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5話、動き出す影


――朝。


目覚ましを叩き止めた指先が、まだ冷たい。

布団の中で丸くなったまま、枕元のスマホを手探りでつかむ。

画面が白く弾け、通知の赤丸がずらり。

嫌な予感が胸の奥で丸くふくらむ。


トレンド欄の上位を占拠する文字列――「#正義の銀狼」「#路地裏の白い悪魔」「#跳躍フレーム解析」。タップする親指がわずかに震えた。

再生。夜。街灯の下。白い耳と尾――ミツキ――が、狭い路地の不良を鮮やかにいなしていく。フレームをコマ送りした検証勢の画像、着地時の膝のバネ、梁の沈み込みまで議論されている。


(……おいフェンリル。これ、お前またやったな)


『ふーん? “お前”ってなに? 証拠あんの?』


(この尻尾と耳と、あと勝ち誇った足取り)


『あーあ、やっぱバレてた? でもほら、カメラ目線のとこ可愛くない? 私、映り分かってるぅ』


(はぁ、おまえは相変わらずだな。)


布団を蹴飛ばし、冷たい床に足を下ろす。胃のあたりが重く、背中の筋肉がきゅっと固くなる。

平穏。今日もそれを目標に行く。そう決めて登校したはずだったのに。




ガラリ、と教室のドアを引いた瞬間、横合いからスマホが突き出された。


「イツキン、これ見た?」

茶色がかった髪をラフに流した悠真が、いつもの人懐っこい笑みで画面を向けてくる。

路地裏の動画だ。再生ボタンに迷いがない。


「……で?」


「固まった? ほら、ここ見ろって。拳の出る前の肩の沈み、バチバチに読んでんじゃん。格ゲー勢でもこんな反応ないぞ」


「そんな格ゲーやってねぇよ、触るくらいだわ。」


「じゃあリアル“先行入力”ってことで。でさ――」


悠真はぐっと距離を詰めて、声を落とす。


「こういうの、好きだろ? 血が騒ぐタイプ」


「人を野犬みたいに言うな」


「はは。まぁ俺は猫派なんだけど。……で?」


「で、とは」


「現場、近所なんだよなぁ。秋ヶ原の裏通り。知ってる?」


「さぁな、家からは少し遠いしな。」


「ま、いいや。なんかイツキンあんま興味がなさそうだし。」


調子のいい笑い方、何でこれをいちいち見せつけに来るんだよ。

いや、まぁ友達と面白い話題を振ってくるのは分からんでもないけど。


『ふふーん♡ あの子、嗅覚いいね。ねぇミツキ、正体バレたらどーする?』


(正体バレる訳無いだろ、おれ自身が映っては無いんだから。)


ふと、教室の隅がざわっと息を吸う音を立てた。輪の中心――黒髪が光を吸う。天城いろは。入学式で代表を務めた子だ。落ち着いた横顔に、何人もの新入生が身を乗り出している。


「本当に助けられたの?」

「銀狼って、どんな声?」

「耳、ふわふわだった?」


いろはは、丁寧に端をそろえるみたいに、一問一答を淡々と並べる。


「はい、助けてもらいました。……声は、落ち着いていました。それと、耳は……近くでは見ていません」


微かな間。目の端が、ほんのわずかに笑っている。嬉しさを隠すように、机上のプリントを整える手元が少しだけ早い。


「……人気者だな」


俺が呟くと、すかさず悠真が顎で示す。いろはのスマホケースに、デフォルメ銀狼のキーホルダーが揺れていた。耳がぷにっと大きめ、目がきらきら、尾がふわふわ、やたら完成度が高い。


「……それ、どこで」

「フリマ。助けてもらった記念に。すぐに売り切れるので、通知を入れておくと良いですよ」


悠真はひょいと輪に割り込んで、「天城さん、やっぱあれヒーローだよな?」と軽口を投げる。

「ヒーローかはわかりません。ただ――動きが速かったです。次の動作を読むみたいに、当たり前に」


「おー、プロ解説。じゃ、俺も助けてもらったらインタビューお願いしていい?」


「変な質問をしないなら」


「変な質問って?」


「……“耳ふわふわでしたか”とか」


クラスがどっと笑い、いろははわずかに視線を伏せる。頬がほんの少し、桜色。



――SID本部(特異事案対策部)


