8話、一樹とフェンリルのじゃれ合い
――精神世界。見慣れた緑の草原。空は高く、雲は薄く、風が刃のように澄んでいる。
向かい合う二つの影。
一人は黒髪の男――鏡一樹。
拳を軽く握り、足幅は肩幅よりやや広く、踵に重心を残す。
もう一人は白銀の髪、狼耳と尾を揺らす獣人少女――フェンリル。
つま先立ち気味に重心を遊ばせ、尾で空気を撫で、挑発的に笑う。
脚から、腕から、しなやかな銀の毛並みが人の輪郭を残しながら、波紋のように広がっている。
衣服は一切、纏っていない。
お腹周りは人の皮膚がみえそれ以外は長く柔らかな白銀の体毛が、まるで意志を持つかのようにふわりと覆い隠していた。胸元にも同様の毛が自然と流れ込み、少女の輪郭を曖昧にしている。
それが、異世界で“銀狼”と呼ばれた獣人少女の、本来の姿だった。
「全く、これで満足したら寝ろよ。」
実際のとこ、フェンリルの性格上大人しく出来ないのは知っている。
これはどちらかと言うとガス抜きの戦闘だ。
本気で殺し合うつもりは無いが、組み手程度に流すつもりではあるが。
「にひひ、最近雑魚ばかりで退屈だったんだよね。すぐやられないでよミツキ。」
「……分からせてやる」
その言葉と同時に、一樹は鼻から鋭く息を吐いた。胸の奥で銀色の光がほどけ、血の温度が変わる。
背筋に熱が走り、黒髪が雪に変わる。耳朶の上で柔らかな毛が盛り上がり、狼耳がぴょこんと立つ。背中の付け根から白い尾がふわりと咲き、視界が半歩近くなる。
人間の少年――鏡一樹は、獣人少女“ミツキ”へと変わった。
「おぉ~♡ やっとその姿。やっぱミツキはこうじゃなきゃ」
「こっちでやる以上、容赦しねぇぞ」
草がぱん、と弾け、二人の距離が一瞬でゼロになる。
最初の右は囮。肩と肘の間をわずかに遅らせ、視線だけを引っかける。
フェンリルは腰を半寸浮かせ、頬の横で拳を空振らせた。
「3日ぶりにしては悪くないじゃん。」
予備動作の終端を狙ってローを差し込む。
脛が打ち合い、骨の鈍い音が響く。
「足が重いぞ、お嬢ちゃん」
「レディに向かってその言い方、減点♡」
フェンリルがステップ・イン・サイド。爪先で地面を触るだけ、上体は流さず裏拳が頬を掠める。
返しのパリングからショートボディを差し込むも、肘で受けられ手首が痺れる。
潜り、絡め、尾で視界を遮られ、踵で脛を弾かれる。額が触れる距離で息が混じる。
「ミツキのこと、誰が鍛えてあげたと思ってるのかな?」
「うるせぇ、戦ってきたのは俺だ。お前にも、いつまでも負けると思うなよ」
額が離れる瞬間、互いの右ストレートが交錯。肩で外し、同時にショートのカウンター。頬と顎に同じ熱が咲く。
「――〈身体強化〉♡」
空気が一枚薄くなる。フェンリルの線が速く細くなる。
「〈身体強化〉」
一樹も追うが、視線誘導と足音分離で肘を外され、関節を奪われる。膝が肋に入り、肺の空気が抜ける。
「もう見えないでしょ?」
「舐めるな……!」
尾の根元が硬くなる拍を読んでローで刈る。体勢を崩したフェンリルへギロチンを狙うも、尾の摩擦で抜けられ、受け身の蹴りで距離を戻される。
「追い付いてきたね」
「こっちが本番だ――!」
空気が冷え、霜が草に宿る。
「――〈アイスニードル〉っ!」
ミツキが放ったのは、氷の矢を束ねて一直線に撃ち出す正統派の氷魔法。
矢の先端が鋭く光る。
「ほら来た! でもあたしのは――ドカン♡」
フェンリルが同じ詠唱を口にした瞬間、生成されたのは“氷の丸太”みたいなクソデカ氷柱。
それを丸ごとぶん投げてくる。
「アイスニードルはそんな魔法じゃねぇー!雑なんだよ!」
「細かいことは気にしない♪ 当たれば勝ち~!」
ミツキは足元に氷を生み出し、一気に踏み台にして上へ跳び、丸太のような氷柱をかわす。
着地と同時に再び氷矢を連射。
フェンリルは両手で氷壁を生成して防ぎ、そのまま壁を蹴って飛び込み、至近距離で氷の破片をばら撒く。
「うわっ、目潰しかよ!相変わらず脳筋だな。」
「戦いは楽しんだもん勝ち♡」
再び距離を取る。ミツキは掌をすぼめ、吐息を細くして芯だけを突き出す〈ダイヤモンドダスト〉。
冷気の波動がフェンリルに向かって放たれる
フェンリルも同じ魔法を放つ。
「押し潰してやる~!」
「正面からなら負けねぇ!」
境界が軋む中、ミツキは一点集中で白の柱を押し込み、渦を割る。逆流の圧でフェンリルの耳が伏せ、後退。
「まだ底があったの!?」
「あるに決まってる。」
最後はミツキの魔力操作で境界に穴を穿ち、フェンリルの術を千切る。
霜が草原一面に広がり、陽光できらめいた。
フェンリルは肩で息をしながら笑う。
「……今日は負けたかも。魔法はね」
「“今日は”で済むならな」
「身体強化はわたし、格闘は引き分け。ドローってことで♡」
「勝手に判定するな、悔しいだけだろが。」
耳を立て直し、にひひと笑う。
「次は負けないから」
「次も、分からせてやる」
風が草を撫で、霜がほどけて水の匂いが立った。
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