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Undercover

「おやすみ、ヴィコおじさん。おやすみ、ヴィクターおじさん」。


ソフィア・ファルコーネ(Sofia Falcone)の声は別荘の広々とした廊下で格外かくがいにはっきりと響き、ほんの少しさっしがつかない疲労ひろうが混ざっていた。厚手あつて絨毯じゅうたんの上を踏みながら、足音あしおと完全かんぜんに吸い込まれた。廊下の尽頭つじまりの窓の外では、エルパソのまばらな明かりが死にかけたホタルのようにきらめいていた。


アルベルト(Alberto Falcone)の客室きゃくしつを通り過ぎようとすると、戸棚とだなの下から微弱びじゃくな光が漏れていた。彼女が通り過ごそうとする瞬間しゅんかん、ドアが突然内側うちがわに少し開いた。


「姉」。アルベルトの声が低く漏れた。暗闇くらやみの中で彼の目は異常いじょうに明るく、全然ぜんぜん眠気ねむけがなかった。


ソフィアは一瞬いっしゅん迷った後、体を横にして部屋に滑り込んだ。ドアは背後はいご無音むおんに閉まった。


部屋は散らかっていた。高価こうかなスーツケースが開いており、衣類いるい随意ずいいに積み重ねられていた。だがソフィアの注意ちゅういを引いたのはベッドの上に開かれたノートパソコンだった。画面がめんから発せられる冷たい光がアルベルトの若い顔に映り、そばに散らばった数個すうこ暗号化あんごうかされたUSBとポータブル信号妨害器しんごうぼうがいきも照らし出した。


「まだ調べてるの?」ソフィアの声を極端きょくたんに低くし、非難ひなん心配しんぱいが混ざっていた。


アルベルトは口を開いて笑った。その笑顔には昼間ひるまの遊びあそびごころのある浮薄うきはくさはなく、むしろ鋭い(するどい)集中力しゅうちゅうりょくにじんでいた。「何かしなきゃいけないだろ?父がのぞむように、金を使うだけでトラブルを引き起こす馬鹿ばか後継者こうけいしゃになるわけにはいかない」。


キーボードを叩きながら暗号化あんごうかされたウィンドウを開き、複雑ふくざつ資金流向図しきんりゅうこうず暗号化あんごうかされた通信断片つうしんだんぺん、そして曖昧あいまい監視画面かんしがめん表示ひょうじされた。


「もう enoughいい」。ソフィアは彼の話をさえぎり、手を伸ばして彼の手のてのこうを押さえた。彼女の手は非常ひじょうに冷たかった。「アルベルト、やめなさい。これはあまりに危険きけんだ」。


アルベルトの笑顔はかたまった。「危険?姉、彼は俺たちをこのクソ地方に捨て去り、姉をArkham Asylum(阿卡姆精神病院)に送り込んだのに!それでもまだ……」。


「だからこそ、さらに危険なの!」ソフィアの声は依然いぜんとして低かったが、一語一句いちごいっくが氷のやりのようだった。「彼が俺たちの考えを知らないと思ってるの?ヴィコ(Vico Falcone)おじさんのところに彼のスパイはいないの?ヴィクター・ザザス(Victor Zsasz)は俺たちを守るために来たのか、それとも監視かんしするために来たのか、本当ほんとうにわからないの?」。


深く息を吸い込み、口調くちょうやわらかくして懇願たんがんした。「過去かこのことは過去にしよう。俺たち……俺たちはここにいればいいの。ゴッサムには戻らなくても。ここにいればヴィコおじさんを取り込むことができ、もっと良い方法ほうほうで生き抜けるかもしれない。ヴィコおじさんは俺たちが子供の時に……それなりに良かったよ。今彼は明らかにエステバン(Esteban Vihaio)老爺のがわに寄っている。老爺の勢力せいりょくはもっと大きいから、彼がいれば父は多少たしょう顧慮こりょするだろ。おぼえていない?俺たちがイタリアにいた時、老爺は俺たちを抱いてくれたし、キャンディも持ってきてくれたよ」。


