75話 決着
リュカオンの咆哮が世界を揺らした。
黒い瘴気が噴き出し、筋肉が裂けるように膨張していく。
二足で立っていた姿勢が崩れ、四肢が地を掴む。
骨が軋み、黒毛が逆立つ。
次の瞬間――黒き獣が地に降り立った。
完全な“獣化”だった。
四足歩行の狼。その巨体は十メートルを優に超え、金の双眸は凶星のように輝いていた。
フェンリルは、ただそれを見上げて――笑った。
「おぉ……やっと本気出したじゃん。そうこなくっちゃ♡」
リュカオンが咆哮とともに突進する。
その速度は風を裂き、巨体とは思えぬほど速い。
フェンリルはそのまま地を滑るようにかわし、拳を叩き込む。
――ドガァンッ!!
黒い毛が千切れ、氷が散った。
しかし、リュカオンの反撃も同時。
尾が鞭のように唸り、フェンリルの脇腹を打つ。
「ぐっ……いいねぇ、それそれぇっ!!」
フェンリルが笑いながら吹き飛ぶ。
体勢を立て直し、凍りついた瓦礫の上に軽やかに着地する。
「ははっ♡ やっぱ、こういう単純な殴り合いが一番楽しいや。」
息を弾ませながらも、尻尾が嬉しそうに揺れていた。
再びリュカオンが襲いかかる。
四本の脚が地を叩き、砂と灰を巻き上げる。
その一撃一撃が地形を変えるほどの威力だったが――フェンリルは全部見切っていた。
掌が閃き、氷の爪が交差する。
鋭い閃光が空を裂き、リュカオンの肩口に白い線を刻む。
「グルルル……!」
フェンリルは、息を吐いた。
頬に汗を伝わせながらも、口元には笑みがある。
「ふぅー……久しぶりに暴れたなぁ。
うん、もういいや。どうせこのままやっても――私の勝ちだしね♪」
リュカオンが低く唸る。
フェンリルはにひひっと笑い、軽く拳を振って見せた。
「楽しかったよ、クソ狼君。ま、ここからは――ミツキに譲ってあげる。」
『はぁ!? 譲るってなんだよ! 戦いの途中だろ!?』
ミツキの声が頭の奥で響く。
「あー、でも魔力はちょっと使いすぎたかも。がんばれ♡」
『おいっ!?お前飽きただけだろ! 体も魔力も同じだって言ってんだろうが!!
馬鹿みたいに無駄遣いしやがって……!』
「えへへっ♪バレた? 細かいこと気にすんなって~。じゃ、後よろしく♡」
紅い瞳が静かに閉じられ、白銀に変わる。
フェンリルの姿勢がふっと落ち着き、呼吸が変わった。
リュカオンは一瞬、目を細めた。
「……殺す!!」
ミツキがゆっくりと構えを取る。
氷の文様が腕を走り、吐息が白く染まる。
「……遊びは終わりだ。ここからは“仕事”の時間だな。」
冷気が世界を包み、地が鳴る。
銀狼と黒狼――理性と狂気。
二つの獣が、再びぶつかり合った。
黒き狼が咆哮した。
地が波打ち、風が唸り、空気が震える。
獣化したリュカオンは四足で地を踏みしめ、金の双眸をギラつかせていた。
ミツキは一歩前に出て、息を整える。
フェンリルの戦闘本能がまだ体の奥に残っている。
荒れ狂う魔力の名残を押さえ込み、冷静さを取り戻す。
「……暴れた後の後始末ってやつか。」
『えへへ~、楽しかったけどちょっとだけ疲れた~。
がんばってね、ミツキ♪ 私は見物席から応援してるから♡』
「お前、ほんと自由すぎる……!」
リュカオンが地を蹴った。
巨体が風を裂き、灰を巻き上げる。
――速い。けれど、動きは単調だ。
ミツキは呼吸を合わせ、踏み込みの瞬間に合わせて腰を落とす。
拳が地を掠め、氷の破片が弾けた。
そのままリュカオンの懐に潜り込み、掌底を叩き込む。
――ドゴォンッ!!
