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52話 茜と連真

女座敷の笑い声と盃の音を背に、私はそっと席を立ち、庭へと出た。

縁側に腰を下ろすと、夜気が頬を撫で、桜島の稜線を背にした白銀の月が庭石に光を落とす。

潮の匂いに混じって、胸の奥には消えぬざわつきだけが残っていた。


「――初めましてだな。御影流の後継者、御影茜殿」


低い声に振り返る。

灯籠の影から姿を現したのは、堂々たる体躯の男。

杯を下げてはいたが、酔いの色はなく、瞳は月光を映して鋭い。


「島津連真だ。……先代はかなりの強者と耳にしている。

そして後継者の茜殿もまた、強いと聞いている」


その声音に、私は思わず姿勢を正した。

視線を逸らさず、静かに返す。


「――島津連真。“必滅の剛剣”の異名は、私もよく耳にしています。」


月下、互いの眼差しが交わる。

剣士同士が相手を推し量るような沈黙ののち、連真は盃を傾けて笑った。


「うむ……だが顔が優れん様子だな。悩み事か?」


胸の奥を射抜かれたようで、思わず唇を結ぶ。

だがすぐに、強がりを込めて返した。


「……大したことではありません」


「そうか。まぁ、どちらでもよい。

そういう時は理屈より――刀を振るに限る」


連真は庭の片隅に置かれていた木刀を取り上げ、軽く放った。


「受け取れ」


反射的に両手で受け止めた瞬間、掌に重みが食い込む。

一般的な稽古用木刀だが、磨かれた木目は刃のような気配を放っていた。


視線を上げると、連真は既に構えていた。

手にしているのは木刀――だが常のものとは比べ物にならぬ長大さ。

彼の得物を模した特注の野太刀めいた巨木刀である。


「俺の武器に似せた木刀よ。慣れてなきゃただの丸太だがな」


白砂に落ちる影は、月光に裂けたように鋭かった。


私は正眼に木刀を掲げ、息を整える。

そしてほんのわずかに口元を緩めた。


「……私も、少し剣を振りたかった気分です」


夜風が庭木を揺らし、盃の音も笑い声も遠ざかる。

庭にはただ、二人の剣士と交わされるべき一太刀の気配だけが残されていた。


月光の下、私と島津連真は向かい合っていた。

握る木刀を正眼に掲げ、息を整える。

彼はその対面で、己の得物を模した長大な木刀を静かに構えていた。

野太刀めいた巨木刀。常の木刀とは比べ物にならない。


互いの影が白砂の上で交錯する。

夜風が庭木を揺らし、静寂の中に呼吸だけが響く。


「……俺の流派は知っているだろう、茜殿」

連真の声が低く響く。


「―― 一撃必殺だ。俺様の剣に二撃目は無い。一撃で仕留められなければ、俺の負けだ」


その宣言と同時に、彼の気配がさらに膨れ上がる。

ただ構えているだけなのに、刃を突きつけられているかのような錯覚。


(……一撃必殺。必滅の剛剣)


私は木刀の切っ先をわずかに揺らし、間合いを計った。

じり、と足を滑らせる。白砂が月光を反射し、擦れる音が耳に刺さる。

だが、連真は微動だにしない。

岩のように動かず、しかし大河のような重圧を放ち続けている。


(届かない……いや、届くはずだ。だが、踏み込めば先にあの刃が来る)


視線を逸らさずに探るが、隙はない。

ほんの一歩の距離が、途方もなく遠く感じられる。


――脳裏に甦る。

私には敵わなかった強敵を、いとも容易く屠った銀狼の姿。

刃を届かせることすらできなかった相手を、まるで紙を裂くように打ち倒した、その光景。

あの瞬間、私は自分との圧倒的な力量差を思い知らされた。


(また、同じだ……?)


胸がざわめき、握る手に余計な力がこもる。

木刀が震える。

いや、震えているのは私の手だ。


(私は御影流の後継者。……なのに、また足が動かない)


じりじりと間合いを詰めながらも、踏み込む一歩が出せない。

ただ目の前の巨木刀の気配に圧され、攻めあぐねていた。


その時、連真の声が落ちた。


「……迷っているな、茜殿」


私は息を呑む。

鋭い眼差しが、心の奥底を射抜いてくる。


「それは相手の動きに迷っている様子ではない。

……今の茜殿はいったい誰を見ているのだ」


図星を突かれ、胸の奥がざらりと逆撫でされる。

銀狼の影に縛られ、目の前の相手を正しく見られていなかった自分に気づく。


さらに連真は言葉を重ねた。


「迷うなとは言わぬ。攻撃を受ければ死ぬ、それと同義だからな。

だが、それは迷いではなく躊躇だ」


巨木刀が僅かに揺れ、月光を反射する。


「相手を前にして躊躇するなど、三流のすること。

……今の茜殿は、剣を交えるに値せん」


胸の奥を貫く一言。

私は奥歯を噛みしめ、呼吸が荒くなる。


(……値せん、だと……? 三流、だと……?)