アルベルトは黙って聞いていた。指は机の上でたたかれていた。画面がめんの光が彼の顔を明滅めいめつさせた。長いながいあいだが過ぎた後、ゆっくりと息を吐き出し、手を上げて操作そうさを始めた。熟練じゅくれんした手つきで調査ちょうさした資料しりょうを全て(すべて)まとめて暗号化あんごうかし、専用せんよう物理暗号化ぶつりあんごうかUSBに保存ほぞんした後、抜き取って手の中にしっかりにぎった。


「ただ……待っているだけではいられなかった」。声は少しかすれていた。


ソフィアは彼の手の中のUSBを見て、眼神がんしん複雑ふくざつだった。「かくしておきなさい。だれにも知られないように、とくに……父に君が「頭が良い」と思われないように」。


アルベルトはうなずき、USBを普通ふつうのキーホルダーに伪装ぎそうされた収納盒しゅうのうばこに入れてこしけた。さらに速やかにパソコンの閲覧記録えつらんきろくと一時ファイル(いちじファイル)を削除さくじょし、全て(すべて)のウィンドウを閉じた。ふたたび頭を上げた時、彼の顔にはすでれ親しんだ、少し浮薄うきはく有権者ゆうけんしゃ息子むすこの笑顔が戻っていた。まるでさっきの眼神がんしんが鋭い(するどい)調査者ちょうさしゃ存在そんざいしなかったかのようだ。


安心あんしんして、姉」。ウィンクをした。「俺の演技えんぎ一流いちりゅうだ」。


ソフィアは彼を見て、心の中に可哀想かわいそうさと無力感むりょくかんが混ざった感情かんじょうき上がった。轻轻ささやかおとうとの肩をたたき、ほかには何も言わずに部屋から離れた。



(翌日午前)


「オズワルド、こんなに緊張きんちょうする必要はない。ヴィコおじさんは自分でルイス(Louis de Pointe du Lac)さんに連絡れんらくするから。漁業ぎょぎょう合作がっさくのことは、俺たちが代わって決定けっていするぶんではない——あるいは、代わって「勝手かってに決定する」份ではない」。


翌日よくじつ午前ごぜん、車は郊外こうがいへの道路どうろを走っていた。ソフィアは助手席じょずせきに座り、窓の外を急速きゅうそくうしろに流れる荒涼あらりょうとした景色けしきと、まばらに分布ぶんぷする防御工事ぼうぎょこうじのある建物たてものを見ながら、平然へいぜん口調くちょうで言った。


ペンギン(Penguin)のオズワルド・チェスターフィールド・コボルト(Oswald Chesterfield Cobblepot)はハンドルを握る手をめ、すぐにへつらいで恐れ(おそれ)を込めた笑顔を浮かべた。「はいはいはい、ソフィアさんの言う通りです!多嘴たびを言ってしまい、立場りっちょうただしく認識にんしきしていなかったです!私はただ運転手うんてんしゅで、ソフィアさんに環境かんきょうらしていただくだけで、ほかのことは、勝手かってに口を出す勇気ゆうきはありません!」。


ソフィアはよこを向いて彼を見て、この話題わだいを続けることはなかった。車内しゃない沈黙ちんもくが広がり、エンジンの低いおととタイヤがあら路面ろめんおとだけが聞こえた。道路どうろ両側りょうがわには廃棄はいきされた車両しゃりょう残骸ざんがいあらわれ始め、一部いちぶすな半分はんぶんもれて巨大きょだい金属きんぞく墓石ぼせきのようだった。