冷房の音が一定のリズムで空気を刻む。

その一室に椅子に座る男とその目の前に立って報告している女がいた。


「課長、分析班から結果をご報告いたします。」


髪をすっきりまとめた七瀬が、タブレットを差し出した。

鷲津は眼鏡の位置を人差し指で正すと、無言で再生を指示する。


映るのは、昨夜の路地裏。画質の粗いスマホ動画でも、対象の動きは嫌になるほど鮮明だった。

出鼻を挫くフットワーク。

肩の線で情報を取り、腕の力が乗る前に軌道を外す。

倒した後の、力を抜く“落とし方”が一貫して安全域に収まっている。


「……銀狼か」


「はい。異世界の反応が一致。

魔力の“質”は既知データのどれとも完全一致しませんが、近い系統は獣種だと思われます。」


「ふむ……で危険度は。」


「一時的にランクCの予定、状況次第でランクBに変更いたします。

人間相手で軽傷で完封しており今のところ危険な様子もありません。ですが……」


七瀬の指が画面を滑り、別の映像を呼び出す。灰色のスーツ。中折れ帽。丸いサングラス。首筋、蛇の刺青がちらりと覗く。


「カラミタス幹部、カーティス・ロウ。中国系マフィアの物流ルートを流用し、都市圏で薬物や武器の実験販売など。映像は三日前、秋ヶ原北エリアです。」


鷲津が眉をひとつだけ動かす。その瞬間、映像の中の男が監視カメラに気付いたように、帽子のつばに指を添え、わざとらしいほど丁寧に会釈した。口元は、意味のないやわらかい笑み。


「……接触の可能性は」


「高い、と思われます。

奴らは異世界人です、接触しない方が不思議かと。」


短い沈黙。鷲津はタブレットを七瀬へ返し、厳しくも静かな声で結んだ。


「出来れば“こちら”に引き込め。無理なら捕獲。最悪は――許可する」


「了解。Yに通達します」


通信回線の向こう、若い男の声が短く応えた。

『U、受領。監視継続、機会あらば接触試行』



――夜。部屋の灯りを落とす。カーテンの隙間から、街のネオンが細い線で忍び込む。


「フェンリル。今日は、絶対に出るな」


『またそれ? ねぇミツキ、あんたの“絶対”って何回目?』


「外は騒がしい。動画も出回ってる。

これ以上目立つなさすがに不味い。」


『“目立つな”って魔法の言葉? 姿も性別も違うし、あたしの時間はあたしのものだよ』


「そもそも俺の身体だ」


『あー、もういいや。ミツキ、寝なよ。寝顔は可愛いから許してあげる』


「誰が可愛いだ」


『私のミツキが可愛いの。はい、おやすみ』


ぷつん、と糸を切るみたいに気配が遠のく。意地でも追いかけまいと目を閉じた瞬間、意識は深い底へ落ちた。


――銀の光が、胸の内側からやわらかく弾ける。黒髪が雪の色にほどけ、白い耳がぴょこんと立ち、尾がふわり。ミツキの姿が、窓辺に立つ。夜風が頬を撫で、遠くのクラクションが猫の鳴き声みたいに聞こえた。


「はぁ……、今日も賑やかな街。

にひひ、今日は何処に行こうかな。」


足先で窓枠を蹴る。屋根へ、看板へ、ひさしへ。バランス感覚は獣のそれ。踵から指先にかけて風の線が流れる。街の灯りが川みたいに連なり、その上を飛ぶたび、しっぽが光を撫でていく。


