67話 撤退
明日用事があるので1日投稿出来ません
申し訳ないです。
21日から投稿開始する予定です。
黒い日傘が月光を反射し、ゆるやかに開く音が響いた。
その中から現れた少女は、まるで夜そのものをまとったかのような冷たい気配を放っていた。
白い肌、紅い瞳。どこか異質なその存在に、ザクロの本能がざらりと逆立つ。
「……何だお前、ただの人間じゃぁねーな。きな臭ぇ匂いがしやがる。」
ザクロが鼻を鳴らす。
血と鉄と魔素の混ざり合う夜気の中、確かに別種の匂いがある――それは“生”よりも“死”に近い冷たさ。
ネリーは淡い微笑を浮かべる。日傘を閉じた仕草は優雅だが、その瞳は冷たい刃のようだ。
「わたくしがミツキさんに任されたのですから、被害を出さずにやり遂げなくては話になりませんわ。」
ザクロが歯を剥く。低く、喉の奥から笑いが漏れる。
「あ? そんなの知らねぇな。リュカオンは“見つけたら潰せ”って言っただけだ。俺は命令に忠実なだけだぜ。」
その言葉を遮るように、ネリーが一歩前へ出る。影が音もなく波打ち、路面に黒い網が広がった。
「もし貴方がこの人間達を殺していて、私がミツキさんに失望されたら――どう責任を取ってくださるおつもりで?」
ザクロの顔がピクリと引きつる。憤怒と侮蔑が混ざった唸り。
「馬鹿かお前、そんなの弱いからだろ。俺に関係あるかよ。」
竜太郎が、その場にいてもなお刀を握り締めたまま呟く。
「……お前は、確か、秋ヶ原支部の――どうしてここにいる?」
『どうしたの、竜太郎。いったい何が。』
「秋ヶ原支部の一人、ネリー・カーミラだったか。それが今目の前にいる。」
『そんな! こっちにはかなり離れた位置にマッピングが!』
ネリーは竜太郎の方へゆっくりと視線を向ける。月光に、白い肌が淡く浮かぶ。
「わたくしは、ミツキさんのお願いで動いているだけですわ。
……貴方達の支部とも、利害が一致しただけのこと。
ですがそれはもう必要なくなりましたけど。」
言い切ると、ネリーはざっくりと軽く吐き捨てるように笑った。
「あ、そうですわ。そこに転がってるのと、あそこの壁に転んでるのは、さっさとこの回復薬でも飲ませなさいな。
ミツキさんのために持ってきたんですが、死なれても困りますし。」
竜太郎の側により、困惑している様子を無視しながら押し付けた。
「さっさと撤退してもらえません? 邪魔ですので。」
「な! おま……!」
言い返そうとする竜太郎を冷たく睨み、萎縮させる。
「なら? 勝てるのですか? 貴方で。
そんな手も足も出ない状況で、体もボロボロで応援を呼んでるんですわよね?
さっさと撤退したらいかがです?」
「く!!」
『竜太郎、今は撤退して! ネリー・カーミラはAランクに指定してあるけど、魔力量はSにかなり近い。
今は徹平と凛の手当てを優先して。』
「くそ! お前の言う通りだ。死ぬなよ。」
「誰に物を言ってるんですかね。」
「いつまで呑気に話してやがんだ! ボケどもが!!」
ザクロの大木のような腕が、ネリーを殴り飛ばそうと振り抜かれていた。
黒い日傘の骨が、空気を切って鳴った。
ザクロの大木めいた腕がうなりを上げ、横薙ぎの一撃がネリーを薙ぎ払う――
ドガァァン!
路面がめくれ、アスファルトが波のように盛り上がる。
ネリーの姿は、直撃の瞬間にふっと“薄く”なり、影の裂け目へ溶け落ちた。
次の瞬間、十歩先に音もなく浮かび上がる。
「初手から雑ですわね。力任せ、獣らしい。」
「ハッ、避けるしか能がねぇのかよ、嬢ちゃん!」
ザクロが二歩で詰める。足裏が地を叩くたび、交差点が沈む。
突き出された拳は防御の構えを破壊するための直線。速い。重い。――そして迷いがない。
ネリーは日傘の石突きで拳の内側を“押し流す”。
が、圧が桁違いだ。石突きが悲鳴を上げ、柄がしなる。
キィン――!