長いながいあいだが過ぎた後、ソフィアが突然とつぜん話し始めた。声は非常ひじょうに低く、騒音そうおんもれそうだった。


「オズワルド……君は思う?父は最終的さいしゅうてきに俺とアルベルトをどう処置しょちすると?」。


ペンギンの背筋せすじ瞬間しゅんかんきん張った。この質問しつもんあかえる鉄球てっきゅうのように、彼の足元あしもとに転がってきた。ひたいあせにじみ出始めた。


「これは……ソフィアさん、この話は……カーマイン(Carmine Falcone)さんはソフィアさんとアルベルト坊ちゃんの父です。つながっているから、きっとソフィアさんたちがしあわせであることをねがっているでしょう……」。小心翼翼しょうしょういい言葉ことばを選びながら、忠誠ちゅうせい(あるいは恐怖きょうふ)と慰め(なぐさめ)のあいだもろいバランスを見つけようとした。「たぶん……たぶんそと鍛練たんれんさせて見識けんしきひろげさせ、将来しょうらい家業かぎょうぐためだけだったのかもしれません……」。


家業かぎょうぐ?」ソフィアはって笑った。その笑い声は短くて冷たく、一銭いっせんうれしさもなかった。「ルカ(Luca Falcone)おじさんが今、父の心の中の後継者こうけいしゃだよ。俺とアルベルト?俺たちは彼の失敗しっぱいした作品さくひんで、支配欲しはいよくしたでの不完全ふかんぜん製品せいひんだ」。


体を向け直してペンギンを直視ちょくしした。かつて明るかったが今では多くのものを沈殿ちんでんさせた彼女の目は、まるで彼の心のおくまで見透みすかそうとしていた。「もし彼の俺たちに対する「改造かいぞう」が完全かんぜん失敗しっぱいしたら——どんなに抑圧よくあつし、追放ついほうし、甚至じしん俺をArkhamに入れても、俺とアルベルトが彼ののぞ絶対服従ぜったいふくじゅう傀儡かいらいになれないことを発見はっけんしたら——君は彼がどうすると思う?」。


ペンギンののどかわいた。くちびるめながら、彼女の視線しせんと合わせる勇気ゆうきがなかった。


「俺たちを完全かんぜん封殺ふうさつするだろ」。ソフィアは彼の代わりに答えを言った。声はまるで他人たにん運命うんめいべているように平然へいぜんだ。「全て(すべて)の経済源けいざいげん遮断しゃだんし、家族かぞくの中での俺たちの痕跡こんせきを全てる。あるいは……もっと直接的ちょくせつてきに、俺たちを一緒いっしょにArkhamに送り込み、そこの医師いしくすりに「しずかに」させるだろ。精神せいしん不安定ふあんていむすめと、成長せいちょうしない息子むすこ——どんなに良い言いいいわけだろ。そうすれば、いつか俺たちが彼の邪魔じゃまになることを永遠えいえん心配しんぱいする必要ひつようがなくなる」。


「いいえ……そんなことをしないでしょう!カーマインさんはそんなことをしないでしょう!」ペンギンは思わず叫び出した。あせりから声が少しとがっていた。「とらでもわない!それに、もし……もし本当ほんとうにそんなことがふたたこったら、私……私は絶対ぜったい坐視ざししません!かなら方法ほうほうを探します!」。


この話は本当ほんとうに彼の心からのものだった。高尚こうしょうさからではなく、ソフィアがArkhamに送り込まれる過程かてい全体ぜんたい目撃もくげきし、自身じしんもそのためにここに追放ついほうされた経験けいけんが、彼の心にふかあと恐怖きょうふのこしたからだ。それは兎死狐悲としこひ共感きょうかんだった。カーマインが本当ほんとう実子じっしにこんな厳しいを打ったとしたら、自分のように秘密ひみつを知り、かつて「裏切うらぎった」辺境へんきょう人物じんぶつがどんな結末けつまつむかえるか、想像そうぞうする勇気ゆうきがなかった。


ソフィアは彼の興奮こうふんした様子を見て、眼神がんしん微微びびと動いたが、すぐにふたたとお平然へいぜんさに戻った。これ以上いじょう話すことはなく、ふたたび窓の外を見た。


ペンギンは自分の失態しったいに気づき、照れくさそうに口を閉じて運転うんてん集中しゅうちゅうした。車内しゃない雰囲気ふんいきはそれ以前いぜんよりもさらにおもく、いきまるようなかんじがした。