私は御影流の後継者だ。

三流と断じられて、このまま退いてなるものか――。


その屈辱と誇りが、熱となって全身を突き動かした。


「……っ!」


気づけば足が地を蹴っていた。

庭砂を散らし、木刀を正眼から振り下ろしに変える。

迷いを叩き潰すように、ただ一太刀――全身全霊の踏み込み。


月光が走り、木刀が風を裂く。


だが、連真の巨木刀は微動だにせず。

山のように構えるその一撃と、私の踏み込みが交錯した。


ガァンッ!


鋭い音が庭に響き、骨を軋ませるほどの衝撃が腕を貫いた。

踏み込みの勢いは止められ、逆に押し返される。

必死に踏みとどまりながら、歯を食いしばった。


そのまま木刀を押し合う中で、連真の声が低く響いた。


「……茜殿が誰を見ているかは知らぬ。

だが――目の前の相手を見ぬというのは、失礼だ。」


月光に照らされた瞳は、剣そのもののように鋭い。


「……もう一度仕切り直しだ」


巨木刀をゆっくりと引き、再び静かに構え直す連真。

私もまた正眼に木刀を掲げ、深く息を吐いた。


(……見るべきは銀狼でも幻影でもない。目の前の、この男だ)


夜風が庭を渡り、ふたたび張り詰めた空気が満ちていった。


夜風が頬を撫でる。

白砂に立つ私は、正眼に木刀を構えながら、胸の奥のざわめきを必死に押さえ込んだ。


だが、次の瞬間。

連真の気配がさらに膨れ上がった。巨木刀をわずかに傾けただけで、全身に刃を突きつけられたような圧力が走る。


「――いくぞ、茜殿!」


地を割るような踏み込み。

巨木刀が、月光を切り裂いて一直線に振り下ろされる。


(……速い! 避けられない!)


咄嗟に木刀を上げ、受け止めようとした瞬間――


ガァンッ!


衝撃が腕を砕くように走り、弾かれた木刀が頭上にぶつかる。額に焼けるような痛み。血が一筋、頬を伝い落ちた。


「……っ!」


一歩退いて荒い息を吐く。目の前で連真が巨木刀を止め、低く言った。


「……やはり受けきれんか。必滅の剛剣は、甘くはない」


悔しさに唇を噛む。だが、木刀を握る手は離さなかった。

血を拭う暇もなく、私は頭を垂れ、声を振り絞った。


「……もう一度、お願いします!」


連真の眼光が細められた。


「よかろう。だが次は本当に斬るつもりでいくぞ」


再び構え合う。

今度こそ――恐怖から逃げない。


脳裏に、父の声が甦る。


――茜よ、お前は剣が怖いか。

「……怖くありません」

――嘘をついたな、茜。お前は嘘をつくとき、目をそらす。

「……はい。」

――別に恥じることではない。剣とは人を殺すもの。怖がって当然だ。

――だがな、大切なのは“怖さを飼い慣らす”ことだ。恐怖から逃げず、真正面から向き合い、勇気を振り絞る。

――それが御影流の極意……六の太刀《陽炎》。当たる寸前に恐怖を受け入れ、薄皮一枚でかわし、返す。


(……父上……!)


再び巨木刀が月光を裂き、唸りを上げて迫る。

恐怖は消えない。だが――目を逸らさない。

私はこの技を会得できていなかっただが、今なら!!


私はわずかに腰を切った。


――ヒュッ。


風を裂く音が耳をかすめ、刃は髪を散らして空を斬った。

次の瞬間、私はすでに巨木刀の懐に潜り込んでいた。


「はぁっ!」


木刀が、連真の胸元を打ち抜く。

一撃。確かな返し。


ガキィィン!


音と衝撃が白砂を震わせる。だが私は立っていた。

恐怖に呑まれず、恐怖を抱いたまま、剣を見据えて。


連真の巨木刀は寸前で止まり、彼の口元が笑みに緩む。


「……俺の剣を、避けたか。見事!」


巨躯が嗤う。月光に照らされた瞳は驚愕と賞賛に満ちていた。


「俺が一撃で仕留めるはずの剣をかわし、さらに返すとは……御影流の名、伊達ではない!」


額から血が滴る。呼吸は荒い。だが握る木刀は震えていなかった。


連真は再び巨木刀を正眼に構え、重圧を放つ。

「よし……このまま稽古だ。恐怖を超えたのなら、次はそれを身に刻め!」


私は深く息を吐き、正眼に木刀を戻した。

夜の庭に、再び二人の気配がぶつかり合う――。

感想がありましたらぜひよろしくお願いします。


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