「っ……!」
腕に痺れ。すぐさま距離を切る前に、ザクロの二撃目が潜り込んだ。
直角の肘、そこから落ちる槌のような拳。
ドスッ!
ネリーの身体が斜めに滑り、肩口から電撃のような痛みが奔る。
すぐに影が皮膚の裏で蠢き、裂け目を縫い合わせる。血の匂いが夜に淡く溶けた。
「どうした、口だけか? “被害は出さずにやり遂げる”んじゃねぇのか、あァ?」
「……言いましたわね。だから今は“受け”で十分ですの。」
ネリーは視線で合図するように竜太郎へ顎をしゃくる。
竜太郎は歯を食いしばり、有馬を肩へ担ぎ上げる。凛の腕を抱え、引きずるようにして下がった。
『竜太郎、急いで! 北東の路地へ抜ければ、救護班と合流できる!』
結衣の声が無線に走る。
「後は任せる。」
「頼まれなくとも。――さぁ、こちらを見なさいな。」
ネリーが日傘を半開きにくるりと回す。
路面の影が、その回転に合わせて渦を巻いた。ザクロの脛へ黒い帯が絡みつき、足首を半寸だけ拘束――
ブチィッ!
「そんな飾りで止まるかよッ!」
毛皮と筋肉が膨れ、影の帯はちぎれ飛んだ。ザクロが唸る。
「逃げるなんてふざけたことしてんじゃねぇ。全員まとめて粉にしてやらぁ!」
ドンッ!
巨体が跳ぶ。撤退する竜太郎たちの背へ一直線。
「そこは、――通しませんわ。」
ネリーが一拍だけ瞳を細め、“落とす”。
交差点を中心に、夜が一段階濃くなる。月光の角度が歪み、世界がわずかに沈む。
ザクロの踏み切りの軌道が、ほんの指先ほど“低く”ズレた。
「……チッ!」
着地の直前、その鼻先にネリーの日傘の柄が突き立つ。突きではない。“支点”だ。
わずかな力点の移動でザクロの体勢を崩し、着地の衝撃を路面に逃す。
ズシャァァッ!
砕けるアスファルト。粉塵の幕。ネリーは幕の向こうへ音も無く移動し、時間を稼ぐ。
竜太郎たちの背は闇へ溶けつつあった。
「……ふぅ。最低限は果たしましたわね。」
ザクロの肩が震える。怒りで筋肉がさらに膨れ上がった。
「テメェ……細工しやがって……! 今の歪み、テメェの仕業か!」
「さぁ、何のことでしょう? ただ少し“影を寄せただけ”。」
「だったら、寄せられねぇくらいぶっ壊すだけだ!」
吼えた。両拳が胸の前で重なり、次の瞬間、地面を叩き割るような突進。
獣の直線に迷いなし。ネリーは日傘を閉じ、柄を構える。受け流しの角度――一撃目は流せる。
二撃目が来る。肩で押し潰す“圧し”。これは流せない。
「――っ!」
避ける。だが押し風だけで身体があおられ、背中が街灯に当たる。
金属が悲鳴を上げ、視界が白く爆ぜる。
ザクロの影が覆う。落ちる拳。
ドゴォン――!
地面へ叩きつけられたネリーが、肺から空気を吐き出す。
割れた路面の隙間から、黒が湧いた。影が肋骨の形をなぞる。
折れた骨が組み直され、肉が再び熱を持つ。
「……まだ“受け”に徹するか? つまらねぇ。」
「………。」
ネリーがゆっくりと立つ。口角に、うっすらと紅が滲んだ笑み。
「――さて。邪魔者は安全圏へ行きましたし。ここからは、“わたくしの番”。」
空気の温度がひとつ下がる。
日傘を影の中にしまい。
「ずいぶんと好き勝手に暴れてくれましたね。
ここからはわたくしも久しぶりに本気でやりましょうか。
全盛期の力は出せませんが、貴方には格の違いを見せてあげましょう。」
「本気だと? 笑わせるな。
なら俺様の本気も味わってもらおうか!! 《狂化》!」
ザクロの大きさが倍に膨らみ、雄叫びを上げながら魔力を爆発的に溢れ出す。
荒々しい魔力がうねりを上げて、周りの全てを威圧する。
「あら、そんな雑な魔力操作で私を脅そうと?」
「はっ、余裕を見せてるのも今のうちだ。お前が何分耐えられるか試してやるよ。」
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