(「輪廻巻上機」工場)


輪廻巻上機りんねまきあげき工場こうじょうはエルパソ西郊にしきょうへい金網かなあみで囲まれた荒地あれちにあった。巨大きょだいなドラム装置そうち試験区しけんくでゆっくり回転かいてんし、トゲは太陽たいようの光のしたで冷たい金属きんぞくの輝き(かがやき)をはなっていた。空気くうきの中には濃厚のうこうなディーゼルの臭い(におい)、金属きんぞく摩擦まさつしてしょうじる焦げた臭い(におい)、そして言葉ことばで表せない「処理物しょりぶつ特有とくゆうあわ悪臭あくしゅう充満じゅうまんしていた。


ソフィアはペンギンと工場長こうじょうちょう同行どうこうしたで、黙って見学けんがくしていた。汚物おごせつにまみれたトゲを取りはずして掃除そうじする労働者ろうどうしゃ、冷たいひかりはなつ新しい交換部品こうかんぶひんを取り付け(つけ)る作業さぎょうを見ていた。巨大きょだい機械きかいが低いおとはっし、まるできることのないてつ怪物かいぶつのようだった。


工場長こうじょうちょうは力を込めて機械きかい効率こうりつ、アップグレード回転数かいてんすう、そして「国境安全こっきょうあんぜん」にどう奉仕ほうしするかを紹介しょうかいした。ソフィアはただ時折ときおりうなずき、質問しつもんも技術パラメータ(ぎじゅつパラメータ)と生産能力せいさんのうりょく限定げんていされた。彼女の顔には何の表情ひょうじょうもなく、アルベルトが見せるかもしれない好奇心こうきしんからの興奮こうふんも、普通ふつう女性じょせいが見せるかもしれない嫌悪感けんおかん恐怖きょうふもなかった。まるで普通ふつう加工工場かこうこうじょう見学けんがくしているかのようだ。


ペンギンは人の眼色がんしょくを読み取りながら、雰囲気ふんいき活気かっきづける話題わだいを探そうとした。たとえばとおくのかべえがかれた「Fat Sun(胖太阳)」ブランドのグラフィティをして冗談じょうだんを言ったり、工場食堂こうじょうしょくどうのサボテン焼肉やきにくパイのあじが良いことをはなしたりした。だがソフィアの反応はんのうはいずれも平淡へいたんで、ただ「うん」「オー」とこたえるだけで、会話かいわからびたようにすすまず、砂漠さばく烈日れっびしたにさらされたサボテンのくきのように、すぐに水分すいぶんうしなった。


工場こうじょうはなれた時、ペンギンはなか数時間すうじかんいたよりもつかれたとかんじた。


つぎはヴィコの製衣工場せいいこうじょう沙漠線業さばくせんぎょう」だった。ここの雰囲気ふんいきは少し「正常せいじょう」で、少なくとも不安ふあんかんじさせる機械きかいや臭い(におい)はなかった。ミシン(みしん)が嗡嗡もうもうり、労働者ろうどうしゃあたましたげていそがしくはたらいていた。空気くうきの中には布地ぬのじ繊維せんい染料せんりょうの臭い(におい)がただよっていた。


ペンギンはれた道筋みちすじでソフィアを案内あんないしながら、サンプルだなから手作り(てづくり)でウサギをいた緑色みどりいろのサボテンのぬいぐるみを取り出し、宝物たからものし出すようにソフィアにわたした。


「ほら、ソフィアさん。これ、可愛かわいいでしょ?ソフィアさんに。気に入っていただけると思いました」。へつらいの笑顔を浮かべた。


ソフィアはぬいぐるみをけ取った。あら針目はりめ均一きんいつめられていない綿わただが、愛らしい姿すがただった。ゆびでサボテンの「トゲ」をかるれ、口角こうかくにやっと極端きょくたんあわい、本物ほんものの笑みがかんだ。