黒い毛並みが波打ち、巨体が揺れる。
しかし止まらない。
尾が薙ぎ払われ、砂煙が吹き上がる。
ミツキは跳躍して回避し、足裏で氷を踏み出して滑るように距離を取った。
『おー、冷静冷静~! フェンリルちゃんよりはずっと理性的で安心するねぇ♪』
「お前の後始末してる俺の身にもなれ!」
リュカオンが吼える。
地面が爆ぜ、黒い魔力が奔流のように広がる。
「っ……くそ、これが獣化の出力か!
だが、まだだ!!」
両腕で受け止めた瞬間、骨が軋んだ。
だが、ミツキは倒れない。
魔力を拳に集め、反撃。
「ハァァァ――ッ!!」
拳から弾け、リュカオンの胸元を直撃。
一瞬、動きが止まり――だが黒狼は笑った。
「……効かねぇな。この状態の俺にどこまで持つか見ものだ!」
再び爪が閃く。
砂煙の中、ミツキは滑るように後退し、氷の杭を連続生成。
だが、リュカオンの巨体はその全てを粉砕して突き進む。
『おお!頑張るねぇクソ狼も。でもそろそろ終わらせてあげたら。』
「仕方ねぇ、俺達もやるか!!」
地が鳴る。
リュカオンの前脚が振り下ろされる。
ミツキが防御を構えたその瞬間――。
『……待ってました!! 魔神の力を見せてやれ!』
フェンリルの声が、今度は静かに響いた。
体の奥で何かが共鳴し、氷の紋が全身に走る。
「っ……これは……!」
白銀の光が噴き出し、周囲の空気が凍りつく。
『私達の本気を!!』
「俺達の本気を!!」
ミツキが目を開いた。
その瞳は、銀でも紅でもなく――神の光を帯びていた。
冷気が空間を包み、白銀の炎が舞い上がる。
フェンリルの力がミツキの体と完全に重なり――
『「《魔神化フェンリル》」』
氷と光が爆ぜた。
黒き獣の咆哮をかき消すように、銀色の閃光が世界を貫いた。
「少し、変わったぐらいでどうだと言うんだ!!」
リュカオンの巨体が跳ね、牙が閃いた。
黒い風圧が空を裂き、地面を粉砕する。
拳よりも速く、獣そのものの衝撃が走る。
だが――。
ミツキはその一撃を片手で受け止めた。
軽く、まるで落ちてきた枝でも払うように。
氷の粒が舞い、拳が凍りつく音が響く。
リュカオンの眼が見開かれる。拳を押し込むが、びくともしない。
逆に押し返され、巨体がわずかに浮く。
「……な、なんだと……?」
空気が震える。氷の粒が舞い、世界の温度が下がっていく。
ミツキの白銀の髪が風に踊り、静かに言葉を紡いだ。
「『……終わりだ。』」
その瞬間、リュカオンの腕が凍った。
表面を走る氷の紋が、血管のように青白く脈打つ。
「な……何で、こんなにも差が出る……!? 俺は最強だったんだぞ……!
お前はいったい何者なんだ!!」
その叫びは、怒りではなく、恐怖に近かった。
「俺が死んだら誰が獣人の迫害から解放する!!」
ミツキはその瞳を真っ直ぐに見据え――静かに、凍てつくような声で答える。
「『お前の事は知らないし、やろうとしてることには賛成だが。
……けどな。お前のやり方が、俺には気にくわない。
だから――俺はお前を倒す。お前にやられた人たちのためにも。
……だから、ここで終わりだ。』」
冷気が世界を包む。
リュカオンの脚が、胴が、首が――一瞬で凍りついていく。
凍結は爆発的な速度で広がり、抵抗の隙すら与えない。
「やめ……ろ……ッ――」
その声が途切れるより速く、氷が完成した。
黒い巨体は完全に静止し、白い彫像となる。
そして――音もなく、砕け散った。
氷片が空へと舞い上がり、淡い光の粒となって消えていく。
その光はまるで、リュカオンの魂を送るかのように揺れて消えた。
世界には、ただ一匹の銀狼だけが立っていた。
ミツキは拳を下ろし、ゆっくりと息を吐く。
「『……出会いが違えば、良い仲間だったかもしれないな。
――残念だ、リュカオン。』」
冷たい風が吹き抜け、静寂が訪れる。
氷の欠片が月明かりを反射し、浜辺で儚く光っていた。
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