の最寄り駅では、ひさしのない場所だった。

 初夏だというのに、日中はまぶしすぎるほどの陽光。

 ふわりと風が吹くと、背中の汗のせいかわずかに、ひんやりとした。

 電車の到着を待ちわびながら、トンネルを視界に入れる。

 線路の先、長いトンネルの奥には出口の光が、暗闇の道しるべのように灯っていた。

 電車到着のアナウンスが響く。

 今日もいつもと変わらない日常が始まる。




 授業を終えて、まっすぐ帰宅。

 家の中は、ふわりと出汁の香りがする。

 母が夕飯を作っているようだった。

「ただいま」

 居間に顔を出して、キッチンに向かいカウンター越しから何を作っているのかを見る。

 少し暑いから冷房つけようか?という前に。

「あら、早いじゃない」

 手を止めずに、母は一瞬俺を見た。

「母さんこそ、仕事は?」

「半休よ。言ってなかったかな」

 俺は首をかしげた。俺の返事など期待してなかったのか、母はそのまま言葉を続けた。

「そういえば、今日、駅にまた救急車きてたわよ」

 母が話を唐突に切り替えるのは、いつものことだ。

「帰りには見かけなかったな」

「早くホームドアつくといいわよね。あーそれより、カバン、部屋に片づけてきなさいよ」

 俺は頷いて、居間を出た。

 窓が開いているせいか、電車のドアを閉めるための音が風にのって届いてくる。

 家独特の暑さに拍車がかかった気がした。




 月曜は朝一から講義。

 電車のラッシュ時間は、他人の体温が容赦なく押し寄せる。

 そんな通学を終えて、たどり着いた教室は、今日も涼しい。

 そう思いながら、この講義の定位置になりつつある席に座る。

「うっす」

 少し遅れて、友人が俺の隣に座った。

 俺は軽く手をあげる。

「よぉ」

「あれ、あの席あいてるじゃん」

 友人の視線を追う。

 一番前の窓際から二個目の席のことだと察した。

 俺たちが真ん中あたりを定位置にしてるように、あの席も定位置にしているやつがいる。

 結局、講義が始まってもその席はからのままだった。

 講義終了のチャイムが響く。

「次、違うやつだよなぁ。俺一人だよ。昼またな!」

「またな…」

 いつもの大学での出来ごとだった。




 午後の講義を終えて、家路を急ぐ。

 大学の最寄り駅には、ホームドアがずいぶん前に設置された。

 だが、この駅の線路の先には、トンネルはない。

 冬なら真っ暗なこの時間も、日がまだまだ伸びるこの時期は、じっとりとした日差しが、線路を照り付けていた。


『毎日暑すぎだよ、まじで』

『この先何か月も続くと思うと学校に飛んできてほしいぜ』


 電車を待ちながら、くだらない会話を思い出した。

 数年前、大体一緒だった朝のホーム。

 一瞬、涼やかな風が抜けて、緊張のない沈黙の時間。


『あのトンネルって吸い込まれそうだよな』

『うーん、呼ばれてる?』


 自宅の最寄り駅のホームで、あのトンネルを見ながら交わした会話が、やけに脳裏に残っていた。

 あの日もちょうど、こんな暑い初夏の日だった気がする。

 容赦なく照りつける太陽に、お互い汗をかき、シャツの胸元をバタバタさせていた。


 電車の中で、あの時の会話と風景が心に過る。

 今年もどんどん暑くなるのかもしれない。

 最寄り駅で降りれば、隣の車両から母が降りてきた。

 俺を見かけて少し困ったような顔をする。

 何かあったかと考えても、思い当たらなかった。

「母さん?」

 改札を出るまで母は「ちょっとまって」と画面の消えたスマホを取り出しながら、なにやら考えていた。

「坂の上の同級生いたでしょ」

 普通に名前を言えばいいのに、不思議な言い方に先を促す。

「昨日、お葬式だったんですって」

「……え、どうして?」

 俺は一瞬、時間が止まったような錯覚を覚えた。

「わからないのよね。どうしたのかしら。病気とは聞いていなかったけど……」




 しばらくして、俺は講義が早く終わる日に、坂の上を目指していた。

 じりじりと肌を焦がすような熱が、俺に降り注ぐ。

 吹き抜ける風は、涼しいはずなのに、汗はとめどなく流れていた。

 目的地に着けば、インターホンを鳴らす前に、ドアが開く。

 出かけるのかもしれないと、少し気まずく思った。

 連絡してから来るべきだった。

 目が合ったのは、同級生の母親だった。

 少し疲れた感じが見て取れる。

「きてくれるなんて、ありがとう」

 少し、瞳が潤んだように見えた。

「すみません。連絡もせずに」

 俺は頭を下げる。

「いいの。いいの。よかったら線香あげていって」

 俺はさらに頭を下げた。

「この度はご愁傷さまでございます。線香だけ失礼させていただきます」

 ちゃんと言えていただろうか。

 作法も知らない。




 夜、いや、夜明けか、SNSの通知の音で目が覚める。

 寝るときはいつもオフにしていたのに、うっかり切り忘れていたようだった。

 知らぬ間に二桁の未読。

 高校のグループだった。

 俺は、急いでチャットをさかのぼる。

『先週、駅であったばっかりだぞ』

『何があったんだ』

『嘘だろ』

『たち悪い話だぞ』

『まだ信じられん』

 読み終えて、目をきつく閉じた。




「あのトンネルって吸い込まれそうだよな」




 強い日差しが刺すようにひさしのない駅のホームに降り注ぐ。

 視線の先、線路の彼方は、陽炎のように微かに揺らめいていた。

 今年の夏の暑さもまた、きっと。


 ほら、今日もトンネルの先が呼んでいるこえがする。

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