「ありがとう、オズワルド」。小声こごえで言い、ぬいぐるみをに持ったままかなかった。


製衣工場せいいこうじょう見学けんがくわると、時間じかん正午しょうごちかづいた。ペンギンはソフィアに別荘べっそうに戻って食事しょくじをするかそと解決かいけつするかたずねようとしたが、ソフィアがさきはなし始めた。


つぎは……ラスクルーセスに行こう。君の母に会いに行きたい」。


ペンギンは一瞬いっしゅん愣然りょうぜんとして、少し困惑こんわくした。「ソフィアさん、これは……不太合适(あまり適切ではない)ですよ。ヴィコさんのところからいつでも用事ようじがあるかもしれません……」。


「ヴィコおじさんは今朝けさ今日きょうは俺に付き添ってくれるように言った」。ソフィアの语气くちょう平然へいぜんだが、拒否きょひできない調しらべがあった。「それに、約束やくそくする……君の母のまえでは、Arkhamのことや、君が俺を密告みっこくしたことは何も言わない。ただ……末席まっせきもの長辈ちょうぱい訪問ほうもんする普通ふつうのお邪魔じゃまだと思って」。


彼を見て補足ほそくした。「それとも、君は俺に行かせたくないの?」。


ペンギンはいそいで手を振り、笑顔を浮かべた。「いいえいいえいいえ!どうしてですよ!ソフィアさんがおしいただくのは、私と母の名誉めいよです!ただ……いえ粗末そまつで、ソフィアさんを慢待まんたいしてしまうかもしれないと思って……では……今から行きましょうか?」。



(同時刻、ラスクルーセス市街地)


エリアス・バレラはかおくもらせて「Clear Vision(清晰视野)」という眼鏡店めがねてんから出てきた。午後ごご太陽たいようが少しすようにかがやいていた。無意識むいしき眼鏡めがねなおそうとしたが、ゆびからをかいた——鼻梁びりょうにかけていたのは、今朝けさうっかりすわってゆがんでしまいいそいで調整ちょうせつ必要ひつようふる眼鏡めがねのままだった。


「クソったれの時間じかん!」小声こごえののしった。車門しゃもんけていきおいよく後部座席こうぶざせきすわった。


運転手うんてんしゅはバックミラーから小心しょうしんに彼を見たが、こえを出さなかった。


「帰れ!」バレラは不機嫌ふきげん命令めいれいした。


車はゆっくりと車列しゃれつわせた。ラスクルーセスの街道かいどう往日おうじつよりも混雑こんざつしていた。ワームホールが一部いちぶ解封かいふうされたニュースは明らかにアメリカ北部ほくぶから多くの車両しゃりょうひとを引きせた。交通こうつうは少し混乱こんらんしていた。バレラは窓の外をゆっくりと動く車列しゃれつを見ながら、ゆびでイライラしながらひざたたいていた。


携帯電話けいたいでんわを取り出してハビエル・オルキンの番号ばんごうけた。


電話でんわはほぼ即座そくざこたえられ、ハーヴィ特有とくゆう陽気ようきこえつたわってきた。「ねえ、エリアス!民情みんじょう視察しさつしてるの?それともまた何某なにがし請負業者うけおいぎょうしゃいかられたの?」。


時間じかんいかられたんだ、ハーヴィ!」バレラのこえが少したかくなった。「「Clear Vision」ってクソ店!今日きょう正午しょうごあたらしい眼鏡めがね調整ちょうせつわるって約束やくそくしたのに!ワームホールが解封かいふうされたから注文ちゅうもん殺到さっとうして、技師ぎしいそがしくてまわらないって言うんだ!さらに二日ふつかてって!二日ふつかだ!俺のスケジュールは時間じかん単位たんいまれているんだ、単位たんいじゃない!」。


ハーヴィは電話でんわの向こうむこうがわ哈哈大笑はははわらいした。「リラックスしろ、古株ふるかぶ!たかが眼鏡めがねだよ!いまかけてるこれもわるくないじゃん。君を……ええと、真面目まじめ学者がくしゃみたいに見せてくれるよ!」。


