80話 後日談
――数日後、秋ヶ原。
テレビのニュースキャスターが、申し訳なさそうに深々と頭を下げていた。
> 『先日報道いたしました「桜島大噴火発生」の速報ですが、
調査の結果――誤報だったことが判明いたしました。
鹿児島市民の皆さまには避難へのご協力をいただき、深く感謝申し上げます。
現在、専門家によると“火山活動の異常は確認されず”とのことで――』
画面には、真っ白に凍りついた桜島の衛星写真。
キャスターは困惑したように、わずかに眉を寄せて続ける。
> 『……また、今回の冷却現象により“この季節に雪が降った”という報告が相次いでおります。
火山学者の間では“前例のない現象”として注目されており――』
「……まぁ、そりゃそうだろうな。」
一樹はソファに寝転がり、だらりと片腕を投げ出した。
桜島の凍結映像が切り替わり、今度は市街地の被害報告が流れる。
> 『さらに鹿児島市内では道路の一部崩落、建物損壊などの被害が確認されています。
現場では“トラックと車の多重事故”が原因との見方も――』
「……はぁ、情報隠蔽もいつも通りだな。」
皮肉混じりの呟きが、薄暗い部屋に響く。
そのとき、隣からふわりと湯気の立つ香りが漂ってきた。
「おかわり、いかがですの? ミツキさん。」
「……なんでお前が俺の部屋でお茶淹れてんだよ。」
テーブルの向こう――吸血鬼ネリー・カーミラが、
まるで旅館の仲居のように上品に正座していた。
和服でも着ていそうな雰囲気で、完全にくつろいでいる。
「ええ、戦いのあとくらい落ち着かせてくださいまし。
それに、紅茶より煎茶の方が好きなんですの。」
「……吸血鬼が“和の心”ってどういうことだよ。」
『まぁまぁ、いいじゃん。平和なんだし。』
脳内からフェンリルの気の抜けた声が響く。
(お前もリラックスしすぎだろ。)
ネリーは優雅に湯呑みを傾けながら、ふと一樹を見つめた。
「そういえば、ミツキさん。こうして“男の姿”のあなたを見るのは初めてですわね。」
「だよな。……で、なんでそんな平然としてんの。ちょっとは驚けよ。」
ネリーは小さく首を傾げて、微笑む。
「ミツキさんはミツキさんですわ。容姿なんて、今となっては関係ありませんの。」
「……そういう問題か?」
「むしろ、男の方の方が子供も作れますし。」
「はっ!?!?」
(ブフォッ!)
脳内でフェンリルが盛大に吹き出した。
『おまっ……直球すぎんだろ吸血鬼ぃ!!』
ネリーは頬をほんのり染めて、慌てて手を振る。
「え、ち、違いますわよ!? その……“理屈として”ですの!」
「理屈で言うな!!」
そのやりとりに、一樹は思わず吹き出した。
本当に、この吸血鬼はペースを崩すのが上手すぎる。
「……まぁ、平和ならそれでいいけどな。」
「ええ、平和が一番ですわ。」
テレビの音を消すと、部屋の中には午後の陽だまりだけが満ちた。
窓の外では、どこからか舞い落ちた葉が、ひとひらだけ風に乗って消えていく。
『なーんか退屈になってきたなー。次はどこ行く?』
「頼むから、せめて1ヶ月は何も起きないでくれ……。」
そう願いながら、一樹は湯呑みを手に取った。
ほんのり温かい香りが、部屋いっぱいに広がる。
――鹿児島の夜が終わり、静かな日常が戻ってきた。
だが、彼らの物語はまだ、終わっていなかった。
――同時刻。
秋ヶ原支部・作戦会議室。
大型スクリーンには、崩落した市街地と凍りついた桜島の映像。
重苦しい沈黙の中、SIDの隊員たちが並び、画面越しに東京本部の理事会と繋がっていた。
「……これが、現場の最新映像か。」
画面の向こうで誰かが低く呟く。
スクリーン下では、冷却された桜島の衛星データが赤く点滅していた。
「報告を始めます。鹿児島市内、被害規模は想定内。
道路陥没三カ所、ビルの一部損壊が五棟。
死者ゼロ――ただし、軽傷者数十名。避難時および崩落による負傷が主な要因です。」
「……死者ゼロ、か。奇跡だな。」
「いいえ、“奇跡”ではありません。
――あの銀狼がいなければ、この市は確実に消えていました。」
報告者の言葉に、会議室が静まり返る。
机の端末には、火口付近の“絶対零度近似値”の数値が点滅していた。
「……それで、例の“黒い球体”の解析は?」
「はい。観測データ上では、数秒間のみ“重力歪曲”が発生。
中心部の空間が完全に消失していました。
恐らく“空間吸収系魔法”。――再現不可能です。」
「“再現不可能”、か。まったく、どこまでイレギュラーなんだ。」
別の理事がため息をつく。
「リュカオンの件は?」
「行方不明。魔力反応なし。完全に“消された”と判断します。」
「厄介な幹部が一人減ったが……正体も闇の中だな。」
「それと――」報告者が声を落とす。
「SID鹿児島所属のSランク隊員、島津連真の証言によれば、
“銀狼ともう一人の女性”が噴火を止めたとのことです。
そのもう一人――“ネリー・カーミラ”だと推測されます。」
「ネリー・カーミラ……?」
「それについては、私から報告します。」
鷲巣が静かに手を上げる。
「秋ヶ原でネリー・カーミラの少女を保護しました。
戦闘協力の代わりに“銀狼と会わせろ”という条件でです。
人間狩りの際にも、彼女は優秀な戦果を上げています。」
「それで――彼女は今どこに?」
「それは……。」
「まさか、みすみす逃がしたとでも? そんな重要人物を、なぜ報告しなかった。」
「これだから現場上がりは。」
「なにを考えているんだ!」
怒声が飛び交う中、
鷲巣が何かを言いかけたそのとき――
「――まぁ、落ち着きたまえ。」
冷たい声が会議室を静めた。
安倍理事だった。
「報告の遅れは問題だが、君の采配で被害が最小限に抑えられたのも事実。
そこでだ――鷲巣君、銀狼との交渉を任せよう。」
鷲巣の背に冷たい汗が流れる。
(……やられたな。成功すれば功績、失敗すれば切り捨て。完全に駒扱いだ。)
「……了解しました。」
「報告は以上だ。公表は禁止。“地質異常による誤報”として処理しろ。
桜島の映像も報道機関に修正を依頼済みだ。」
通信が切れる。
室内には、蛍光灯の低い唸り音だけが残った。
鷲巣は深く息を吐き、椅子にもたれた。
「やられた……。――銀狼に、どうにかコンタクトを取らねば。」
静かな独白が、秋ヶ原支部の夜に沈んでいく。
だがSIDにとって、それは――
次なる「異常」の幕開けにすぎなかった。
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