遠くの笑い声に引かれて港の倉庫近くの屋根に立ち騒がしい声に目を向けてみると。

三角コーンを蹴り飛ばして喜んでいる男たちがいた。

缶が転がり、甘いアルコールとタバコの匂い。壁の落書きが、彼らの笑い声で歪んで見える。

面白そうだと思い、屋根から飛び下りゆっくりと近づいた。


「おー、噂の銀狼じゃねぇか」

「写真撮らせろよ、耳ぴこぴこ」

「女のクセに粋がってんじゃねぇよ」


フェンリルは、わざとらしく上目遣いで首をかしげる。


「夜更かし組のお兄さんたち? ……ねぇ、それ、楽しいの? だっさ♡」


「テメッ!」


一歩、踏み出し。膝をわずかに抜き、重心を浮かせる。

飛び出した拳は肩の線で読める。

紙一重で外へ滑らせ、前腕で軌道を撫でる。

相手の足の母趾球を“コツン”と触るだけで、体幹が遅れて崩れる。


「うあっ」

「な、何だ今の――」


鉄パイプが振り下ろされる。視界の端で反射光が走る。

半歩だけ内へ潜り、手首の屈筋を指先で摘まみ握力が溶ける。


落ちたパイプはつま先で遠くへ“コロリ”。

同時に肘で顎を、軽く上へ――歯が鳴る音が小さく響いた。


背後から抱きついてくる腕。

腰を切って背面に滑り、相手の肘と肩の角度をちょいと変える。

体重を預けてきた力を、そのまま壁へ返し、背中とコンクリが低く鈍い音でキスをする。


「見えねぇ……速すぎだろ……!」


「見る場所、間違ってる。拳じゃなくて腰、音じゃなくて予備動作。授業料は安くしとくよ?」


にひひっと笑い、最後の一人を足払いで転がせた。

膝と地面の触れる音が、雨粒みたいに乾いていた。


息は乱れない。耳は夜風に、尾は街灯に。フェンリルは路地の端に立つ古い消火栓に腰を預けて、深く息を吸った。


「……ん。これこれ。生きてるって感じ」


スマホのレンズのキラリが、遠くの窓の影で瞬いた気がした。フェンリルは敢えて気づかないふりで、路地から屋根へ、また夜へ。



――同じ夜。港の外れ。倉庫街と幹線のあいだを縫う、薄暗い通り。ネオンは届かず、海風が油の匂いと混ざる。


灰色のスーツに中折れ帽、丸いサングラス。

カーティス・ロウは、手袋越しに小さな箱を弄んでいた。箱は人差し指と親指の間でくるりと回り、明かりの下で銀の箔がちらり。


「おやおや。いい顔してますねぇ。夜風と喧嘩と少しの退屈――そういう顔です」


路地の陰でたむろしていた不良たちが顔を上げる。

笑い、訝しみ、しかし興味を隠せない視線。


「なんだよ。」

「いや、失礼。今日は特別な物を持ってきましてね。」


カーティスは箱を指先で弾ませ、器用にキャッチする。


「“私達の作ったタバコ”。普通なら一箱二千円ですが……今なら特別、五百円で構いませんよ。」


「は? 安すぎだろ。」


「お試し価格ってやつです。吸えば身体が軽くなり、反応も鋭くなる。ちょっとした勝負で、一歩も引かなくなる。……夜が、少しだけ綺麗に見える。」


「危ねぇもん、入ってねぇよな。」


「おっと、安心してください。体に害はありませんよ、使いすぎなければ。ニコチンも麻薬も入っていません。ただ――ほんの少し、ちょっと変わったものが入っているだけです。」


「変わった、ねぇ…」


「企業秘密というやつで。ええ、私は商売が好きでして。」


箱の封を切る音が、紙を裂くみたいに静かに響く。

一本取り出す手つきは慎重で、しかし好奇心が勝っている。火がつく。

紫がかった煙が、海風の隙間に細い蛇のような線を残す。


「……お? なんか、来る」


「視界が冴える、だろう? 耳も。――世界が、半歩、手前に来る」


「う、うお、すげ……!」


笑い声が、不自然に明るく跳ねる。しばしの興奮。箱はすぐに数を減らし、指先から指先へ渡っていく。小銭の音。ジャラ、と乾いた硬貨が夜に落ちる。


取引は、あっけないほど滑らかに終わった。カーティスはポケットに両手を突っ込み、ゆったりと歩き出す。街灯の色が変わるたび、首筋の蛇の刺青が、別の生き物のように揺れた。


角を曲がる直前、ふと立ち止まる。どこかにあるはずのレンズの向こうへ、帽子のつばに指を添えて、小さく、わざとらしい会釈。


「――このタバコで、気づいてくれると嬉しいですね。彼女が。」


夜風の向こうに溶けるような、低い独り言。


「彼女もまた……私達と同じ。異世界の人間のようですから。」


靴音は軽い。笑みは変わらない。男は、港の灯の外へと消えていった。

感想がありましたらぜひよろしくお願いします。


誤字脱字や設定がおかしいなど些細なことでも書いていただけたら嬉しいです

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