「これは眼鏡めがね問題もんだいじゃない!」バレラは強調きょうちょうした。「約束やくそくだ!スケジュールだ!正午しょうごって言ったんだから正午しょうごわるはずだ!だれもがこんなに時間じかんまもらないと、都市としはどうやってまわるんだ?俺の政策計画せいさくけいかくはどうやって実行じっこうするんだ?」。はなすほどいかりがつのった。「あの商業区しょうぎょうくへの税制優遇ぜいせいゆうぐう延期えんきを取りしたいぐらいだ!時間じかん約束やくそくまもらない代償だいしょうらせてやるんだ!」。


「わお、冷静れいせいに、エリアス」。ハーヴィのこえ依然いぜんとしてリラックスしていた。「一軒いっけん眼鏡店めがねてんのために?そんなことないよ。さて、いつものルールだ。運命うんめいめさせよう——コインをげるよ。おもてなら、可哀想かわいそうな「Clear Vision」をはなしてあげる。うらなら、もうちょっと注意ちゅういうながしてあげるけど、優遇ゆうぐうは取りさないよ。どうだ?」。


バレラは二秒間にびょうかんだまった後、はなからんだ。「……いいよ。げろ」。


電話でんわの向こうむこうがわからコインが親指おやゆびはじかれ、空中くうちゅう回転かいてんし、硬物かたものちるきよらかなおとつたわってきた。みじか沈黙ちんもくの後、ハーヴィの愉快ゆかいこえひびいた。「おもてだ!運命の女神めがみ今日きょう「Clear Vision」のがわにいるよ。はなしてあげよう」。


バレラはふたたんだが、口調くちょうは明らかにやわらいだ。「その店はしあわせだ。それにこの交通こうつう!ワームホールが解封かいふうされたから、どこからかわったひとたんだ!全然ぜんぜんまってる!本来ほんらい十二時半じゅうにじはんにはいえかえってはや食事しょくじをして休憩きゅうけいする予定よていだったのに、いますべ台無だいなしだ!」。


さらに数句すうく交通こうつう時間じかん制御不能せいぎょふのうについて愚痴ぐちをこぼした。ハーヴィはそのがわで優しくなぐさめた。最後さいご二人ふたり改日かいびよるふたたびヴィコのところでカードをする約束やくそくをして電話でんわった。


バレラは携帯電話けいたいでんわ片側かたがわてた。依然いぜんとしていかりがおさまらなかった。「時間じかんまもらない……クソったれ、だれもが……」。独りひとりごとを言った。


車は幹線道路かんせんどうろ混雑こんざつけるため、比較的ひかくてきしずかな小路こみちがった。交差点こうさてんで、バレラは見慣みなれたくろい車がかってゆっくりとるのをた。車窗しゃそうしたろすと、オズワルド・コボルトのいつものへつらい笑顔えがおえた。


「バレラ市長しちょう偶然ぐうぜんですね!」ペンギンは熱心ねっしん挨拶あいさつした。


バレラも車窗しゃそうしたろし、政治家せいじか特有とくゆう熱心ねっしん笑顔えがおしゅんかべた。たださき不機嫌ふきげん気持きもちのせいで、少しちからが入りぎていた。「オズワルド!君だったの?最近さいきんヴィコのところでカードの集まり(あつまり)に君をかけないな。なにいそがしいことがあるの?」。


「ああ、うまでもないですよ、市長しちょうさん」。ペンギンは無力むりょく表情ひょうじょうつくった。「ソフィアさんがたので、ヴィコさんにソフィアさんに付き添って環境かんきょうらしていただくようにたのまれました」。からだよこに少しうごかして、バレラに助手席じょずせきすわっているソフィアをせた。


