53話 計画
――鹿児島市外れ。
夜の闇に沈んだ廃工場は、既に稼働を止めて久しい。
錆びた鉄骨の軋む音と、隙間風が抜ける笛のような音が響くだけの寂れた空間。
その中心に、漆黒の毛をまとった狼獣人――リュカオンが立っていた。
白銀の月が窓の隙間から差し込み、獣じみた瞳を妖しく照らす。
「……星の狭間を開く刻が近い」
低く響いた声に、鉄屑の山がわずかに震えるような錯覚を覚える。
ただ立っているだけで、場を支配する覇気があった。
重い足音が背後から近づく。
鉄板を踏み抜きそうな勢いで現れたのは、熊の獣人――ザクロだ。
丸太のような両腕、岩のような肩幅。毛並みの下にぎっしりと詰まった筋肉が、歩くたびに軋むように見えた。
「リュカオン様よぉ、俺はもう我慢できねぇぜ。街に出りゃ人間どもがウヨウヨしやがって……一発ぶん殴りゃ骨が砕けるやわらかさ。狩りの時間をくれよ!」
鼻息も荒く、拳を握りしめる。
その横から、軽やかに影が滑り出る。
しなやかな体躯、しゅっとした四肢、そして黄金の瞳。
チーターの獣人――リリーが、つまらなそうに爪を磨きながら口を挟んだ。
「フン、ほんと脳筋ねアンタは。力任せで暴れるばっかりじゃ美しくないし、SIDに真っ先に見つかるわよ。あたしがいなきゃ尻拭いばっかりになるでしょ?」
「なんだとテメェ……!」
「事実でしょ?」
瞬間、ザクロの太い腕とリリーの鋭い爪がぶつかり合い、火花のように殺気が散った。
倉庫の空気が一瞬で張り詰める。
「――黙れ」
一喝。
リュカオンが一歩踏み込んだだけで、二人の間に走っていた火花はかき消えた。
ザクロは思わず歯を食いしばり、リリーも小さく舌打ちして腕を下ろす。
「忘れるな。お前たちが狩るのは、ただの餌だ。目的はあの火山をダンジョン化し、星の狭間を開き、ラプラスの棺に至るための鍵を得ること。……そのための混乱にすぎん」
「リュカオン様ラプラスの棺の場所に行くには鍵を集めないといけないんだろ?
全部で何個あるんです?」
「知らん、だが鍵を集めてラプラスの棺を手にしたものは、己の望む力が手に入る。
ならば集めない通りは無いだろ。」
低い声が工場の奥まで響き、壁の錆がびりびりと震えたように見えた。
リュカオンは月光に光る牙を覗かせ、冷笑を浮かべる。
「人間どもは己が支配者だと思い込んでいる。だが、この地の頂点に立つべきは獣人だ。俺たちこそ至上。奴らは膝を折り、地を這って服従するのが相応しい」
その言葉に、ザクロの目がぎらりと輝いた。
「へへっ! そうこなくっちゃな。だったら俺は遠慮なく人間狩りをやらせてもらうぜ」
リリーは肩をすくめて小さく笑う。
「ま、いいわ。アンタが暴れて注目を集めれば、あたしは好きに動ける。速さで翻弄するのは得意だし」
リュカオンは二人を順に見据え、命じた。
「ザクロ、リリー――そしてお前たちもだ」
その声に応じ、暗がりから五つの影が現れた。
猪、山羊、猿、犬、そして鳥の姿を宿した獣人たち。
それぞれの瞳が月光を反射し、牙や爪が闇の中で白く光る。
彼らは一歩前に出て低く唸り、群れとしての存在感を示した。
「街で好きに狩れ。SIDを引きずり出せ。明日はお前らの欲望を満たしてやる」
ザクロは拳を鳴らし、獰猛な笑みを浮かべた。
「おうよ、街を血の匂いで満たしてやる!」
リリーは細めた瞳でにやりと笑う。
「了解。……SIDも人間も、走って追いつけるかどうか試してあげる」
五人の獣人たちも牙を剥き、獣の咆哮が夜の廃工場にこだました。
鉄骨の壁を震わせるその音は、嵐の前触れのように響く。
リュカオンは再び空を仰ぐ。
桜島の稜線が、月明かりに黒く浮かび上がっていた。
「――時は来る。この地の秩序を覆し、膝まずかせる時が」
そして、牙を覗かせて高らかに宣言する。
「我らは、望むものは何でも手に入れる。どの世界であろうと、我らの欲するままにな」
その声音には揺るぎない覇気と、獣人至上の狂信が混じっていた。
「決行は明日だ。今夜は喧騒を起こすな。待て。」
リュカオンの声は低く、鉄のように冷たかった。
ザクロとリリー、そして五人の獣人たちの胸の内に燃える欲望は、刹那で押しとどめられる。
「俺は少し、挨拶をしてくる」
リュカオンは短く告げると、廃工場の闇へと歩き出した。
歩幅はゆったりとしているが、そこに無駄はない。彼の背中が夜に溶けていくたび、二人と五人の視線がそれを追う。
廃工場の戸口まで来ると、リュカオンは月明かりに顎を向けた。
遠く、桜島の黒い稜線が夜空に浮かぶ。彼の唇がゆっくりと動く。
「明日は、秩序を変える日になる。膝を折るやつらを、存分に見せてやろう」
声音には確固たる確信があった。
彼はゆっくりと闇へと消えていき、その背中はまるで夜を裂く刃のようだった。
残された廃工場には、ザクロの荒い息と、リリーの乾いた笑い声、そして獣人たちの低い唸り声だけが残った。
夜は、確実に「嵐の前」へと近づいていた。
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