閑話《蛇の微笑》
この話は一章で書くべきなんですが一応乗せておきます。
時間がたったら一章に移動させます。
リュカオンも載せますのでしばらくお待ちください。
――カーティス・ロウという男
この世界に生まれたときから、運命は平等ではなかった。
貧民街の外れ、小さなレンガ小屋で、彼――カーティス・ロウは両親と三人で暮らしていた。
貧しくとも、そこには確かに「家族の温もり」があった。
母の作るスープは薄くても、笑いながら食べれば心が満たされた。父はよく「笑ってりゃ飯の味がする」と言っていた。
だからカーティスは、どんな時でも笑う子だった。それが父への、幼いなりの“約束”だった。
だが、貧しさはいつか人を喰う。
ある日、金を借りに出た父が帰らなかった。
数日後、母が焦燥のまま夜更けに出かけ、二度と戻らなかった。
家に残されたのは、小さなパンくずと、冷えたランプの火。
そして――玄関に残る、黒い靴跡。
闇金。
それが、少年から世界の色を奪った最初の言葉だった。
それでも、生きなければならない。
カーティスは街で水を運び、靴を磨き、時に物を盗み、どうにか生き延びた。
だが、その瞳には光がなかった。
魔法の才能のなさを嘲られた。
この世界では、魔法の才がなければ人権などない。
火も灯せず、水も呼べず、土も形にできない。
“無能”と罵られるたびに、少年は笑ってごまかした。
――笑えば、誰も泣かないから。
いつしか、笑顔は仮面になった。
心が泣いていても、口角を上げて「大丈夫」と言う。
それが癖になったのは、何歳の頃だったか。
ある夜、腹を空かせて路地裏を歩いていた少年は、一人の男と出会った。
黒い外套に身を包んだその男は、暗闇そのもののように静かで、目だけが研ぎ澄まされた刃のように光っていた。
標的を一瞬で仕留めるその動きに、少年は息を呑んだ。
足元には、倒れた男。
血の匂いがした。
生まれて初めて見た“死”。
恐怖で声も出せなかった。
けれど、その男の背中には、不思議と“生きる匂い”があった。
その男は無言で少年を見下ろし、短く告げる。
「……この事は喋るな、死にたくなければ。」
無言で頷くことしかできなかった。
それだけ言い残して、男は闇に消えた。
その夜から、少年はその男を探すようになった。
殺し屋のあの技が頭から離れなかった。
理由は分からなかった。ただ、あの目の奥に“生きる理由”がある気がした。
雨の日も、泥の日も、男の姿を追った。
やがて、ようやくその男の噂を掴み、裏通りの古い酒場にたどり着いたとき、少年は息を切らしながら叫んだ。
「弟子にしてくれ!」
だが返ってきたのは冷たい視線だけだった。
男は椅子を蹴って立ち上がり、吐き捨てる。
「ガキが来る場所じゃねぇ。命が要らねぇなら、勝手に死ね。」
追い払われても、少年は諦めなかった。
夜の倉庫街に忍び込み、盗賊に捕まり、殴られ、蹴られ、血だらけのままゴミ捨て場に放り込まれた。
痛みが体中を走る。
空は黒く、雨が降っていた。
腐臭と泥の中で、彼は初めて声を上げて泣いた。
――泣いて、泣いて、それでもまだ死ねなかった。
「生きたい」と初めて思ったのは、その夜だった。
だから立ち上がった。泥だらけの足で、再び歩いた。
次に出会ったのは、また血の匂いのする夜。
目の前で、再び男が人を斬っていた。
少年は足を止めずに言った。
「お願いだ、教えてくれ。俺も――生きるために、強くなりたいんだ!」
その声に、男はようやく振り向いた。
そして低く笑った。
「……ここまで諦めの悪いガキは初めてだ。ついてこれるなら勝手に来い。」
――その瞬間から、少年は“弟子”になった。
十年。
血と汗と裏切りの年月。
彼は師のもとで、生きる術と殺す術を学んだ。
あらゆる武器の扱いから、人を騙す方法、逃げる技まで。
感情を殺し、笑顔だけを残した。
笑顔の下では、常に腹の底が冷えていた。
「お前の笑いは、武器だ。」
師はそう言った。
「本音を隠し、敵を安心させる。どんな刃よりも鋭い。」
それからカーティスは、“笑う殺し屋”と呼ばれた。
だが彼自身は、その呼び名を皮肉だと感じていた。
笑うことは、もう癖ではなく、生き方になっていたのだ。
やがて、復讐の機会は訪れる。
両親を奪った闇金組織の大本――その本拠を突き止め、師の許可を得て動いた。
潜入、暗殺、破壊。
数えきれぬ血を流し、ようやく、最後の首魁と対峙する。
相手は醜く笑いながら言った。
「ふ、この世は金だ。力が無ければ生きられねぇ。
お前が誰か知らねぇが、俺を殺したところで無駄だ。」
その瞬間、カーティスの刃は迷いなく振り抜かれた。
血飛沫が舞い、長き仇敵が沈む。
すべてが終わった――はずだった。
背後で乾いた音が鳴る。
銃声。
胸の奥に衝撃が走り、熱が失われていく。
振り返ると、そこに立っていたのは師だった。
銃口からまだ煙が上がっていた。
「……どうして……師匠……」
答えは短かった。
「お前には全てを教えた。これは最後の試練だ。」
次の瞬間、カーティスは本能で動いた。
拳銃を抜き、引き金を引く。
二つの銃声が重なり、二人の体が同時に倒れた。
冷たい夜風が吹き抜ける。
血の味が口に広がる。
目の前で、師が笑っていた。
「……いい顔だな。殺し屋に親しい人間は足かせになる。
お前は俺の生涯を十年で越えた。……生きろ。お前は……自慢の……弟子だ。」
その言葉は、雨音に消えながらも、確かに胸の奥に焼き付いた。
カーティスは震える手で師の胸元を掴み、返事をしようとしたが、声にならなかった。
風が吹く。雨が降る。
ただ、笑った。
狂ったように笑いながら、涙が頬を伝っていく。
――あぁ、これが“終わり”か。
本当にくそだ、この世界は。
そう思った時、視界が白く染まった。
地が割れ、音が消え、世界が遠ざかっていく。
次に目を開けた時、見慣れない空があった。
青く、どこまでも高い。
空気が違う。匂いが違う。
知らない世界――地球。
カーティス・ロウは、その地で再び目を開いた。
胸の穴は残っていた。
だが、痛みはもうなかった。
彼は立ち上がり、空を見上げる。
誰にともなく呟いた。
「……あんたの言う通りだ、師匠。俺はまだ、生きてる。」
そして、口元にいつもの笑みを浮かべる。
それは皮肉でも、偽りでもなく、ただ生きるための笑み。
「……さて、次はどんな商売を始めようか。」
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