ソフィアはバレラに礼儀正れいぎただしくうなずいた。「バレラ市長しちょう、こんにちは」。


「オー!ソフィアさん!おいできて光栄こうえいです!」バレラの笑顔えがおはさらに熱心ねっしんになった。「どうですか?我々(われわれ)の「特色とくしょくあふれる」土地とちにはれましたか?もしなに必要ひつようなことがあれば、いつでもってください!私とハーヴィ、それに君のヴィコおじさんは古株ふるかぶ友達ともだちです!」。片刻顿んで、口調くちょう突然とつぜん自嘲じちょう率直そっちょく调侃ちょうかんぜた。「ただね、君たち若者わかもの若者わかもの活動かつどうがあるけど、私はさ、独りひとりみだからね。つまには離婚りこんされちゃった。いつも時計とけいてるから、彼女のことをないって言われちゃって……」。少し不得体ふとくたいで、甚至じしん尴尬かんかつ冗談じょうだんを言った。


はなわる前に、ペンギンははりされたようにいそいではなさえぎった。こえも少したかくなった。「市長しちょうさん、冗談じょうだんを言われても……私はただソフィアさんの運転手うんてんしゅで、案内役あんないやくをしているだけです!我々(われわれ)は……はい、いまから……」。言葉ことばまり、一瞬いっしゅん言いいいわけおもいつかなかった。


ソフィアがはなつづけた。「郊外こうがいに行くのです、バレラ市長しちょう。そこに初期しょき移民いみん建物たてものがあり、特色とくしょくがあるときました」。


「オー、オー、そうですか、そうですか」。バレラも自分の冗談じょうだんが少しぎたことにづき、照れくさそうにわらった。「それではゆっくりまわってください!オズワルド、時間じかんがあったらカードにてください!三缺一さんけついちとき、ヴィコはいつも君のことをっています!」。


かならず、かならず!」ペンギンは連続れんぞくしてうなずいた。


二台にだいの車はすれちがった。バレラの車は加速かそくしてはなれ、すぐに小路こみち尽頭つじまりえた。


ペンギンはながいきき出し、じつはないあせいた。


ソフィアは彼の安堵あんどした様子ようすを見て、少し理解りかいできなかった。「なぜ直接ちょくせつに君の母に会いに行くことを彼に言わないの?かく必要ひつようがあるの?」。


ペンギンは車を発動はつどうし、苦笑くしょういしながらくびった。「ソフィアさん、バレラ市長しちょうのことをらないですよ……彼はときおりはな率直そっちょくすぎて、かんがえがゆがみやすいんです。もし彼にいえに行くことをはなすと、彼は……せき、とにかく、多一事不如少一事たいちごぶにいしょうです。誤解ごかいったことは、説明せつめいするよりも麻烦まごとです」。


ソフィアはかんがえた後、彼の配慮はいりょ理解りかいし、これ以上いじょうはなすことはなかった。窓の外のラスクルーセスの少しみだれたが生活せいかつ息吹いぶきのあるまち風景ふうけいながら、には依然いぜんとして粗末そまつなサボテンのぬいぐるみをっていた。


車内しゃないふたたしずかになった。ペンギンは運転うんてん集中しゅうちゅうしながら、郊外こうがいははいえ方向ほうこうかった。こころなかではこれからどう紹介しょうかいすれば良いか、はは心配しんぱいさせないようにするか、このみじかもろ平穏へいおん維持いじする方法ほうほうかんがえていた。


ソフィアはバックミラーのなかでだんだんとおざかる都市とし輪郭りんかくながら、おとうとのパソコン画面がめん表示ひょうじされた危険きけん資料しりょうちちした可能性かのうせいのあるかたなきハサミ、ヴィコおじさんの粗っぽい(あらっぽい)が機知きちに富んだかお、それにエステバン老爺ろうやすべてを見透みすかすようなおもっていた。


危険きけんち、時間じかんがいつくずれるかもしれないこの世界せかいなかで、簡単かんたん訪問ほうもん粗末そまつなぬいぐるみ、尴尬かんかつ冗談じょうだんは、一時的いちじてきつかめる、取るに足りない(とるにたりない)真実しんじつになっていた。

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